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2008.11

 
死を迎える

ある弟子が、師に質問しました。
「わが尊敬する師よ。ひとつ質問があります。
今まさに亡くなろうとしている人、最後のときを迎えようとしている人にとって、どういう助言が役に立つでしょうか。」

師はゆっくりと眼を閉じ、そこに沈黙の時間が流れます。弟子は、いつものように、ただじっと待ちました。
しばらくして、師はゆっくりと眼を開きました。

「生命の終わりは、自然にやってくる。それはこの人生を卒業することなのだ。
それは恐ろしいことでも、また醜いことでもない。輝かしいことなのだ…ちょうど学校を卒業するように。
学んだ仲間たちと同時に卒業するわけではない。そこが学校の場合と違っている。
人生の卒業は、一人一人別々だ。だから、寂しかったり、不安であったり、怖かったりするかもしれない。だが、すべての人がいつかこの卒業の時を迎える。それが生命の大きな流れなのだ。
この、生命の大きな流れの中で私たちは生まれ、生きてきた。人生の卒業に際しても、この『大いなる流れ』を信頼し、そのプロセスに身を委ねられるように、輝かしいそのときを迎えられるように…
もし亡くなろうとしている人がいるならば、そのように助けて上げなさい。」
弟子は、師の言葉をひとつひとつ、心の内にしまうように聞いていました。
しばらくして、こう尋ねます。
「よく分かりました。それでは、具体的にはどういうふうに助言したらよいでしょう。」
師は答えました。
「もしその人が、何らかの宗教を信仰しているなら、その教えを思い出させて上げなさい。こう言ってやるのだ。
『あなたが熱心に信仰や修行をしていたときのことを思い起こしてごらんなさい。神や仏の近くにいると感じることができた、そのような瞬間がありましたか。そのときのことを、ありありと想い描いてごらんなさい。』
あるいは、その人に馴染みのあるお寺、神社、教会や仏像仏壇等のことを話題にして、思い出させて上げなさい。『今、私たちがいるこの部屋が、あの宗教的な空間だ、と想像してごらんなさい』と言ってやるのだ。これまでの信仰の功徳をもって、心清らかに旅立ちを迎えることができるよう、共に祈ってあげなさい。
そして…もしその人が特に信仰をもっていないなら、こう言って上げなさい。」

師は、いったん遠くの方を見るような眼をして、視線を弟子の顔に戻しました。やさしい口調で、まるでその弟子が亡くなろうとしている本人であるかのように話し出しました。

「今はとても大切な時だ。この貴重な時間を大事にしよう。
これまであなたの人生は、たくさんの人たちによって支えられてきたね。あなたの方が面倒を見てあげた、と思う人も中にはいるかもしれない。だがそういう人々でさえ、『関わりをもつ』ということによってあなたを支えてきたのではないかね。
そうなのだ。あなたを支えてきた人たち、あなたにとって、最も身近な、大切な人たちにこう言おう。
『どうもありがとう』

次に、あなたはこの人生において、意識的に、またそうとは意識せずに、多くの人たちを傷つけてきた。また、ひとさまの貴重な時間を奪い、煩わせてきた。
『いいえ、私は自分を厳しく律して生きてきました。人さまの迷惑になるようなことは何もしておりません。』
そう思うかね。
もしそうだとしたら、まさにその自分自身に対する厳しい態度そのものが、周囲の人たちの心に疎外感を与えてきたはずだ。あなたのその強い態度の陰で、寂しい思いをした人も多いに違いない。
だから、あなたにとって大切な人たちにこう言おう。
私は、あなたに迷惑をかけてきました。
『本当にごめんなさい』
ひとたび心から謝れば、それで終わりだ。
罪悪感を引きずってはいけない。

『ありがとう』『ごめんなさい』が言えたなら、準備は整った。大切な人たちに別れを告げよう。
『さようなら』と言おう。
財産だとか、名誉だとか、もし人間以外のものごとが思い浮かぶなら、『私はもう充分によくやった』と自分自身を讃え、それらに「さようなら」と言おう。

いよいよ自分の身体が弱ってきたならば、自分の身体に対しても、
これまで本当に『ありがとう』、
充分にいたわってやることができず、『ごめんなさい』
そして、『さようなら』
と言おう。

さて、これから先は、自分自身はあてにはできない。家族も、医者も頼りにならない。
頼りになるのは生死を超えた存在、みほとけの導きだ。
『われを導きたまえ、なむあみだぶつ』
と言いなさい。
仏教のことなど何も分からなくても大丈夫だ。あなたは最良の導きを得るであろう。

だから今、あなたに大切なのは、この4つの言葉だ
ありがとう
ごめんなさい
さようなら
なむあみだぶつ

次のように声に出して言いなさい。あるいは声に出したつもりになって、心のなかで言いなさい。

大切な人たちよ、これまで本当にありがとう。
どうか私を許したまえ。本当にごめんなさい。
私は間もなく旅立ってゆきます。さようなら。
ほとけ、われを導きたまえ。なむあみだぶつ。

あなたはこれまでの人生に心から感謝し、今、旅立つことができる。」

こう話すと、師は口を閉じ、ふたたび沈黙が流れ出しました。
いつの間にか西に傾いた太陽が部屋の中に差し込み、二人の横顔を照らしています。

《了》

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