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Q&A 64

質問64

浄土宗
法然上人を開祖とする浄土宗では仏壇にお位牌がありますが、弟子の親鸞上人を開祖とする浄土真宗ではお位牌は禁止、過去帳のみです。一方的に各派のしきたりを述べるだけでなく、同じ系統の宗旨を持っていながら何故基本的なことが違うのか教えていただきたい。
〈回答 64〉 浄土宗も浄土真宗も、他力(阿弥陀仏の救いの力)を信仰する宗派です。ですから、修行を積んで、自分自身の境地を高めていく(自力)、という教えではありません。阿弥陀仏を信仰し、その救いを信じてお念仏をおとなえするという最も重要なところは、両宗派に共通しています。
しかし、浄土真宗では「他力」の解釈がより徹底しています。例えば、浄土真宗以外の宗派(浄土宗も含む)では、先祖供養、すなわち功徳を積んでそれを先祖のために回向する(まわしむける)ということを行ないます。ところが浄土真宗の他力信仰の立場に立てば、「ご先祖は阿弥陀仏にすでに救われている。そのうえ回向が必要だというのは、阿弥陀仏の救いを信じていないことになる」のです。法事を行なうのも「功徳を積んで先祖に回向するため」ではなく、「聞法(もんぽう)—阿弥陀仏の教えに接する場を頂く」ため、ということになります。総ては「仏の側から」私たちの側へ頂く、という考え方なのです。「信心」でさえも、自分の中に育てるものではなく、阿弥陀さまから頂くもの、という解釈です。ですから浄土真宗では「卒塔婆回向」もしませんし、「施餓鬼供養」もしません。これらは浄土真宗からみれば自力の供養であって、阿弥陀仏の信仰と相いれないものなのです。
前置きが長くなって恐縮ですが、お位牌についても同様。位牌に戒名(法名)を書いてそれに礼拝するのは、自力の供養(私たちの側から、気持ちをご先祖の方へ向けること)になる、という解釈です。総ては阿弥陀仏の方から私どもの方へ頂く、という他力の教えに反することになってしまいます。
これに対し、浄土宗は緩やかというか、浄土真宗ほど徹底していません。お位牌もありますし、卒塔婆も建てますし、施餓鬼も行ないます。こちらからご先祖に回向する、ということを認めているのです。その点では他の宗派、すなわち禅宗や、日蓮宗、天台真言などと同じです。
ですから先祖供養、という観点からしますと、浄土真宗だけが特別、といえるかもしれません。浄土真宗が位牌を作らない理由としては、他に「位牌のルーツはもともと儒教にあり、仏教とは無関係」「仏教では霊魂の存在を認めない(無我説)。位牌を祖霊の依り代(よりしろ)のようにして拝むのは、仏教に反する」ということもあるようです。
仏教の「教義」と「先祖供養」…これは時に緊密に結びつくものであったり、また時に矛盾するものであったりするわけです。それが、浄土宗と浄土真宗の考え方の違いによく現われていると思います。

(追記:関連の記載がQ&A 12004年3月コラムにもあります。どうぞご覧ください)