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Q&A 166

質問166

浄土宗
 極楽浄土について調べますと、「西の方、十万億の仏国土を過ぎた場所で、様々な蓮の花、金銀の宮殿、美しい鳥の声の説法などに満ちた安らぎのあの世の世界」とあります。
それでは、死後に行く所ではなく、今ある現実を清め、浄土にしようと功徳を積む国造りは、極楽浄土といえますでしょうか?
〈回答 166〉 浄土の「浄」を動詞とした場合に、おっしゃるような意味、すなわち「国土を浄める=世界を清浄にする菩薩行」という意味になります。
次に、「浄」を形容詞としてみると、「浄らかな世界」ということになり、「穢土(えど=けがれた世界)」に対する言葉になります。
浄土宗でいう「浄土」は、後者、すなわち「浄」を形容詞とする「浄らかな世界」=西方極楽世界です。したがって「この現実を清め、功徳を積んで国造りを行なってゆく」ことは、もちろん尊い実践ではありますが、浄土宗の「浄土」の本義とは別のものになります。
「かの国に到りおわって六神通を得て、十方界にかえって苦の衆生を救摂せん」(善導大師)
つまり、極楽往生が第一。人々を救おうとするのは、その後のことである——少し奇妙に思われるかもしれませんが、これが浄土宗の考え方です。

では、この世で善行に励むことを否定するのか、というと、決してそうではありません。このあたりが微妙なところです。「微妙」といいますのは、ひとつには浄土宗義の人間観察の深さ(われわれは、いまだ輪廻を脱け出せない罪悪生死の凡夫である)と、もうひとつは、では現実の日々の生活にどういう心構えでのぞんでゆけばよいのか、ということの間に「揺れ」が出てくるからです。
「他人に善を施し、社会を正しい方向に変えていくような力は、迷いの只中にいる自分には到底もち得ない。自分自身ですら自分の力で救うことはできないのだから。」——凡夫であることを自覚し、極楽往生を願ってお念仏をとなえる。そしてまた一方で、阿弥陀さまのみ光に守られながら、誠意と歓びをもってこの世の務めに励んでゆく——それが浄土宗の示す生き方です。