仏教・仏事 Q & A [No. 1 〜 No. 20]

(2002年10月頃までの分)

目 次 (新着順)

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番 号 質 問 内 容 分 類
質問 20
宗教は危険なものではありませんか?
仏教
質問 19
「信仰」というものが今ひとつよくわからないのですが...。
仏教
質問 18
お焼香は何回すればいいのですか?
仏事一般
質問 17
数珠(じゅず)の意味を教えて下さい。
仏事一般
質問 16
合掌にも決まったやり方があるのでしょうか?
仏事一般
質問 15
宗教は、生きていく力が弱い人が頼るものだと思います。どうでしょうか?
仏教
質問 14
同じ仏教なのに、なぜたくさんの宗派があるのですか。素人にはとても分かりにくいのですが。
仏教
質問 13
浄土宗の木魚の叩き方は独特だと聞きましたが、どんな叩き方をするんですか?
浄土宗
質問 12
塔婆(とうば)にはどういう意味があるのですか?
仏事一般
質問 11
念仏の称(とな)え方を教えて下さい。
浄土宗
質問 10
浄土宗の教えを簡単に教えて下さい。
浄土宗
質問 9
法事というのは、やらなくてはいけないものですか?
(附:お布施の金額はいくら?)
仏事一般
質問 8
お盆の日程は、正確にはいつからいつまでですか?
仏事一般
質問 7
お坊さんは、肉を食べてはいけないとか、食事の制限があるのですか?
仏教
質問 6
修行は大変ですか?
浄土宗
質問 5
どうすればお坊さんになれますか?
浄土宗
質問 4
最近、娘を亡くしました。娘の親友が「お供えして欲しい」と、娘が好きだったバラの花束を持ってお参りに来て下さいました。仏さまにバラの花をお供えしてはいけない、という話を聞いたことがあるのですが、どうすればよいでしょうか?
仏事一般
質問 3
キリスト教やイスラム教には生活規範のようなものがはっきり説かれているようですが、仏教にはないのでしょうか?
仏教
質問 2
浄土宗の本山はどこですか?
浄土宗
質問 1
浄土宗と浄土真宗はどう違うんですか?
浄土宗



 一気読みコーナー 
※番号の逆順になっています(若いものほど下)



質問 20
宗教は危険なものではありませんか?
〈回答 20〉 ある意味では危険なものです。知らずしらずのうちに極端な方向へ行ってしまう、ということは十分にあり得ます。また今は伝統教団といわれるような歴史を持った宗派であっても、過去に社会との摩擦を経験していない教団はほとんどないでしょう。
 また、(伝統教団ではあまり心配ありませんが)宗教に関わることによってあなた自身が深く傷ついたり、家族を苦しめたり、ということも十分あり得ます。
 しかし「危険だから」といって距離を置いてしまうと、人生最高の宝を取り逃がすことになります。
 「受けがたき人身を受けて、あいがたき本願にあいて、発(おこ)しがたき道心を発して、離れがたき輪廻(りんね)の里を離れて、生まれがたき浄土に往生せんこと、悦びの中の悦びなり。(法然上人)」
 そして大切なことは、「自分は素晴らしい信仰をもっている、自分は(信仰をもたない人よりも)優れている」と思わないことです。ここが危険なところです。宗教的な生活と、周囲の人々への思いやりは両立できます。人生の渦中にある人々への敬意と思いやりを心がける——そのときあなたは極端な方向へ進むことなく、宗教を通して成長し、実生活でも平和と充実感を得ることができるでしょう。

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質問 19
「信仰」というものが今ひとつよくわからないのですが...。
〈回答 19〉 何かを信じる、というのはどういうことでしょうね。
 第一に、直接目に入るもの、耳に入るもの——これらには「確かに見た」「確かに聞いた」という確信をもてるでしょう。他の人には違ったように見えたり、違ったように聞こえたりする場合もあるかもしれません。しかしそのようなときにも、「私はこのように見た」とか、「確かにこう聞いた」と言えますね。見るとか聞くとか以外にも、たとえば蚊に刺された... かゆい、ということは客観的に証明するのは難しいかもしれません。しかし、当人にとっては明らかなことです。「おなかが空いた」「悲しい」「楽しい」... このように、直接自分で体験したことについては、私たちは明らかな感じ——確信をもちます。
 第二に、私たちは、客観的に推論されたこと——妥当と思われる推論にも確信と呼んでよい感覚を抱きます。たとえば、1000+2000=3000。私たちは1000という数や2000という数を「1,2,3,4,...,1000」というふうに指を折って数えなくても、「分かっている」という感じをもっています。1000と2000を加えると3000になる。私たちは算数の教育を受けて身につけているので、なぜ?という疑いを持ちません。あるいは毎日の新聞やテレビの報道——たとえ自分が直接見聞きした実体験でなくても、私たちはそれを信じます。まさかありもしないことを報道するはずがない、と私たちは思っています。これが二番目。直接体験したことではないが、そう推論できることに私たちは確信をもちます。
 そして第三は、心から尊敬できる人が、その体験から語った言葉です。あなたは「この人は自分を遥かに超えている」と思えるような人、しかも自分にとってこの世ならぬ魅力をもった人に出会ったことがあるでしょうか。そして、そのような人が「わたしはこう経験した」「わたしはこう思う」と語ったとします。その言葉を私たちはどう受け取るでしょうか。
 たとえその人が語ったことが私たち自身の直接体験でなくても、またその内容が私たちの日常的な感覚で推論できるようなことでなくても、私たちはその人の言葉に信頼感をもちます。今の自分にはそれを直接体験する力はないが、そこには何らかの真実がある。あるいはその言葉を聞くと、何か解き放たれたような感じがする、とか、自分が受け入れられた感じがする... そうした感覚です。私たちは、その方が語った言葉を信じます。
 宗教の信仰の基礎には、そのような感覚があります。この感覚が深く掘り下げられ、確信と呼べるまでに育つには、さらにプロセスがあることでしょう。しかし出発点は、心から尊敬できる人の言うことを聞いて生じる、この素朴な感動にあります。

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質問 18
お焼香は何回すればいいのですか?
〈回答 18〉 お焼香のしかたは宗派によって違います。どうちがうか。
  1. 回数
  2. つまんだお香を軽くおし戴いてから香炉にくべるか、そうせずにそのままくべるか。
 まず回数については、浄土宗は一回〜三回、いずれでも結構です。大勢の人数で焼香するときは、心をこめて一回、でいいでしょう。
(浄土真宗本願寺派は一回、浄土真宗大谷派二回、曹洞宗二回、臨済宗一回、真言宗三回、天台宗一回〜三回、日蓮宗一回〜三回、と聞きました。いろいろですね。)
 そして浄土宗では、右手指でお香をつまみ、そのまま手を返して(手の平が上を向く)左手を添える形で、軽く額のあたりにおし戴いてから、香炉にくべます。三回焼香するのであれば、同じ所作を三回繰り返します。
 初めから流れを説明しますと、
  1. 導師に合掌、礼をする
  2. 香炉の前に進み、(合掌したまま)一礼
  3. 焼香(一回〜三回)
  4. 合掌、礼(心をこめて)
  5. 導師に合掌、一礼して席に戻る
 言葉でご説明すると難しいようですが、何度かやってみれば、すぐにお分かり頂けると思います。
 質問16の回答でもお伝えしましたが、形だけで終ってしまっては意味がありません。形に少し慣れておいて、それから心をこめて——形と一致した心でもって香煙を献ずる... それが大切です。

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質問 17
数珠(じゅず)の意味を教えて下さい。
〈回答 17〉 数珠は念珠(ねんじゅ)ともいい、お念仏の数を数えるためのものです。浄土宗では独特の二連の数珠を使います。これは二つの数珠を一つに組み合わせた形。もしあなたが浄土宗であって、これからお数珠を求められるのであれば、この二連の数珠をお勧めします。
 数珠を二連にしますと、数をたくさん数えられます。お念仏しながら片方の粒を一つずつ繰り、一周したところで、もう片方の粒を一つずらします。このようにして、「三万繰りの数珠」「六万繰りの数珠」というふうに、数をたくさん数えられるようになっているわけです。
 合掌するときは、数珠を二連とも両手親指にかけ、房を手前(手と胸の間)に垂らすようにします。合掌したり、数珠を繰っている以外のときは、二連とも左手首にかけておきます。
 浄土宗を開かれた法然上人は、「念仏せんには、必ず念珠を持たずとも、苦しかるまじく候うか。」との問いにたいし、次のように答えておられます。
 「必ず念珠を持つべきなり。世間の歌を歌い、舞いを舞うすらその拍子に従うなり。念珠をはかせにて、舌と手とを動かすなり。」
 数珠(念珠)を繰りながら、そのリズムとともにお念仏をとなえなさい、との教えです。

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質問 16
合掌にも決まったやり方があるのでしょうか?
〈回答 16〉 理想的な合掌は、「宗教的な感情が胸いっぱいに満ちあふれ、しらずしらずのうちに両手が合わさっていた」という合掌です。このような合掌は形式を超えています。単なる手の形、というのでなく、むしろその人の存在全体、身も心もすべて——その隅々までがすべて合掌している、それが手の形にも表れている——そのような合掌です。
 しかし、(大方は)そこまでいかぬ私たちには、形がとても役に立ちます。
 心の状態は身体的な姿勢と深く関わっています。例えば、心が卑屈になると身体も縮こまって小さくなる。心が晴れ晴れとしていれば、背筋が伸びて身体が大きく広がったようになる。隣に座っている人に好感を持っているときと、反感を持っているときとでは、あなたの姿勢はまったく違います。顔の表情も、身体の姿勢の一部です。あなたの心の状態は、顔の筋肉の動きにみごとに表れています。
 そして... 逆も成り立ちます。身体がある姿勢を取ると、心もそれに応じた状態になりやすくなる。合掌をすると、心にも敬虔な感じや、祈り、感謝といった感情が生じる。頭を下げると、心もそれに応じて変化する。「合掌しながら怒ることはできない」といわれます。その通りですね。
 ですから、合掌をする習慣をつける、ということは、手を合わせる心を知る、ということにつながるとても大事なことなのです。形を身につけることによって、心を豊かにすることができる、といってもいいでしょう。
 では、決まったやり方があるのか。
 浄土宗の場合、宗訂といって宗で決められたやり方があります。私たち僧侶はそれを学びます。一般の皆さん方が厳密になる必要は全くありませんが、難しくはないので、ご参考までにご紹介します。
 両手の指を、それぞれすべてまっすぐ揃えてつけます。そして両手の手のひら、指をぴったりと合わせ、胸のあたりに保ちます。手の角度は横から見て45度くらい——僧侶たちはこのように指導を受けます。試してみて下さい。

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質問 15
宗教は、生きていく力が弱い人が頼るものだと思います。どうでしょうか?
〈回答 15〉 イエス&ノーです。
 イエス——生きていく中で苦しいこと、辛いことがあり、何かに頼りたい、すがりたいと思う人が、宗教に入信することはあり得ます。そして、あなたは「自分は強く生きているから、そういう人とは違う」と思っておられるのかもしれませんね。それはそれで結構なことだと思います。ただ、あなたのように強く生きられない人がいるならば、そういう人たちにもあなたなりの優しいまなざしを向けて差し上げて下さい。
 そしてノー。新しく信仰に入るには、大いなる決断が必要です。また伝統的な教えを守ってゆくということも、強い信念がなければかないません。わたしの経験では、強い信仰を持っている人ほど、生きていくうえでの人間的な強さを持っています。
 宗教に関わっている人も、さまざまです。先入観から眺めずに、新鮮な観点を持って下さったらいいな、と思います。

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質問 14
同じ仏教なのに、なぜたくさんの宗派があるのですか。素人にはとても分かりにくいのですが。
〈回答 14〉 僧侶にとっても難しいことです。
 あなたはたとえば血液型とか、星占い(動物占い、というのもありましたね)、ユングの性格分類、エニアグラムなど、興味を持たれたことがありますか。いろいろな見方があるようですが、人にはさまざまのタイプがある、ということだけは確かなようです。さまざまなタイプがあるということは、さまざまなタイプの「とらわれ」がある、ということでもあります。
 仏教は、「応病与薬(おうびょうよやく)」——病に応じて薬を与える——の教えといわれます。お釈迦さまは、人々の状態、理解力などに応じて、さまざまな教えを残されました。その中で、「ああ、この教えは自分に合っている」「この教えによって自分は救われた」というものが、人によって違ってくるのは、自然なこと... 多くの宗派が生まれた一因は、こうした素朴なところにあります。また、昔は今のように通信網が発達していませんでしたから、地域や文化によって微妙な違いが生まれたということもありましょう。
 これからもう少し分かりやすく「宗派」を説明していくのは、われわれ僧侶の務めだと思っています。

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質問 13
浄土宗の木魚の叩き方は独特だと聞きましたが、どんな叩き方をするんですか?
〈回答 13〉 そう、おっしゃるとおり独特です。合間打ち、裏拍子といわれる独特の叩き方をします。
 たとえば念仏一会(「ナムアミダブ」を繰り返して称える)のときは、

       ▼     ▼     ▼     ▼     ▼     ▼
    「ナ ー ム ア ー ミ ダ ー ブ ナ ー ム ア ー ミ ダ ー ブ」

という具合に、音と音の間、長音のところで木魚を叩きます。慣れるまでは少し練習を要します。音楽好きな人には、「スカとかレゲエのようなリズムだよ」といった方が分かりやすいかもしれません。

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質問 12
塔婆(とうば)にはどういう意味があるのですか?
〈回答 12〉 お釈迦さまが亡くなられた後、弟子たちはその遺骨を分骨しました。そして仏塔を建てて遺骨を納め、礼拝の対象にします。この塔(ストゥーパ)は、やがて三重、五重などの形になっていきます。日本では「ストゥーパ」が「卒塔婆(そとうば)」と呼ばれ、五重の塔や五輪塔の墓標、板塔婆が作られるようになりました。「塔婆」「卒塔婆」といえば、今はこの板塔婆を指すことが多く、故人の追善供養のために建てられます。ご法事のときに建てる卒塔婆のルーツは、お釈迦さまの遺骨を供養した故事にさかのぼるというわけです。
板塔婆には、刻みが入っていて、下から地・水・火・風・空(万物を構成する五大要素)を表わします。

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質問 11
念仏の称(とな)え方を教えて下さい。
〈回答 11〉 主な称え方は二通りです。
 まず、「十念」といって、十回のお念仏を称える方法です。
 初めに、「ナムアミダブ」と八回称えます。
「ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ
ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ」
 ここで息継ぎをして、一回だけ「ナムアミダブツ」と、「ツ」を加えます。
 十回目は「ナームアミダブー」と、ゆっくりめに称えて終ります。初めの八回で息が続かないときは、四回、四回と区切って息継ぎをします。
 これが十念です。

 次に念仏一会(ねんぶついちえ)といって、数をたくさん重ねて称える方法です。
 「ナームアーミダーブナームアーミダーブナームアーミダーブナームアーミダーブ... ...」
と、木魚に合わせて(木魚があれば、ですが)リズミカルに称えます。ではどのくらい称えるか——全体の数を決めたり、時間を決めておいたほうがやりやすいでしょう。たとえば朝三百回、夕に二百回。あるいは朝夕五分間ずつでも結構なことです。十分間ずつならなお結構。日々の継続が大事です。
 そしてお念仏は、真実の心で称えよ、深く信ずる心で称えよ、そして強く極楽往生を願う心で称えよ、と教えられています。
 十念、念仏一会ともに、すぐに慣れて簡単にできます。簡単にでき、しかもそこには「万徳所帰」といって、すべての徳が含まれています。思い立ったが吉日、朝夕の十念からでもいいですから、早速はじめてみましょう。

★近いうちに実際のお念仏の音声をお聞かせできるように準備中です。ご期待下さい!

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質問 10
浄土宗の教えを簡単に教えて下さい。
〈回答 10〉 宗祖法然上人(1133〜1212年)の教えに従い、
  • 阿弥陀仏(あみだぶつ)の仏国土である極楽浄土へ往生することを願います。
 そのために、
  • 阿弥陀仏に帰依し、そのお導きの力を信じます。
  • 往生のための行(ぎょう)として、お念仏(ナムアミダブツ)を称(とな)えます。
 阿弥陀仏は、「わたしの名を称える(念仏する)ものは、みな必ず極楽浄土へ救いとる」と誓って仏になられた方です。一部の出家者だけでなく、誰でも、いつでも、どこでもできるお念仏——この簡単な行を通して極楽に往生する以外、すべての人が救われる道はない、ということで、この教えが開かれました(1175年)。
『浄土宗 檀信徒しおり』にはこうあります。
「阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、『南無阿弥陀仏』とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。」

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質問 9
法事というのは、やらなくてはいけないものですか?
(附:お布施の金額はいくら?)
〈回答 9〉 えー... どうでしょうか。こういうご質問をいただくについては、何らかの背景があるのではないかと思うのですが...。
 仏教的にいえば、ご法事をお勤めいただくことは何よりの功徳であり、ご先祖への孝行でもあります。
 また、皆さんの立場にたっても、
  • 日常味わえない宗教的な場に身を置くことができ、清められた感じがする
  • ご法事の場の中で、ご先祖を偲ぶことができる
  • 何か、善いことができたなあ、という感じがする
  • 久しぶりに親戚の人たちと、故人の想い出を分かち合ったり、近況を報告し合ったりして、 親しく語らう場を持つことができる
等々、大きなプラスがあると思います。
 一方、ご法事をためらう理由としては、
  • 親戚をおもてなししたり、お寺への気遣いが負担である
  • お布施など、経済的に負担
  • 顔を合わせたくない親戚がいる
  • ご法事を行なうについて、家族間、兄弟姉妹間の意見調整が大変
などが考えられます。
 これらについて、あまり立ち入ったことは申し上げられませんが、ご法事は数年に一度の機会、残された者の務めとして是非ともお勤めいただきたいと思います。
 「お布施はいくらすればよいですか」というご質問もよく受けます。お布施は、何かサービスへの対価ということではありませんので、相場というものはありません。また「いくらしたから堂々と胸を張れる」とか「いくらしかできないから肩身が狭い」というものでもありません。お宅お宅によって、経済的ご事情も違いますし、仏教やお寺への思いも違うと思います。ご負担になりすぎない範囲でお考えいただければ結構でしょう。
 ただ、中にはお寺の方から金額を言われる場合もありますので、もしご心配なら「○○円くらいで考えておりますが宜しいでしょうか」などと、ざっくばらんにお寺に尋ねてご覧になるのもよいでしょう。

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質問 8
お盆の日程は、正確にはいつからいつまでですか?
〈回答 8〉 東京の場合、
  1. 7月13日〜15日の三日間
  2. 7月13日〜16日の四日間
というケースが多いでしょう。東京以外では、8月の13日〜15日乃至16日という地域がほとんど。東京でも8月(「月遅れ」)のお盆、というところもあります。13日〜15日とは、迎え火を13日の夕方に焚き、送り火を15日に焚くということです。
 また、8月11日〜16日という地域や、旧暦7月15日の頃行なう地域、農閑期にずらして行なう地域もあります。東京以外で7月盆を行なうところもあるそうです。
 このように、お盆の期間には、第一に地域差があるということ、第二に(東京のように全国から人が集まっている場所では特に)家によっても差があります。ですからどれが正解、ということではありません。
 経典を見ますと、期日について書かれているのは「7月15日に供養せよ」ということだけ。日本では、それに3日間とか4日間とか、幅をもって行なっているわけです。
 この件について、ご意見、情報があればお寄せ下さい。

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質問 7
お坊さんは、肉を食べてはいけないとか、食事の制限があるのですか?
〈回答 7〉 ふだんはありません。各自の判断によっています。もちろん、菜食を守っている方もいます。
 私の場合は、奇妙に思われるかもしれませんが、僧階を取って教師(お坊さん)になってからの方が会食の機会が増え、肉やお酒を口にするようになりました。

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質問 6
修行は大変ですか?
〈回答 6〉 浄土宗は、修行を積み、自分を高めていきましょう、という宗派ではありません。そうではなく、仏さまのお名前を呼び、そのお導きの力におすがりしましょう、という信仰の宗派です。ですから、長時間座禅を組んだり、冷水をかぶったり、滝に打たれたり、火の上を歩いたり、というような修行は行ないません。肉体的に大変なのは、礼拝(五体投地)を繰り返すことや、講義や法要中、長時間の正座に堪えること、そのくらいだと思います。
 肉体的に大変、というよりも、信仰を深めていく、おのれの信仰を問うてゆくことのほうが大変かもしれません。

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質問 5
どうすればお坊さんになれますか?
〈回答 5〉 浄土宗の場合でお答えします。浄土宗では、僧侶には三者(宗徒・助教師・教師)があります。ふつう、「お坊さん」と呼ばれている人はこの中の「教師」です。
 ではどうすれば「教師」になれるのか。決められた段階があります。
  1. 師僧(しそう)を決める。(浄土宗教師の資格があれば誰でも師僧になれます。)
  2. 得度(とくど)する。
  3. 度牒(どちょう——得度した証明書)を受け、僧籍登録する。
  4. 教師養成機関で所定の科目を修得し、教師検定に合格する。
      ※教師養成機関にはいくつかの種類があります。
  5. 伝宗伝戒道場(毎年十二月、三週間行われる)に入る。
  6. 宗務庁に僧階叙任の申請を行ない、僧階を受ける。
というわけで、初めての方には何のことやらお分かりにならないかもしれません。まず、身近な僧侶の方に相談してごらんになることです。「何のために浄土宗教師になりたいのか」「教師になったあと、どうしたいのか」というようなことについて、お考えをはっきりさせておくことが必要です。

H19.8.1 追記:この質問に関連して、「僧侶になりたい、あるいは僧侶になるにはどうすればよいか、とお考えの方へ」というページを新設しました。こちらもご覧下さい)

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質問 4
最近、娘を亡くしました。娘の親友が「お供えして欲しい」と、娘が好きだったバラの花束を持ってお参りに来て下さいました。仏さまにバラの花をお供えしてはいけない、という話を聞いたことがあるのですが、どうすればよいでしょうか?
〈回答 4〉 昔から仏さまには「毒のある花」「いやな臭いのある花」「トゲのある花」は供えてはならないことになっています(ただし、樒(しきみ)は毒をもっていますが極楽に咲く青蓮華の代わりとして例外的に供えられます)。
 バラにはトゲがあるので、供花としては(原則としては)適当ではありません。
 もし、これから供花をお求めになる、というのであればバラは避けたほうがよいでしょう。しかし、すでにお持ちになった、というのであれば、そのお友達の気持ちを生かしてあげることも大切です。柔軟に考えられても宜しいのではないでしょうか。

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質問 3
キリスト教やイスラム教には生活規範のようなものがはっきり説かれているようですが、仏教にはないのでしょうか?
〈回答 3〉 あります。たくさんの教えがありますが、簡潔に言うと、「心を静かに保ち、正しい生活をしなさい」ということです。
「『心を静かに』は何となく分かるけど、『正しい生活』って何? 正しいってどういうこと?」
 正しい生活とは、「根本的な悩み苦しみから、自分を解き放ってゆくような生きかた」であり、正しくない生活とはその反対、つまり「自分の悩み苦しみを深めてしまうような生きかた」です。
 例えば不殺生——生きものを殺してはいけない、傷つけてはいけない、という教えがあります。これは、単なる道徳的な教えではなく、生きものや他人を傷つけると、それが自分の心を傷つけ、束縛を強めることにつながる——だから止めなさい、ということなのです。
 外から見たところ同じ行為であっても、その行為をした人の動機や目的、やりかた、他者への配慮があったかどうか、などによって、あるときは正しかったり、またあるときは正しくなかったりしますよね? 微妙なところです。
 一方、正しい生きかたを追求するあまり、神経質になりすぎたり、「自分は正しい。他の人は間違っている」ということになってしまうのも困りものでしょう。
 浄土宗の法然上人の教えはどうかというと、
「われわれ凡人には、正しい生活をおくることも、心の安定を保つことも、智慧を得ることも難しい。だから、念仏中心の生活をしましょう。自分の力で解脱に至るのではなく、仏に導いていただきましょう。」
 永年にわたる厳しい自己反省の中から、このような教えを説かれています。
 ですからわたしたち浄土宗信者の生活規範とは、ナムアミダブツとお称(とな)えする——お念仏を中心とする生活をおくることです。えっ、それも難しい? できるところから少しずつやってみてはいかがでしょうか?

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質問 2
浄土宗の本山はどこですか?
〈回答 2〉 浄土宗の本山は沢山あります。
 まず総本山が一つ。知恩院(京都市東山区)です。
 そして大本山が七つ。
  1. 増上寺(東京都港区)
  2. 金戒光明寺(京都市左京区)
  3. 知恩寺(百万遍—京都市左京区)
  4. 清浄華院(京都市上京区)
  5. 善導寺(久留米市善導寺町)
  6. 光明寺(鎌倉市材木座)
  7. 善光寺大本願(長野市元善町)
です。
 このほかにも、本山、特別寺院といった寺院があります。
 ちょっとややこしいかもしれませんね。実質的には、西の知恩院と東の増上寺が中心となっています。

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質問 1
浄土宗と浄土真宗はどう違うんですか?
〈回答 1〉 浄土宗の開祖は法然上人(1133年—1212年)です。法然上人にはたくさんのお弟子がおられました。その中の、聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)の流れが現在の浄土宗です。対して浄土真宗は、同じく法然上人のお弟子の内、親鸞聖人の流れ。教団としては別々に展開してきました。
 浄土宗と浄土真宗では、教義やお勤め、供養に対する考え方など、微妙に違います。しかし親鸞聖人は、師である法然上人の教えを忠実に継承しているという自覚をお持ちでした。従って別の宗派を興す意図はお持ちでなかったと思います。
 阿弥陀仏の救済力(本願力)を信じてお念仏——ナムアミダブツをお称えする、という基本は同じです。

(追記:関連の記載がQ&A 642004年3月コラム「歎異抄のこと」にもあります。どうぞご覧ください)

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