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2014.01

 
いま、浄土宗に制するところは

「いま、浄土宗に制するところは不喜足大欲の貪(とん)煩悩なり」
浄土宗で戒めるべきは、足りることを知らずに飽くなき欲望を追い続けることであり、少々の欲は問題ありません―これも法然上人の教えです。

欲望、怒り、無知を仏教では「三毒」といいます。
私たちは自分のエゴを自明のものと考えます。そしてまずエゴの周りに線を引いて(無知)、気に入った人やものをその線の内側に取り込もうとします(欲望)。気に入らない人やものを線の外側に退けようとします(怒り)。
この三毒を滅するのが覚りへの道。これが仏教の基本ですが、実際はどうか。
欲や怒りはいけないと分かっていても、自分を制する事ができない。あれが欲しいとなると、そのことばかり考えて我を見失ってしまう。あのひとが憎いと思えば、その人のことを考える必要がないときでもわざわざ考えをめぐらせ怒りに捕われてしまう。これが私たちの真の姿です。
浄土宗では「喜足小欲の貪(とん)は苦しからず」「少々の痴は往生の障りにはならず」、つまり三毒とはいっても多少のことは構いません、と言います。なぜかと言えば、阿弥陀仏の本願力が私たちを助けてくれるからです。
仏道を歩む上で、私たちが自力で進める距離はわずかなものです。他力、つまり阿弥陀仏の導きがなければ、私たちはすぐに道に迷ってしまいます。三毒を払い輪廻転生の絆を断ち切ることは到底できません。ゆえに阿弥陀仏の導きを頼りとして念仏を称えましょう―これが浄土宗の理解です。

実人生では自分の努力が欠かせませんね。他人さま任せではいずれやってゆけなくなるでしょう。しかし仏道となると話は違ってきます。
三毒を抑えつつも、念仏の生活を送る。「西方極楽浄土」というと一見非現実的な世界に思われるかもしれませんが、仏道という点では優れて現実的な道なのです。◆

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