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2009.05

 
崇敬の心

自分より高い存在に礼拝する─
これが宗教の基本です。
礼拝する対象が自分よりはるかに高い存在である、
と知ること─
これは理屈ではありません。
そうである、としか言いようがなく、
理由も証明も必要ありません。
ただ、そうである、事実である、とあなたの中心が知っています。

それは恋愛のように、「ただ、起こること」
です。本人自身が、「それは起こった」とただ知っているのです。
親から子に伝えられるものではありません。
もしひとたびそれが起こったなら、
これ以上素晴らしいことはありません。

仏教における崇敬=信仰は、
恋愛の狭隘な熱っぽさよりもむしろ、
清澄で、広がりと深みのあるものです。
しかし、そこには何らかの共通点があります。

理屈では言えないが、
それが現実に起こったことを知っている。
誰よりも自分の中心が知っている─そこが共通点です。

崇敬の心はまた、愛する人との別離の彼方に現れてくるものでもあります。
生と死の境を超えた存在に対する、崇敬の、祈りの心─。

もし崇敬の心、信仰の心が伝承のものであれば、
それは時代とともに変化し、伝承が絶えることもありましょう。
しかし、いくら時代が移っても決して変わらないもの、
生き生きとした何かが、そこにはあるのです。■

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