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2007.09

 
秋彼岸

彼岸といえば、そこは先祖の精霊たちが憩う安らかな世界です。
此岸(しがん)にいる私たちは、彼岸を想って手を合わせます。彼岸を想うことによって、私たちは此岸の生、つまり私たちの現実の人生を相対化する視点をもつことになります。
──この肉体とともにある生はそれ自体で完結しているのではなく、それを超えた世界へと連なっている。私たちもいつか、彼の世界に赴くことになる……

彼岸を想うことによって、私たちの生き方の背景が微妙に変わってきます。

誰しもの人生が有限である、ということに気づいていれば、他者に対する寛大な心が生まれてきます。あなたも私も短い時、貴重な時間をたまたま共にする旅仲間─持っているものは分かち合い、困ったときもお互いさま、というわけです。
また彼岸から先祖の精霊に見守られている、と思えば、おのずと生活は正されてゆきます。「あなたの好きなように生きなさい、ただし先祖を悲しませることのないように。」
さらに、自分の感情をコントロールすることの大切さや、地道な努力を積み重ねることの重要さも理解できます。人知れぬあなたの忍耐、努力─たとえ隣人から評価されなくとも、あなたの先祖はしっかりと理解し、応援してくれるでしょう。
そして、彼岸を想うこと自体が、此岸と彼岸を超えた俯瞰的(宇宙的)な視点を体験することにつながります。しばらくそこに留まっていれば、聖なる沈黙と、身体の中心から湧き上がってくるような「智慧」を体験できるかもしれません。

彼岸を想い、先祖を供養する誠実な心が、そのまま仏道を歩むことにつながってゆく…信徒さんと一緒にお経を上げながら、このごろそう感じるようになりました。

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