コラム目次へ

コラム倉庫

2008.06

 
微笑みをおくる(和顔施=わげんせ)

寺の近くを川が流れています。
ある朝、川端を歩いておりますと、橋の上に初老の男性が見えます。
橋の欄干に上半身を預けて、川の流れを眺めておられます。ちょうど雨のあとで、水量は豊かでした。朝の陽光は川底まで届き、水面を美しく輝かせています。
が、その男性は眺めを楽しんでいる、というよりも、いくぶん虚ろな表情をしておられました。身体全体も生気がないようですし、身を乗り出し過ぎているようにも見えます。ちょっと気になりましたので、歩みのペースを落としながらさりげなく様子を見ておりました。
するとその橋の上へ、犬を連れた中年の男性が通りかかりました。先の男性を見て、やはり少し気になられたようでした。散歩の足を止めて、(2、3秒の間でしたが)近くからじっと様子を見ています。
初老の男性は視線を感じたようで、ふと我にかえったように欄干から身を引き離しました。
しばらくすると二人の男性(と一匹の犬)は、無言のまま反対方向に歩き出しました。私も歩みを元に戻します。

何ごともなかった、と言えばなかったのです─。ただ、このふとした出来事をきっかけに、「ちょっと気になる」ということが、場合によっては大きな意味を持つこともあるなあ、と思い巡らせました。
考えてみると怖いことです。「ちょっと気になる」―つまりちょっとした気づかいの視線が人を救うこともあり得ますし、ということは逆に考えると冷たい視線や無関心の態度が、深く人を傷つけることもあり得る、ということになります。
折に触れ、ちょっとした微笑みをおくること─その大切さは、いくら強調しても足りないほどです。相手が人間であっても、動物や自然であっても、また特にこれといった対象がなくとも…それによって豊かな心を得るのは自分自身ですが、ひょっとすると誰かの命を救うこともあるかもしれません。

ご寄付のページへ