仏教・仏事 Q & A [No. 21 〜 No. 40]

(2002年2月2日までの分)

目 次 (新着順)

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番 号 質 問 内 容 分 類
質問 40
仏教ではなぜ「人生の実相は苦である」と説いているのでしょうか?
仏教
質問 39
僧侶になられて一番辛かったことは何ですか?
庵主のこと
質問 38
僧侶になられて一番嬉しかったことはどんなことですか?
庵主のこと
質問 37
仏さまに恋愛成就をお祈りしても構わないでしょうか?
仏教
質問 36
仏教にはクリスマスみたいなお祝いはないんですか?
仏教
質問 35
わが家の宗派は浄土宗ですが、ふだん我流で「般若心経」をよんでいます。できれば、きちんとしたかたちで仏壇に手を合わせたいと思っています。浄土宗にのっとってしたほうがよいのか、「般若心経」をお上げしてもよいのか、教えていただけますでしょうか?
浄土宗
質問 34
夫の実家は浄土宗で、うちにも浄土宗の仏壇を置きました。主人の亡き祖父は、お不動様を熱心に信仰しており、うちでも不動明王の絵を仏壇の上方の壁にかけてお祀りしています。阿弥陀如来の上に不動明王を祀っても構わないのでしょうか?
浄土宗
質問 33
過去帳を新しく作ろうと思います。西暦で作っても構わないでしょうか。何回忌、というのもその方が数えやすいですし、子供たちにも西暦の方が馴染みやすいと思います。
仏教
質問 32
家の宗派は浄土宗です。私は瀬戸内寂聴さんが好きで、浄土宗よりも天台宗に親近感を持っています。自分はそれで構わないと思っているのですが、何か不都合があるでしょうか?
仏教
質問 31
飼っていた犬が死んでしまいました。ペット霊園に納骨し、合同供養にも出席しているのですが、なかなか立ち直れません。動物でも仏教的に救われるのでしょうか?
一般の相談
質問 30
友人からある新興宗教を勧められています。私は自分に自信がありません。入信したらもっと自信がもてるようになるのかな、と思う一方、少し怖い感じもあって、迷っています...
一般の相談
質問 29
仏教にはキリスト教の洗礼のようなものはありますか?
仏教
質問 28
自営業の者です。以前は仕事の質を高め、広げていくことに力を注いでおりました。一方、最近は資金のやりくりのことばかり考えています。仕事の規模は当初に比べて大きくなったのですが、精神的に非常に貧しくなってしまった感じがして、このままでよいのか、と思っています...
一般の相談
質問 27
「他力本願」と聞くと、何か無責任なような気がするのですが...
浄土宗
質問 26
笠原さんはお寺の出身ですか?
庵主のこと
質問 25
うちは浄土宗で、阿弥陀さまを祀った仏壇があります。家内の実家は日蓮宗。先般家内の母が亡くなり、一人っ子の家内は亡母を含む実家の先祖の位牌をもって帰ってきました。うちにある浄土宗の仏壇に祀っても構わないでしょうか?
仏事一般
質問 24
電話相談員をしていらっしゃるということですが、どういう相談を受けているのですか?
庵主のこと
質問 23
仏壇を置こうと思うのですが、注意点を教えて下さい。
仏事一般
質問 22
自死された方の往生について、どう考えますか?
浄土宗
質問 21
伝統的な仏教が「葬式仏教」と批判的に呼ばれているのをどう思いますか?
仏教



 一気読みコーナー 
※番号の逆順になっています(若いものほど下)



質問 40
仏教ではなぜ「人生の実相は苦である」と説いているのでしょうか?
〈回答 40〉 「苦」は、仏教の教えの出発点です。四門出遊の話をご存じでしょうか。お釈迦さまが出家される前、東南西北四つの城門の外でそれぞれ老人・病人・死人・沙門を見かけ、出家へと心惹かれるようになった、というあの話です。
 人は、その生涯がどんなに華やかで栄光に満ちていようとも、やがては老い、病気になり、死んでゆく。それは苦しみそのものである。身体的、心理的な苦しみはもちろんのこと、つかの間の楽しみも、それが失われるときには苦に転ずる。ものごとは常に流れ動いている(無常)から、生は本質的に不安定なものである。よって「人生の実相は苦である。」
「では、その『苦』を乗り越えることができるのか。」...「できる、我執を離れることによって。」
「ではどうすれば我執を離れることができるのか。」...「さまざまな方法によって。」
 そこから多くの修行法、教え、宗派が生まれてきた——と、私は仏教をそのように理解しています。
 ですから、お釈迦さまが「苦」を説かれたのは、何も人を悲観的な気分にさせるのが目的ではありません。人々がおのれの人生の現実を直視し、そこから成長するのを促すためです。ご自身が体験された「悟り」は苦の超克でもありました。

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質問 39
僧侶になられて一番辛かったことは何ですか?
〈回答 39〉 辛かったことはほとんどありませんが、強いていえば、僧侶の不祥事や寺院の醜聞が報道されたとき... でしょうか。そうしたとき僧服を着て電車に乗っていますと、何となく他の乗客の視線を感じる... ような気がしてしまいます。不祥事を起こした僧侶や寺院の檀家・信徒さんはもっと深く傷つく思いをされることでしょう。同じ僧侶として責任を感じますが、かといって私が謝る立場でもないので、とても複雑な感じがしてしまいます。
 多くの人と関わり、またその方々の心、信仰に触れる活動ですから、責任は重いです。

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質問 38
僧侶になられて一番嬉しかったことはどんなことですか?
〈回答 38〉 いろいろありますが、一所懸命お勤めしたご葬儀が終わり、遺族の方に「おかげさまで故人も極楽に往けたと思います」と感謝の言葉を頂戴したとき... これに優る嬉しさ(ありがたさ、の方が近い感じです)はありません。
 ご葬儀は、大変神経を使う場でありますし、悲しく、胸の痛む思いもします。同時にそこには何というか、あふれんばかりの真実があります。そうした場に僧侶として精一杯関わるわけです。もちろん故人を導くのは仏ご自身であって、私は教えをお伝えしてお送りするだけなのですが、先のような言葉を頂戴すると、しみじみありがたさを感じます。

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質問 37
仏さまに恋愛成就をお祈りしても構わないでしょうか?
〈回答 37〉 私どもが受けた教えによりますと、
「妻子も従類も、自身助けられて念仏申さんためなり。念仏の障りになるべくば、ゆめゆめもつべからず... 自身安穏にして、念仏往生を遂げんがためには、何ごともみな念仏の助業なり」
 つまり、念仏中心の生活を送ることが第一であるので、その助けになるのであれば恋愛、結婚も構わない。もし念仏の妨げになるのであれば、恋愛も結婚もいけません——これが法然上人の教えです。もしあなたがすでに念仏信仰に入っておられるならば、このお言葉をじっくり味わっていただきたいと思います。
 もしあなたが念仏信仰にまだあまり馴染んでおられないならば... こうお伝えしましょう。あなたの愛の対象が何であれ、その愛があなたの自我を超えて広がってゆくならば、それは宗教心の萌芽... 仏の世界に通ずるものだ、と。
 古来、恋愛関係や肉体関係を禁じ、欲望を断じて自覚を研ぎ澄ましてゆくという修行があり、それが出家の本道でもありました。また一方、恋愛や結婚を否定せずに、(出家生活からみて)世俗的な生活の中で初めて起こってくる苦悩、気づきを大切にする修行もあります。そこでは恋愛は、あなたをかき乱す「敵」ではなく、あなたを成長に導いてくれる「導師」といってよいでしょう。他者との一体感の中で体験する歓び——エゴを明け渡す歓びには、宗教と相通ずるものがあります。恋愛を宗教体験にまで昇華させることは可能です。
 ですから大切なのは、その関係性の中で自我を超えた広がりを体験できるか、ということだと思います。それは相手を独占したいとか、相手に自分の思い通りに振る舞って欲しい、というエゴの願いとは無関係です。心から相手の幸福を願うこと、相手の自由を尊重すること、またそのような体験をさせてくれた出会いに感謝を捧げることでもあります。
 こうした祈りであれば、仏さまは悦んで受けとめ、温かく見守って下さるでしょう。

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質問 36
仏教にはクリスマスみたいなお祝いはないんですか?
〈回答 36〉 ありますよ。4月8日、お釈迦さまの誕生を祝う「花祭り」がそれです。
 伝えられるところによれば、お釈迦さまは紀元前5世紀、中インドは釈迦族の王スッドーダナと、その妃マーヤー夫人の間に生まれました。マーヤー夫人は結婚後ながく子に恵まれませんでした。二十数年経ったある晩、白い象が右脇から胎内に入る夢を見て、懐妊されました。
 やがて臨月が近づき、当時の習慣にしたがって妃は生家に帰ろうとしました。その帰途、ルンビニー園とよばれるところで休息をとります。
 春の陽はうららかに、美しく咲きほこる花の一枝を折ろうとしたとき、妃はにわかに産気づき、男の子を生みました。こうして生まれた王子がのちのお釈迦さまです。
 このとき、竜王が天から現われ香湯をそそぎ、王子の身体を洗浴した、と伝えられます。
 「花祭り」では、この話から、いろいろな草花で飾った花御堂(はなみどう)をつくって、そのなかに安置した小さなお仏像(誕生仏)にひしゃくで甘茶を注ぐ行事が行われます。
 「花祭り」は「潅仏会(かんぶつえ)」「降誕会(ごうたんえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」ともよばれており、仏教寺院であれば宗派に関わらず、広く行なわれています。(当庵でもいずれ行ないたいと思っています。)
 クリスマスはレストランでカレシ/カノジョとワインでディナー、も結構ですが、花祭りはお寺で甘茶に幕の内弁当、というのはいかがでしょう?

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質問 35
わが家の宗派は浄土宗ですが、ふだん我流で「般若心経」をよんでいます。できれば、きちんとしたかたちで仏壇に手を合わせたいと思っています。浄土宗にのっとってしたほうがよいのか、「般若心経」をお上げしてもよいのか、教えていただけますでしょうか?
〈回答 35〉 「我流で」とおっしゃいますが、『般若心経』をあげておられる由、尊いことだと思います。
 せっかくお尋ね下さったので、浄土宗の作法(おつとめ)のことについて書きます。浄土宗では「なむあみだぶつ」とお念仏をおとなえすることを基本にしています。「なむ」はインドの言葉で「帰依いたします」という意味です。「あみだぶつ」は浄土宗のご本尊。仏教にはお釈迦さまはじめ、大日如来、薬師如来、多宝如来などたくさんの仏さま方がおられます。そのなかで、浄土宗では阿弥陀仏を選び、帰依いたします。
その理由は、お釈迦さまの沢山の教えの中にこういう教えがあるからです。
「ここよりはるか西方に、『極楽』と呼ばれる仏国土がある。かの国には、今現在阿弥陀仏という仏がおられる。この世の命終ってかの国に生まれようと願うものは、一心にかの仏のお名前を呼びなさい。そうすれば、たとえ重い罪を犯したものであっても、必ずかの国に生まれる(往生する)ことができる」
 厳しい修行をしたり、沢山勉強をしたり、寺院に多額の寄付をしたり、そういうことのできない方々も、仏のお名前を呼ぶ(念仏する)ことはできるわけで、そういう方々でも必ず救われる、というのが浄土宗の教えです。
 というわけで、浄土宗で一番大切なお勤めは「どうぞお導き下さい」という心でお念仏をおとなえすることなのです。それは、「私をお導き下さい」であり、「私たちをお導き下さい」でもあり、また「故人をお導き下さい」でもあります。生きていることの意味とか、死んだらどうなるのかとか、悩み苦しみも含めて全てをお任せする、ということです。
 お念仏のとなえ方については、質問・回答11質問・回答13をご参照下さい。
 一番簡単な作法(お勤め)は、ロウソクを灯し、お線香を立て(1〜3本。私はいつも1本だけ立てています)、りんを鳴らして合掌、十念をとなえます。
    「なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ
     なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ なむあみだぶ(息継ぎ)
     なむあみだぶつ なーむあみだぶー」
 お時間が許せば、お経を上げるのも大変結構です。浄土宗では、『浄土三部経』つまり無量寿経(むりょうじゅきょう)、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)、阿弥陀経という三つのお経を中心に読みます。しかし般若心経を読むことも、結構なことです。
以上が、浄土宗の立場のお話です。浄土宗寺院をお訪ねになれば、おおむねこのような話が聞けると思います。

ただ、仏縁というのは不思議なものです。もしかすると、貴方様は般若心経に何かご縁があるのかもしれません。そういう感じがなさるなら、お念仏と般若心経を両方お勤めなさってはいかがでしょうか。

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質問 34
夫の実家は浄土宗で、うちにも浄土宗の仏壇を置きました。夫の亡き祖父は、お不動様を熱心に信仰しており、うちでも不動明王の絵を仏壇の上方の壁にかけてお祀りしています。阿弥陀如来の上に不動明王を祀っても構わないのでしょうか?
〈回答 34〉 ご承知のように浄土宗では阿弥陀如来を本尊とし、お念仏をおとなえすること、つまり阿弥陀如来のお名前をお呼びすることをもっとも大切にしています。お念仏の中に仏教のすべての功徳が集約されている、という教えです。ですからお祀りの中心は阿弥陀如来、ということになります。
 しかしまた、「阿弥陀如来の上に不動明王をお祀りしてはいけない」ということもありません。私の知っているあるお寺(浄土宗)では、本堂内の阿弥陀如来像の上に、薬師如来のお像が祀ってあります。このあたりは信仰の問題、あるいは家や地域の歴史の問題とも言えます。つまり、そこに古くから受け継がれてきた人々の信仰の気持ちが現在の形になって現われているものだから、杓子定規に教義を当てはめて考える必要はない、ということです。
 というと、かえって迷ってしまわれるかもしれませんね。あなたご自身はどう感じられますか? もし、お仏壇にお向かいになって、自分自身が落ち着いた静かな気持ちになれない、あるいは不動明王を上に置くことで気にかかることがある、というようなことであれば、私としては「それならばお移しになっては?」とアドバイスいたします。それはまた、浄土宗の教えにかなったことでもあります。
 逆に、気にかかることはあまりないが、浄土宗の教義と合わないのではないかと心配だ、というお気持ちでしたら、「無理はなさらずに今のままで結構です」と逆のアドバイスをすると思います。
 矛盾すると思われるかもしれませんが、こう申し上げるのは、お仏壇の前で手を合わせる時間は、忙しい日常生活の中で静かな気持ちを持つことできるとても大事な時間だからです。ですから、「手を合わせたときのご自分の感じ」... それをいちばん大切にしてお決めになることです。お仏壇の前で、短い時間であっても穏やかな気持ちになることができれば、これにまさることはありません。

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質問 33
過去帳を新しく作ろうと思います。西暦で作っても構わないでしょうか。何回忌、というのもその方が数えやすいですし、子供たちにも西暦の方が馴染みやすいと思います。
〈回答 33〉 現代ならではのご質問、ですね。確かに西暦の方が数えやすいかもしれません。一般社会でもここ数年は特に、西暦を使うケースが増えているようです。
 伝統的なやり方を大事にする、という立場からいえば過去帳は元号で記録するということになりましょうし、私ども僧侶にもその方が馴染みます。また、明治、大正、昭和... という言葉自体に、たとえその時代を生きたことがなくても、何とはなくそれぞれの時代の香りを感じるのは、私だけではないと思います。
 しかしまた、西暦ではいけない、ということもありません。むしろ、これから少しずつあなたのようなお考えの方が増えてくるでしょう。
 また、仏暦(仏歴)というのもあります。これはお釈迦さまが亡くなられたとされる年から起算するもので、例えば西暦2003年は仏暦2546年にあたります。西暦年に543年を加えれば仏暦の年になる、ということですね。西暦がキリストの生年(実際には少しズレがあるそうですが)から起算するものであることを考えれば、仏暦をつかうのもいいかもしれません。仏暦は日本ではなじみが薄いですが、タイでは一般的だそうです。

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質問 32
家の宗派は浄土宗です。私は瀬戸内寂聴さんが好きで、浄土宗よりも天台宗に親近感を持っています。自分はそれで構わないと思っているのですが、何か不都合があるでしょうか?
〈回答 32〉 構わないと思います。浄土宗も、天台宗から分かれた宗派といえますし、そもそも信仰は個人の自由です。
 不都合があり得るとすれば、葬儀や法事の場合です。葬儀や法事は「家の宗派」で行なう、というのが一般的です。もしあなたが、浄土宗寺院の檀家であれば、かりに「自分が死んだら天台宗の供養をしてもらいたい」と思っても、それは難しいでしょう。檀家と菩提寺は同じ宗派、同じ教えで結ばれていますので、葬儀や法事の場ではその宗派(あなたの場合は浄土宗)に合わせることになります。葬儀・法事も天台宗で、ということであれば、浄土宗のお寺から離れ、墓地もお返しして、新たに天台宗寺院の檀家になれば宜しい。大変なことではありますが、それは可能です。
 そこまでのことではなく、日常「私は天台宗の信徒である」とご自覚頂く分にはまったく不都合はありません。そして、せっかくのご縁ですから、どうぞ天台宗を深く学んで下さい。深く入ってゆけばゆくほど、得るものも大きいでしょう。

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質問 31
飼っていた犬が死んでしまいました。ペット霊園に納骨し、合同供養にも出席しているのですが、なかなか立ち直れません。動物でも仏教的に救われるのでしょうか?
〈回答 31〉 救われます。というのは、阿弥陀仏の救いの対象は、人間ばかりではないからです。
 お釈迦さまの教え(『無量寿経』)の中に、こうあります。
「もし動物の世界で苦しんでいても、この(阿弥陀仏の)光明を見れば、みな休息することができ、苦しみもなくなる。命が終ってから皆、解脱をこうむる」
 仏教では、動物も人間も本質的な違いはありません。たまたま動物の形を取っているだけ、たまたま人間の形を取っているだけです。動物の方が意識レベルは低いかもしれません。人間の方が高いレベルで思索し、創造的な活動をするかもしれません。しかし、その違いは量的なものです。質的なものではありません。そして、
「阿弥陀仏の光明を見れば、みな休息することができ、苦しみもなくなる。命が終ってから皆、解脱をこうむる」
 解脱(げだつ)というのは、さとりを得ることと同じです。つまり、動物や人間など、いろいろな形を取りながら生まれ変わり、死に変わって流浪の旅を続けることに終止符を打つ、ということです。それは最高の可能性であり、存在の最も美しい開花です。
 ですから、あなたの犬のことは心配いりません。お念仏を回向すれば充分です。それよりも、可愛がっていらした犬に負けないように、あなた自身の解脱——最高の可能性、あなた自身の開花を追求してください。

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質問 30
友人からある新興宗教を勧められています。私は自分に自信がありません。入信したらもっと自信がもてるようになるのかな、と思う一方、少し怖い感じもあって、迷っています...
〈回答 30〉 大切なのはプロセスだと思います。
たとえば、その友人の勧め方はどうか。あなたのことを心底心配してくれている感じなのか。それともあなたの弱みを突くような勧め方なのか。選択の一つとして紹介してくれているのか、それとも「これなら必ず救われる」「これしかあなたを救うものはない」というように、あなたを追いつめるようなやり方か。そこに不健康な「熱っぽさ」がないでしょうか。
 このように友人の勧め方を観察すれば、その方が主体的な信仰をもっているのか、それともただ言われるままにあなたを利用しようとしているのか(悪気はないにせよ)わかるでしょう。
 また、勧誘を受けたあなたの感じはどうでしょうか。その宗教にどういう希望を持ったのか、どういう怖さを感じたのか。
 教団の方針はどんなものでしょうか。
 その信仰に対してあなたがどういうスタンスをとるか、自由でしょうか。
 金銭的な義務をどの程度要求するでしょうか。
 他の人を勧誘する義務を負わせられるでしょうか。あるいは勧誘したことによって特典があるでしょうか。
 いつでも自由に脱退できるでしょうか。

 これらのことについては、充分慎重になる必要があります。さもないと、救いを求めて入信したつもりが、いつのまにか周囲の人々を傷つけたり、自分自身を追いつめることになってしまいます。
 入信したほうが良いのか、良くないのか一概には言えませんが、どうぞこれらをご参考に、慎重にお考え下さい。

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質問 29
仏教にはキリスト教の洗礼のようなものはありますか?
〈回答 29〉 宗派によっていろいろです。ここでは浄土宗の場合についてお答えしましょう。
 浄土宗には「帰敬式(ききょうしき)」という入信の儀式があります。この儀式は、あらたまった場で信者としての誓いを立て、浄土宗の基本の教えを授かるもので、たいへん意義深いものです。参加された方にも好評です。
 わたしの師僧のお寺では、檀家さんを対象に案内を出し、毎年期日を決めて帰敬式を行なっています。わたし自身も、この儀式を受けることが入門の第一歩になりました。
 定期的には行なっていない、という寺院が多いでのすが、依頼をすれば受けられます。あわせて戒名を受けることもできるでしょう。戒名は、仏教徒としての証です。  ご興味があれば、ぜひ一度菩提寺に相談してみて下さい。
(ただ、信徒になるためには必ず帰敬式を受けなければならない、というわけではありません。)

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質問 28
自営業の者です。以前は仕事の質を高め、広げていくことに力を注いでおりました。一方、最近は資金のやりくりのことばかり考えています。仕事の規模は当初に比べて大きくなったのですが、精神的に非常に貧しくなってしまった感じがして、このままでよいのか、と思っています...
〈回答 28〉 以前はおそらく仕事のアイデアが次から次へと浮かび、あれもやってみたら、これもやってみたら... と、忙しくもやり甲斐のある日々を過ごしてこられたのだと思います。
 今は「精神的に非常に貧しくなった感じがする」ということですが、どんな感じの貧しさでしょうか... ? それがもし本当に実感として感じられるならば、そこから始めた方がよいでしょう。今のままじゃいけない、何かしら別の前向きな方向へ考えを向けよう、というやり方もあります。しかし気分が沈んでいるようであれば、むしろその「貧しさ」から始めてみる——その中にとどまり、その感じを丁寧に味わう、という方が効果的です。つまり、この「貧しい感じ」を否定せずに、自分の大切な一部として、じっくりと味わってみるのです。例えば、こう考えてみましょう。この感じは、どこからやってくるのだろうか。この「貧しい感じ」に育つ前は、どんな状態だったのだろうか。「貧しい感じに育つ前の状態」に耳を傾けてみましょう。それは自分に何かを教えてくれているのではないだろうか...。
 こうして、その「貧しい感じ」にじっくりとつきあってみます。本当に丁寧につきあってあげれば(難しいことではありません)... 必ず変化がやってきます。

 仕事が爛熟期に入ったとしても、あるいは年齢的に熟年期に入ったとしても、そこに創造性を見いだすことは可能です。真の創造性は、今現在の、自らの心の奥にあります。心の内奥との対話... それこそが、あなたを豊かにしてくれるものです。そして「心の内奥」とは、美しく飾ったものではなく、「今ここにある、生々しい実感そのもの」に他なりません。

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質問 27
「他力本願」と聞くと、何か無責任なような気がするのですが...
〈回答 27〉 自分では努力せずに他人まかせ——「他力本願」という言葉ををこの意味でつかうことがよくあります。しかし、本来の意味は全くちがいます。
 仏にすべてを委ねることによって、その導き(他力)に乗ずる。もう少し詳しくいうと、「我が名を呼ぶ者は、必ずわが浄土にすくい取る」という仏の宣言(本願)を信じ、ただひたすら仏の名を呼んで、浄土に導かれて往く、というのが本来の「他力本願」です。
 これは実は簡単なことではありません。「なむあみだぶつ」と口に出すのはさして難しいことではない。しかし、すべてを委ねるとなると、簡単にはいきません。
 「委ねる」のは誰でしょうか。他ならぬ「わたし」です。「わたし」が「わたし」の責任においてすべてを委ねる、ということです。ですから、たとえその結果がどうであろうと、他人のせいにはできません。そこには自分自身に対する大いなる責任があります。そして、自分には他の道、他の救いはもう無いのだ、もうこの道しかないのだ... という地点に達しないかぎり、この「委ね」は起こりません。とことん人生を生き抜いた人、生命を燃焼し尽くした人だけが、この地点に立つことができる。
 そして、「わたし」がすべてを委ねたとき、この「わたし」、日常感覚的な「わたし」は溶けて消えてしまいます。あるのは、おおいなる「他力」のはたらきだけ...。
 ですから、仏の力——他力に乗ずるためには、責任ある「委ね」、切実なる「委ね」が出発点である、と覚えておいて下さい。

「ただひとすじに仏の本願を信じ、わが身の善悪を省みず、決定往生せんと思いて申すを他力の念仏という」
(法然上人)

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質問 26
笠原さんはお寺の出身ですか?
〈回答 26〉 違います。父はサラリーマンで、親戚にもお寺はありません。
 学生の時分から仏教には関心を持っていました。三十歳の頃、転機がありまして、「そうだ、僧侶になろう」と思いました。せっかく仏教の伝統があるこの国に生まれたのですから、ただ本で仏教を学ぶ、というのでなく、その伝統の世界に身を置いてみたい、と思ったのです。それと、「死」というものを頭で考えるばかりではなく、実際に、身近に感じながら生きていきたい、ということもありました。
 まず初めに、菩提寺のご住職に弟子入りしました。もう少し詳しく言いますと、「僧侶になりたい」とまず相談に行ったのです。最初に言われたのは、「やめておきなさい。」 そして、「仏教に興味があるのなら、学校の先生になりなさい。年齢的にはまだ教職の資格を取ることができるでしょう。」 そのとき言われたのは、若い人たちに宗教的な教育を施すことが急務である、ということでした。
 それももっともなことでしたが、私は学校の先生になるつもりはありませんでしたから、「いえ、職業として僧侶になりたい」と、頑固にねばったわけです。その結果やっとご理解を頂き、「じゃあこの寺に籍を置いて、始めてごらん。佛教大学の通信課程に入るといい」ということになり、現在に到っています。

(ご関心がおありでしたら、質問 5「どうすればお坊さんになれますか?」の回答もご覧下さい。)

H19.8.1 追記:この質問に関連して、「僧侶になりたい、あるいは僧侶になるにはどうすればよいか、とお考えの方へ」というページを新設しました。こちらもご覧下さい)

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質問 25
うちは浄土宗で、阿弥陀さまを祀った仏壇があります。家内の実家は日蓮宗。先般家内の母が亡くなり、一人っ子の家内は亡母を含む実家の先祖の位牌をもって帰ってきました。うちにある浄土宗の仏壇に祀っても構わないでしょうか?
〈回答 25〉 〈質問 23〉のお仏壇の置き方に関連するご質問ですね。
 宗派の違いについては、一般の方々よりもわれわれ僧侶の方がこだわりが強いと思います。たとえば、日蓮宗を開かれた日蓮聖人は、「念仏無間(念仏をとなえる者は無間地獄に落ちる)」といって浄土教を強く批判しました。またそれによって、念仏の信者たちから激しい迫害を受けられました。さまざまな背景のあることですが、自宗の正当性を主張するということは、他宗を批判することにつながります——いずれの宗派でも同じことです。そして、それぞれの宗派の中で仏教を学んできたわれわれ僧侶たちは、多かれ少なかれ、その宗派の枠の中から仏教全体を眺めることになります。
 さて、位牌の話です。もしあなたご自身が了解されるのであれば、奥様のご実家の位牌(日蓮宗)をお祀りされても構わないと思います。それがもっとも現実的であり、しかも奥様のお気持ちを尊重することにもなるでしょう。
 その一方、私が心配することは、例えばこういうことです。
  1. 奥様のお母さまのご法事をご自宅ですることになり、日蓮宗のご住職がみえることになった。お仏壇のご本尊、阿弥陀さまを前に、日蓮宗のお勤めをしていただくことになる。
  2. 奥様のご親戚の中に日蓮宗の強い信仰をお持ちの方がいらして、お宅にお参りにみえることになった。阿弥陀さまをお祀りしてある仏壇に、お参りしていただくことになる。
 どちらの場合も、ご住職やご親戚の了解があれば構わないことですが、なかなか微妙な問題だと思います。(ご住職やご親戚の信仰心を傷つけることもあり得ます。)
 ですから、ご一緒にお祀りされて結構なのですが、こうしたこともふまえたうえでお決めになって下さい。

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質問 24
電話相談員をしていらっしゃるということですが、どういう相談を受けているのですか?
〈回答 24〉 仏事関係のご質問に答える、ということもありますが、それ以外のさまざまな悩みや、単に話し相手をして欲しい、という場合もあります。
 自分の頭の中にすでにある知識をお話しする、というのはごく一部です。それよりも相談される方の言葉によく耳を傾ける、ということに多くの時間を費やします。
 相談される方のご事情を私がそっくり理解する、ということはできません。言葉で表現できることには限りがありますし、それを受け取る私の側にも限界がある。たとえば、「離婚を考えている」という女性から相談を受けたとします。仮に何十分話を聞いたとしても、その女性のもっているつらさや迷い、怒りなどをこちらがそっくりそのまま体験することはできない。いかに豊かな表現で悩みが語られたとしても、その女性の身に実際に何が起こったのか、今までどうやって我慢してきたのか、その方は今まで危機的状況に直面したときどういう態度で臨んできたのか、将来の人生設計をどう組み立てていけば安心なのか... こういったことに対して、何一つ確かなことは言えません。その女性よりも私の方が問題の本質をとらえている、ということはまずあり得ない。
 しかし、一所懸命話に耳を傾けることによって、何かが伝わってくるのも確かです。こちらにも怒りなどの感情がわき上がってきたり、もらい泣きをしてしまうこともある。また相談される方も、語ることによって何かがほぐれてきたり、自分の本心がはっきりすることもあります。「お話していて気がついたんですが...」ということがよくある。
 それと、先方が初めから答えを持っている、という場合も多いですね。誰かに話してみることによって、その答えにより自信を持つようになり、具体的な行動に発展することもあります。
 ですから、一種のカウンセリングといえます。そのカウンセリングの場に、私は仏教者・念仏者の態度をもって関わっている、ということだと思います。

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質問 23
仏壇を置こうと思うのですが、注意点を教えて下さい。
〈回答 23〉 「仏壇とは何か?」をまず考えてみましょう... それは、いわばお寺の本堂のミニチュアです。
 お寺には、本堂があります。ご本尊さまがおられ、その周りに色々な飾りがしつらえてあります。本堂に上がりご本尊さまと対すると、何ともいえない荘厳な感じに打たれることでしょう。
 仏壇は、ご家庭の中にあって、しかもお寺の本堂を模した空間です。(浄土宗の)お寺の本堂は極楽浄土をかたどったものであり、仏壇もまた同じ。ご本尊阿弥陀仏のお導きのもとで、ご先祖と対話ができる創造的な場です。仏壇を置こうと思われるには、何かきっかけがおありになったのかも知れませんが、極めて尊いことです。実際に仏壇を求め、形を整えてその前で手を合わせてごらんになれば、何もなくただ心で仏やご先祖を思うのとは大きく違うことを実感されるでしょう。
 よくご質問を頂く点について、一般的なことを書いてみます。詳細は菩提寺にご相談下さい。
  1. 仏壇を置く場所はどこにしたらいいか。方角はどちら向きがいいのか。
  2. 新たに仏壇を置くときは、お坊さんに来ていただいてお経を上げてもらうものなのか。
  3. 引越しをするが、仏壇を移動するときもお経を上げてもらったほうがいいのか。
  4. 古い位牌がたくさんあって、仏壇の中がいっぱいになってしまったが...。
  5.  一つの仏壇に、違う家(例えば妻の実家)のご先祖を祀ってもいいのか。
  6. 家族の誰かが亡くなったとかいうことはないのだが、仏壇を求めてもよいのか。
  • まず1。仏壇を置く場所はどこにしたらいいか。方角はどちら向きがいいのか。
     仏壇を置く場所は、もし選べるのであれば、部屋の西側(ご本尊は東向きになる)、または北側(ご本尊は南向きになる)がよいとされています。その理由は、まず西側に仏壇を置けば、西、つまり極楽浄土がある方向に向かってお参りできる。また、直射日光が仏壇に当たるのを避ける、という点からは北側がよい、というものです。「君子は南面す」——貴い人は南向きに居を構える、ということも、北側に仏壇を置く理由の一つです。
     しかし、西側や北側に適当な場所がなければ、この限りではありません。むしろ、落ち着いた気持ちでお参りできる場所がいい。たとえば、廊下などの通り道は避ける、トイレや風呂場の前を避ける、静かな場所を選ぶ、という風に常識的に考えて頂ければ結構です。お客さんや菩提寺住職がお参りされる、ということも考えにいれて決めましょう。
  • 次に2。新たに仏壇を置くときは、お坊さんに来ていただいてお経を上げてもらうものなのか。
     そうです。新たに仏壇を求められたときには「開眼法要(かいげんほうよう)」といって、新しいご本尊やお位牌に魂をお入れする儀式を行ないます。菩提寺にご相談されたらよろしいでしょう。菩提寺のない方は、同じ宗派の近所のお寺に相談して下さい。浄土宗であれば当庵でもお受けします。
  • そして3。引越しをするが、仏壇を移動するときもお経を上げてもらったほうがいいのか。
     仏壇やご本尊の移動の際は、「遷座法要(せんざほうよう)」をするのが丁寧ですが、お引越しの多いご家庭もあることですし、私は必ずしも必要ではないと思います。
  • 4。古い位牌がいっぱいになってしまった場合。
     いくつかの方法があります。
    1. ご夫婦(例えば、おじいちゃんとおばあちゃん)のお位牌を一つにまとめる。
    2. 「○○家先祖代々之霊位」の位牌をひとつ作り、古いものをそれにまとめる。古い位牌に書かれた個々の霊の戒名や命日、俗名、行年、関係などは、過去帳を作ってそこに記録しておく。
    3. 「繰り出し位牌」といって、沢山の位牌をひとつにまとめられるようになった位牌があるので、それを求める。
     仏具屋さんに足を運んで実際にご覧になってはいかがでしょうか。手に取ってみれば、すぐ「ああ、こういうものか」とお分かりになるでしょう。いずれの場合も、古い位牌から新しい位牌に魂を移す作法があります。2と同じく、お経を上げてもらって下さい。
  • 5について。一つの仏壇に、違う家の位牌を祀ってもよいのか。
     「他家の位牌を祀ってはならない」といわれますが、今は家族構成など昔とは事情が違いますので、宗派が同じであれば構わないと思います。
     宗派が違う場合は、いろいろな状況がありうるので、慎重にすすめて下さい。このことに関連した質問・回答が〈質問 25〉にありますので、ご参考になさって下さい。
  • 最後に6。特にどなたかが亡くなったということでなくても、仏壇を買ってよいのか。
     もちろん、構いません。仏壇を買う、新しくご本尊をお招きする、というのはとてもおめでたいことです。思い立たれたということは、すでに機が熟しているということ... どうぞ自信をもって計画を進めて下さい。
 以上、仏壇についてよく頂くご質問にお答えしてみました。ほかにもご質問などがあれば、どうぞお寄せ下さい。

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質問 22
自死された方の往生について、どう考えますか?
〈回答 22〉 これは、私の敬愛するある僧侶の方から頂いたご質問です。
 自ら命を縮めるということは、とても悲しく残念なことではありますが、長い長い魂の旅(輪廻転生)のなかのひとこまに過ぎません。身体的な生命はいろいろな原因で失われます。自ら決断を下す、というのもその原因の一つです。
 そのような場面に立ちあったとき、私たち僧侶はどうすればよいのでしょうか。

 第一に、自ら命を縮められた方に対しては、ひたすらお念仏をおとなえして、かの仏にその方のお導きをお任せすることだと思います。
「心をこめて念仏申すものは、ただ一人の例外もなく往生する」
との教えを信じましょう。かのお名前を呼ぶならば、そこにはいかなる妨げもありません。亡くなられた原因にかかわりなく、極楽往生はかないます。

 第二に、ご遺族に対しては、あたたかい心をもって共にある、ということが大切です。ご遺族や身近な方々は、「どうして気づいてやれなかったのか」「自分にも原因があるのではないか」と、その方の業をわが身に引き受けて、自分を責めてしまうことがあります。また、その方に対する怒りの感情を抑えきれなくなることもある。あるいはそれらの感情が宙ぶらりんになって、出口のない場所に閉じこめられてしまうこともあるでしょう。もしそれらのことを少しでも理解して、しかも近くにしっかりといることができれば、ご遺族の助けになることができると思います。どう言葉をかけたらいいか、困る場合もあるかもしれません。その場合には、目一杯困りましょう。だって、誰に分かるでしょうか。「この、私が陥った状況——いったい他の誰が理解できるだろう」という心の叫びに対して、「その問いに対する答えはこれこれです」と簡単に理屈を示すことなどできるでしょうか。
 ですからあまり先走らずに、ご遺族が今いるその場所の近くに、邪魔にならぬようにただいる、ということが最良のことだと思います。そして、とにかく耳を傾けるということ、感じようとすること。それが、共にある——共に生きる、ということです。あとのことは、仏にお任せするよりほかありません。ご冥福を祈り、心をひとつにしてお念仏をおとなえすることができれば、それ以上のことはないでしょう。

 第三——今まさに苦悩の渦中にあって、死を選択することもあり得るような人に対して。それはもしかしたら、つらい死別を経験したご遺族自身であるかもしれません。そのような人に「自ら命を縮めても極楽往生はかなう」と告げることは、どういう影響をもたらすか... 十分に考えるべきことだと思います。この言葉は、極楽往生がかなうのだから命を縮めてもよい、ということではありません。それでは論理のすり替えになってしまいます。教義的なことだけを考えて、極楽往生できるとか、できないとかいう議論に陥ることは避けなければなりません。
 それよりも、なぜその選択を考えるに到ったのか、その方の心の中でどういうことが起こっているのかを語ってもらったほうがよい。その言葉、その心ににじっくり耳を傾ける中で、少し広いスペースに出られるかもしれない。手放せるものが出てくるかもしれません。
 ここでもやはり、語るより傾聴する、そして感じることが重要になってきます。
いのちの電話」のサイトも参考になります。どうぞご覧になってみて下さい。

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質問 21
伝統的な仏教が「葬式仏教」と批判的に呼ばれているのをどう思いますか?
〈回答 21〉「あなた方がしていることは『葬式仏教』であって、生きているわれわれには何の救いも与えてくれませんね。」
 もしそう言われれば、正直いってかなり複雑な感じがします。自分の力不足を非難されているようにも感じますね。
 一方で、亡くなられた方をきちっとお送りしたり、追善の法事をお勤めすることは、もちろん亡くなられた方が中心になるわけですが、それだけではない、と思います。現に生きているご遺族を大切にすることでもある、と思っています。けっして「死後のこと」だけに関わっているわけではない。死に関わるということは、生に関わるということです。私たちが身内の死を悲しんだり、自分の死を恐れたりするのは、現に生きている私たちの人生の一部分です。生きている人々の、その部分に誠意をもって関わることは、自分の務めだと思っています。

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