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Q&A 180

質問180

浄土宗
 以前浄土宗のポスターで、「愚者の自覚を」という言葉を見ました。愚者の自覚とお念仏の教えと、どう関係するのでしょうか?
〈回答 180〉 「愚者の自覚」とは、自分自身の混乱としっかり向き合うことを意味します。誠実な態度をもって自分自身の内面を見つめたとき、そこには多くの混乱がみえてきます。渇望、虚栄心、恐怖、逃避、競争心、攻撃的な心、自己欺瞞、挫折感、言動の不一致…。これらの煩悩は、尽きることがありません。
「いや、私は今、心静かな状態にある。」
たいへん結構。しかし、その状態はいとも簡単に崩されてしまいます。(かく申す私自身も、ついさきほど、知人が重い病にあると聞き、心乱れているところです。)
仏教は、覚り=目覚めに導く教えです。しかし、煩悩に満ちたこの身体世界とともにある限り、完全な目覚めを得ることは、少なくとも私には無理である──この自覚から、極楽世界を願い求める道が開けてきます。

「浄土宗のこころは、聖道・浄土の二門をたてて、一代の諸教(お釈迦さまが一生の間に残された諸々の教え)をおさむ。
聖道門というは、娑婆の得道(この世で覚りを得る教え)なり。自力断惑・出離生死の教えなるがゆえに、凡夫のために修しがたく、行じがたし。
浄土門というは、極楽の得道(まず極楽に往生し、そこで覚りを得る教え)なり。他力断惑・往生浄土門なるがゆえに、凡夫のためには、修しやすく行じやすし。」

「聖道門の修行は智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まると知るべし。」
(いずれも法然上人)
自分自身の混乱と誠実に向き合った上で、極楽世界を求めてお念仏の道に進めば、そこに混乱のなかの安心、あるいは大いなる安心に包まれたちょっとした混乱、を見いだすことになるでしょう。