コラム倉庫 2005〜06年分(平成17〜18年)


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玄関の花器 (2006.12) 去る11月25日、林海庵の開山落慶法要を無事に勤めることができました。当日は好天に恵まれ、檀信徒...
学習会「終末の迎え方」 (2006.11) 林海庵の位置する東京都多摩市に、「多摩生活サポートセンター」というNPO法人があります。 先日、...
仏教徒としての生活〈下〉 (2006.10) 先月は、仏教徒が守るべき五戒と、仏さまに手を合わせることの大切さについて話しました。今回は、日々...
仏教徒としての生活〈上〉 (2006.09) ある女性から、このように尋ねられました。「私はふだん、自分が仏教徒であるという自覚はありません。...
ある信徒さんから (2006.08) このようなメールを頂きました。ご了解を頂いた上で、掲載させて頂きます。先日、久しぶりで、林海庵さ...
檀信徒の声 (2006.07) 上記のように、誠に悲しむべきできごとが起こってしまいました。この件について、複数の檀信徒の方々と...
四誓偈(しせいげ)その6 (2006.06) 今月はお経の解説です。前回は昨年(2005年)の11月でした。通してお読みになりたい方は、お手数...
国内開教のこと (2006.05) 今回は、少し内輪の話をしたいと思います。私は今から5年前―平成13年の4月に、初めて「国内開教」...
御忌―法然上人のこと (2006.04) 今月、浄土宗の総本山知恩院(京都)や大本山増上寺(東京)などで、「御忌(ぎょき)」という盛大な法...
僧侶の心得とは (2006.03) 最近、浄土宗から『蓮門住持訓(れんもんじゅうじくん)』という本が出版されました。浄土宗寺院の住職...
あるメールにお答えして (2006.02) 浄土宗は念仏往生の教えです。それに関連して最近、気になるメールを頂きました。「浄土宗は、世間の苦...
お正月 (2006.01) 明けましておめでとうございます。多摩市に移転して初めてのお正月を迎えています。なだらかな起伏が多...
成道会(じょうどうえ) (2005.12) はや12月を迎えました。12月8日は成道会、お釈迦さまが覚りを開かれた日として知られています。今...
四誓偈(しせいげ)その5 (2005.11) 新寺院に移転して1ヶ月が過ぎました。ずっと続いていた工事もひと段落して、ようやく気分も落ち着いて...
いただいた言葉 (2005.10) おかげさまで、このたび新しいお寺が完成しました。移転作業も無事に終わりました。4年前に開教活動を...
いよいよ移転します (2005.09) 前々回のこの欄でお知らせした通り、現在新しいお寺の工事が順調に進んでいます。9月中に完成し、月末...
お盆 (2005.07) 今年もお盆の季節を迎えました。お盆は『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』というお経に由来する仏教行事で...
特別版~いよいよ寺院建物を整備します (2005.05) 当林海庵は、平成14年より「マンションの中の小さなお寺」として活動を続けて参りました。おかげさま...
ひととき (2005.04) 先日、法衣姿で電車に乗っておりました。すると、隣の席の女性が話しかけてこられました。「あのー、何...
いわゆる「自殺」について (2005.03) 実を申しますと、このことばの響きには強い抵抗を覚えます。が、報道などではごく一般的に使われており...
「いのちの電話」のこと (2005.02) 私(住職・笠原)は、先月1月をもって、「社会福祉法人いのちの電話」の活動から離れることになりまし...
新たな年を迎えました (2005.01) 昨年は年末にスマトラ沖の大地震があり、被害地の惨状を伝える映像がたくさん流れました。心痛むと同時...



 一気読みコーナー 
※時間の逆順になっています(新しいものほど上)

2006.12玄関の花器

去る11月25日、林海庵の開山落慶法要を無事に勤めることができました。当日は好天に恵まれ、檀信徒や宗門関係者等、多数のご出席を頂きました。ご参加頂いた皆さま、ご協力頂いた皆さまに心より御礼申し上げます。
当日のことは、機会を改めて詳しくご紹介いたしましょう。

さて、法要の10日ほど前、ある友人から電話をもらいました。この人は島崎 猛(たけし)さんといいます。私が会社勤めをしていた頃からの友人―といっても、会うのは10年に一回くらいです。ふだんは年賀状を交換するだけ。彼は今、陶芸家です。
電話をもらったとき、「実は来週、開山落慶法要がある。めったにない法要なので出席しないか」と言いましたら、「関心はあるが、その日はたぶんゆっくり話せないだろう。法要の前に一度訪ねたい」という話。
旧友との久しぶりの再会でした。
振り返れば、二十歳代も前半の頃です。仕事の関係で、彼は毎夕、私の働いていた事務所に立ち寄っていました。お互いに忙しい時間帯でしたので、交わす言葉はわずかなものでした。やがて彼は退職し、インドに渡ります。「もうじきインドへ行く」という話を聞いたとき、心が騒いだのを覚えています。
一年近く経った頃に、連絡がありました。「帰国して、郷里の日立に帰っている。会いに来ませんか。」とのこと。
初めて彼の郷里を訪ねました。話題といえば、もちろんインドやネパールのみやげ話が中心です。
その7年後くらいに、私も自身の経緯でインドへ旅することになりました。が、ある意味では、島崎さんからインドの話を聞かなければ私もインドへ行かなかったでしょう。またインドへ行かなければ仏門に入ることもなかったでしょう…。
そして、陶芸家となった彼が林海庵を訪ねてくれたのが11月の16日。
「実は今、窯を冷ましているところです。いいものが焼けていたら、開山落慶のお祝いに送らせてもらいますよ。」
それから数日後に、素晴らしい花器が送られてきました。独特の製法による、宗教性の香り高い作品です。愛らしくもあり、またたいへん生き生きとしたものです。合掌の姿をしているので、玄関の正面に飾らせてもらうことにしました。林海庵を訪ねる人をあたたかく迎え、お帰りになるときも静かにお送りする―本当に、まるで生きているような花器です。

開山落慶法要の当日も、この花器が皆さまを玄関で迎えてくれました。
(島崎 猛 氏「柿公(しこう)窯」茨城県高萩市横川1052-1、TEL: 0293-28-0066)


2006.11学習会「終末の迎え方」

林海庵の位置する東京都多摩市に、「多摩生活サポートセンター」というNPO法人があります。 先日、その「たまさぽ」の学習会にお呼び頂きました。(リンク:多摩生活サポートセンター)
学習会のタイトルは、「終末の迎え方」。人生の最終段階、そして終末をどう迎えるか、どう準備するか、というのがテーマです。
お話を頂いたとき、二つの意味でたいへん嬉しく思いました。一つはこうです。多摩市へ移転して一年が経ちました。ゆくゆく、地域に対して仏事以外でも(林海庵にできるところで)何らかの貢献をしたいと思っておりました。多摩市はニュータウンの大きな人口を抱えた市です。住環境や道路、病院などの施設はある程度整っていますが、これからの街づくりには、「人生の終末をどう迎えるか」という観点が絶対に必要です。何かお役に立てれば、と考えていましたので、こんなに早く、そのきっかけとなるご縁が頂けたことが嬉しかったのです。
もう一つです。これまでメールや電話を通じていろいろなご相談を受けて参りましたが、「ご先祖をどう供養すればよいか」あるいは「どういうふうに悩みを克服して生きていけばよいか」といったことが中心でした。「どのように終末を迎えようか」というテーマは、どちらかといえば少数派。しかしこのテーマこそ、まさに伝統仏教の出番といえます。

当日は、10人程度の参加者でした。初めに「自分らしい葬儀」というお話が出ましたので、自分が僧侶として葬儀をお勤めするときに、何をどう考えながら、とういうふうに進めていくか、という話をいたしました。評論家や葬祭業者、○○アドバイザーという方々のお話を聞く機会はあるでしょうが、寺院サイドの話というのは、皆さんあまりご存じないはずです。ご参考になるのではないか、と思いました。
訃報を聞いてから、どのようにお戒名を作成するか、また(枕経)、通夜、葬儀告別式、火葬収骨まで、それぞれの儀式の意味をご説明いたしました。生命が人の手を離れて移ろってゆく時に、仏式のご葬儀―仏のお導きがいかに頼りになるか…日頃感じていることを話させて頂きました。
さまざまなご質問が出ました。戒名のこと、お布施のこと、宗派のこと、改宗のこと、般若心経について、写経について、菩提寺がない場合どうするか、どういう心持ちで終末を迎えたらよいのか、等々。
「やはり一番大切なのは、どういう心で最期を迎えるか、です」という話で締めくくりました。
お役に立てたかどうかは分かりませんが、少なくとも私にとってはたいへん有意義な経験でした。また次の機会があることを願っております。

※ 11月25日(土)に、林海庵の開山落慶法要(新しくお寺ができたことをお祝いする法要)をお勤めします。現在少しずつ準備を進めているところです。恐縮ながら、お寺のスペースの関係上、ご縁のある皆さまをすべてお招きすることができません。どうぞご容赦、ご了解下さいませ。法要の様子はこのサイトでご報告いたします。


2006.10仏教徒としての生活〈下〉

先月は、仏教徒が守るべき五戒と、仏さまに手を合わせることの大切さについて話しました。
今回は、日々の心構えの話をいたしましょう。念仏生活における心のありようについて、法然上人はこのように教えられています。

「あるときには、『この世の中はすべてにおいて永続することはない』と思いなさい。私たちの命もまた然り-さほどの時間は残されていない、と知りなさい。

またあるときには、み仏の念仏往生のお約束を思い起しなさい。そして、『お約束の通り、必ず浄らかな仏の世界にお導き下さい』と念じなさい。

あるときには、人間として生まれてくることが、実にまれであることを思い起こしなさい。仏教のたとえによれば、人として生まれることは、梵天から糸をたらして、大海の底にある針の穴を通さんがごとし、と言われている。せっかく人間に生まれてきたのに、このまま虚しく人生を閉じてしまうならば、それは何と悲しいことであろうか。

そしてあるときには、み仏の教えに接することの有り難さを思いなさい。今ここで念仏に励み、解脱の種をまかないのであれば、一体いつ次の機会がやってくるというのか。めぐり合わせによっては、仏のお名前を聞くことさえかなわないし、まして深く信ずることなど、なかなかできはしないのだ。

あるときには、過去世において善き行ないを重ねたおかげでこの教えに出会うことができた、と悦びなさい。世の中にはさまざまな人がいるが、仏を信じ、浄土往生を願う者は少ない。しかるにあなたがお念仏の教えに縁をむすばれたのは、ひとえにあなたの過去世の行ないがすぐれていたからである。今こそ浄土往生のときがきた、と思い、このめぐり合わせに感謝し、悦びの心をもちなさい。

これらのことを折にふれて思い起し、念仏に励みなさい。」

法然上人の教えには、いつも力と深みを感じます。くり返し、よく味わって頂きたいと思います。

先月と今月で、仏教徒としての生活、というお話をいたしました。


2006.09仏教徒としての生活〈上〉

ある女性から、このように尋ねられました。
「私はふだん、自分が仏教徒であるという自覚はありません。お葬式や法事のときだけ、ああ仏教なんだ、と思うわけです。仏教徒として生活してゆく、というのは実際のところ、どういうことなのでしょうか。」

なるほど、ごもっともなご質問です。しばし考えた後、こうお答えしました。

「在家の仏教徒が守るべきものとして、五戒というものがあります。生きものを殺してはいけない、人さまのものを盗んではいけない、邪(よこしま)な男女関係はいけない、嘘をついてはいけない、酒に溺れてはいけない。これが五戒です。
これは、一種の生活規範ですが、それ以上のものでもあります。「ブッダ」という言葉は「目覚めたる者」を意味します。私たちもやがては仏の境地―目覚めた境地に至ることができますように、と願い、そしてその願いの上に正しい生活を築いてゆこう、というものです。
仏教の戒にはいくつかのグループがありますが、いずれも同じ。それらは生活規範として私たちの行動を制限するというよりもむしろ、目覚めた境地に向かう、シンプルな生き方を示すものです。五戒は、その一つです。

五戒の教えについて話しました。仏教徒としての生活、ということで、さらに二つほど付け加えましょう。
まず一つ。仏さまに手を合わせる、ということです。
日々仏さまに手を合わせるには、部屋に仏壇を置くのが一番。が、必ずしも仏壇でなくても良いのです。仏像や仏画、またはそれらの写真でも結構です。仏の世界につながる対象を眼の前に安置して、そこに敬いの心をもって手を合わせます。浄土宗であれば、阿弥陀如来や「南無阿弥陀仏」の名号を何らかの形でおまつりして、お念仏をとなえます。
形を整えることによって、心も育ってゆくものです。「仏に帰依したてまつる」と言葉に出す場合でも、目の前に仏像があるのとないのではずいぶん感じが変わってきます。
不動の仏像を前にすれば、私たちの心も安定してくるものです。そこに灯明と良い香りのお線香でもあれば、その空間は、たちまち崇高な雰囲気に満たされます。
毎日二回、あるいは一回、そこで仏さまに手を合わせます。しばしお念仏や沈黙のひとときをもって、仏の世界に思いを向けます。これほどの素晴らしい経験はありません。
歓びをもって日々仏さまに手を合わせることができれば、それだけで立派な仏教徒といえます。

(この項続く)


2006.08ある信徒さんから

このようなメールを頂きました。ご了解を頂いた上で、掲載させて頂きます。

先日、久しぶりで、林海庵さんのHPを拝見しましたところ、コラムに今回の浄土宗宗務庁の不祥事の件が載っていました。
私達信徒への笠原さんのメッセージでしたが、私なりの感想を持ちましたので、お伝えしたいと思います。
今回の事件ですが、世の中に似たような事件はありますが、宗教界で起きた事だけに、世間の目は厳しいものがあるのかもしれません。しかし私は、今回の事は特別な事ではないと思っています。事務方を僧侶の方が司っているとして、同じ人間ではないですか?
ただ、信徒さんの中には、聖職に就く方に対しては、厳しい目を持っておられる方も多いと思います。

私は、日常生活の中で、父の供養を大切にしています。毎日お仏壇に向かって手を合わせて祈る時、私の心には、いつも父が居ます。わが家が浄土宗であり、そこからご住職と出会い、わが家の菩提寺になって頂けました。そして、浄土宗の教えに触れ、少しずつ「私の家は浄土宗です」と胸張って言えるようになっているのです。
一家の安泰を願う事、それが今の私にとっての「信仰心」であると思っていますので、浄土宗の本部で何があっても、私の信心には変わりがないのです。
むしろ、今回の事件は、遠い世界での出来事のようにさえ感じています。

深い信仰心も持ち合わせていない私が言うのも憚られますが、信徒の中には、今回の事件に惑わされる事なく、日々の供養に努めている者もいる事を、お伝えしたいと思いました。
ご住職との信頼感の下で、みな信心を重ねているのだと思います。

平凡な日常に感謝しつつ、亡くなった人を大切に思って供養する。そんなわが家のお盆が近づいてきました。
今年も宜しくお願い致します。


本当にありがとうございます。
私どもは、信徒さんの信仰生活や、死別の悲しみの心を支えることを務めと心得ておりますが、逆に信徒さんに支えて頂いたり、励まして頂くことも多いのです。このメールを拝読し、正にそれを痛感いたしました。

仏の声は、「沈黙」を通して、あるいは「ささやき声」を通して私たちのところへやってきます。組織内のことはそれとして大事ですが、私自身が日々の信行に曇りなきよう、気をつけて参りたいと思います。


2006.07檀信徒の声

上記のように、誠に悲しむべきできごとが起こってしまいました。

この件について、複数の檀信徒の方々と話す機会がありました。以下は、その声の一部です。
「その職員というのは、まさかお坊さんではないのでしょう?」
「絶対に起きてはならないことが起こってしまった。」
「自分が浄土宗であることを隠したくなった。今まではそれを誇りにしていたのに…。」
「阿弥陀さまは私たちにとっては遠い存在。だから私たちはお坊さまに手を合わせる。そのお坊さまがこんな事件を起こすなんて…私たちは一体何を頼りにしていけば良いのでしょうか…」
「お坊さんも人間。いろいろなことがあるでしょう。問題は後の対処の仕方です。災い転じて福になればよいのですが…。」
「この報道でテレビに映ったのが、増上寺でなくて知恩院だったのでまだ良かった。(東京の方)」

宗務庁が申しておりますように、この件はいまだ調査中でして、私どもも不安や動揺を煽るような発言は厳に謹まなければなりません。しかし、上記の言葉には檀信徒の気持ちがよく表れており、このサイトをご覧下さっている皆さんと分かち合いたいと思いましたので、あえて引用させて頂きました。
これらはたまたま私が耳にすることができたもの。それ以外の檀信徒の方々の「声なき声」は誠に深く大きなものがありましょう。浄土宗を大切に思って下さる方であればあるほど、ショックは大きいはずです。そして、不安や不満、嘆きを感じていたとしても、直接寺院や僧侶にそれを伝えて下さる方はごく一部であろうと想像いたします。これらのような声、あるいは声なき声に、一僧侶として私は耳を澄ませていきたいと思います。

一日も早く真相が明らかになり、宗としての対応が定まって、浄土宗檀信徒の皆さんが安心して信仰生活を続けられますように。それを強く願います。


2006.06四誓偈(しせいげ)その6

今月はお経の解説です。前回は昨年(2005年)の11月でした。通してお読みになりたい方は、お手数ですがこのコラム倉庫から該当分を選んでご覧下さい。

さて、「四誓偈」の続きです。

 為衆開法蔵 広施功徳宝 常於大衆中 説法獅子吼
(いーしゅうかいほうぞう こうせーくーどくほう
じょうおーだいしゅうじゅう せっぽうしーしーくー)
仏は、人々のために教えの蔵を開き、功徳の宝を広く施し、常に人々の中において、獅子が吼えるように堂々と法を説かれる。

 供養一切仏 具足衆徳本 願慧悉成満 得為三界雄
(くーよういっさいぶつ ぐーそくしゅーとくほん
がんねーしつじょうまん とくいーさんがいおう)
仏は、他の一切の仏を供養し、諸々の福徳をそなえ、誓願と智慧をすべて成満し、三界の雄となられた。

 如佛無礙智 通達靡不照 願我功慧力 等此最勝尊
(にょーぶつむーげーちー つうだつみーふーしょう
がんがーくーえーりき とうしーさいしょうそん)
仏の自由無碍なる智慧は、どこまでも行き渡って照らし尽くさないところはない。 願わくは、わが功徳と智慧の力も、この最勝の仏と等しくあらんことを。

 斯願若尅果 大千応感動 虚空諸天人 当雨珍妙華
(しーがんにゃっこっかー だいせんおうかんどう
こーくうしょーてんにん とううちんみょうけー)
この願いが遂げられたならば、全宇宙はまさに感動して揺れ動き、天界の神々も、珍妙の華を雨のごとくふらすであろう。

修行僧ダルマーカラは、このように仏(世自在王仏)の功徳を讚えて、自分もそのようでありたい、必ずこの誓いを達成しよう、と宣言します。
「四誓偈」の冒頭に、「誓不成正覚」という言葉が三度出てきました。それにこの最後の誓い―「願わくは、わが功徳と智慧の力も、この仏と等しくあらんことを」を加えて「四誓偈」と呼んでいるわけです。

経文の細かい内容は以上の如くですが、この四つの誓いは、いわば四十八願をまとめたもの。つまりそこには念仏往生の誓願も含まれているわけで、この「四誓偈」は浄土宗ではとても大切に読誦されています。
「四誓偈」に限らず、お経は声に出して読むことが肝心です。初めは意味が分からなくても構いません。声に出し、口(の筋肉)が経文を覚え、それが身体の中に響き、耳からも自分の声が身体に入ってくる…リズムに乗りながら繰り返していると、自然に暗記してしまいます。

そして最後に、一番大切なこと―浄土宗では、経典読誦はお念仏を助ける行です。あくまでも中心は、声に出して「なむあみだぶ なむあみだぶ…」ととなえることです。お経の解説を掲載しておきながら何ですが、経文の意味は分からずとも構いません。
仏の世界=極楽浄土に強い憧憬の心をもってお念仏をとなえれば、成ぜずということはないのです。

「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし。」
(法然上人)


2006.05国内開教のこと

今回は、少し内輪の話をしたいと思います。

私は今から5年前―平成13年の4月に、初めて「国内開教」という言葉を聞きました。ある日、地下鉄の駅で、当時の浄土宗宗務庁の課長さんとばったりお会いしました。同じ電車に乗り、新宿駅で別れるまでの10分ほどの間に、こんなお話をされました。 「国内開教といって、浄土宗のお寺が不足している地域に新たにお寺を創っていこうという施策があるんですが…やってみませんか。やり甲斐があると思いますよ。自分の努力が形になってゆくわけですから。」
そして、
「浄土宗の総合研究所で『国内開教システム』というのを作っているんです。様々なデータを集めてあります。一度見に来ませんか。」
浄土真宗ではすでに、「都市開教」という呼び名で新寺建立をすすめています。同様の施策を浄土宗でも行なってゆこう、ということのようでした。
私にとってはたいそう魅力的なお話でした。また、いくら以前から存じ上げていたとはいえ、課長さんが私に声をかけて下さったのが嬉しく感じられました。そこで周囲の方々に相談しながら、少しずつ方向性を探ることにしました。(この延長上に現在の林海庵があるわけですが、しかしまあ、その後の5年間のめまぐるしさときたら…)

私の師僧は、当初消極的でした。「笠原君が宗務庁の職員になって、その立場で取り組むのなら分かるが…。」
確かに、当時の私の立場ですと、私の開教活動の責任を師僧が負わねばならぬ状況が出てこないとも限りません。この問題は、後年林海庵が「浄土宗寺院」として正式に認証を受けてから、ようやく解決いたしました。もっとも林海庵が「浄土宗寺院」として認められるに際しても、いろいろなことがありました。何せ前例のないことです。これまで「開教寺院」はありましたが、宗務庁主導により、ゼロから立ち上げたお寺はありません。先例を作り、実績を重ね、宗内に制度を作ってゆく…三つ巴の展開でした。
以前にも書きましたが、ある信徒さんは、
「今は、色々なことがどんどん変わってゆく時代。一年前は到底不可能に見えたことが、一年経つと可能になることもある。希望をもって頑張って下さい。」
と言って、励まして下さいました。

そして、本当にその通りになりました。寺院認証の他にも、助成金予算の増枠、国内開教使制度の設立、土地建物購入のための融資制度など、新しい制度が次々と出来て参りました。
この間、私に声をかけて下さった宗務庁の課長さんは退職され、もうお一人の担当課長も退職。当時の宗務庁旧東京事務所長も、機構が変わって、宗務庁から離れられました。

さらに、ここ数年間、孤軍奮闘で走り回り、いくつもの寺院をゼロから立ち上げてきた担当係長が、この3月をもって宗務庁を退職されました。
この係長は常に開教使たちを叱咤激励し、また反対に不満を言う開教使たちをなだめ、上司に対して堂々と持論を展開し、都庁県庁の宗教法人担当者に食ってかかり、身体を張って開教を推進してこられた方です。開教使たちから一番頼りにされ、開教使が宗務庁を訪ねてゆくと、顔をほころばせて迎えてくれた人です。

先日、首都圏の開教使たちが集まり、かの偉大なる(もと)係長を囲んで感謝慰労会をもちました。皆さんの「熱い気持ち」がひしひしと感じられるひとときでした。

(参考)○国内開教に関する規程 (浄土宗・宗規第八十八号)~抜粋

第一章 総則
(目的)
第一条 この宗規は、国内における地域人口の流動等にともなう過疎、過密化及び社会構造の変動に対応する本宗の有機的教化方策を策定して、教化施設の復興又は新設するなど開教活動の促進と寺院の活性化を促し、もって本宗の教宣の拡張を図ることを目的とする。

第二章 委員会
(委員会の設置及び職務)
第二条 前条の目的を達成するために、国内開教委員会(以下「委員会」という。)を設置し、次の各号に掲げる事項を協議検討する。
一 国内開教の有機的展開のための方途の策定
二 国内開教地域(以下「開教地域」という。)の選定及び解除に関する事項
三 国内開教使の資格審査、選任及び解任に関する事項
四 その他、宗務総長より指示された事項(…以下略)


2006.04御忌―法然上人のこと

今月、浄土宗の総本山知恩院(京都)や大本山増上寺(東京)などで、「御忌(ぎょき)」という盛大な法要がつとめられます。この法要は、浄土宗を開かれた法然上人のご命日(本来は旧暦1月25日)に、そのご遺徳を偲び、ご恩に対して感謝を捧げるものです。
法然上人は、現在の岡山県に生をうけられました。お父さまの名は漆間の時国、お母さまは秦氏のご出身です。
ご夫婦は、なかなか子供ができないことを嘆いて、夫婦こころをひとつにして仏神に祈っていたところ、お母さまが不思議な夢(剃刀を飲む夢)をご覧になり、すぐに懐妊されました。
生まれた子は、智慧の菩薩さまの名にちなみ、「勢至(せいし)」と名付けられました。子供の頃から才知に富み、まるで大人のようなところがありました。
9歳のとき、お父さまが突然の夜討に遭って倒れます。そのときの息子への遺言は、
「汝、敵を恨むことなかれ。これひとえに、先の世の宿業なり。もし遺恨を結べば、そのあだ世々(よよ)に尽きがたかるべし。はやく俗をのがれ、家を出で、わが菩提を弔い、みずから解脱を求めよ。」
というものでした。仇討ちを考えてはならぬ、出家して仏道を歩め…。
この遺言に従って上人は出家され、のち比叡山に登り学問を究められます。
そして43歳のときに浄土の法門―他力念仏の教えを開かれました。

さてここにご紹介するのは、法然上人が80歳でお亡くなりになる、その3週間ほど前からのご様子です。

1月2日。このところ食が進まれなかったが、なお召し上がらなくなられた。一方、この3、4年、視力・聴力が衰えておられたが、それが昔通りにはっきりしてこられた。周囲の人はこれを喜び、たいそう不思議に思う。
2日以降は、往生のことの他はあまりものをおっしゃらず、いつも念仏を称えておられる。睡眠中も、口と舌が動いておられた。
翌3日、ある弟子がこう尋ねた。
「こたび、ご往生は決定か。」
上人は、
「われ、もと極楽にありし身なれば、さだめてかへりゆくべし」
とお答えになられた。
11日、上人は起きられて、大きな声でお念仏をされた。聞く人は皆、涙を流した。お弟子さん方におっしゃるには、
「高声(こうしょう)に念仏すべし。弥陀仏の来たり給えるなり。この御名をとなうれば、一人として往生せずという事なし。」
このようにお念仏の功徳を讚えられる。あたかも、熱心に布教された往時のようである。
同日、弟子たちが3尺の阿弥陀像を法然上人の床の右にお祀りした。
「このお仏像をおがまれますか。」
と尋ねると、上人は目の前の空中を指さし、
「この仏のほかに、仏がおられるというのか。」
とおっしゃり、さらにこう言われた。
「およそこの10余年、念仏の功徳が積もり、極楽の様子や阿弥陀如来、菩薩たちのお姿をおがみたてまつること、ふだんの事なり。しかれども、日頃は隠して言わず。いま最期に臨めり。かるがゆえに示すところなり。」
23日も1時間、2時間と、上人の高声念仏は続く。この日、あるお弟子の「最後のみ教えをお願いいたします」の求めに応じて筆を執り、『一枚起請文』を書かれた。
24日の夕方から、25日の朝方まで、身体の無理を押して高声念仏を続けられる。5、6人の弟子が代わる代わる声を合わせて念仏したが、弟子の方が疲れて休んでも、法然上人は休まれなかった。これは未曾有のことであり、集まった僧侶や信者たちは皆、感極まって涙を流した。
25日の昼前から、お念仏の声が微かになる。まさにご臨終のとき、慈覚大師の九条の袈裟をおかけになり、「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の文をとなえて、眠るがごとくして息を引き取られた。声が止まられてからも、なお口と舌が十数遍動いておられた。お顔の色はまことに鮮やか、表情は微笑んでおられるようであった。
建暦2年(1212年)、1月25日のちょうど昼12時のことである。


2006.03僧侶の心得とは

最近、浄土宗から『蓮門住持訓(れんもんじゅうじくん)』という本が出版されました。浄土宗寺院の住職たる者の心構えについて、江戸時代に書かれた本の復刻版(現代語訳)です。
今はその内容には触れません。先日、この本が話題にのぼったとき、さる先輩の僧侶の方がなさった話をします。

「僧階を頂いてからが、本当のスタートだ。いわば運転免許と同じ、と考えなければならない。運転免許を取ったからといって、新米のドライバーに『運転の仕方やコツを教えて欲しい』と尋ねる人はいない。しかし、我々は僧服を着ていると、それだけで一通りの修行を終えた一人前の僧侶、と見られる。一般の方に対して、責任をもって対応することは大事だが、本心から『自分はもう一人前だ』と思ったら大間違いだ。
僧階を頂いてから、初めて実際面の修行が始まる。一人の教師として、自分の日々の行をどう工夫してゆくのか。浄土の信仰をどう伝えてゆけばよいのか。檀信徒から信頼して頂くにはどうすれば良いのか。自分は何を期待されているのか。質問や相談を受けたときにどう対応するか。法要をどう勤めてゆけばよいのか。どういうふうに原理原則を貫き、どのように場面に応じた融通性を利かせてゆくのか。先輩や後輩の上人方とどうお付き合いしてゆけばよいのか。自分の責任の範囲をどう把握し、何かことが起こったらどういうふうに対応してゆけばよいのか。ものごとを進めてゆくとき、誰にどういうふうに相談すればよいのか、等々、学ばなければならないことが山ほどある。
これらのことは教科書には出ていないが、とても大切なことだ。
教師として立ってゆくには、高度の社会性が求められる。『僧階を頂いたら、それでもう目的は達成、自分は一人前だ』なんて思っていたら、とんでもない間違いである。」

ううむ、厳しいお話ですが、誠にその通り、と思いました。 私も教師資格を頂いてから13年経ちますが、まだまだ足りません。一生が修行である、と気を引き締めております。


2006.02あるメールにお答えして

浄土宗は念仏往生の教えです。それに関連して最近、気になるメールを頂きました。
「浄土宗は、世間の苦悩に目をつぶり、まず自分が先に極楽に往生しよう、という利己的・逃避的な教えではないか。」
というものです。

この教え(浄土宗)は、「世間の苦悩に目をつぶる」のではなく、私たちの苦悩をよく理解し、それを解決に導くには、まず自分自身が目を開かなければならない、目を覚まさなければならない、という自覚に立っています。それは正しく仏教の原点、お釈迦さまのお立場そのものでもあります。

いま現在、自分自身の心が混乱しているならば、世間の苦悩を解決せんとして行動を起こしても、ただこの混乱を蜘蛛の巣のように広げるだけ、ということになりかねません。自分自身の心が混乱している、自分はまったく至らぬ存在である、という自覚を私たちは大切します。法然上人の教えを学んでいる者は、「現世を仏国土に変えてゆこう」「苦しんでいる人々に救いの手を差し伸べよう」といスローガンには警戒心(自戒の心、といったほうがいいですね)を抱きます。澄んだ心をもってこれらに取り組むことは決して容易ではない、とよく知っているからです。

とはいっても、現実社会の苦悩に直面したとき、ただ静観していよ、というわけではありません。私たちの仲間にも、「世間の苦悩に目を向け」その解決に取り組む社会活動を行なっている方々がいます(国際協力ボランティア、難病の子供の家族サポート、教誨師、人権問題への取り組みや、各種社会福祉活動)。また歴史を繙きますと、江戸時代の無能上人、厭求上人、忍澂上人、明治以降も深見志運、颯田本真尼、神谷大周ほか、救貧事業・災害救済活動・養老事業・児童保護などの社会事業に力を注いできた先達がたくさんおられます。

「浄土宗は、世間の苦悩に目をつぶり、まず自分が先に極楽に往生しよう、という利己的・逃避的な教えではないか。」

いいえ。そうではなく、むしろ自己・他者の苦悩を真正面から見つめ、「お念仏の教えを頼みに、ともに極楽浄土に救われてゆこう」という教えです。利己的・逃避的な教えではなく、利他的・現実的な宗教です。それは、数多の苦悩の声に耳を傾け、万人救済の道を切り開かれた、宗祖法然上人のご姿勢そのものである…私はそのように理解しております。(私は特に、その利他的・現実的なところに魅かれ、浄土宗の門をたたきました。)

浄土門は、大乗仏教精神の究極の開花であり、この先はもうありません。


2006.01お正月

明けましておめでとうございます。
多摩市に移転して初めてのお正月を迎えています。なだらかな起伏が多く、陽当たりのよいこの地域…静かで穏やかなお正月です。
元旦には修正会(しゅしょうえ…お正月の法要)を勤め、訪れて下さった信徒さん方とご一緒にお念仏をいたしました。
静かに、淡々とお念仏を重ねてゆく…そういう年でありたいと思っております。

どうぞ本年も、宜しくお願いいたします。


2005.12成道会(じょうどうえ)

はや12月を迎えました。12月8日は成道会、お釈迦さまが覚りを開かれた日として知られています。今回は、このお釈迦さまのお覚りのお話をしましょう。(お念仏の会で話した内容を一部編集して掲載します)

これは、今からおよそ2,500年前のこと。インドの東北部、ビハールと呼ばれる地方の、ある川のほとりでのお話です。
その一帯には、ここかしこに瞑想をしたりお祈りの言葉をつぶやいている修行者の姿が見えます。日中の日差しはまだ強く、お祈りの声や鳥のさえずりが際立つほどの、静寂な空気があたりに漂っています。

そこへ、シッダールタという名前の青年がやってきました。その青年は、たいへん高貴な顔立ちをしています。シッダールタは、ある一族の王子でしたが、今や、王冠や耳飾りや美しい衣服を捨て、世俗の生活を離れて修行者たちの仲間に入ろうとしていました。
シッダールタは、修行者たちに話しました。自分が宮殿での恵まれた生活に虚しさを感じたこと。どんなに幸せな生活も、やがては老い、病いにかかり、ついには死によって終わることに気づいたこと。そしてある日、出家した修行者の姿を目にしたとき、「これこそ私が歩むべき道だ」と思ったのだ、ということを説明します。そして、そこにいる指導者に、教えを乞いました。
シッダールタにとって、先生の教えはまことに新鮮でした。砂漠の砂に雨水が滲みとおるように、シッダールタは教えを吸収してゆきます。しかし、いくら学んでも、いくら先生の指導にしたがって修行を積んでも、「もうこれでよい」という感じは起こりません。確かに世俗を離れ、修行を積んでいる、学んでいる、という一定の満足感はありました。しかし結局のところ、自分自身は大きく変わったわけではない。いくつかのことについては答えを見つけた。しかし、人間の本質、人生の意味…こういった肝心な事に満足のいく解決は何も得ていない。シッダールタは、もっとほかに自分に合った教えがあるのではないか、と思い、次々と先生を変えてゆきます。そのなかには、当時有名であった2人の聖者もいました。

しかしどの先生について学んでも、満足は得られませんでした。数年ののち、彼はこう思います。
「いままで色々な先生たちから、たくさんのことを教わってきた。でも、ここから先は自分一人で進もう。何か『真実』と呼べるものがあるとするならば、わたしは、もう誰か他の人の教えに頼るのではなく、自分自身でそれをみつけよう。自分自身でそれを体験しよう。今やその時がきた。」
シッダールタは、独りで林の中に入ってゆきました。そして「苦行」という道を選んだのです。それは、激しい断食をして身体を衰えさせ、それによって、精神の純粋さを追求しようとするものでした。彼の手足はやせ細り、お尻からは肉が落ち、お腹の皮は背骨に触れるほどになりました。しかし、そのような苦行を続けても、頭がもうろうとしてくるばかりで、「精神の純粋さ」は現れてきません。シッダールタはついに苦行も捨てることにします。そして栄養のある食べものを求めて、托鉢に出掛けます。

そのとき、スジャーターという名前のある裕福な家の娘が、シッダールタに栄養たっぷりの乳粥を供養してくれました。その乳粥を食べて、彼は体力を回復させます。
「いまこそ正しく瞑想できる」
彼はこう思いました。
「自分は一体何を求めていたのであろうか。これまで必死の思いで道を求め、求めに求めて努力を積み重ねてきた。しかし、結局のところ、どこにも行き着かなかった。」
シッダールタはこうして、何かを力ずくで成し遂げようとしても、決して解決にはならないことに気づきました。そして、一本の樹の下に草を敷き詰め、くつろいだ姿勢で坐ります。彼は「私が達成しなければならないものは、実は何もなかったのだ。」ということを受け入れました。シッダールタの心の中から、次第に雑音が消えてゆきました。心は静かに、静かになってゆきます。そしてまさにその夜、シッダールタはついに最高の目覚めに達します。その偉大なる瞬間-それは夜明けも近い、明けの明星がきらめいたときでした。シッダールタの中に、大音響とともに、まばゆい光が大きく広がり、すべての疑問や疑い、不安や恐れを消し去ったのです。

この決定的瞬間のことを、のちの仏教徒たちは「正覚」-正しい目覚め、と呼びました。このとき、今日まで2,500年にわたって無数の人々を導いてきた仏教の源流が、この地球上に溢れ始めたのでした。
それはシッダールタ35歳の年、12月8日の朝のことでした。このときからシッダールタは、「仏陀」あるいは「如来」、また「釈尊」「世尊」などの名前で知られるようになりました。

それから45年間、80歳で亡くなられるまで、お釈迦さまはあらゆる階層のさまざまな人々に法を説き続けられました。

※今年は大きな飛躍の年でした。来年も頑張って参りますのでよろしくお願いいたします。


2005.11四誓偈(しせいげ)その5

新寺院に移転して1ヶ月が過ぎました。ずっと続いていた工事もひと段落して、ようやく気分も落ち着いて参りました。
お陰さまで素晴らしいお寺になりました。皆さまのご来庵をお待ちしています。

さて、1年半ぶりにお経の解説を再開いたします。今回は「四誓偈(しせいげ)」の5回目です。(前回までの解説は、2004年頃のコラム倉庫をご覧下さい)
前回までは、冒頭、修行僧ダルマーカラがたてた3つの誓いと、誓いの中心である第18願を見ました。今回はそれに続く文です。

 離欲深正念 浄慧修梵行 志求無上道 為諸天人師
(りーよくじんしょうねん じょうえーしゅーぼんぎょう
しーぐーむーじょうどう いーしょーてんにんしー)
われ(ダルマーカラ)は、欲望を離れ、心を静めて浄らかな智慧を培う修行を行ない、最高の覚りを求めて、天界・人界の導師となろう。

 神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難
(じんりきえんだいこう ふーしょーむーさいどー
しょうじょーさんくーみょう こうさいしゅうやくなん)
仏はその身から大いなる光を放ち、一切の国土をあまねく照らし、三垢(欲望・怒り・愚かさ)の闇を取り除いて、多くの厄難を救う。

この節からは、修行僧ダルマーカラが、仏のもつ限りない徳を讚えます。

 開彼智慧眼 滅此昏盲闇 閉塞諸悪道 通達善趣門
(かいひーちーえーげん めっしーこんもうあん
へいそくしょーあくどう つうだつぜんじゅーもん)
仏は人々の智慧の眼を開かせ、欲望・怒り・愚かさの闇を滅して、悪道(地獄・餓鬼・畜生とよばれる3つの苦しみの世界)を閉じ、善道に至る門を開く。

 功祚成満足 威曜朗十方 日月重暉 天光隠不現
(くーそーじょうまんぞく いーようろうじっぽう
にちがっしゅうじゅうきー てんこうおんぷーげん)
仏の徳を満たすことによって、その威光を十方に行き渡らせるので、太陽や月もその光を収め、天界の光さえも隠れて現れぬほどである。

修行僧ダルマーカラは、こうして仏(自分の師である世自在王仏)の徳を讚えてゆきます。そして、自らの功徳もかの仏に等しからん、と願います。

(続きます)


2005.10いただいた言葉

おかげさまで、このたび新しいお寺が完成しました。移転作業も無事に終わりました。

4年前に開教活動をはじめたときは、「土地を購入してお寺を建てるには、少なくとも10年くらいはかかるだろう」と思っておりました。文字通り仏さまのお導きと、多くの方々からご支援ご協力を頂いたおかげで、思いのほか早くここまで来ることができました。
直接支えて下さった(現在も支えて下さっている)方々は、信徒さんや浄土宗関係者など、300名以上にのぼります。間接にお世話になった方々は、数えきれません。
本当にありがとうございます。これらの皆さまには、いくらお礼の言葉を述べても述べ足りません。
また、当サイトを通じて応援して下さった皆さまにも、厚く御礼申し上げます。
ここでいくつか、私がこれまでに頂いた言葉をご紹介します。今日の林海庵は、たくさんの方々の思いによって成り立っていますが、これらの言葉もその中の貴重なひとひらです。

「あなたにしかできない活動をして下さい。」(大先輩の浄土宗教師)
「初心を忘れないように。」(昨年3月に遷化した師僧)
「時代は変わりつつある。一年前には不可能に思えたことが、どんどん可能になっている。希望をもって頑張って下さい。」(以前から応援して下さっている信徒さん)
「私の生きているうちに、多摩市にお寺を創って欲しい。」(開教地域の信徒さん)
「…そういうお寺があってもいいんじゃないですか。」(以前から応援して下さっている信徒さん)
「『阿弥陀堂だより』の映画をビデオでもう一度見て、現代の阿弥陀堂をどうしても作りたい欲求に駆られました。」(改修工事をすべてお任せした、信徒の建築士さん)
「いいお寺にしよう。」(檀信徒総代)

…というわけで、今後はこの新しいお寺で頑張って参ります。
どうぞよろしくお願いいたします

  • 移転日:9月30日
  • 新住所:東京都多摩市和田1529-10(〒206-0001)
    地図も追って掲載いたします。
  • 新電話番号:042-374-8671
  • 新FAX: 042-374-8672
    (サイトのURLやメールアドレスは変わりません)

なお、改築作業時には近隣の皆さまにはたいへんご迷惑をおかけしました。この場を借りて深くお詫びいたします。


2005.09いよいよ移転します

前々回のこの欄でお知らせした通り、現在新しいお寺の工事が順調に進んでいます。9月中に完成し、月末に移転する予定です。
「浄土宗のお寺が少ない地域に、新たにお寺を建立し、お念仏の教えを広めてゆく」―これが浄土宗の国内開教施策です。住職の笠原は、この施策のもと、浄土宗から「国内開教使」に任命されています。約4年前にマンションの一室からスタートした小さな国内開教寺院が、今般、やっと独立した建物を持てるわけです。当庵にとってはもちろんのこと、浄土宗にとってもたいへんおめでたいことです。
新しいお寺は、2階建ての住宅を改修したものです。またまたユニークなものになる、と私どももたいそう楽しみにしています。(もちろん、おいで下さる皆さんにとっての居心地の良さを一番大切にします)

林海庵の基本方針は、前にも書きましたように、3つございます。

  1. 宗教性の高い寺をめざす
    心と心の出会い、敬虔な姿勢、宗教的感動、お互いの人間的な成長を大切にしたい。
  2. 敷居の低い寺をめざす
    どなたに対しても、「よくお越しくださいました」「よくご連絡をくださいました」と言える寺でありたい。
  3. ランニングコストの低い寺をめざす
    信徒の皆さまへの負担をなるべくかけないようにしたい。
というものです。これは林海庵を設立したときに建てた3つの柱です。今後もこの方針をもとに、活動の幅を広げてゆきたいと思っておりますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

  • 移転日:9月30日
  • 新住所:東京都多摩市和田1529-10(〒206-0001)
    地図も追って掲載いたします。
  • 新電話番号:042-374-8671(9月30日夜以降)
  • 新FAX: 042-374-8672( 同   上 )
    (サイトのURLやメールアドレスは変わりません)


2005.07お盆

今年もお盆の季節を迎えました。
お盆は『盂蘭盆経(うらぼんきょう)』というお経に由来する仏教行事です。
この盂蘭盆経の主役は、お釈迦さまの高弟である目連尊者です。目連尊者が得意の神通力を使って、先に亡くなったお母さまがどうしておられるかを探したところ、お母さまはあろうことか餓鬼の世界に堕ちて、たいへん苦しんでおられました。目連尊者は驚き悲しみ、お釈迦さまのもとへ駆けつけます。
「どうしたら母を救うことができるでしょうか。」
「そなたの母の罪業はあまりにも深い。そなた一人の力ではどうにもならないであろう。
7月15日に雨期の修行期間が明け、修行僧たちの反省会が行われる。その日に、彼らに飲食の供養をしなさい。そうすれば、かの僧たちの威神力をもって、母は救われるであろう」
目連尊者はこのお示しに従い、雨期の修行期間が明ける7月15日、修行僧たちに飮食を施しました。それによってお母さまが救われた、という物語です。
「うらぼん」という言葉は、サンスクリット語の「ウランバナ(さかさ吊りの苦痛)」あるいはイランの「ウルヴァン(霊魂)」に由来するといわれています。

お盆の期間は、7月あるいは8月の3日間ないし4日間。地方によって異なります。
盂蘭盆経にある通り、この行事は親孝行や先祖供養がテーマです。お仏壇にご先祖をお祀りしているお宅は、お墓参りや、迎え火・送り火を焚いたり、お盆のお飾りをするなど、できる範囲で結構です、どうぞお盆のご供養をなさって下さい。
また、心にかけながらもお盆のご供養をなさっていないお宅も、是非始めてみて下さい。そうすれば、どうしてこの行事が長年継承されてきたか、お分かりになると思います。


2005.05特別版~いよいよ寺院建物を整備します

当林海庵は、平成14年より「マンションの中の小さなお寺」として活動を続けて参りました。おかげさまでこれまで多くの方にお参り頂き、15年には正式の浄土宗寺院として承認され、月例の行事「お念仏の会」も順調に続けております。
しかしながら、その限られた環境ゆえにいろいろと不便な点があります。たとえば、

  • 来客用の駐車場がない
  • お寺の看板を出せない
  • もう少し広いほうが良い
  • 行事やご法事はできても、ご葬儀はできない
  • 「宗教法人」の申請ができない(オウム真理教の事件以降、審査が厳しくなっており、他から独立した礼拝施設が整っていなければ認可がおりません)
というわけで、信徒の方々からのご要望もありまして、今般、思い切って中古の一戸建て住宅を買い取り、増改築をほどこしてお寺として利用していくことにいたしました。

...Before(Afterは今秋のお楽しみ!)

場所は東京都多摩市和田です。多摩市には、これまで浄土宗のお寺はありません。初めての浄土宗寺院、ということになります。引渡しの後、増改築工事に入るとして、寺院として使用できるのは今年(平成17年)の秋から冬になる見通しです。

当庵にとりまして、まことにありがたい記念すべき一歩を踏み出すことになります。短期間でここまで参りましたのも、ひとえに信徒の皆さまのおかげであり、またサイトを通じた皆さま方の応援によるものであります。ここに改めて厚く御礼申し上げます。
完成の暁には、信徒の皆さまや有志の方々にお念仏の心の拠点として広くご活用いただける開かれた施設としていきたいと考えています。

買い取り・増改築にかかる費用につきましては、信徒さんからお預かりいたしましたお布施の積み立てと、借入れ金を充てるつもりでおります。
併せまして、このサイトをご覧の皆さまからご寄付のご協力を頂ける場合には、ありがたくお受けいたしたく存じます。Donation(ご寄付のお願い)のページに振込先をご案内しておりますのでぜひご覧ください。


2005.04ひととき

先日、法衣姿で電車に乗っておりました。すると、隣の席の女性が話しかけてこられました。
「あのー、何宗の方ですか。」
「はい、浄土宗です。」
「浄土宗と浄土真宗はどこが違うんですか。」
「…えーとですね、それは、よくいただくご質問です。浄土宗と浄土真宗はですね…(略)」
Q&A 1Q&A 642004年3月コラム「歎異抄のこと」などをご覧ください)
「すると、もとは同じだけれど、いろいろ違う点もある…。」
「まあ、そうです。」
「それと、お数珠なんですが、これは煩悩の象徴だそうですね。」
「えっ?! 確かに百八念珠というものはありますが、お数珠というのはもともとお念仏の数を取るためのものでして、『煩悩の象徴』というわけではありません。神聖なものであり、床や畳の上に直接置いてはいけないものなんですよ。」
「ああ、そうですか…勉強になりました。もっといろいろお話を伺いたいのですが、次の駅で降りますので…。」
「どうも、さようなら。」

私の中には、爽やかな嬉しさが残りました。

電車に乗って移動しておりますと、たまにこういうことがあります。
些細なひとときですが、よく考えてみますと貴重なご縁。この女性にとって、僧侶と言葉を交わす機会は日常それほどないと思われるからです。
私どもも、誠意ある態度で応じなければなりません。

電車の中ではすぐに本を開いて読み始める私ですが、こうした機会も大事だなあ、と振り返っています。


2005.03いわゆる「自殺」について

実を申しますと、このことばの響きには強い抵抗を覚えます。が、報道などではごく一般的に使われておりますので、あえてカッコ付きで載せました。
Q & Aで関連するご質問をいただくこともあり、非常に大切なテーマなので、このコラムで取り上げることにします。

このテーマについて、仏教ではどう考えるのでしょうか。
もし…身体の命を絶つことによって苦しみから解放されるのであれば、お釈迦さまはきっとそれを勧めたはずです。なぜなら、お釈迦さまは「苦しみからの解放」を第一の目標にされたからです。
しかしお釈迦さまは、そのような方法は勧めませんでした。
お釈迦さまが勧められたのは、苦しみの原因を理解せよ、「苦しみ=自分のすべて」ではないと理解せよ、そしてそのためには、簡素で清らかな生活を実践し、自分の内面について広い視野のもてる生き方をせよ、ということでした。

もう少し考えてみましょう。
私たちはふだん、「自分」という存在を前提として生きています。この「自分」が自分自身の身体を観察しています。「自分の顔」「自分の体型」「自分の眼、耳、手、足」という風に。そしてこの身体が環境、社会の中に生きており、快・不快や幸・不幸という感覚は、身体を通して自分のところに届いてくる(と私たちは思っています)。ですから、不幸や苦しみが激しくなってくると、「この身体という通路を壊してしまえば、不幸や苦しみは自分のところに届かなくなる」と考えるわけです。

ところが仏教によれば、これは真実ではありません。
仏教では、自分に幸や不幸を感じさせる対象(つらい出来事、など)には関心を向けません。そうではなく、「自分」という前提の方に関心を向けます。この前提は本当に確かなものなのだろうか?…と。
そして、この「自分」という前提を切り崩してしまうことによって、苦しみが乗り越えられる…これがお釈迦さまの教えられた苦の克服です。身体の破壊によってではなく、「自分」を捨てることによって…「自分」という意識が生来のものではなく、借り集めの幻想であると見抜くことによって、「自分」への執着から離れ、苦を乗り越えるわけです。

私も、苦しみからのがれるために「身体の命を絶つ」という手段は取っていただきたくありません。
万一そのような危機にある方は、当庵へのメール相談でも結構、念仏、写経、坐禅や巡礼もよし、いのちの電話、また医師やカウンセラーなどの専門家の力を借りるのも結構、自助グループなどに参加してみるのもよし…とにかく一人だけで抱え込まないようにお願いいたします。
こうしたことを試みることで、直ちに「無我」「空」を悟る、というのは難しいかもしれません。しかし、まずは今のあなたが一息つけるような空間を作るようにしてみて下さい。それが第一歩です。


2005.02「いのちの電話」のこと

私(住職・笠原)は、先月1月をもって、「社会福祉法人いのちの電話」の活動から離れることになりました。
思い返しますと、平成5年にこの活動に参加して、足掛け12年間関わったことになります。当時は、佛教大学の過程と加行(伝宗伝戒道場)を終え、浄土宗僧侶(教師)の僧階を頂くことが決まったばかりでした。佛教大学で仏教の勉強を続けてゆくか、あるいは新しい分野に挑戦するか、迷っておりました。
ある日、たまたまNHKラジオの英会話講座を聴いていましたら、「東京英語いのちの電話」の主宰者の方のインタビューが流れたのです。そのとき、ピンときたところがありまして、「いのちの電話」に連絡を取りました。それが「いのちの電話」との関わりの最初です。
お寺に勤務するようになってからも、「いのちの電話」には関わり続けました。
今日わが国では、自ら命を縮める人が、交通事故死をはるかに上回るたいへんな数に上っています(平成15年は32,109人で過去最多です)。厚生労働省も何とかその数を減らそうと、対策に力を入れています。今は、インターネットを通じていろいろと悩みごとを相談できる場も広がっています。が、やはり人の生の声を聴きながら、匿名で深刻な悩みを聴いてもらえる「いのちの電話」の必要性は、高まりこそすれ、低くなることは決してないでしょう。

…という認識をもってはいるのですが、いかんせん身体は一つ――当林海庵の寺院活動と、「いのちの電話」の活動の両立が難しくなり、熟慮の末このたびこの活動から離れることにいたしました。
12年間――その思い出は言葉には尽くせません。この場を借りまして、「いのちの電話」ご関係の皆さま、また「いのちの電話」を支援して下さっているたくさんの方がたに、心より御礼申し上げたいと思います。

今後は、「いのちの電話」を外部から支援する形で、間接的に関わってゆくつもりです。


2005.01新たな年を迎えました

昨年は年末にスマトラ沖の大地震があり、被害地の惨状を伝える映像がたくさん流れました。心痛むと同時に、これほど「生」が大自然の前で無力ではかないものであるのに、どうして片方では人間どうしがわざわざ命を奪い合わなければならないのか、と考えてしまいました。わたしたちの生命はいとも簡単に失われてしまう。幸いに天災地変、戦争、事故や病に遭遇しなかったとしても、せいぜい長くて80年か90年が良いところです。必ずこの身体の命は失われてゆきます。否、すでに少しずつ失われつつある、というのが正確でしょう。生きるということは、一歩一歩死に近づいてゆくことでもあるわけですから。共に生きるとは、共に死につつある、ということです。それなのに、どうしてお互いの命をこれ以上縮め合う必要がありましょう。

生者必滅、会者定離―命とはかくもはかないもの、だからこそ、お互いに同胞としていたわり合い、支え合いながら少欲知足の生活を送ろうではないか―お釈迦さまは、現実的でごくごく当たり前のことを説いています。生のはかなさに直面するとき、誰しもが謙虚になり、この教えの精神を理解するのではないでしょうか。

さて、話を津波被害に戻しましょう。スリランカで活動中の知人から、同国支援のための案内メールが届きました。一部をご紹介させて頂くと共に、私からもご協力をお願いします。

(一部引用)
…ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP)は、スリランカ津波被害救済の義捐金を募集しています。
皆様のご支援をお願い致します。

スリランカに滞在中の鈴木会長、会員の佐々木姉妹は、直ちに現地NGO、サルボダヤと連携し、飲料水とミルクを確保、被災者に搬送を始めました。時間経過とともに被害は深刻さを増しており、緊急支援が必要です。
【送金先】

  1. 郵便口座番号:0100-0-401070
    加入者名: ワンワールド・ワンピープル協会
  2. 諏訪信用金庫 六斗橋支店 (普)1040714
    ワンワールド・ワンピープル協会信州支部
【更なる情報】 現地情報やOWOPについては、下記のホームページ「コミニュケーション」の「NEWSニュースにゅーす」または「しゃべり場」を開けてご覧ください。
http://www.owop.gr.jp/

 平和で安らかな年になりますよう、共に祈りましょう。

◆このコラムの文章は、1月8日付けでドイツの新聞「フランクフルト・アルゲマイネ」に独訳されて掲載されました