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2009.03

 
法然上人の物語 (下)

法然上人の胸の内にあった唯一の希望─それは、阿弥陀仏の極楽浄土に救いを求める、という教えでした。170年ほど昔、源信という名の高僧が浄土の教えを広めていました。しかし、源信の説いた天台宗の浄土教は、法然上人を満足させるものではありませんでした。なぜかというと、源信は念仏も説きましたが、その教えの重点は、坐禅を組んで心を集中し、阿弥陀仏のお姿や極楽浄土の光景を思い描く、という修行だったからです。
「源信の教えは確かに素晴らしい。だがこれでは、心の集中力が優れた人しか救われないことになる。わたしが求めているのは、一部の優れた人々が先導する教えではない。一部のエリートと、取り残された一般の大衆─その垣根を私は取り払いたいのだ。
世の中には、優れた修行者もいれば、そうでない人もいる。
仏教の学問に明るい人もいれば、暗い人もいる。
善人と、そして罪深い人がいる。
裕福であって、寺院に多額の寄進をできる人と、貧しくて功徳を積もうにもそれがかなわない人がいる。
さらに言えば、
生きている人と、すでに亡くなってしまった人がいる。
─こうした区別を吹き飛ばして、すべての人々を救いに導くような、素晴らしい教えはないものだろうか…。もしそのような教えがあれば、故郷の母も救われる。亡き父上も救われる。私も、そして乱世で苦しんでいる多くの人たちも救われるのだが…。」
これが法然上人の探求でした。
阿弥陀仏の極楽浄土に救いを求める─天台宗の先輩である源信が説いた教えをヒントにして、求道を続ける法然上人でした。
そしてとうとう、答えを見つけたのです。それは、中国の善導大師という方が500年も前に書かれた文でした。
「一心にひたすら阿弥陀仏のお名前を称え、これをいつも続けるならば、必ず極楽浄土へ救いとって頂ける。なぜなら、これこそが阿弥陀仏のお約束なのだから。」
この文に出会った法然上人は、はたとひらめきました。それまでは、
「能力の劣った人には、お念仏という方法もある。」
という見方が一般的だったわけですが、そうではなく、
「お念仏こそが、最高の修行なのだ。それは、数ある修行のなかから阿弥陀仏が選ばれた、そしてお釈迦さまが、もろもろの仏たちが選ばれた、最高の行なのだ。」
というふうに見るべきではないのか。法然上人はこのように考えたのです。
そして、この考えに立って、改めて阿弥陀仏や極楽浄土について説かれたお経を読み直してみました。先達の書かれた論書にも、新たな視点で再び目を通してみます。そして、ご自身の考えにますます確信をもたれたのでした。
「そうだ。この教えによれば、亡き父上も救われる。念仏を称え、回向することによって父上の魂が阿弥陀仏の光明に照らされるのだ。
故郷にいる母も、この教えで救われる。仏教の学問などまったく知らない者でも、心をこめて念仏を称えれば、必ず極楽浄土に導いて頂けるのだから。
この私も同じだ。いくら学問を積んでいても、今の私はお釈迦さまのお覚りからはほど遠いところにいる。そんな私でも、阿弥陀仏は必ず導いて下さるのだ。
この念仏の教えをたよりとすれば、父母ともやがて極楽浄土で再会することができるであろう。かの世界で、阿弥陀仏や菩薩さま方のお導きのもと、他の清らかな修行者たちと共に、われらも仏の道を歩むのだ。」
時に、法然上人43歳。もっぱらお念仏を称えて、阿弥陀仏に極楽浄土にお導き頂く、という新しい仏教が誕生したのです。

「よいか。そなたは出家して、わが菩提をとむらうのだ。そして、そなた自らも解脱を求めなさい。」
亡き父の遺言を解決した法然上人は、同時に、仏教の流れを大きく変えたのでした。インドに生まれ、中国で育った仏教は、ここに至ってあらゆる人に開かれた教えへと成長を遂げ、究極の完成を見ることになりました。(この項終わり)

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