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コラム倉庫 2011〜12年分(平成23〜24年)


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法然上人夢譚(むたん)(6)... 四人の独白 (2012.12) ―― 月が美しく輝いている晩、法然さまは必ず表に立たれました。しばし佇んで、その光をじっと眺める...
閉塞感 (2012.11) 何となく「閉塞感」を感じながら生きている人が多いのではないでしょうか。豊かな時代になり、ものごと...
お金に代わるもの (2012.10) 15年くらい前のこと、故津末玄夫氏からこういう話を聞きました。(氏は生物学者であり、在家の仏教者...
仏教の説く苦しみは… (2012.09) 秋彼岸を迎える季節になりました。さて、仏教の説く苦しみはお念仏の教えで解決できるのでしょうか。「...
育てて頂く (2012.07) 今年もお盆の季節になりました。私の師僧である源譽芳清上人は、9年前のお盆のお参りの頃から体調を崩...
法然上人夢譚(むたん)(5)... 四人の独白 (2012.06) ―― 私は天台の僧侶です。比叡山におられたころの上人を存じています。何度か言葉も交わしました。た...
玄叡(げんえい)上人のこと (2012.05) 上人に初めてお目にかかったのは9年ほど前のことです。眼光鋭く、豪快さと優しさを兼ね備えたような風...
十二因縁(いんねん)の話 (2012.04) 「十二支縁起」とも言い、仏教の基本的な教えのひとつです。エゴの形成、という観点から見て参りましょ...
法然上人夢譚(むたん)(4)... 四人の独白 (2012.03) ――「法然さまが私たちに言われることは、単純明快でした。それは完結していました。たった一つの事を...
ご質問を頂きました (2012.02) 「お釈迦さまは、人間の死後について『無記』とされていると聞いたことがあります。まだ阿弥陀経などの...
謹 賀 新 春 (2012.01) 新たなる 年の巡りて呆然とせしところより 一歩前へと皆さまとともに新年を迎えられた事、まずはお慶...
林海庵のお墓 (2011.12) このたび檀信徒向けの共同墓「林海庵のお墓」が完成いたしました。林海庵には墓地がありませんでしたの...
法然上人のお言葉 (3) (2011.11) 浄土宗を開かれた法然上人は、まことに稀有な宗教家です。永遠のテーマともいえる対立─聖と俗、仏と凡...
法然上人夢譚(むたん)(3)... 六人の独白 (2011.10) ――「法然さまにお目にかかったのは、私がまだ13か14の頃でした。法然さまは、『一人で世の中を動...
お布施の定額制? (2011.09) このところ、お布施の定額制をめぐる報道を目にします。直接ご質問を頂くことも出て参りましたので、私...
法然上人のお言葉 (2) (2011.08) 本年は、浄土宗を開かれた法然上人の800年忌にあたります。上人の教えを学ぶには、やはり原典にあた...
日常生活での仏教修行 (3) (2011.07) 諸行無常、諸法無我という教えを、生活の中の瞑想修行として取り上げて参りました。「仏教は無常、無我...
日常生活での仏教修行 (2)─諸法無我(しょほう むが) (2011.06) 寺から20分ほど歩くと、多摩川に出ます。河岸は緑豊かで、何といっても空が広い。気持ちの良い散歩コ...
日常生活での仏教修行 (2011.05) 三法印(さんぽういん)という言葉をご存知でしょうか。これは、仏教の特徴をあらわす三つの「はたじる...
法然上人夢譚(むたん)(2)... 三人の独白 (2011.03) ――「真言宗の学僧が法然さまを訪ねてこられ、私も同席を許されました。法然さまは普段は難しい経典の...
法然上人のお言葉 (1) (2011.02) 本年は浄土宗祖、法然上人の800年忌にあたります。上人の宗教を学ぶには、やはり原典にあたるのが一...
法然上人夢譚(むたん)(1)... 一弟子の夢物語 (2011.01) 新たな年を迎えました。今年は浄土宗祖、法然上人の800年忌にあたります。法然房源空─たぐいまれな...



 一気読みコーナー 
※時間の逆順になっています(新しいものほど上)

2012.12法然上人夢譚(むたん)(6)... 四人の独白

―― 月が美しく輝いている晩、法然さまは必ず表に立たれました。しばし佇んで、その光をじっと眺めるのです。
私は法然さまの邪魔にならぬよう、少し離れたところに控えます。
法然さまの周りには、まったく別の時間が流れているようでした。特別のお心をもって月を眺めておられたのだと思います。

◇ ◆ ◇

―― 建永の法難のおり、弟子たちの間には大いなる不安と恐れがたちこめておりました。
法然さまは、いつもとまったく変わらぬご様子でした。流罪が決まった時も、
「都での布教については、これまでに充分つとめを果たした。これからは四国の農夫達に教えを伝えよう。これはかねてよりの願いであった。世の中では流罪というが、私にとっては恵みである。
念仏の教え―まことの仏法がひろまってゆくのを、誰も止めることはできぬ。」
と明るく言われたのです。
上人はこのころも、ふだん通りにお念仏のおつとめと、ご説法を続けておられました。
ある弟子が心配して、
「恐れながら、今は常のときにあらず。このようなご説法はどうかお控え下さいませ。」
と申し出ました。さらに他の弟子達に向かって、
「皆も、上人のお話に応じてはならぬ。」
と戒めました。
法然さまは言われました。
「そなたは、この教えの根拠も背景もよく存じておろう。正しい教えと分かっていながら、何ゆえそのように申すのか。」
弟子いわく、
「教えの正統性はさておくとして、今は我々が世間でどう見られているかを考慮すべきではないでしょうか。このままでは、上人も我々も、どうなってしまうか分かりません。」
法然さまは目を閉じて、しばらくの間うつむいておられました。弟子達は固唾をのんで見守っておりました。
法然さまはゆっくりと目を開くと、広く一座を見渡しました。そして、力強い声でこう言われたのです。
「たとえ死罪になろうとも、命ある限りこの教えを説かねばならぬ。」

一同は雷に打たれたようになり、やがてどの者も涙を流し始めました。

◇ ◆ ◇

―― 私はもう80歳を越えていましたが、恥ずかしいことに、死ぬのが怖くてたまりませんでした。
死んだとて失うものなど何もない身ですが、どうしたわけか怖いのです。死ぬことを想像すると胸が苦しくなり、頭がぐるぐる回り出したものです。
法然さまとお念仏するようになってから、変わりました。それは「浄土往生」という教えで、私にとっては死に近づくようなものでしたが、不思議とあちら側の世界がとても近く、また有り難く感じるのです。
一人でいるときも同じです。法然さまと一緒にいるときを思い起しながらお念仏すると、ちっとも怖くありません。
少しずつ、そのようになりました。

◇ ◆ ◇

―― 法然さまの庵をよく訪ねました。
そのときに、時おり鹿や猿を見かけました。野生の動物たちで、法然さまの庵の近くにいたがっているようでした。私の姿を見ると、いつでも逃げられるように警戒するのが分かります。が、逃げることはありませんでした。
彼らに危害を加えるためにここに来たのではなく、法然さまにお目にかかるために私は来た―彼らにはそれが分かるようでした。◆

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)


2012.11閉塞感

何となく「閉塞感」を感じながら生きている人が多いのではないでしょうか。
豊かな時代になり、ものごとの選択肢は広がりました。
「さあ、今日の夕食は何にしようか」…
和食はもとより中華、韓国料理、イタリア料理、インド料理、タイ料理…家の近くのマーケットでもこれらの料理や素材が簡単に手に入るようになりました。何か欲しいものがあれば、インターネットで自由に探す事ができる。生活の外側…衣食住や趣味といった面では私たちは自由を謳歌しています。しかし、内面はどうでしょうか。落ち着きをなくし、せわしなさや不安、強迫観念に圧倒されていないでしょうか。すべてにスピードが要求され、仕事に忙しく、遊びに忙しく、生活に忙しく、休むのに忙しく、眠るのに忙しい(?)。
欲しいものが手に入る、というたいへん恵まれた自由でさえも、「良いものを手に入れなければ」「少しでも安く」「早く」という強迫観念に転じてしまいます。外側の生活が豊かで自由であればあるほど、内側の生活(心)に閉塞感やあせり、不安が満ちてくる―まったく逆説的です。
では、この心を自由な空間に解き放ってくれるもの…それは一体何でしょうか。

ここで「時間」の話をしましょう。
私たちの時間には二つの次元があります。一つは過去から未来に向かって延びている直線。時間のもう一つの次元は、この直線と垂直に交わっています。現在、という一点をとると、過去から未来に向かって行く水平方向の線上の通過点が現在。そしてもう一つの次元は、現在において垂直方向に伸びています。現在という瞬間における高みと深み、それがもう一つの次元です。水平方向の時間に生きているだけでは、日々の閉塞感から逃れることはできません。過去の辛い経験にとらわれ、未来に希望や不安を抱きながら、心ここにあらず―落ち着きのない動作を繰り返します。意味のない娯楽に時を費やしても、それは一時的な慰めにしかなりません。
一方、垂直方向の時間には、無限性が宿っています。この次元では時の長短が意味を失う、といってもよいでしょう。今この瞬間という一点に無限の高み、無限の深みが開けています。
ふと路傍の花の美しさを感じたとき、子どもたちの遊ぶ声を聞いたとき、川面に反射する陽の光が目にとびこんだとき、夜空を見上げて天の彼方に思いを馳せるとき…私たちはこの垂直なる無限性の中にすべりこんでゆきます。
その無限性におのれの「凡夫」性を明け渡すことができるか…それが浄土信仰の要といえます。
南無阿弥陀仏―お念仏を称えているとき、私たちはこの垂直の次元と触れ合う事ができます。実際に浄土に往生するのは臨終のとき、つまり水平方向の時間軸上に位置づけられますが、お念仏を称えているのは今ここ、阿弥陀仏にすべてを委ねる心は今この瞬間にはたらいているのです。
そして自らの力をもって垂直の次元を切り開いてゆくのではなく、他力、つまり「無限性」の方から私たちを包んでくれる―それがこの教えの独自性であり、偉大なるところです。
心開いてお念仏を称えるそのとき、時代の閉塞感は消え去ってゆきます。その閉塞感は、実は水平方向の時間軸の中で私たちが勝手に造り上げた幻想だった、と気づくのです。

「阿弥陀仏と 心は西に うつせみの
もぬけはてたる 声ぞすずしき」 (法然上人)◆


2012.10お金に代わるもの

15年くらい前のこと、故津末玄夫氏からこういう話を聞きました。
(氏は生物学者であり、在家の仏教者でもありました。[コラム平成22年5月号])
「今は何でもお金、お金の時代ですが、やがて変わってゆくでしょう。」
「どういう風にですか。」
と尋ねますと、その答えがこうです。
「お金を沢山もっている人が豊か、という時代は終わります。人からたくさん感謝される人の方が豊か、という価値観に変わってゆくでしょう。お金は次第に意味を失ってゆく…。」
「はあ…」
「それもずっと先の話ではなくて、2010年を過ぎた頃からそうなっていくでしょう。」
「本当ですか。…そうなると、いいですね。」
と言葉を返しながらも、私の中には大きな「?」が浮かんでいました。そもそも「感謝」はお金のように流動性もないし数値化もできないでしょう。感謝の貯金というわけにもいかない。感謝を財布に入れて買い物に行けるのだろうか…。
当時は冗談半分に受け取って聞き流していたのですが…最近私の中ですこし様子が変わってきました。
お寺を通じて色々な方に出会います。病気になられたり、介護が必要になったりという方もおられます。その中に、ご家族やご家族以外の方々からも本当に大切にされる人がいる。たとえ困った状況に陥っても、周囲の方々が放っておかないわけです。どういう人がそうなるのかといえば、若い時分に自分のことを二の次にして社会や周囲のために身を捧げてきた方です。別に見返りを求めて社会に尽くしてこられたわけではないでしょうが、自然とそうなってゆく。なるほど、老後は、資産に頼って生きている人がかえって心貧しき生活を送り、お金はなくとも自ら心を開き、人からも感謝される人の方が豊かに老いを生きる、ということも充分あり得ます。

「お金」がなくなることはないでしょうが、「感謝」の方が上位にくる時代がすぐそこまできている―資本主義の円熟した先は共産主義ではなく感謝主義?…なかなか刺激的な話ではありませんか。◆


2012.09仏教の説く苦しみは…

秋彼岸を迎える季節になりました。

さて、仏教の説く苦しみはお念仏の教えで解決できるのでしょうか。
「四諦―四つの聖なる真理」の教えによれば、お釈迦さまは最初にこう説かれます。

「修行者たちよ、これが苦という聖なる真理である。
すなわち、この世に生まれ出ることは苦である。
老いることは苦である。
病も苦であり、死も苦である。
愛しく思わない者と会うのは苦であり、愛する者と別れるもの苦である。
欲するものを得ざるは苦であり、総じて心身の活動はみな苦に帰する。」

これがいわゆる四苦、八苦です。(ちなみに「葬式仏教」という言葉で批判されることの多い日本仏教ですが、寺院・僧侶は人々にとって避けることのできない「愛別離苦」に深く取り組んでいる、といえましょう。グリーフワークという観点からみると、伝統仏教が果たしてきた役割は誠に大きなものがあります)

続いて、これら苦しみの生まれる原因と、その解決が説かれます。

「苦は渇愛より生ずる。」
「渇愛を離れることによって、苦を滅して解脱することができる。」
「そのための方法が、八正道である。」

という三つの聖なる真理です。
では解脱のための方法=八正道とは何か。その第一は「正しい見解」です。
私は以前、これは同語反復ではないか、と疑問を感じました。
つまり、「正しい見解」は覚りを得たあとでなければ得られないわけですから、要するに「覚りを得て苦を克服する方法―それは、覚りを得て正しい生活をすることである」と言っているのと同じではないか。
その後もこの八正道について、私は明解な答えを得ておりません。以下は想像です。

  • お釈迦さまは、覚りの眼から眺めた世界を説かれたのであろう。
  • 私たちは凡夫の視点しか持ち得ないので、いくらお釈迦さまの教えを学んでも、お釈迦さまが眺めておられる世界がそのまま見えるわけではない。
  • いにしえの仏弟子たちは、現代に生きる私たちよりもはるかに素朴で信仰篤かった。お釈迦さまの圧倒的な存在感のもと、師が眺めておられる覚りの世界の話を少し聴いただけで、大きな衝撃を受けたに違いない。その衝撃がきっかけとなって覚りを得る者も多かったであろう。

ゆえに、こんにち「四諦八正道」の教えを文句だけ眺めたとしても得るところに限りがあり、言葉を超えた部分の方がはるかに重要なのではないか。そのように思えるのです。

さて、お念仏の教えです。
上の「苦という聖なる真理」に照らし合わせてみましょう。まず、
◇「この世に生まれ出ることは苦である」
果てしない輪廻転生の渦に巻き込まれながら、またこの苦しみの世界に還って来てしまった―そう考えれば確かに苦です。しかし、今生においてお念仏の教えに出会うことができた、これでやっと輪廻転生から自由になれる、とすればこれもまたこの世に生まれ出たおかげ。ここに至って、生まれ出た苦しみが、大いなる歓びに転じます。

受けがたき人身を受けて、遇いがたき本願に遇いて、おこし難き道心をおこして、離れがたき輪廻の里を離れて、生まれがたき浄土に往生せんこと、悦びの中の悦びなり。
―法然上人

かみしめるべき御法語です。
次は、
◇「老いることは苦である」
◇「病は苦である」
老いも病も世の常とはいえ、ただ独り堪えねばならぬつらいもの、この苦しみは当人にしか分からぬ―確かにそうかもしれません。しかしその土台に、やがては仏の救いにあずかれるという確信があれば、老いも病も浄土への船旅の一風景と受け取れるのではないでしょうか。それは下降ではなく上昇の道であり、束縛からの自由に向かう旅なのです。

ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ
―法然上人

古木「小松」の下(法然上人の住まわれた小松殿)を住処として、阿弥陀仏のお迎えを待つといたしましょう、という御歌です。
◇「死ぬことは苦である」
みたび法然上人のお言葉です。

生けらば念仏の功つもり、死なば浄土に参りなん。
とてもかくてもこの身には、思いわづらふことぞなきと思いぬれば、
死生(ししょう)ともにわづらひなし。

命ある間は、日々お念仏を称えてその功徳を重ねさせて頂きましょう。やがてこの身の命が尽きる日が参りましょうが、そのときはこのお念仏のおかげをもって必ずや極楽浄土にお導き頂きましょう。
いずれにしましても、この身には思い悩むことはございません。死ぬことも生きることも、ともに煩いはないのです。

ここに、生老病死の苦しみから解放された境地が見えます。
愛別離苦についても、法然上人はこう言われます。

浄土の再会、甚だ近きにあり。今の別れは暫くの悲しみ、春の夜の夢のごとし。

この世の出会いをかりそめのものと考えるのではありません。この世の別れの方をかりそめのものと考えるのです。浄土の再会、甚だ近きにあり―あたかも愛執を肯定するかのようなぎりぎりの線で、仏の世界に導いてくれる道…それがお念仏です。
怨憎会苦、求不得苦もしかり、浄土往生に焦点を合わせれば、絶望するほどの苦痛にはなりません。生きておりますと色々なことがありますが、まず浄土往生にしっかりと心を定め、そこを足場としてこの人生を眺めてみるならば、たいていのことは何とか乗り切れる。四苦八苦を克服する、とまではゆかぬかも知れませんが、何とか付き合ってゆける。
このようにお念仏は、「八正道」に正面から取り組む道ではありません。しかしながら仏教の根本課題である「苦」を理解し、そこによく寄り添う教えである―私にはそう思えるのです。◆


2012.07育てて頂く

今年もお盆の季節になりました。

私の師僧である源譽芳清上人は、9年前のお盆のお参りの頃から体調を崩されました。やがて病床につかれ、翌年春にお浄土へと旅立たれます。
その年の前年まで、私は師僧の寺の棚経(たなぎょう=お盆のお参り)を毎年お手伝いしておりました。林海庵が忙しくなってきたので、「今年はお手伝いできません」とお断りしていたのでした。やむを得ないこととはいえ、例年よりも多くのお檀家を廻られる師僧の負担が一段と重かったのでは、と今でも申し訳なく思っております。

私はいわゆる在家出身でありまして、師僧の寺―東京中野区にある貞源寺の一檀家でした。平成3年の秋、思うところあって当時住職であられた芳清上人に弟子入りを志願いたしました。
上人は、
「笠原君。僧侶になるよりも、学校の教師になって若い人たちに宗教教育を施すことを考えたらどうだろうか。人間、年を取ってから学ぶのは難しいからね。宗教も同じだと思う。今、若い世代への宗教教育が大切なんだ。」
と言われました。
振り返りますと、当時上人は40歳過ぎ。熱意にあふれていましたが、それだけに伝統仏教寺院における教化活動の難しさを実感しておられたのでしょう。成人からではもう遅い。若い人たち、まだ頭の柔らかい人たちに宗教を説きなさい…。オウム真理教の事件の少し前のことであり、時代の空気を敏感に感じておられたのかもしれません。
しかし私は学校に勤めるのではなく、僧侶として生きてゆきたいと思っておりましたので、「そこを何とか」と重ねて無理をお願いし、入門を許して頂きました。
法然上人の教えに惹かれて浄土門に入れて頂いた私は、学べば学ぶほど、また経験を積めば積むほどにその教えの素晴らしさを実感することになりました。 僧侶も檀信徒も一つとなってお念仏の声の中に浸る…そこには優劣なく、余分なはからいもいりません。
「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」
という法然上人の一枚起請文。日々拝読するたびに、「獅子吼」というのはこのことか、と唸らずにはいられません。
他にも多くのことを師僧の元で学ばせて頂きました。
あるとき師僧がこう言われます。
「寺の住職は、檀信徒が育ててくれるものだ。」
そのときは何のことかよく分かりませんでした。住職―僧職の立場にある者が、みずから学んだこと、修行から得たことを檀信徒に伝え、檀信徒を導いてゆく、そのように思っておりました。檀家が御布施を納めた上に住職を育てるですって? それが最近、「ははあ、このことを言われていたのかな」と思うようになりました。
林海庵は、宗門の開教施策のもとに開かれた新しい寺院です。以前は賃貸の施設で活動しておりました。そのときのこと―「いつの日か、たとえ小さくとも独立した建物、お寺が建つといいのですが…」という話を信徒さん達としておりました。するとある人が、「そうですねえ、それは夢だわ。でも私が生きている間はとても無理でしょうね…」と言われたのです。当時の状況としてはまったくその通り―土地建物を入手することなど夢のまた夢だったのですが、この嘆息は私の胸に深く刻まれました。それからほどなく、寺院にふさわしい良い場所が見つかりました。とても不可能と思われた資金のめども立って、状況が一気に動き始めました。
先の信徒さんのひと言が、私を後押ししてくれたのです。
寺の行事についてもそうです。「写経会をやりましょう」「ぜひ花まつりを」という信徒の皆さんの声が後押しとなって実現し…否、そうした声の後ろから私が「ちょっと待って下さい」と、ふうふう肩で息をしながらついて行っている、というのが実態です。これが師僧の言う「檀信徒に育てて頂く」ということなのでしょうか。
師僧はまた、古典芸能をこよなく愛しました。能、歌舞伎から地唄舞、尺八、薩摩琵琶、落語…そのいくつかは、演者を招いて貞源寺の本堂で上演奉納され、私も間近に観る経験を得ました。
「平家物語を理解しなければ、法然上人の宗教が分かったとは言えないよ。」
師僧の口癖でした。
今NHKの大河ドラマで「平清盛」が放映されております。確かにかの激動の時代、極楽浄土への願いが理屈を超えて人々の心の深層に広がっていったのでしょう。今日では武器を用いた命のやり取りこそなくなりましたが、激動の時代であることには間違いありません。法然上人の教えは未だ色褪せていないどころか、益々その意義を深めています。

「ほう、少しは分かってきたようだね。」
師僧は言われるでしょうか。
いや、
「分かったつもりになっているようだが、笠原君もまだまだダメだな。」
こちらのほうが師僧らしい言葉です。◆

(東京教区のホームページに掲載した文章に一部加筆しました)


2012.06法然上人夢譚(むたん)(5)... 四人の独白

―― 私は天台の僧侶です。
比叡山におられたころの上人を存じています。何度か言葉も交わしました。たいそう聡明な方であられました。
やがて上人が都で専修念仏を説かれていると聞き、意外でした。
私も浄土の経典に何度か目を通しておりますが、それが法華経に勝るとは考えられません。今もそう思っております。永遠の仏、釈迦牟尼仏が現にわれわれを導いて下さっているのに、わざわざ西方の彼方に別の仏を求める必要がどこにあるのでしょうか。上人がこの点をどう考えているのか、不思議でした。
あるとき、南宋から来朝した渡来僧に梵文の法華経を見せてもらいました。そこには驚くべきことが説かれていました。

「西方に、幸福の鉱脈たる清浄の極楽世界あり。かしこに阿弥陀如来、住し給う。汚れなき仏の子たちは自然に往生し蓮華の胎内に坐す。かの阿弥陀仏は獅子座に腰をおろし、ヴィシュヌの如く輝き給う。わたし(釈尊)はかの仏を讃歎し、かく祈念す、『速やかに福徳を積み、汝が如き最勝の仏にならん』と。」

法華経の中で、釈尊ご自身が阿弥陀如来を「最も勝れた仏」と讃歎し、自らの上に置いておられるのです。漢訳の経典にはこのようなことは書かれておりません。
上人はこれをご存知なのでしょうか。否、そんなはずはありません。この梵文経典の存在を知る人はこの国にせいぜい二、三人です。

私はたいそう興奮し、二晩のあいだ一睡もできませんでした。

◇ ◆ ◇

―― 法然さまのお言葉を聴くとき、それは常に力強く、知性に満ちています。
しかし私は知っています。法然さまは心の内でいつも泣いているのです。あらゆる人のやるせない、切ない心をすべて御身ひとつに引き受けて、泣いておられる。私にはそう思えるのです。

私にとっては、法然さまの口からどのような言葉が出るかは二の次でした。心で感じておられること─こちらのほうがはるかに強く伝わってくるのです。

◇ ◆ ◇

―― その年の正月が明けると間もなく、上人は床に伏される事が多くなりました。お年も八十歳。お弟子さま方はもちろんのこと、信者の私どももたいそう心配になりました。
ある方がこう言いました。
「法然さま。たいへん申し上げにくいのですが…。」
「うむ。何なりと言うがよい。」
「法然さまに万一のことがあった場合、私どもはどうすれば良いのでしょうか。廟堂を建てて、そこを専修念仏の中心地とすべきでしょうか。」
「いいや。それには及ばない。そのようなことをすれば、かえってこの教えは広まらないであろう。わたしを祀り上げる人たちが出てくるかもしれないが、それではこの教えを一所に封じ込めることになる。人々は廟堂に参詣し、それで満足して帰って行くだろう。
私が望むのは、人々がふだんの生活のなかで念仏すること、それによって阿弥陀仏の光明に触れてもらうことなのだ。」
法然さまの御眼は、遠くの方をみつめられました。
「そうだ。どこであろうと、人々が生活の中で念仏を称えるところ─そこがわたしのゆかりの場所だ。たとえ名もなく貧しき人の家であっても、そこがわたしの心やどる場所になるであろう。」

◇ ◆ ◇

―― 法然さまは、ともに念仏を称えて極楽へ往こう、とおっしゃいます。
極楽だかどこだかは分かりませんが、命尽きた後も法然さまのお側にいたいと思います。◆

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)


2012.05玄叡(げんえい)上人のこと

上人に初めてお目にかかったのは9年ほど前のことです。
眼光鋭く、豪快さと優しさを兼ね備えたような風貌に、ひと目で魅かれたものでした。
林海庵の隣接する地域(東京都町田市~神奈川県相模原市)で活動しておられましたが、ご事情があってこの4月に郷里の北海道へ帰られました。
玄叡上人は天台宗の僧侶で、臨済宗の修行もご経験がおありです。

お帰りになる直前、3月の終わりにお目にかかる事ができました。
その後、桜が散り始めた頃にお手紙を頂きました。


「前略 四月二日夜、千歳空港到着。
夜半、吹雪まじりの雪の峠を越え四時間掛かり、蘭越に到着。北海道はまだ冬でした。
こんな年は初めてです。
今まで天候悪く、山の寺―世尊院に登ることができず、
雪でもう潰れているのではないか…と心配していましたが、
十二日の今日、カンジキで登ってみたら、健気に、まだ無事に
建っていました。
一階部分は雪に埋もれて居りましたが、五月中旬には坐禅会も始められそうです。

見性体験があったとしても、現実面でそれを生かせる人は少ない。
自分自身の気持ちと心が直下に解るのだから、
それを実行しなくては苦しくなる。
心は一ツ…その心は、自分一人の心でもない。
自他一如の心というべきか。
その自他も消えた三昧で生きる事を、私たちは求められているのでしょう。
明日を保証されぬ生活ですが、今の処、不安感はありません。
今後は二万坪の山と、小さな世尊院という寺はありますので、
自身の課題を消化してゆきたいと思います。
笠原さんには、今まで誠実な応対をしていただき感謝しております。
何か私で役に立つ事があれば、いつでもご連絡下さい。
右 御礼まで」


東京で最後にお目にかかった日、玄叡上人の体験談を伺う事ができました。
趙州無字の公案を通過したときのこと。
「ウォー!!」という地の底から響くような叫び声が飛び出したそうです。
自分と他人は別々ではない、ということを実体験した人だけが、
慈悲の心の何たるかを知る事ができる―
熱をこめて語って下さいました。

道に達し、なお道を求める人―玄叡上人との有り難きご縁です。◆


2012.04十二因縁(いんねん)の話

「十二支縁起」とも言い、仏教の基本的な教えのひとつです。
エゴの形成、という観点から見て参りましょう。

 十二因縁とは「12のプロセスを通じて、エゴ、すなわち「私の」「私は」という我執=苦しみの原因が育ってゆく過程を説明する」教えです

第1の段階:まず初めに、あたり一面の暗闇の中で、意識のみが目覚めます。
第2の段階:外に向かって手を伸ばしてみます。あるいは声を出してみます。
第3:伸ばした手が外界の何かに触ったり、外界から声が還って来たりして、外の様子を知りはじめます。
第4:母が「私」に呼びかけます。眼が開き、光が入ってきます。母の顔が分かり、外界がおぼろげに分節されはじめます。同時に少しずつ「私」という感覚が芽生えてきます。
第5:視覚や聴覚だけでなく、嗅覚、味覚など色々な外界とのチャンネルが開けてきます。
第6:開けたチャンネルを通じて、「私」が外界と広く接触してゆきます。
第7:接触した外界を、自分の中に取り込んでゆきます。「私の母」の姿や声、「私にとっての外界」を心に納めてゆきます。
第8:取り込んだ記憶に応じて、「私の」母を探し求める気持ちが起こってきます。「私の」母の姿や声を探し求める、また外界の中で好ましいものを探し求めるようになります。
第9:続いて「私のもの」という感覚が育ってきます。母は「私のもの」である。外界の中で好ましいものは「私のもの」である…。
第10:母がいる。外界のあれやこれは存在する。それに対して「私が」いる。「私」という感覚がしっかり固まってきます。
第11:「私」はかつて、無からこの世に生まれてきた、と思い込みます。(本当は幻想なのですが)
第12段階:生まれてきた「私」はやがて老い、死にゆくのだと幻想します。そしてそれを大いなる苦しみと感じます。

これが、エゴが生じ、やがて苦しみに転じてゆくプロセスです。このようなプロセスを通じて堅固な「私」意識─「私は」「私の」という感覚が育ってくるわけです。
しかし実は、このエゴは幻想に過ぎません。例えば夜、松明の炎をぐるぐる回すと、それが円を描いて見えますが、「私」とはこの松明の火が描く円と同じ。実体は何もありません。この偽りのエゴこそが、苦しみの元である。これが仏教の根本の教えです。
それを見抜く(覚る)ために、いわば「松明の炎を回すスピードを落として行く」のが仏教の修行である、と言えましょう。

それでは、どのように修行すれば、エゴを幻想であると見抜くことができるのでしょうか。あなたは上記のような説明を理解することによって、偽りのエゴから解放されるでしょうか。

実は、このような問いから(も)念仏の道が開けてくるのです。浄土宗では心を静めて「無我」を知る、「空」を体験する、という方法は取りません。仏の導きに任せるのが一番の近道だと考えます。これが法然上人の説かれた念仏の教えです。

「理観、菩提心、読誦大乗、真言、止観等、いずれも仏法のおろかにましますにはあらず。みな生死滅度の法なれども、末代になりぬれば力及ばず。…老少男女のともがら、一念十念のたぐいにいたるまで、みなこれ摂取不捨の誓いにこもれるなり。このゆえに諸宗にこえ、諸行にすぐれたりとは申すなり。」(法然上人)
(真理を観じる修行をする、あるいは覚りを求める心を確立する、大乗経典を読誦する、また真言や止観─真言宗、天台宗の奥深い教えに基づいた修行など、どの道も仏法として劣っているわけでは決してありません。みな迷いを離れて解脱するための教えではありますが、末法の時代になったのでそれらの教えは力を発揮できないのです…浄土宗では、老いも若きも、男も女も、たった一回の念仏、十回の念仏しか称えない人に対しても、みな阿弥陀仏の「必ず救いとって、一人も見捨てない」というお約束が守られるのです。このゆえに、念仏の道は他の諸宗にまさり、他の修行より勝れていると申しているわけです。)

このように、従来の修行や学問を離れ、念仏一行に徹することを勧めておられます。仏教の一大転換、大革命と申すべきでしょう。
法然上人のこの呼びかけは、今日もなお新鮮な響きを失いません。どんな人でも仏教の真髄につながることができる、という点において、この教えを超えるものは今後も出てこないと思われます。◆


2012.03法然上人夢譚(むたん)(4)... 四人の独白

――「法然さまが私たちに言われることは、単純明快でした。それは完結していました。たった一つの事を、いろいろと言葉を変えて語られるだけなのです。
その一方で、法然上人その人を理解しようと思うと、途方に暮れました。あまりにも深く、あまりにも広大で、私たちの理解を超えていました。それは立居振る舞い―ちょっとした仕草や、目の輝きや、お声の調子に現れているのです。いや、法然さまの巨大な存在そのものが、言葉を超えた何かを私たちに伝えてくれている、と言うべきかもしれません。そばに居る人たちは皆そう感じていたと思います。
しかし、だからといって法然さまの存在と、その教えが別々であるかと言えば、決してそうではありませんでした。
それは喩えて言えば、山と大地のようでした。法然さまの存在は果てしない大地。そこからお言葉が、素朴な姿をした「山」のように立ち上がってくるのです。両者はしっかりとつながっていて、「山」の姿はどこからでも、誰にでもそのままに眺められるものでした。」

◇ ◆ ◇

――「突然息子を亡くした父親が、法然さまのところにやって来ました。
『極楽は本当にあるのか。』
その男が尋ねました。
法然さまは、その男の顔をじっと見ました。しばらくして、
『ある。だがお前の息子は別のところにいる。』
とおっしゃいました。
男はびっくりしたようすでしたが、やがて涙を流し始めました。
『やはりそうか。息子が苦しんでいるのがわしにも分かる…』
法然さまはお念仏の回向を勧められ、その男は納得して帰ってゆきました。」

◇ ◆ ◇

――「当時、いわゆる『取り巻き』の人々がたくさんいました。私は年が若いのでいつも末席におりました。なにしろ私は上人より40歳も年下なのですから。
実は、私の心のうちには、誰にも言えぬ深い悔恨があるのです。
私はかつて、一生、いや何生かかっても取り返しのつかない大罪を犯してしまいました。私が懺悔せねばならぬ相手はすでに亡くなっています。たとえ私が無間地獄に堕ちたとしても、この償いはできない―この溝は埋まらないのです。
上人のみ教えを聴いてはじめて、この苦しい心にも光が差し得ると知りました。私自身はどうなっても構いません。今生においても、来生においても…。
ただ一度だけ、どうしても懺悔の気持ちを相手に伝えたい。たった一度だけでよいのです。面と向かって彼の人に懺悔できる場が与えられたならば。その後はどうなっても構いません。地獄でもどこでも悦んで参ります。
西方浄土であればその願いが叶う―弥陀如来のお力についてゆけば、かの地で相手に会い、懺悔ができるのです。それが分かりました。上人と出会い、愚かなこの私にも希望があると知りました。
それ以来、上人の心と私は一直線につながっています。ずっとその思いで生きて参りました。

◇ ◆ ◇

――「いつも死に場所を探していました。
この世の中には、私の居場所はなかったのです。
亡霊のような顔をしていたと思います…法然さまの前に坐ったときは。
法然さまは、何もおっしゃいませんでした。私の話を軽く頷きながら聴くだけです。
しだいに私は、妙な感じがしてきました。自分の胸の中にある不気味な形をした黒い塊が、法然上人のお心の中にすっぽり入り、そこでじわっと溶けてゆくような感じなのです。そのときの事は忘れられません。
噂で聞いたようなお念仏の話は、何もなさいませんでした。」◆

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)


2012.02ご質問を頂きました

「お釈迦さまは、人間の死後について『無記』とされていると聞いたことがあります。まだ阿弥陀経などの原典(原語)はまだ見つかっていないとも聞いています。
私は54歳です。拙い人生ですが私は毎日お念仏を称え、『祈り』と阿弥陀さまに『お任せ』することで救われています。
私は自分の無明を自覚し、み仏のお導きを頂いていることは十二分に感じています。また自然や命へのみ仏のはたらきも自覚しています。
しかし、『深信』は修行不足でまだまだ授かっておりません。西洋の思想に基づいた教育を受けてきたことが原因だと思います。
そこでご質問します。
お釈迦さまが無記とした『死後』について、阿弥陀さまの存在を実感するにはどのよう考えてゆけばよいでしょうか。」

重要なご質問です。いくつかの視点から考えてみましょう。
今日私たちは、わが国に伝統的に伝えられてきた大乗仏教各宗派のほか、初期仏教やチベット仏教の教えに接することができます。過去においてあまり視野に入ってこなかったこれらの教えが書籍として出版され、書店の棚にもたくさん並んでいます。
それらを読んでみると、たいへん興味深く、また学ぶところ大なるものがあります。
こうした状況の下で、浄土教を仏教史の流れの中でどう捉えるか、ということは大きな課題だと思います。

◇    ◇    ◇

さて、ご質問です。
「お釈迦さまは、人間の死後について『無記』とされていると聞いたことがあります。」
――「無記」とは『箭喩経(せんゆきょう)』に説かれる教えです。
一人の弟子が、お釈迦さまにさまざまな質問をします。
「この世界は永遠にあるのか、やがて滅びるのか。」
「この世界は有限であるのか、無限であるのか。」
「霊魂と身体は同一なのか、別々なのか。」
「如来は死後も存在するのか、しないのか。」
これらの疑問にお釈迦さまが答えて下さるなら、私は修行を続けましょう、もし答えて下さらないなら、修行を捨てて還俗しましょう、弟子はこのように言い、お釈迦さまに迫ります。
お釈迦さまは、
「それらに答えを与えたとしても、生老病死の苦しみがなくなるわけではない。
わたしはそれらには答えない。なぜか。それらに答えることは、苦の生滅、すぐれた智慧、涅槃への到達のために役立たないからである。」
と答え、これらの哲学的問題に結論を下すことを退けられます。そして、
「それらについては説かない。わたしの説いたことを受持せよ」
と、四諦(仏教の基本である四つの真理)の教えを繰り返されました。
概略ですが、これが『箭喩経(せんゆきょう)』の内容です。

しかしこの教えをもって、「お釈迦さまは本当は阿弥陀仏や極楽往生のことは説かれなかった」とするのはいささか早計に思います。この教えはあくまで応病与薬、『箭喩経』が説かれた状況においての教えとみたほうがよいでしょう。この弟子が、あさっての方向の哲学的問題で頭を一杯にしているのを見かねたお釈迦さまが、彼と同じ「頭でっかち」の土俵にのることを避けて、今ここにおける身体的感覚、目の前の修行に焦点を戻すことを促したのではないかと思われます。そこで、身体感覚を想起させる「毒矢のたとえ」を引かれたのではないでしょうか。
初期経典はこのように、
- 戒律を保って、執着なき清らかな生活を送れ。
- 心の集中と安定を修め、無常無我をよく観察し、慈悲心を培え。
- 過去や未来を思い煩うことなく、今ここにおいて真理を見据えよ。
というような、今現在に焦点を当てる教えが中心となっています。が、中には輪廻転生やそこからの解脱に言及しているものもあります。
「正しい真理の教えを知らない愚者たちにとって、輪廻は長い」(『ダンマパダ』60)
「罪過を罪過と知り、罪過なきを罪過なしと知る人々は、正しい見解を持つ。彼らは神々の棲む良き世界へ赴く。」(同319)
「煩悩がいかなる原因にもとづいて起こるかを知る人々は、煩悩を除き去る。彼らは、この渡り難く、未だかつて渡った人のない激流を渡り、もはや再び生存を受けることがない。」(『スッタニパータ』273)

従って、『箭喩経』のみに基づいて「お釈迦さまは死後の世界については説かれなかった」「ゆえに浄土の教えは本来のお釈迦さまの教えではない」と考える必要はないと思います。

◇    ◇    ◇

次に、大乗仏教の興起の問題です。
お釈迦さまが亡くなられたあとの教団は、お釈迦さまの教えが散失しないようにそれをまとめあげ、修行を続けてゆきました。
その後、根本分裂といわれる変革期がやってきます。
ある人々は、お釈迦さまの教えを忠実に守り、実践と思索を深めてゆきます。しかし時代の流れとともに、それだけでは満足できない人たちが出てくる。進歩派ともいえる彼らにとっては、お釈迦さまの教えをただなぞるだけでは、何かが違う、何かが欠けている─教団のやり方は今を生きる私たちを導いてくれるものではない、と思われてきます。そうだ、我々が一番求めているのは、教えの枝葉末節をなぞることではなく、生身のお釈迦さまその人だ。
生身のお釈迦さまと、それを取り囲む弟子たち。響き流れる教えの声─まさに三宝です。このお釈迦さまのご説法の場、自分は何ゆえそこにいることができなかったのだろう。過ぎ去ってしまった時代のこと、今となっては詮無きこととはいえ、この無念、悔しさ。あるいは何とかして、今からでもその場にいられないだろうか、という熱望。
こうした熱い信仰と、生と死をまたぐほどの深い瞑想…ここから大乗仏教が生まれました。
大乗の舟は、「空(くう)」で出来ています。一切が空、というわけですから何も恐れるものはありません。ここから壮麗な宇宙観も生まれてきます。一切所に遍く満ちた仏法僧、無数の菩薩たち、この世のものとは思われぬ美と善に満ち満ちた仏国土…。
舟の帆を支える柱は二本です。
一つは、「仏の命は永遠である。」
歴史上のお釈迦さまは亡くなられたが、そのお覚りも、その徳も何一つ失われていない。仏は今現在生きておられる。未来永劫にわたるまで、私たちを救い導いて下さる。
いま一つの柱は、「誰でも救われる。」
どんな人にも覚りの種=仏性が具わっている。この種は、今は煩悩に覆われていて、発現していないかもしれないが、いつの日か必ず芽をふき、葉を茂らせ、花を咲かせるであろう。
「空(くう)」という本体から成り、「仏の命は永遠である」「誰でも救われる」という二本の柱に帆を張った大乗の舟が水路を進みます。そしてさらに大きな船団(経典の集まり)となり、無数の人々を乗せ、彼岸に導いてきました。この壮大な教えのおかげで、仏教はローカルな教えから世界宗教へと広がってゆきます。
前置きが長くなりましたが、その船団の最先端に位置する(究竟大乗)のが、私たちの浄土宗です。さきほど「生身の釈尊が教えを説かれた、その聞法の場への追慕の念から大乗仏教が生まれた」と申しました。一方でこの世を見渡すと、ここは仏の国とは到底呼べぬ、苦しみと悲哀に満ちた世界です。仏教徒を自認するわれわれとて、自我への執着を手放すことは容易ではない。とてもこの場所を三宝の場、私たちの家とすることはできぬ。別の世界に聞法の場を設けよう。そこには、あのお釈迦さまを取り囲む聞法の場と真直ぐにつながった、否それ以上に快適で素晴らしい聞法の場がある。これが阿弥陀仏の「極楽浄土」ではないでしょうか。
今ここに書いたように、大乗仏教の先覚者たちが極楽浄土を創出した、とも言えますし、あるいは彼らが深い瞑想の中で極楽浄土を実際に体験し、その体験を書き留めたのかも知れません。
どちらが先かは分かりませんが、いずれにしてもお念仏を通じてお釈迦さまの聞法の場に通じ、大乗の先覚者たちの瞑想世界に通じ、そして阿弥陀仏の聞法の場に通ずることができるのです。
(やがて「本来あるところの阿弥陀さまの救いの力が、生身のお釈迦さまを通じて教えを説かれた。」というふうに考えられてゆきます。一種の逆転が起こるわけです。ここでは、「お釈迦さまがこの世にお出ましになられたのは、阿弥陀仏の救いを説くために他ならない。」というようになって参ります。)

『箭喩経』の場面では「無記」を説かれましたが、上述のような仏教の流れを仮にお釈迦さまがご覧になられたら、「善き哉、善き哉」とおっしゃられるのではないでしょうか。恐れ多きことではありますが、私はそのように思っております。

◇    ◇    ◇

以上は、仏教の略史の中に浄土教を位置づけてそこに信頼を寄せる、という試論でした。
もうひとつ「深信」を助けてくれるのは、やはり法然上人を学ぶことです。

「よきひと(法然上人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」

という親鸞聖人のお言葉は有名です。法然上人の圧倒的なご人格に触れる機会をお持ちになれれば、「疑い」も変じてゆくに相違ありません。昨年は八百年御忌にあたり、関連の書物もたくさん出版されました。法然上人のみ心を今一度学んでみて下さい。

最後に、イメージを使う方法をご紹介しましょう。

疑いの心ここにあり、と思われているならば、その疑いの心を仏前に捧げます。「疑いを抱いている私、この疑いの心を私の真実として捧げます。なむあみだぶつ」というふうに、心を開いて疑心を差し出します。

「信心浅くとも、本願深きがゆえに、頼めば必ず往生す。」(恵信僧都)
信心浅くとも、それもまた良し、です。

おしまいに、浄土三部経(浄土宗がよりどころとする経典)について補足します。
『阿弥陀経』と『無量寿経』については、サンスクリット原典があり、岩波文庫等でその和訳を読むことができます。『観無量寿経』については現存するものが漢訳のみで、中国か西域で編纂されたのではないか、という説があることを申し添えておきます。◆


2012.01謹 賀 新 春

新たなる 年の巡りて呆然と
せしところより 一歩前へと

皆さまとともに新年を迎えられた事、まずはお慶び申し上げます。
今年の一歩、皆さまの足はどちらの方向を向いているでしょうか。

私の第一歩は右足からです。
前へ進むと決めてはいるものの、方向ははっきり定まっておりません。私の右足は、まるで用心深い犬のごとく、地面の匂いを嗅ぎながらどちらへ進むか探っているようです。

仏の御心のままに―

皆さまにとって、どうか実り多き年でありますように…。◆


2011.12林海庵のお墓

このたび檀信徒向けの共同墓「林海庵のお墓」が完成いたしました。
林海庵には墓地がありませんでしたので、初めてのお墓ということになります。
昨年より「法然上人800年御忌記念事業」として取り組んできたものです。
あたたかいお墓、というイメージで計画し、石碑には自然石を使うことにしました。なかなかぴったりくる石が見つからず、思いのほか時間がかかってしまいました。石材店さんにはご苦労をおかけしましたが、おかげさまで満足のいくお墓が完成。

お墓の中に、骨壺で収めるスペースと土に還すスペースを両方つくりました。
墓碑開眼式の日に、まずは自分自身の先祖の遺骨を土に還そう、ということで、これまで長年お世話になった笠原家菩提寺のお墓から、先祖の遺骨9体を改葬することに。菩提寺ご住職のご了解を頂き、改葬手続(お役所の許可が必要)を済ませました。

さて改葬当日。
いざお墓から取り出すと、壺の中に水が一杯たまっています。壺内部で結露した水がどんどんたまっていくらしいのです。
古い素焼きの壺や、2年前に亡くなった母の壺は大丈夫でしたが、20年前に亡くなった父の方は水のせいでずっしりと重くなっています。
林海庵に持ち帰ったあと、畳の上に紙を敷いて遺骨を少しずつ並べ、乾燥させました。(父もまさか、再び畳の上で身体を伸ばせるとは思っていなかったことでしょう)

数日かけてすべての遺骨をよく乾燥させてから、今度は乳鉢で細かく砕きます。お墓の中のスペースが限られているので、速く土に還すために粉末状にするわけです。なむあみだぶつ、と念仏を称えながら乳棒を回し、遺骨を砕きます。何とも曰く言い難い、お伝えしようのない感覚です─「家族の遺骨を自らの手で粉末状に砕く」。

こうして墓碑開眼式、納骨式も無事に終わり、「林海庵のお墓」がスタート。
今年一番の体験でした。
さて皆さまにとってはどのような年でしたか。(ちょっと唐突ですが)

ともあれ来年が、どうか佳き年でありますように。■


2011.11法然上人のお言葉 (3)

浄土宗を開かれた法然上人は、まことに稀有な宗教家です。
永遠のテーマともいえる対立─聖と俗、仏と凡夫、覚りと迷い、天と地、彼岸と此岸─表現はさまざまですが、この対立する二つの世界を、ただの「なむあみだぶつ」だけでいとも簡単に橋渡しされたのです。
このような教えは他に類を見ません。
上人の教えを学ぶには、やはり原典にあたるのが一番。やや難しいところもありますが、声に出して、繰り返し読んでみて下さい。
上人の息づかい、リズムを感じる事ができるでしょう。

或る人、「上人の申させ給う御念仏は、念々ごとに仏のみ心にかない候うらん」など申しけるを、「いかなれば」と上人返し問われければ、
「智者にておわしませば、名号(みょうごう)の功徳をも詳しく知ろしめし、本願の様(さま)をも明らかに御心得あるゆえに」と申しけるとき、
「汝、本願を信ずる事、まだしかりけり。弥陀如来の本願の名号は、木こり、草刈り、菜摘み、水汲む類(たぐ)いごときの者の、内外(ないげ)ともにかけて一文不通(いちもんふつう)なるが、称うれば必ず生まると信じて、真実に願いて、常に念仏申すを最上の機とす。
もし智慧をもちて生死(しょうじ)を離るべくば、源空いかでかかの聖道門(しょうどうもん)を捨てて、この浄土門に趣くべきや。聖道門の修行は智慧を極めて生死を離れ、浄土門の修行は、愚痴に還りて極楽に生まると知るべし」とぞ仰せられける。


(私訳) ある人がこう言いました。
「法然上人のお称えになるお念仏は、一念一念が阿弥陀仏のみ心にかなっていることでございましょう。」
「なぜそう思うのかね。」
上人は問い返されました。
「上人は智慧の人であられるので、お念仏の功徳も詳しくご存知ですし、阿弥陀仏の本願についても明らかに理解しておられるからです。」
このとき上人は、
「そなたの本願への信仰は、まだまだ未熟だ――
阿弥陀如来の本願である念仏は、たとえば木こりを生業とする者や、草を刈ったり、野菜を摘んだり、水汲みをするような人たち─仏典を読んだ事がない、一般の書物にも目を通した事がない、というような人々が対象なのだ。こういう人たちが、念仏を称えれば必ず浄土に生まれると信じ、心からそう願って常に念仏する、それこそがこの教えに最高にかなっているのだ。
わたしも同じ─もし自分の智慧によって生死流転の世界から抜け出せるのであれば、この源空(法然上人ご自身)がどうして聖道門(しょうどうもん)を捨てて浄土門に帰依するということがあるだろうか。
聖道門の修行は、智慧を極めて生死を解脱する道。浄土門の修行は、愚かな自分に立ち返って極楽に生まれる道。このように理解しなさい。」
こうおっしゃったのです。

仏道とは、覚りを開くための道です。
しかし自分の努力によって、お釈迦さまと同じ境地に至ることができるのでしょうか。この私が? 本当に?
よくよくわが身を振り返ってみるならば、法然上人が示して下さるお念仏の道が、もっとも現実的で自然であるように思われます。

彼の人の開き給ひしこの道は 我も往き得る易き道なり■


2011.10法然上人夢譚(むたん)(3)... 六人の独白

――「法然さまにお目にかかったのは、私がまだ13か14の頃でした。
法然さまは、『一人で世の中を動かすことはできぬが、口と舌を動かす(念仏する)ことはできよう』とおっしゃいました。そして、ご自分のお顔を私の顔にグッと近づけて、こう言われたのです。
『よく覚えておきなさい。』
今私は、政(まつりごと)の中枢にいます。私の力が世の中を動かしているのではなく、時代の流れに押し出されて、たまたまここにいるのです。この大河は、やがて他の人を世の中枢に据えて、私を何処かへと流し去るでしょう。
その冷徹な真実が本当に分かったときに、私は再びお念仏を申すようになりました」

◇ ◆ ◇

――「ここだけの話です。
私はお念仏を称えるとき、阿弥陀さまのことを思っていません。私の胸にあるのは、法然さまのことです。
ええ、もちろん分かっています、それを言えば法然さまが喜ばれないことは。でも私にとっては、それが自然なのです」

◇ ◆ ◇

――「お具合がずいぶん悪くなられてからのことです。
ある人が法然さまに、
『ご上人が亡くなられたら、やはり極楽世界に往かれるのですか。』
と尋ねたそうです。
極楽浄土に往生されるのは当然にしても、ご本人に直接確認するとはずいぶん大胆なことです。
法然さまのお答えはこうだったそうです。
『わしは元々、極楽世界にいた。ただそこに還るだけだ』」

◇ ◆ ◇

――「わたしはちょうど、その場におりました。
元々極楽世界にいた、と法然さまがおっしゃった瞬間、背中がぞくっとしたのです。
その感じはまるで、この日常の世界と仏の世界との境界に、突然ぽっかりと穴があいたようでした」

◇ ◆ ◇

――「都を離れ、四国に向かう旅が始まりました。行くところ行くところ、法然さまにひと目お会いしたいという人々が集まっていました。都の外まで、しかも鄙びた小さな村にまで法然さまの評判が広がっているのには驚きました。
それにしても、彼らはどうやって法然さまの行程を知るのでしょうか。まったく不思議でした。
中でも驚いたのは、瀬戸内海を渡る船旅の途中、一艘の船が近づいてきたときでした。その船には、法然さまにお会いしたい、という人が乗っていたのです」

◇ ◆ ◇

――「法然さまは、時おりご自分の欠点について話されました。あんな失敗をした、こんな勘違いをしていたとか、つまらないことにこだわらずにいられない、こんな悪い癖がある、などの話を、ユーモアたっぷりに話すのです。
わたしはあなた方と同じように、欠点の多い愚かな凡人なのだよ、と言い張っているかのようでした。
法然さまと我々と、まったくレベルが違うのは分かり切っていました。それでも、こういうお話の時は法然さまも私たちも腹をかかえて笑い、場が和むのでした」■

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)


2011.09お布施の定額制?

このところ、お布施の定額制をめぐる報道を目にします。
直接ご質問を頂くことも出て参りましたので、私の考えを書かせて頂きます。

住職としてお布施を受ける立場でありながら、私はつい先頃まで実家の菩提寺の檀家としてお布施を包む立場でもありました。
20年前に実父が亡くなった時、葬儀の打合わせに菩提寺に伺いました。その際にお布施の額をお尋ねしました。しかし金額は言って下さいません。当時のご住職の奥様は「お気持ちで」と言われるばかり。途方に暮れましたが、「なるほどこれも修行か」と思い直し、自分なりの金額を決めることにいたしました。

私はその後、浄土宗僧侶の道に進み、さるご寺院に縁を頂いて勤務するようになります。そちらのお寺もさきの菩提寺と同じでした。檀家さんから尋ねられてもお布施の額は言いません。どうぞご無理のないところで、というのが決まった返事です。
「家によって色々ご事情が違うから」というのが理由でした。なるほど、お布施は寺院の活動を支える大切なものだが、個々の金額に関わらず全体としてお寺が回ってゆけば良いのだな、と知りました。それぞれのお宅の経済事情や、先祖や仏教への思い、またお寺に対する気持ちもさまざまなので、檀家さんに決めて頂くのが一番良いのだ、と。

このように、家族何代にもわたるような菩提寺と檀家の関係の中では「お布施の定額制」という問題は出て参りません。多くは信頼関係の中で布施の額が決まってゆきます。ある意味ではその方が平等ですし、また多く包める家には包んで頂くことによって、本当にお布施を納められないという家でもお葬式を出せる─そういう相互扶助的な面もあるわけです。

一方菩提寺をもたない方々(大都市圏にお住まいの方が多いでしょう)はどうでしょうか。ご身内にいざ何かあったときに、葬儀を頼めるお寺が無い。やむを得ず僧侶の紹介を葬祭業者(ないし紹介業者)に依頼する。そういうケースが増えてきました。この場合は、上の話と大分違って参ります。
業者の方々からすれば、施主(顧客)にお布施の額を提示できればその方がよい。葬儀に際し、限られた時間の中で打合わせして決めてゆかねばならぬことが山ほどある中で、寺院と施主の間に立ってお布施の金額を決めるのは大変です。料金表のようなものがあって金額をはっきりと提示できれば、業者さんも楽でしょう。
施主の立場からすると、長年お付き合いがあるお寺とは違い、今回が初対面となるお坊さんです。その方に大切な家族の葬儀を任せることになる、戒名をつけて頂く、少なからぬ金額を布施として包む。いや、その前にそもそもどういう方が来てくれるのだろうか。心も動揺していますし、頭も混乱しています。
「お布施の金額はお気持ちで」と言われても困ってしまいます。そんなときに業者さんが金額を提示してくれれば安心です。

このような場合は定額制、あるいは金額の目安の提示もやむを得ないのか、と問われれば、現実の状況を考えれば「やむを得ない」と思います。が、一方では「しかし」と申し上げたいのです。

お金は誰にとっても大切なものです。大切なものを仏前に捧げる、そこに執着心を浄める「修行」としての布施行の意味があります。
功徳という点で考えれば、布施は多い程よい。しかし多いと言っても限度があります。生活に負担がかかるほど包むべきではありません。ではどのくらいが適当か─やはり施主に決めて頂くのが一番良いのです。

これが、もし「言われた金額を支払った」ということで終わってしまいますと、せっかくの布施行の意義が薄れてしまいます。
ご葬儀は、送る人にとっても送られる人にとってもかけがえのない場です。そこでは清らかな心で読まれる読経と、清らかな心で捧げられる布施が大切です。
お布施を納めることを、どうぞ貴重な修行の機会となさって下さい。

またできれば、業者さんにお寺の紹介をお願いする前に、ご自分でお寺を見つけておくことをお勧めします。地方によって事情もあると思いますが、大都市圏であればそうしたお寺がきっと見つかるはずです。
各宗派には全国の寺院を統轄する宗務庁、宗務院といった組織があります。連絡を取れば、きっと近隣のご寺院を紹介して下さることでしょう。
何かある前に、お寺とつながりをもっておけば安心です。
特に、予算の限られた方は「定額」「目安」に縛られない布施額を相談することも可能になります。■


2011.08法然上人のお言葉 (2)

本年は、浄土宗を開かれた法然上人の800年忌にあたります。
上人の教えを学ぶには、やはり原典にあたるのが一番。やや難しいところもありますが、是非声に出して繰り返し読んでみて下さい。

おおよそ仏教多しといえども、所詮、戒定慧(かい じょう え)の三学をば過ぎず。いわゆる小乗の戒定慧、大乗の戒定慧、顕教(けんぎょう)の戒定慧、密教の戒定慧なり。

しかるにわがこの身は、戒行(かいぎょう)において一戒をも持(たも)たず、禅定(ぜんじょう)において一つもこれを得ず。人師(にんじ)釈して、尸羅(しら)清浄(しょうじょう)ならざれば、三昧(さんまい)現前せず、と云えり。

また、凡夫の心は物に従いて移りやすし。たとえば猿猴(えんこう)の、枝に伝うがごとし。まことに散乱して動じやすく、一心静まりがたし。無漏(むろ)の正智(しょうち)、何によりてかおこらんや。もし無漏の智剣(ちけん)なくば、いかでか悪業(あくごう)煩悩(ぼんのう)の絆を断たんや。悪業煩悩の絆を断たずば、なんぞ生死(しょうじ)繋縛(けばく)の身を解脱(げだつ)することを得んや。悲しきかな、悲しきかな。いかがせん、いかがせん。

ここに我らごときは、すでに戒定慧の三学の器(うつわもの)にあらず。この三学のほかに、わが心に相応する法門ありや、わが身に堪えたる修行やあると、よろずの智者に求め、諸々の学者にとぶらいしに、教うるに人もなく、示すに輩(ともがら)もなし。しかる間、歎き歎き経蔵に入(い)り、悲しみ悲しみ聖教(しょうぎょう)に向かいて、手ずから自らひらき見しに、善導和尚(かしょう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)の、「一心に専(もっぱ)ら、弥陀の名号を念じ、行住坐臥(ぎょう じゅう ざ が)に時節の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定(しょうじょう)の業(ごう)と名づく、かの仏の願に順ずるが故に」という文(もん)を見得てのち、我らがごとくの無智の身は、ひとえにこの文を仰ぎ、専(もは)らこのことわりをたのみて、念々不捨の称名を修(しゅ)して、決定(けつじょう)往生の業因(ごういん)に備うべし。


(私訳) 経典にはさまざまな教えが説かれているが、詮ずるところ、戒・定・慧の三つの修行法に集約される。小乗と大乗、顕教と密教、それぞれにこの三つの修行方法がある。

ところが私自身は、戒(不殺、不盗などの仏教の戒め)に関しては一つの戒すら守ることができない。定(精神集中の修行)についても一つも体得できなかった。ある高僧が言うには、「戒(インドの言葉でシーラ)が清らかに守られていないと、心の集中状態は現れてこない」とのことだ。

また私たち凡夫の心は、ものごとに引きずられて移ろいやすい。それはまるで、猿が枝から枝へと動いているようなもの。まことに散乱して落ち着きが無く、一処に静まりがたい。

このような状態で、煩悩に汚れぬ正しい智慧が、どうして起こり得るだろうか。もし汚れなき智慧の剣がなければ、どうして悪業や煩悩の絆を断つことが叶おうか。悪業煩悩の絆を断たずして、どうして迷い苦しみの輪廻世界から解脱することができようか。ああ、まことに悲しき哉、一体どうしたらよいのだろうか。

「私のような者は、もう戒・定・慧の修行を全うできる器ではない。この三種の修行法のほかに、私の心に相応しい教えがあるのだろうか。私の身体でも行なえる修行がはたしてあるのだろうか…」

かように思い直し、多くの賢者の教えを請い、様々な学者を訪ね歩いた。だが、それを教えてくれる人はおらず、道を示してくれる仲間もいなかった。

そこで、歎き歎き経藏に入り、悲しみ悲しみ経典に向かい、みずから手に取って開き見た、善導和尚(7世紀中国の高僧で、法然上人が師と仰いだ)が書かれた『観経疏』という本の中に見出したのが、次の一文である。

「一心に専ら阿弥陀仏のお名前を念じなさい。行住坐臥、日常生活のどのような状態にあっても、時間の長短を問わず、片時もやめてはならない。これを正定の業と名づけよう。かの阿弥陀仏の本願にしたがう行であるゆえに。」

その後は、「私のような無智の身は、ひとえにこの一文を仰ぎ、ここに説かれる道理を頼みとしよう。片時もやめない念仏行を修めて、必ずや極楽往生を得るための備えとしよう」と心を定めたのである。

尊い教えは数多くあるものの、「この私」にぴったり合った教えと出会うのは稀なこと。
法然上人は自らの体験を語られ、私たちはそこに自分自身を重ねます。
暗闇と光─宗教の本質がそこにあります。■


2011.07日常生活での仏教修行 (3)

諸行無常、諸法無我という教えを、生活の中の瞑想修行として取り上げて参りました。
「仏教は無常、無我を説く」
と頭の中で知っただけでは、何も知らないのと同じこと。
流れゆく一人一人の人生経験の中で、その知識を身体的、心的に深めてゆくことが大切なのです。

三法印の最後「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」は、涅槃の境地─煩悩の炎が消えればそこには静かな安らぎがある、という意味です。
理想の境地、仏道の終点です。

「炎が消える」と言いましたが、
そこは明かりの消えた暗闇の世界ではありません。
「覚りの光明が、あまりにまばゆく輝きわたっているので、
煩悩の小さな炎は覚りの大光明に飲み込まれてしまう」
ということなのです。

「仏ははかりしれない力で大いなる光を放ち、
果てしない国土までくまなく照らす
三つの垢(貪り、怒り、愚かさという三大煩悩)の闇を取り除き、
多くの厄難に苦しむ者を救う」
(「神力演大光 普照無際土 消除三垢冥 広済衆厄難」─『無量寿経』)」

とはいえ実際のこととして、「大光明」に出会うことは中々かないません。
無常、無我を観じてある程度の洞察までは進むことが出来ます。
が、いくら無常無我に心を留めていても、
「大光明」に照らされて
「怒り」が全く起こらなくなったり、
「思い煩う」ことがなくなったり、
「欲望」が消えたりというところまでは中々参りません。
私自身も同じです。
生身の身体を持っている凡人、おのずと限界があるものです。

ここで重要になってくるのが「信」です。
「大光明」である仏、無常無我を完全に覚れる仏、この上なく聖なるお方である仏を自分の外側に見て、かのお方を礼拝いたします。
「大光明」の世界が実在すると信じて、その世界に触れさせて頂きたい、触れさせて頂けると念じてみ仏に手を合わせるということ。

無常、無我の瞑想だけでは、私たちは頼りとするものを持つことが出来ません。またひとたび瞑想の外に出ますと、日常生活の中では突然思いもかけぬことが起こります。
み仏に帰依し手を合わせることは、揺れ動く私たちの心をあらゆる局面で支えてくれるのです。

私ども浄土宗では「阿弥陀仏」という仏さまに手を合わせ、「なむあみだぶつ」と称えます。
頭を垂れて、この私、無常無我を覚りきれない私、煩悩のただ中にあるつたない私を、み仏に明け渡します。

無常、無我を観じつつ、縁ある仏さまに心から手を合わせることができれば、
そこに人生の真の安心を見いだすことができるでしょう。

日常生活での仏教修行─今回は「信」を取り上げました。
(三法印の項目はこれで終わります。)■


2011.06日常生活での仏教修行 (2)─諸法無我(しょほう むが)

寺から20分ほど歩くと、多摩川に出ます。
河岸は緑豊かで、何といっても空が広い。気持ちの良い散歩コースです。

多摩川には多くの支流があります。
秋川、浅川、大栗川、野川、残堀川…
今、この5本の支流が多摩川を形作っている、といたしましょう。

「多摩川」という川は、この5本の支流から流れ込む水で成り立っています。
この5本の支流は「多摩川」ではありません。ということは、多摩川は、多摩川以外のもので成り立っている、ということになります。

では「私」とは何でしょうか。
仏教ではこう考えます。
「『私』は、よくよく調べてみると、私以外のものから成り立っている」

多摩川が5本の支流から成り立っているように、「私」も5本の川や池=5つの要素から成り立っています。それをこのように呼びましょう。
1.身体(からだ)川
2.五感川
3.連想池
4.外向(そとむき)川
5.名付(なづけ)川
(仏教の伝統では、それぞれ色、受、想、行、識と呼びます)

「身体川」には、呼吸や消化活動、体液循環や細胞形成、生殖機能、排泄機能などが流れていて一瞬も静止することはありません。
「五感川」には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚からの刺激や情報が絶えず流れています。
「連想池」では、五感川や身体川から流れ込んで来た刺激や情報が混ざり合って、あちこちで川底の泥をひっかき回したり(過去の想起)、新しい水草を育てたり(未来の妄想)と大忙しです。
「外向川」は、連想池から外に向かって流れ出た川です。
「外向川」はやがて「名付川」となります。この川は、まわりのものごとにあれこれラベルのついた虫ピンを押し付けます。諸行無常─すべては流れつつあるにも関わらず、それらの流れを一時的に止めて名前を貼付けようとするのがこの川の特徴です。「好き」「嫌い」「良い」「悪い」「味方」「敵」などが代表的なラベルですが、そのほか日常生活での様々な分類や、諸々の専門知識に至るまで、ありとあらゆる分類と命名がここで行なわれます。

刻々と変化しつつある身体や五感がある。それらが受け取った様々な印象から、連想や妄想をふくらませ、やがてあれこれに色々なラベルを貼付け始める。(ラベルを貼付けたところで、ひと安心する。)
この5本の川や池、5つの機能を寄せ集めたものをたまたま「私」と呼んでいるだけである。よくよく調べると「私」という実体はどこにもありませんよ、これが仏教の考え方です。「私」ばかりでなく、すべてのものごとは皆同様です。全体を表す名前がついてはいますが、よく見れば諸々の要素の寄せ集めとで成り立っています。「多摩川」という実体がなく、5本の支流から成り立っているのと同じことです。

また5本の支流も、よく見ればそれぞれ実体があるわけではありません。いろいろなところから流れ込んだ水を集めただけです。そこに秋川、浅川、大栗川…という名前をつけただけのことです。
これが「諸法無我」という言葉で表される教えです。こうして川の流れに喩えてみると、「諸法無我」が「諸行無常」という見方と密接に関連したメッセージであることが分かります。すべては流れゆく。複雑にからみ合い、関わり合いながら─。だがそこには、全体を取り仕切る「私」はいない。

「『私』なんて本当は無いのだ。」これは大変なことです。
なぜなら、私たちの生活の前提─「私」がこの世に生まれ、「私」の身体と「私」の名前を持ち、「私」自身の感じ方や考え方を持っている、「私」の意志に従って「私」の幸福を求めて「私」の人生を選び歩んでゆく、という人生観、ごく当たり前の人生感覚そのものが崩壊することになるからです。

人間には「私の意志」などなく、すべては「私」以外のものごとによって決められてゆく。「私が為す」のではない。私の内側においても外側においても、すべてのものごとは起こっては去ってゆくのみである。
さあ、この「人生観の崩壊」(人生の崩壊ではありません)を直視してそれに耐えることができるでしょうか。
それが次なる仏教修行です。

しかし、この修行にあまり真剣に取り組んではいけません。ここまで読んで頂きながら申すのも何ですが、独りで「無我」に集中し過ぎますと、内面に大混乱を来すからです。

もう少し軽く考えましょう。
朝起きた時、また夜休むときに静かに坐ります。
肩から「私」の重荷を下ろして少し休憩する、くらいが宜しい。

自分の身体に意識を向けます。
「この身体はどこからやってきたのだろう。」
と考えてみましょう。
「私」が「私」の意志において設計して造り上げたものだろうか。
いいえ、違います。誕生から生存に必要な空気、水、食べ物…すべて外からやってきたものではありませんか。

次に、最近の気になったできごとを思い浮かべます。
それは、あなたが造り上げたことでしょうか。
一見、あなたの意志がそこに関わっているように思えるかもしれません。
しかしよく見ると、その「意志」も、元はといえば外から入って来た諸々の情報によって構成されているのではありませんか。

こうして、
「私がそれを所有している」
「私がこの状況をコントロールしている」
「私が◯◯にならなければ」
という思いを少しの間、手放してみて下さい。

無我の境地とまではいかなくとも、しばし自分を「私」の重荷と責任から解放してあげます。
「私は何も持っていなくても良い」
「私は何も知らなくても良い」
「私は何もしなくても良い」
「私は特別な人でなくても良い」
「私には本来名前はない」
というところにくつろいでみて下さい。

そんな無責任なこと言っていたら仕事にも勉強にもならないよ、と思われるかも知れません。でも、それは大丈夫。一日中そこに留まるわけではなく、朝晩のわずかな時間だけです。
むしろ自意識が少し和らぐことで、仕事や日常生活が柔軟に進むようになるでしょう。かえってそれらを楽しめるようになるかも知れません。

日々の暮らしの中でいっとき「私」を手放してみる。
これも良き仏教修行です。■


2011.05日常生活での仏教修行



―震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします―



三法印(さんぽういん)という言葉をご存知でしょうか。
これは、仏教の特徴をあらわす三つの「はたじるし」として知られています。

  • 一に諸行無常
  • 二に諸法無我
  • 三に涅槃寂静
がこれです。
三つめの「涅槃寂静」は、涅槃の境地─煩悩の炎が消えればそこには静かな安らぎがある、という意味です。これは仏教の理想とする境地でありますが、わたしたちの現実生活に即してみるならば、今はまず手の届かぬところ。はじめの二つについて考えてみましょう。

今月は一つめの「諸行無常」を取り上げます。ご承知のように「あらゆるものごとは常に変化し続けている」という道理です。これは、万人の認めるところであると同時に、万人が避けて通りたい道理でもあります。なぜなら、それはこう言うからです。

  • 「若さはやがて失われる」
  • 「健康はやがて失われる」
  • 「豊かさはいつまでも手元に置いておけない」
  • 「やがて死ぬことになる」
誰しも「確かに」と分かってはいても、避けたいことばかりです。
しかし、「諸行無常」とはこういう意味でもあります。
  • 「何歳になっても、成長する機会がある」
  • 「心身の不調も、いつか良くなるかも知れない」
  • 「今は窮乏の状態にあるが、いつまでもこのままではない」
  • 「死があるからこそ、新たな誕生もある」
そこにどのような解釈や価値観を当てはめるかには関わりなく、一切が変化してゆく、すべては河の流れの如く過ぎ去ってゆく、それが諸行無常です。

まずは夜のひととき、今日一日を振り返ってみましょう。日中は喧噪のさなか、あるいは感情の波や白昼夢にすっかり飲みこまれていて、なかなか「無常」を観ずる余裕はないでしょうから…。
夜になって、一人静かに「すべては河の流れの如く過ぎ去ってゆく」と思う時、今日一日の経験はどのように映るでしょうか。
嬉しかったこと、哀しかったこと、腹の立ったこと、笑ったこと、辛かったこと、イライラしたこと─印象に残った体験を振り返ります。
「わたし」と「体験」がぴったり一体となっていたのが、「すべては過ぎ去ってゆく」と思う時、「わたし」と「体験」の間に隙間ができたような感じがしないでしょうか。
そして、今日一日のことはすでに流れ去っています。それぞれの体験で出会った人たちは、その後新たな時間の中を生きています。私たちは自分の体験を手放すことができます。「諸行無常」の大河の中に今日一日を流してしまうことで、安らかな眠りにつくことができるでしょう。

修行とは、教えと個人的経験を結びつけるものです。
お寺に行けば、そこに非日常の空間があり、特別の体験ができるかもしれません。しかし、一時的な気分転換で終わってはもったいない。
やはり日常の個人的経験の中で、教えを味わうことが大切です。

浄土宗でもお念仏の根本には「凡夫の自覚」というものがあります。これも個人的経験として出てくるもの。
人から教わる「自覚」なんてないですよね。■


2011.03法然上人夢譚(むたん)(2)... 三人の独白

――「真言宗の学僧が法然さまを訪ねてこられ、私も同席を許されました。法然さまは普段は難しい経典の話はされませんが、このときは相手がいろいろと質問をしてくるものですから、様々な経論からの引用をよく話されました。
そのときのことはとても印象的でした。まるで『わたしは弘法大師の講義を三日ほど前に受けて来たばかりだよ。どんな講義だったかというとね…』というように聞こえたのです。とにかく臨場感にあふれていました。
喩えて言うならば、その学僧は噂を聞いて初めてその土地にやって来た旅人、法然さまは何十年もそこに住んでいて土地のことは隅から隅まで知り尽くしている、という風でした。
学僧は法然さまと議論をしに来たに違いありませんが、逆に深く感銘を受けたようでした」

◇ ◆ ◇

――「法然さまのお側には、いつも人がたくさんいました。私のような女、しかも身分の低い者がお側に近寄ることはできない。そう思っていました。いつも遠くから、法然さまのお姿をじっと見つめていたのです。まばたきするのも惜しいくらいでした。
(こちらを、私の方を見て下さい!)
この願いが通じることもありました。でも、そう願っているだけでも私は充分に幸せだったのです」

◇ ◆ ◇

――「私はとても罪深い人間です。
それは、私自身が一番よく知っていることでした。世間の人がどう思おうが関係ありません。それが事実なのですから。
罪深い─そのことにどうしても耐えられなかったのでしょうか、今でもよく分かりません。しかし、気がついたときには法然さまの前にいました。眩しい光に照らされているようでした。
私が何を言ったのか、よく覚えていません。多分支離滅裂なことだったでしょう。法然さまを前にして、かなりの緊張もあったと思います。
法然さまは、私の目を真っすぐに見つめながらその支離滅裂な話を聴いて下さいました。いや、私の下らない話は聴いておられなかったかも知れません。ただこんなにちっぽけな私のことを、全身で包んで下さった…そんな感じでした。『全身』というのは、法然さまの全体であり、同時に何かそれ以上の、とてつもなく大きな何かでした。
そう感じた瞬間、思ったのです。
『私が、この罪深いちっぽけな存在が認められた…』
その時を―私の人生で最も尊い瞬間を忘れないために、毎日お念仏を称えています」■

(この話は夢物語であり、歴史的事実ではありません)


2011.02法然上人のお言葉 (1)

本年は浄土宗祖、法然上人の800年忌にあたります。
上人の宗教を学ぶには、やはり原典にあたるのが一番。多少難しいところもありますが、是非声に出して読んでみて下さい。


それ流浪三界のうち、何(いず)れのさかいにおもむきてか釈尊の出世に遇(あ)わざりし。輪廻四生のあいだ、何(いず)れの生(しょう)を受けてか如来の説法を聞かざりし。
華厳開講の筵(むしろ)にも交じわらず、般若演説の座にも連らならず、鷲峰(じゅぶ)説法の庭にも臨まず、鶴林(かくりん)涅槃(ねはん)のみぎりにも至らず。われ舎衛(しゃえ)の三億(のく)の家にや宿りけん。知らず、地獄八熱の底にや住みけん。恥ずべし、恥ずべし。悲しむべし、悲しむべし。
まさに今、多生(たしょう)曠劫(こうごう)を経ても生まれ難き人界(にんがい)に生まれ、無量億劫(おっこう)を送りても遇い難き仏教に遇えり。釈尊の在世に遇わざることは、悲しみなりといえども、教法(きょうぼう)流布の世に遇うことを得たるは、これ悦びなり。譬(たと)えば目しいたる亀の、浮き木(ぎ)の穴に遇えるが如し。
わが朝(ちょう)に仏法の流布せし事も、欽明天皇、天(あめ)の下(した)をしろしめして十三年、壬申(みずのえさる)の年、冬十月一日、初めて仏法渡り給いし。それより前(さき)には如来の教法も流布せざりしかば、菩提の覚路、未(いま)だ聞かず。
ここに我ら、いかなる宿縁に応え、いかなる善業(ごう)によりてか仏法流布の時に生まれて、生死(しょうじ)解脱(げだつ)の道を聞く事を得たる。
しかるを今、遭い難くして遇うことを得たり。徒(いたず)らに明かし暮らして止(や)みなんこそ悲しけれ。

(私訳) 私はこれまで、様々な生を経てきたに違いないが、釈尊が世にいで給うたときには一体いかなるところに生きていたのであろうか。華厳経、般若経、法華経、涅槃経といった名説法に直接触れることができなかったのは、返す返すもわが恥であり、悲しみである。
しかしこうして今、人間としてこの世に生まれることができた。仏教に出会うという恩恵に浴することもできた。釈尊に直接お目にかかることは叶わなかったが、その教えが広まっている世に生まれ得たのはわが悦びである。(目の見えぬ亀が海中にいて、百年に一度、波の上に顔を出すとしよう。あるとき、この亀が海に浮かぶ木片の穴から偶然頭を出したとする。それほどめったにない機会に出会うことができたのだ。)
日本に仏教が伝わったのは、欽明天皇の13年(552年)。それ以前には釈尊の教えもわが国に流布しておらず、覚りへの道を知る者もいなかった。
ここにいかなる縁に恵まれてか、仏教が流布する時代に生まれ、迷いの世界から解脱する道を学ぶことができたのだ。
(仏道を歩まずして)無益に人生を終えるとしたら、何と悲しいことだろう。

遇い難き仏教と出会えたことの歓びが語られます。それは、長く暗い心の旅路の末に、とうとう光明にたどり着くことができた感動です。とてつもなく深く、静かな感動─普遍の宗教的生命に触れ得た歓びです。
では、法然上人がたどり着いたところとは、どのような場所だったのでしょうか。上人のお言葉から、また学んで参りましょう。■

2011.01法然上人夢譚(むたん)(1)... 一弟子の夢物語

新たな年を迎えました。
今年は浄土宗祖、法然上人の800年忌にあたります。
法然房源空─たぐいまれなるこの大宗教家は、仏教の流れを根本から変えるという一大事を成し遂げられました。
この巨人の全貌をご紹介することは私には力及びません。ここでは「群盲象を撫でる」ことになるのを承知の上で、私が夢に見た法然上人像をご紹介しましょう。

その夢を見たのは、15年ほど前の秋彼岸の時期でした。
法然上人は、高座上の座布団に足を組んで(あぐらをかいて)坐っておられました。私は初対面でしたが、その方が法然上人だと知っていました。
聴衆はたくさんおり、劇場のような感じで客席は暗くなっていました。どういう人たちが集まっているのか分かりません。最前列は高弟の人たちに占められているようでした。
法然上人は側のお弟子さんと小声で言葉を交わしていましたが、何を話されているのかは聴こえません。もうしばらくするとご法話が始まる様子でした。
法然上人は聴衆の方に目を向けると、その鋭い眼差しで場をゆっくりと見回しました。そのとき、私と目が合ったのです。時間が止まりました。
評判では、たいそう温厚で智慧に富んだ方、という話でしたが、とてもそんな感じには見えませんでした。何もかも一瞬にして見抜いてしまう怖い方、という印象でした。上品な人というイメージはなく、その鋭い眼光には、いきなり刃物を突きつける強盗のような恐ろしさがありました。
しばらく私のことを手のひらに乗せて、重さを量っているような感じでした。
ニヤッと笑うと、法然上人は別の人たちの方へ視線を移しました。
それだけでした。
かの人には、圧倒的な存在感がありました。温厚な優しい方、というのとはまったく正反対でしたが、恐ろしさも含めて、この存在感が人々を引きつけているのに相違ありません。

今も鮮やかに思い出すことができる夢です。■