QA目次へ

Q&A 123

質問123

一般の相談
知り合いに「霊が見える」という人がいて、先祖供養の仕方など、あれこれ言われます。こういうことは本当にあるのでしょうか。仏教ではどう考えますか?
〈回答 123〉 この頃、「誰々さんには霊が見える」「先祖の霊が…だと言っている」という話をよく聞きます。
よく話を聞いてゆきますと、このような構図が見えてきます。
——Aさんは「霊が見える」とか「霊障を取り除く」という特殊な能力を持っている。その能力を使うことによって、他人の病気を治したり、不幸を取り払ったりすることができる。
Bさんはこういう能力を持っていない。今、悩みを持っているので、それを解決するためにAさんの忠告に従うようになった。Aさんは自信をもって指導してくれるので、すべてAさんに任せることにした。——

人さまの悩みを解決する最良の方法は、その方が自分で問題を解決できるように援助することです。私はそう思っておりますので、AさんとBさんのような支配—依存の関係は健全ではないと考えます。
「霊が見える」という現象が本当にあるかないかについては、何とも言えません。「見える」というのであれば、少なくともその人にとっては見えるのでしょう。しかし、霊が本当に私たちの生活の幸不幸の鍵を握っているのなら、何年も学校へ行って勉強したり、仕事に力を注いだりする必要などないでしょう。霊と対話して、「どうすれば幸せになれるか」を指導してもらうことだけ考えていれば良いことになります。
仮に「霊」が見えたとしても、それは儚(はかな)い存在です。私たちの身体ですら、かりそめのもの。「霊」が、私たちの身体や精神がなす以上のことをする力をもっているはずがありません。「霊の指導によって幸せになれる」という考えは、煩悩以外の何ものでもありません。
「霊」「悪霊」…これらはいわば「影」のようなもの。仏教では「影」に取り組むのではなく、「光」の方に眼を向けます。
「光」とは、仏の智慧であり、慈悲です。私たちは心を仏に向け、口に仏の名を呼ぶことによって、「光」を頂くことを願います。光に照らされれば、影は自ずと消えてゆきます。
ですから、あなたに「霊が見えない」のであれば、「霊」についての話には耳を貸さないことです。それよりも、仏の智慧、仏の慈悲の方向に心を向けて下さい。