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Q&A 151

質問151

浄土宗
浄土宗では、死後の世界、霊魂の存在を認めていますか?
〈回答 151〉 「死後の世界がある」「霊魂は存在する」という宗の公式見解はありません。(同様に、「存在を認めない」ということも聞いたことはないですが)
そこで、一僧侶としての見解を書きます。

浄土宗は「命が終わるとき、六道輪廻を超えて極楽浄土へ往生しましょう。そのために本願のお念仏をとなえましょう」という教えです。従って、ある意味で「死後の世界はある」といえます。死後おもむく先として、さまざまな迷いの世界があり、またさまざまな仏の世界があります。その仏の世界の中のひとつである極楽浄土を選び、そこに往生することを願います。
極楽浄土は仏道を修行・完成するための場所です。我欲を満たしたり、感覚的な悦びにひたるための場所ではありません。「我執にまみれたこの世の延長にある世界」ということでその世界をとらえるならば、随分と見当違いなことになります。
また、臨終時には来迎(らいこう=仏さまのお迎え)がある、という教えですので、来迎の対象となる何かがあるはずです。私たちの意識か、あるいは何らかの心理状態が、お迎えをいただいて死の境を超えて続いていく、ということも認められると思います。
あえて言えば、「菩提心」「極楽往生を願う心」が来迎を頂いて極楽浄土に生まれる、ということになりましょうか。この「願往生心(がんおうじょうしん)」は、アートマンの思想とは無関係です。また、霊能力や心霊現象、霊障とも関係ありません。ですからそれを「霊魂」と呼ぶのはふさわしくないように思います。

まとめますと、
  • 死後の世界はある。ただし、そこにはさまざまな可能性がある中、浄土宗では「極楽浄土」を選び、そこに生まれる(往生する)ことを目的とする。
  • 死の境を超えて継続する意識(心理状態)を認めるが、それを「霊魂」とは呼べない。
一般的に「私たちの中に『霊魂』があって、その霊魂は死後別の世界におもむく」と言うだけですと、そこには浄土宗が説くところの信仰心も、念仏行も見当たりません。そこで、私の中には次のような疑問が生じます。
「その『霊魂』とは何ですか? 今、あなたの中にそれがあるのですか?」

そして実を言いますと、この問いこそが最も重要なものです。
今現在の自分の中に、肉体の死を超えて存続するような何ものかが存在するのだろうか?
「明晰な意識」?「静寂心」?「悟りを求める不動の決意」?「絶対の信心」?「永遠の愛」?…はたして今の自分の中にそれがあるのか…私たちはそれをこそ自問すべきではないでしょうか。
この問いに確たる答えが得られないとき…(ほとんどの方が明解に答えられないと思いますが)そのときに私たちは再び、「『自分は愚者である』と自覚せよ」「他力を頼むべし」という浄土宗の教えのスタート地点に還ってくることになります。

「聖道門の修行は智恵をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まると知るべし」
「われらは信心おろかなるがゆえに、今に生死(迷いの世界)に留まれるなるべし」
「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」
(法然上人)