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2018.08

 
ご質問とそのお答え

 先日ツイッターに次のような文を投稿しました。

In Meditation Sutra nine grades of Birth in the Pure Land are preached. But Honen Shonin didn't refer to them. He insisted on the equality: anyone who recites Nembutsu can attain the Birth. He is very clear on this point.

(『仏説観無量寿経』というお経には9通りの往生について説かれていますが、法然上人はこれには言及しておられません。上人は平等性、誰でもお念仏を称えれば極楽に往生できるということを強調されました。この点に関して法然上人は非常にはっきりしておられます。)

 これに対してご質問を頂きましたので、ご了解を頂いた上で掲載させて頂きます。

(質 問)
 これは『観無量寿経』の中の九品往生のことだと思うのですが、法然上人はそれについて全く説かれていないのでしょうか? 先日の増上寺日曜大殿説教ではS上人がお話をされ、その後の茶話会のときに出た九品往生の質問に答えて、『私などはせいぜい下品上生くらいだと思います』と仰っていました。


(回 答)
 いつもお読み頂き、ありがとうございます。
法然上人の問答に、次のようなものがあります。

「問うていわく。極楽に九品の差別有る事、弥陀本願の構えと為すべきか。(阿弥陀仏の本願に基づいて設けられたものですか)
(上人)答えていわく。極楽の九品は弥陀の本願にあらず、更に四十八願の中に無し、これ釈尊の巧言なり。もし善人悪人一所に生ずと説かば、悪業の者、等しく慢心を起こすべきが故に、品位の差別あらしめ、善人は上品に進み、悪人は下品に下ると説くなり。急ぎ(極楽に)参りて見るべし(ご自分で確かめてご覧なさい)。」

 ご指摘のように、法然上人は「九品」という言葉にさえ一言も言及されていない、というわけではありません。しかし、この問答にあるように、九種の差別については否定的です。法然上人の他の教えを見れば、このような経典解釈もごもっとも、と思われます。
 実を言いますと、浄土真宗さんが「恵心僧都〜親鸞聖人」の流れで「方便化土」「辺地往生」を説いておりまして(それはまた善悪の差別とは別次元のテーマではあるのですが)、それに対して疑問を呈する意味も込めて「往生に差別なし」という主旨の今回のツイートを書きました。
 海外では親鸞聖人の教えに馴染んでいる方が多いので、ここで法然上人の平等性を強調したつもりでした。少々言葉不足だったかもしれませんね。


(返 信)
 ご回答ありがとうございます。
 なるほど「釈尊の巧言」でしたか。その理由ももっともで、法然上人のお答えは見事ですね。
 極楽に行ってからも勝ち組・負け組と分けられるのは勘弁してほしいと思います。

 以上のようなやりとりでした。法然上人のおことばをご紹介する良い機会と思い、引用させて頂きました。
 「釈尊の巧言なり」とは確かに思い切った表現ですが、法然上人の自信と覚悟を感じます。

 もう一つ、六道輪廻についてのご質問もいただきました。

(質 問)
 生前の行ないによって生まれ変わり死に変わりを繰り返すという、六道輪廻についてお尋ねします。
 私がかりに三悪道に落ちたとして、その私が(アートマンというのかアーラヤ識というのかわかりませんが)どうやって生まれ変わるのでしょうか。
 目連尊者の母上の話や、「蜘蛛の糸」のカンダタの話を読むと人間の業苦・仏の慈悲を想像するのですが、一方で蠅・蚊・ゴキブリなどは存在しているだけで人から嫌われ叩き潰される命であり、そこには善因楽果・悪因苦果がないように思われます。
 シッダルタ王子は、虫が小鳥に、小鳥が猛禽に食べられるのを見て世の悲惨さと弱肉強食の現実を感じたといいます。昆虫の雌雄でも好き嫌いがあるようですから何らかの意識はあると思われますが、それがアーラヤ識であり輪廻転生の主体なのでしょうか。
 とりとめのない話ですみません。六道輪廻の理解が浄土信仰の出発点だと思うので質問しました。


(回 答)
 輪廻転生についてのご質問ですね。
 私は次のように理解しています。

 まず「私」とは何か。
 仏教の無常・無我の教えの通りだと思います。「私」は不変の実体ではない、つまり幻か夢、空に浮かぶ雲のようなもの。(たとえ夢の中であっても、喜怒哀楽や苦しみは切実なものですが。)
 六道の世界もまた、実体があるわけではありませんから、夢の世界といえましょう。
 夢である「私」が、夢である「六道」の世界を輪廻している。早く目を覚ましてそこから解脱しなさい、と説くのが仏教です。因果応報もまた、「目覚め」以前の夢世界の中ではたらいている法則です。
 従いまして、六道輪廻について考究しすぎると、かえって迷い道に入り込んでしまいます。六道の意味するところや、巡る順番などにも諸説ありますし、また「あなたの前世は〇〇だったのですよ」というような言葉も真に受けてしまうかもしれません。
 「私」という夢がさまざまな夢世界を経巡っている、夢世界の中でも悪業を行うと悪夢の原因となる、悪夢から抜け出したり、さらに夢自体から目覚めることはなかなか難しいことである(ゆえに浄土の教えがある)、と大まかに捉えておくくらいが良いのではないでしょうか。
 但し、これを説くときには慎重を要します。なぜなら「すべてが夢のようなもの」と言うと、「現実世界で努力する意味はあるのか」「苦労して勉強したり、働いたりする意味はあるのか」と虚無主義的に受け取る方もいるからです。
 これらの努力はとても大切なことです。なぜなら現実世界との接触、あるいはぶつかりを通じてのみ、学びの素材が得られるからです。

 以上、今回は二つのご質問をめぐるやりとりをご紹介しました。◆