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Q&A 91

質問91

仏教
このQ&Aで、ペットについて「人間と同じように解脱できる」というような回答がありました。仏教の六道思想では、上から2番目の「人」だけが輪廻から解脱できるので、どんなに可愛がってもペットは解脱できない、せめて来世で「人界」に生まれて、それから解脱できるということではないでしょうか?
質問/回答31に関連していただいたご質問です》
〈回答 91〉 おっしゃる通り、「人身受け難し」つまり、私たちは人間として生まれてくることは極めてまれである。仏道に入る機会はこのときしかないのだから、しっかり修行を積みなさい、という教えがあります。
一方、『無量寿経光明歎徳章』には「若在三塗勤苦之処、見此光明、皆得休息、無復苦悩、寿終之後、皆蒙解脱。」とあり、Q&A31はこの教えに基づいた回答です。この経文は、
「もし三塗、つまり六道の中の地獄・餓鬼・畜生の3つの世界で苦しみを受ける者でも、この(阿弥陀仏の)光明を見奉れば、皆その苦しみが休まり、命終わったあと、解脱する」
という意味です。ここでは「人間だけが救われる」ということでなく、「動物も同じように救われる」と説かれています。
一体どちらなのでしょうか。「人間だけが救われる」のか「動物はそのままでは救われない。いったん人間に生まれ変わってからなら救われる」のか—。

私はこのように思います—重点の置き所の違いが、このような教えの差になっている、と。
「人間だけが救われる」という教えでは、「人間に生まれてくることは稀なこと。この貴重な瞬間を無駄に過ごしてはいけない。この人生を無為に終えたら、次にいつチャンスが巡ってくるか分からない。だから、後悔のないようにしっかり仏道を歩みなさい」というところに重点があります。
また一方「動物も救われる」という教えの中には、まず「人間の命も動物の命も同じように大切である」というように、私たち人間という存在を特別扱いせずに相対的にとらえよ、という意味がある。そして、ここが大切なのですが「たとえ動物でも救われる」という阿弥陀仏の救いの力(本願力)の強さ、素晴らしさを強調する意味があります。法然上人も上に引いた経文をもとに、次のように言っておられます。
「亡くなられた人のために、お念仏を回向しなさい。そうすれば阿弥陀仏が光を放って3つの苦しみの世界を照らし、たとえそこにいる者でも苦しみが休まり、命終ったあと解脱する」

ですから「どちらの教えが正しいのか」ということではなく、どちらも尊い教えです。Q&A31では救済がテーマですので、『無量寿経』の経文に基づいたお答えをしました。