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2017.04

 
新しくお寺を創るということ、そして宗教法人設立について

 林海庵は、平成13年に東京多摩地区で活動を開始、2年後の平成15年に正式の浄土宗寺院として認められた新しいお寺です。これは宗門の施策・主導のもとで進められたもので、こうした活動のことを浄土宗では「国内開教」と呼んでいます。もともとは浄土真宗本願寺派さんが「都市開教」として先駆的な実績をつくり、各宗派がそれを追う、という展開をたどっています。さほど歴史の古いものではありません。
 新しい布教拠点を創るという動きは、新興宗教では当たり前のことかもしれません。が、伝統仏教にあってはなかなか腰の重い(?)ことなのです。

 そもそも江戸時代には、新しくお寺を創ったり自由に布教活動を行うことが禁じられていました。「檀家制度」などによって各宗派の活動基盤を支える一方で、宗教を幕府の統治機構の中に位置づけて厳しく管理統制したわけです。伝統仏教は今日でもその流れを引いていますので、既存の寺院をしっかり守ってゆこう、というところには力点を置きますが、新しくお寺を創ってゆくという方向にはあまり関心が向きません。むしろ新しくお寺ができると「既存の寺院の活動を脅かすのではないか」「わが寺の檀家が取られるのではないか」というような思惑が生じて、歓迎されないことも多いようです。

 しかし、昔とは時代が違います。産業構造の変化や様々な理由で社会も変わり、特に人口分布が大きく変化しました。人口の増えた地域には寺院も増やさなければなりません。特にこの多摩地域は「多摩ニュータウン」の開発事業によって戦後、人口が急増しました。全国から多くの方が転入してこられているので、その中には一定数の浄土宗の檀家さんや菩提寺のない方がおられるわけです。こうした方々に対応してゆくのが私たち開教寺院の使命です。

「開教」ということについてあらましを書きました。

 こうして活動を始めたわけですが、当初は何もすることがないので、広告・宣伝を考えたりウェブサイトを立ち上げたりしておりました。少しずつご縁が広がり活動が軌道に乗って参りますと、次に考えなくてはいけないのが「宗教法人化」です。
 一般に、宗教活動自体は、憲法が「信教の自由」を保証していますので制限を受けることはありません。これは個人で行なっても団体として行なっても構わない-つまり法人でない「宗教団体」でも大丈夫なのです。(もちろん、社会に害を及ぼすような活動は許されませんが。)

 では法人格を取得して「宗教法人」になるというのはどういうことなのでしょう。

「宗教法人法」という法律があります。その第一条にはこのようにうたってあります。

「この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。」
 「資する」というのは助けるという意味ですから、平たく言うとこの法律は「宗教団体の活動を助けるために法人格を与える」ためのものだ、ということになります。
 では、まず第一に、なぜ「宗教団体の活動を助ける」必要があるのか、というと「宗教活動は社会のため(公益)になるから」という理解がその前提にあるからです。社会のため、公益のための活動というのは、これも平たく申しますと、「利益を生むための事業」ではなく、「これは社会に必要な事業だから、利益とは無関係に進めてゆかなければならない。もしお金が足りないならば、何とかしてかき集めてでもこれを行なわなければならない。」これが公益のために行なう活動です。ですから公益法人の中の一つである「宗教法人」は、様々な税制上の優遇措置を受けられるのです。(ちなみに、法人税や固定資産税は優遇されますが、僧侶はお寺から給与を受け取りますので、その給与に対する所得税、住民税は納税します。)
 では第二に、宗教団体が法人格を取得すると、どういうところが助かるのか。税制上の優遇のほかに、社会的な信用を得られるということがあります。しかし最も重要な点は、「礼拝施設が法人の所有となる」ということでしょう。
 林海庵が「宗教法人」になる前は、土地建物は住職(私)の個人名義のままでした。好んでそのように選択したわけではなく、個人名義でしか登記できなかったからです。普段はそれでも一向に構いません(固定資産税はかかりますが、さほど広い土地でもないので金額は大きくありません)。しかし、たとえば住職が死亡したといたしますと、その時点でお寺の土地建物が個人の遺産相続の対象になってしまいます。そうすると、大切な本堂=礼拝施設が、それまでの寺院活動とはまったく無関係な第三者-僧侶でも信者でもない第三者の手に渡ることもあり得るわけです。これではせっかくの信者さんたちの信仰の場が守られなくなってしまい、寺院としてのそれまでの活動、努力が無に帰する恐れが生じてきます。
 こうした事態を未然に防ぐために、「宗教法人」という法的立場を取得する必要があるというわけです。宗教法人であれば、住職(代表)が死亡しても代表役員が次の住職に交代するだけです。礼拝施設の所有者は「宗教法人林海庵」のままで変化はありません。

 さて、ここで問題としたいのは、その「宗教法人」を設立するということがきわめて困難になっている、という点なのです。
 認証を出す所管は各都道府県庁。東京でいえば東京都知事が宗教法人の認証を出します。各都道府県に担当窓口があるのですが、担当者は非常に厳しい条件を課してきます。「オウム真理教の事件以降、法人認可が厳しくなった」というふうに言われてはいるのですが、提出書類に少しでも不備があれば「また来年いらっしゃい」と一年待たされる。次の年には別の点を指摘され、「また来年いらっしゃい」。この連続です。しかも担当者が転勤で移動になると、新しい担当者とまた一からやり直さなければなりません。
 林海庵の場合、東京都稲城市で活動を開始しました。約3年後に同じ東京都の多摩市に移転しました。都庁によれば、

「稲城市と多摩市では都の担当者が違うので、稲城市のときの(3年間の)活動報告は無効です。また一から始めて頂きます。今後最低3年間は(法人設立が適切かどうか)様子を見させて頂きます。」
 とのこと。当時は本業(宗教活動)に追われていて、「そんなものか」と都庁の言う通りに従っていました(法人設立はその3年後に実現しました)。しかし、今考えますとまことに不親切・不適切な指導であり、法人格を与えて宗教団体の活動を助ける、という宗教法人法の精神がまったく生かされていないように思われるのです。これは一人二人の(役所の)担当者の話ではなく、全国的にそういう傾向があるようでして、開教使の仲間たちもこれには大いに悩まされています。

 わたしたちの社会が「宗教は公益に資する」と考えて、その立場に立った法律をつくったのであれば、都道府県庁もその法の精神を尊重して対応すべきです。この点は強く主張したいと思います。それと同時に、もしいま「宗教法人設立」に向けて努力している宗教団体があるならば、宗教法人法に則り自分たちの「公益性」に自信をもって手続きを進めて頂きたいと思います。役所に頭を下げて「宗教法人の認可を頂く」のではなく、「宗教団体の法人化を進めてその宗教活動を助けるのが、公益を実現すべき役所の仕事である」-このように考えて下さい。
 こう申しますと、「宗教法人設立のハードルを下げると、悪質な団体が跋扈する恐れがある」という声が上がるかも知れません。しかしだからといって、宗教全般の公益性を疑うかのような懐疑的な対応を役所が行なうのであれば、それに対しては断固として抗議してゆかねばならないと思います。
 営利を目的として、「株式会社」を設立するといたしましょう。会社の名前はどうしようか、から始まって最短1ヶ月くらいで登記まで完了するそうです。これに対して宗教法人の場合は最低3年。一般に5年から10年…。
 あたかも「基本的に、新しい宗教法人の設立は認めません。宗教活動は憲法で認められているので止むを得ず許しますが、一代限りで終わりにして下さいね。」と言われているようなもの。こう考えるのは私だけでしょうか。

 お釈迦さまは、人々を苦から解放しようというお志のもと、覚りの座から立たれて布教を開始されました。われわれ宗教人が常に公益性を意識しなければならないのはもちろんですが、行政も宗教性、宗教活動への理解を深める必要があります。超高齢社会といわれるこの時代、医療や介護だけではカバーできない心の領域があると思うのです。◆

平成20年8月22日申請書類提出、9月8日受理、9月16日認証となっています。迅速な手続きのように見えるかもしれませんが、そもそも「申請書類提出」が認められるまでに5年以上かかっています。