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Q&A 181

質問181

浄土宗
 自殺・自死について、御宗・貴庵では、どのようなスタンスをお持ちでしょうか?
近松の心中物などで垣間見えるように、弱い立場の人にとっては、浄土の蓮の上へ赴くことを願って、自ら死を選ぶ行為もギリギリの選択肢の一つ。そういう人たちにとっては、阿弥陀も救済の路を空けている——と本人たちが思い込んでいるような——印象を受けます。
自殺・自死を絶対悪とはせず——もちろん、生き抜くことを勧めながら——救済の路を説く姿勢って、弱い立場の人たちには、最も説得力のあるものだと思います。
現代においても、現代においてこそ。
〈回答 181〉 豊かな感受性と洞察力をお持ちの方と拝察いたします。
私もご意見に同感です。
「自殺・自死を絶対悪とはせず——もちろん、生き抜くことを勧めながら——救済の路を説く姿勢」
それこそ私が大切にしたいと思っているものです。
阿弥陀如来は「摂取不捨」——たとえ自殺、自死であっても阿弥陀さまの救いからもれることは決してない。だが、もしあなたが今、まさに自ら命を縮めようとされているなら、ちょっと待って欲しい、本当にそれしか選択肢がないのか、ひと息入れて、私と一緒にもう一度状況に向き合ってみませんか——それが私の取りたいと願うスタンスです。

私自身が「自殺・自死は絶対悪」と決めつけてしまったら、それは目の前の「苦しくて死にたくなるほどの気持ち」から目をそらし、それをさらに追いつめてしまうことになるでしょう。さらにもう一つ重要なこと——すでに自ら命を縮められた方のご遺族との接点も持てなくなるでしょう。
もちろん「自殺・自死」を肯定するわけではありません。が、その地点まで追いつめられてしまった一連の複雑なプロセスに対して、離れた距離から「肯定」「否定」「善」「悪」とレッテルを貼りつけるような態度は取りたくありません。

人の生命や心の動きについて私が理解していることは、ほんのちっぽけな欠片に過ぎません。広大な未知の領域が内外、四方八方に広がっています。何が善いとか悪いとか、一般論で一括りにすることはあまり意味のないこと——自分自身や目の前の人のせっぱつまった状況に直面したとき、私が大切にし、また頼りに出来るのは何かといえば、「摂取不捨」——仏の言葉、先達の助言、それに瞬間瞬間の自身の内的な感覚だけです。
参 考■ 自殺・自死については、過去に下記のリンク先でも言及しておりますので、よろしかったらご覧下さい。
Q&A22「自死された方の往生について、どう考えますか?」
コラム「いわゆる『自殺』について」