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Q&A 174

質問174

仏教
 現在フランスに在住していて、なかなかお寺にうかがう機会がないものですから、メールにてご連絡させていただきました。実家が浄土宗ということで、浄土宗関連の本を取り寄せたりして仏教に関する勉強を始めています。
最近、「仁義礼智」という言葉に出会ったのですが、仏教的観点からするとどういう意味なのでしょうか? もしかすると、これは熟語ではなく、一つ一つに意味があるのでしょうか? もし後者の場合、それぞれどういう意味になるのでしょうか?
〈回答 174〉 「仁義礼智」は、儒教が説く倫理です。それぞれの言葉に意味があります。
  • 仁:あわれみの心
  • 義:すじみちを通し、悪を恥じて憎む心
  • 礼:譲り合い、他人を尊重する心
  • 智:ものごとの善悪をわきまえ、判断する心
では仏教から見たらどうか、ということですが、以下に私の考えを書きます。
仏教には様々な側面があります。
  • さとりの世界—善悪や浄不浄という二元性を超えた、究極の境地
  • さとりに到るための修行
  • 日常生活上の規範
つまり、清らかで正しい日常生活を送り、心を静めて自分の内側に入ってゆく修行を続けていけば、やがて小さくて固く条件づけられた「自我」がほどけ、広大なさとりの世界が開けてくる、と、言葉で説明するとこうなります。(浄土教—お念仏の世界もこの延長上にあるわけですが、今は触れません。)
仏教から見ますと、仁義礼智は「日常生活上の規範」と共通するところでありましょう。ただし、仏教では執着心やこだわりを嫌い、警戒しますので、時と場合によっては儒教の考え方と対立するかもしれません。

あるいはこうも言えます。真に他人をあわれみ尊重しようと思うなら、自分自身をしばる「条件付け」と向き合う必要がありましょう。つまり「仁」や「礼」に深く入ってゆこうとするならば、それは正しく仏教の修行であるといっても良いかもしれません。
大きなテーマですので、探せば文献や論文などがあるのでしょうが、取り急ぎ上記のようにお答えいたします。

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