仏教・仏事 Q & A [No. 61 〜 No. 80]

(2003年12月20日までの分)

目 次 (新着順)

◆一気読みコーナーはここをクリック◆
番 号 質 問 内 容 分 類
質問 80
人が他界するとどうなるのか—宗教・宗派によって教えは違いますが、私はきっと真実はひとつなのだろうと思います。神様・仏様の存在を否定しません、信じたいです。しかしどの宗教・宗派を信じて良いのか、どの宗教・宗派が正しいのかわかりません。自分自身で真実をつかみ取り、亡き人に対する納得できる供養を行いたいと思っておりますが、なかなかそこまで到達できません。何か良いお言葉がありましたらお聞かせください。
仏教(宗教)
質問 79
新しくお墓を建てました。開眼供養をお寺さんにお願いするつもりですが、その時の準備やしきたりがあれば教えてください。家の新築祝いと同じようなことをしなければいけない、と聞いたのですがどうなんでしょうか? また、開眼法要への出席者に赤飯などの御礼をしなければいけないと聞いておりますが如何でしょうか?
仏事一般
質問 78
今年の夏、同居している弟が亡くなりました。喪中欠礼にしようかどうか迷っています。どうしたものでしょうか?
仏事一般
質問 77
宗派内もいろいろ分派があると思うんですが、遠くのお寺から自宅近くのお寺を紹介してもらうことってできるものですか?
仏事一般
質問 76
お坊さんへの呼びかけは「住職」でいいのでしょうか? 宗派によっては肩書きがいろいろあると思うんですが。また逆に若い坊さんにはなんて呼びかけをするんでしょう?
仏事一般
質問 75
人は死んだら一体どうなるのでしょうか? 星になるとか、生まれ変わるとかよくきくのですが。どうなるか教えてください
仏教
質問 74
菩提寺(浄土宗)の住職さんは、「念仏だけでよい」といわれます。大きな書店に行くと仏教関係の本がたくさん並んでいますし、『般若心経』の解説本などを読むと「仏教は深遠だなあ」と思います。それなのに「念仏だけでよい」とはどういうことなのでしょうか?
浄土宗
質問 73
家の仏壇ではなく、自分自身の仏壇がほしいと思っています。どうしたらよいでしょうか?
仏事一般
質問 72
最近父が亡くなりました。私はマンションに一人住まいをしています。ワンルームですし、仏壇を置くことは考えていません(実家には仏壇があります)。でも、日々のお勤めとして、仏像や絵像など何かをおまつりしたいと思っています。絵像は壁に掛けても良いのでしょうか。アドバイスをお願いします
仏事一般
質問 71
夫を亡くしました。葬儀は何とか終えましたが、四十九日の法事の準備をしなければなりません。何から手をつけたら良いのでしょうか。さっぱり頭が回りません。
仏事一般
質問 70
お経に興味があります。浄土宗でも「お経を読む」ことは重要なのでしょうか?
浄土宗
質問 69
近々、母の四十九日法要を行ないます。まだお墓を購入しておりません。お墓を建てるまでお寺にお骨を預かっていただくことになっているのですが、お布施と一緒にお骨の保管料をお渡しするとき、封筒の表書きはどう書けばよろしいのでしょうか?
仏事一般
質問 68
最近「密葬」ということをよく耳にします。密葬とはどういう葬儀なのでしょうか?
仏事一般
質問 67
親戚の四十九日の法事に出席します。お包みの上書きは「ご霊前」でしょうか、「ご仏前」でしょうか?
仏事一般
質問 66
葬儀のときに戒名を受ける意味を教えて下さい。
仏事一般
質問 65
父が7月の末に亡くなりました。四十九日はカレンダーで見ると9月になります。四十九日の法事が命日から数えて3ヶ月にまたがる(7、8、9月)のは良くないと聞きましたが、なぜでしょうか?
仏事一般
質問 64
法然上人を開祖とする浄土宗では仏壇にお位牌がありますが、弟子の親鸞上人を開祖とする浄土真宗ではお位牌は禁止、過去帳のみです。一方的に各派のしきたりを述べるだけでなく、同じ系統の宗旨を持っていながら何故基本的なことが違うのか教えていただきたい。
浄土宗
質問 63
遺影を仏壇の上に飾ってもよいものでしょうか? 仏壇の上には何も置いてはいけないというようなことを聞いたのですが。遺影は仏壇正面でなく、長押のある壁につり下げたりするのがよいのでしょうか? また、飾るのは遺影に使った写真でないといけないでしょうか? 少し、微笑んでいるような写真ではいけませんか?
仏事一般
質問 62
昨年父が亡くなり、菩提寺に少なからぬ額のお布施を包みました。こんなことを言うのも何ですが、菩提寺の次男坊が、最近、高級外車を乗り回しています。お布施が外車に化けたかと思うと、虚しい気持ちになってしまいます。どう受け取ればよいのでしょうか?
仏事一般
質問 61
東京で生活しています。母が亡くなり故郷の佐渡の浄土宗のお寺より信女の戒名をいただきました。お布施の金額をお寺さんに聞きましたが、「お気持ちで」と言われました。インターネットで調べると「5万位」とありました。浄土宗は金額が低いようですが、相場はおいくら位でしょうか?
仏事一般



 一気読みコーナー 
※番号の逆順になっています(若いものほど下)



質問 80
人が他界するとどうなるのか—宗教・宗派によって教えは違いますが、私はきっと真実はひとつなのだろうと思います。神様・仏様の存在を否定しません、信じたいです。しかしどの宗教・宗派を信じて良いのか、どの宗教・宗派が正しいのかわかりません。自分自身で真実をつかみ取り、亡き人に対する納得できる供養を行いたいと思っておりますが、なかなかそこまで到達できません。何か良いお言葉がありましたらお聞かせください。
〈回答 80〉 私は浄土宗ですので、まず、浄土宗のお話を少し…。
 先祖供養ということに関して、浄土宗を開かれた法然上人はこのように言っておられます。
「亡き人のためには、お念仏をとなえて回向しなさい。そうすれば、阿弥陀仏が光明を放って苦しみ多き三つの世界をお照らしになるので、もしこれらの世界で苦しんでいる者でも、この光明を見ればその苦しみが安らいで、やがては解脱することができる。『無量寿経』に書いてある通りです。」
 また、すでに極楽に往生されているご先祖は、極楽で「仏への道」を歩んでおられますので、お念仏をとなえて仏道成就を願うのが先祖供養である、と私は心得ています。
 このように、仏教の供養は「直接ご先祖に何かをして差し上げる」のではなく、まず仏や僧への供養を行ない読経・念仏をして、次にその功徳を先祖のためにふり向ける(回向する)という形です。他の宗派も(浄土真宗以外は)大体この構造になっているはずです。もっとも上記のように「阿弥陀仏の光明がご先祖を救う」というほどには、明確な構造ではないかもしれません。
 納得できる供養にたどり着くには時間がかかるかもしれませんが、これを機にいろいろと勉強なさってみるのも良いと思います。また、どちらにお住まいか存じ上げませんが、もしお念仏を体験したい、とお考えでしたらご来庵頂ければご一緒させて頂きます。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 79
新しくお墓を建てました。開眼供養をお寺さんにお願いするつもりですが、その時の準備やしきたりがあれば教えてください。家の新築祝いと同じようなことをしなければいけない、と聞いたのですがどうなんでしょうか? また、開眼法要への出席者に赤飯などの御礼をしなければいけないと聞いておりますが如何でしょうか?
〈回答 79〉 私どもがお墓の開眼供養を依頼されたときは、
1)焼香ができるようにする。つまり、焼香台・香炉を用意する。たいてい石材店が用意してくれますが、場合によってはお寺の香炉を持参します。
2)お供えするお供物(お菓子、果物などご随意)・お花・お線香をご用意いただく。
これで開眼のおつとめはできます。
 お米、塩やお酒を供える場合もありますが、私は「別になくても構わないですよ」と申しています。
 ただし、お寺によっては若干ちがうと思いますし、地方によってもお供え物に差があります。私が経験した九州長崎の例では、お墓の四隅にお餅を飾りました。そして季節の野菜(そのときは大根・人参など)と海産物(昆布など)を数種ずつ、それに米と塩を供えるというもので、とても丁寧でした。
 そういうこともありますので、やはりお願いするお寺さんにご相談なさるのがいちばんです。
 なお、開眼に併せて納骨をされる場合には、お位牌もご持参下さい。

 追ってご質問下さったお赤飯の件についても、「おめでたいことだから」ということなのでしょうが、私自身は施主が開眼法要でお赤飯を振る舞われていたという経験はありません。お住まいの地域の習慣でしょうか? 背景のご事情が今ひとつつかめません(あなた様ご自身が施主なのか、どなたからお赤飯を用意するように聞いたのか、それに対してあなた様がどう感じられたのか、...など)ので、一般的なお話ということになってしまいますが、ご出席下さった方にお礼として菓子折りなどを準備なさっている方はあります。いずれにせよ、仏教的に決まったしきたりがある、ということではありません。地方によって、あるいはお宅によって、考え方もやり方も変わってくることでしょうから、上に書きましたようにお寺さんや、あるいはご家族ご親戚の方などに相談なさるのもよろしいでしょうし、その上で最終的には施主が決めることだと思います。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 78
今年の夏、同居している弟が亡くなりました。喪中欠礼にしようかどうか迷っています。どうしたものでしょうか?
〈回答 78〉 喪中欠礼に関するご質問ですね。仏教的に何かルールがあるということはなく、あくまで習慣としてお考え下さい。
 今日では、1親等(親、子、配偶者)と同居の2親等(兄弟姉妹、祖父母、孫)のときに喪中欠礼にするようです。それに従えば、あなたの場合は喪中欠礼、ということになりましょうが、私はあなたのご判断で宜しいと思います。たとえば葬儀の喪主をあなたがつとめたのでなければ、喪中にしなくても構わないでしょう。
 また、喪中欠礼にするときの通知について申し上げますと、「喪中欠礼のはがきは出さなくても良い。喪中を知らずに年賀状を下さった方だけに、寒中見舞いを出す。」という考えの方もおられますので、必ず出さなくてはならない、ということもありません。
 亡くなられたのが夏以降であれば、葬儀に来て下さった方は喪中であると覚えておられるでしょう。欠礼のはがきを出すのもくどいかもしれません。もし欠礼のはがきを出される場合は、「葬儀のときはありがとうございました」と添え書きすれば、より丁寧ですね。
 喪中欠礼にするかどうか、通知のはがきを出すかどうか。ご自分のおつきあいの状況や、地域の習慣なども聞いてみて、お決めになって下さい。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 77
宗派内もいろいろ分派があると思うんですが、遠くのお寺から自宅近くのお寺を紹介してもらうことってできるものですか?
〈回答 77〉 各宗派ごとに『寺院名鑑』のようなものがあり、それを見て紹介してくれる場合もあります。また「寺院名鑑には出ているが、そこの住職を直接知らない」という理由で、紹介をためらわれる場合もあると思います。そのときは、宗派を統括するところ(宗務庁)に問い合わせれば、ご近所の同じ宗派のお寺がわかるでしょう。
 私のほうからひとつお尋ねしたいことがあります——どのような経緯でご紹介を望まれているのですか? 最近のご相談で多いのは、「郷里にあるお墓を、今住んでいる都市部に移したい」というものです。お墓の移転にともない、菩提寺も近所のお寺に変えたい、というご相談。そうされている方、つまりお墓もお寺も都市部に移されている方が増えてきています。もしあなたがこのような例にあたられるようでしたら、ご注意いただきたいことをお知らせしておきましょう。
 ご郷里の菩提寺さまは、何十年、何百年にわたってあなたのご先祖をご供養されています。寺院墓地であれば、あなたの家の先祖代々のお墓を永年お守り頂いてきた、ということになります。そのような菩提寺さまに対して、ほかのお寺へ移りたい、とお願いするわけですから、ご先祖にさかのぼったお付き合いがあったということについてよくよくご配慮頂いた上でお話を進めなければ、菩提寺さまに失礼なことになりかねません。
 いずれにしても「自宅近くのお寺を紹介して欲しい」という状況になった経緯を、ていねいにご説明なさることをおすすめします。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 76
お坊さんへの呼びかけは「住職」でいいのでしょうか? 宗派によっては肩書きがいろいろあると思うんですが。また逆に若い坊さんにはなんて呼びかけをするんでしょう?
〈回答 76〉 ご住職、ご住職さま、住職さん、という呼び方でしたら宗派を問わず無難ですね。ただ「住職」という立場の方は一ヶ寺に一人ですので、そうでない方には、それぞれのお立場(例えば「副住職さん」、先代の「ご老僧」など)で呼ぶ方がいいでしょう。
 また、○○寺さん、(姓)+上人、和尚さま、お坊さま、などは住職、副住職などの立場やお坊さんの年齢に関係なく使ってよいと思います。
 宗派の肩書きは、たとえば浄土宗ですと律師・少僧都・僧都・大僧都・僧正…などの僧階がありますが、呼びかけの時に使うことは、まずありません。
 私自身は、「笠原上人」「ご住職」「林海庵さん」「笠原先生」「笠原さん」などと呼ばれています。例えばAさんは「笠原上人」と呼んで下さいます。Aさんが「笠原上人」と呼んで下さることに慣れているので、それはそれで自然な感じがします。またBさんはふだん「笠原さん」と呼んで下さっているので、Bさんから「笠原上人」と呼ばれたらちょっと慣れない感じがするでしょうね。
「何とお呼びすればいいですか?」と尋ねられたときには、私は「『笠原さん』でいいですよ」と答えています。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 75
人は死んだら一体どうなるのでしょうか? 星になるとか、生まれ変わるとかよくきくのですが。どうなるか教えてください
〈回答 75〉 人は死んだらどうなるのか。
 大きく分けると、二つの流れのどちらかに入ってゆきます。この流れは、水の流れのようなものです。
 一つの流れは、ぐるぐると同じところを回っています。この流れにつかまると、私たちは流れに浮かぶ小枝か枯葉のようです。流れの勢いに翻弄されるばかりで、気の休まるひまがありません。少し景色の良い場所に出たかと思うと、直ぐに流れの底のほうに押し込まれてしまいます。岩や小石にごつごつと当たって傷だらけ。自分は大したこともないのに、同じように流されている小枝や枯葉を見ると、「自分より劣っている」だの「偉そうにしている」だのと、言い合っています。決して安らかな心地はしないのですが、「その流れに流されている」ことに慣れきっているため、もうひとつ別の流れがあるなんて、思ってもみません。せいぜい、どこかで噂を聞いたことがある、という程度です。
 もう一つの流れは、真直ぐ大海に通じています。この流れは、ゆったりとした流れであり、大きな船も浮かんでいます。大海…そこが素晴らしいところであることをあなたは知っています。そこはものごとの真実を見通せる世界であり、慈しみに満ちた世界であり、光あふれる世界です。  この流れに入るためには、いくつかの方法があります。まず、よほど運がいい場合。気づいたらこの流れに浮かんでいた…が、これはめったにありません。次に、この流れに入るための努力を必死になって積む、という方法。これも並大抵のことではない。よほど環境と能力に恵まれなければ、まず無理です。3番目は、大きな船に乗り込む、という方法。これでしたら、信頼と決断さえあれば誰にでも可能です。いったんこの船に乗れば、ゆったりとした流れに乗り、自然に大海へと至ることができます。
 「大きな船」に乗り、「真直ぐ大海に通じた流れ」に入ることです。そのためには、今から準備をしておかなくてはなりません。そのときになってから慌てても、遅すぎます。
 そしてもしあなたが、先に逝かれた方の心配をされているなら、まずあなたが「大きな船」に乗り込んで下さい。そうすればいつか、逝かれた方と「大海」での再会を期することができましょう。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 74
菩提寺(浄土宗)の住職さんは、「念仏だけでよい」といわれます。大きな書店に行くと仏教関係の本がたくさん並んでいますし、『般若心経』の解説本などを読むと「仏教は深遠だなあ」と思います。それなのに「念仏だけでよい」とはどういうことなのでしょうか?
〈回答 74〉「念仏だけでよい」というのは、誠に文字通りだと思います。仏教書に精通しなくとも、人生にはさまざまな出来事が起こります。死別・病気・失恋・失業・人間関係の破綻…それらがそのまま仏道を歩む教材になる。「おのれのはからいを手放すしかない」と気づけば、ほどなく念仏の生活に入ることができましょう。
 ただし「本を読んではいけない」ということではありません。あなたの人生を、仏教書を読みながら吟味してみて下さい。それはきっとあなたにプラスになるでしょう。浄土宗の教えにしましても、「なぜ念仏だけでよいのか」「念仏にはどういう意味があるのか」「念仏をとなえるとどうなるのか」というようなことを読書から学ぶことができれば、それだけ親しみを感じると思います。
 注意していただきたいのは、頭でっかちにならないこと。例えば、読書を重ねて「色即是空」の意味を頭で理解できたとしても、身体感覚で「空」を知るのは並大抵のことではありません。「分かった!」と思った瞬間、「執着」という名の落とし穴が脇にポッカリと穴をあけています。仏教に興味を持ち、「仏教通」になったが、かえって仏教から遠ざかってしまった、なんていうことにもなりかねません。
 くれぐれもご用心、ご用心(自戒を込めながら…)。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 73
家の仏壇ではなく、自分自身の仏壇がほしいと思っています。どうしたらよいでしょうか?
〈回答 73〉 家のお仏壇、はあるのでしょうか? 「家の仏壇はあるが、それとは別の仏壇が欲しい」ということになりますと、信仰上の問題というよりも、家族関係の問題、あるいは家の継承(あなたのお立場は分かりませんが)の問題、という気もいたします。もしそうであるなら、信仰上の問題、ととらえて私がお答えしますと、ポイントがずれてしまうかもしれません。
 今は「家の宗教」から「個人の宗教」へと変わりつつある時代、といわれています。人々と仏教との関わり方も変化しつつある。かといって、個人個人で信仰のあり方を自由に選択してよいのか、といいますと、周辺の状況や、それに伴う影響も考えた方がいいですね。
 例えば——仏さまをお祀りすること自体は尊いことです。が、個人の仏壇を持つことによって、家族の絆がますます弱くなってしまう、ということもあり得ますよね?
 また一方、ご自身の心の支えとして、ご家族から離れたところに仏壇をを求めたいという切実な思いがある、という場合もあるでしょう。個人の信教の自由は尊重されなければなりません。
 ですから、「個人の仏壇をもつ」ということについての私の意見は、ケースバイケースです。一家にお仏壇がひとつある、というのはたいへん結構だと思いますが、個人個人で仏壇を持つ、ということになりますと、慎重にならざるを得ません。
 お家のお仏壇がなく、例えば「家族は仏教には無関心。でも自分は仏壇をお祀りしたい。家族も了承済み」ということでしたらぜひお仏壇をお求め下さい。その際、宗派は?ご本尊の開眼供養は?ということもしっかりご確認下さい。
 また、お仏壇ではなくても、仏さまをお祀りする方法はあります。それについてはこのすぐ下の Q & A 72 をご参考になさって下さい。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 72
最近父が亡くなりました。私はマンションに一人住まいをしています。ワンルームですし、仏壇を置くことは考えていません(実家には仏壇があります)。でも、日々のお勤めとして、仏像や絵像など何かをおまつりしたいと思っています。絵像は壁に掛けても良いのでしょうか。アドバイスをお願いします
〈回答 72〉 仏像・絵像などをおまつりされるのは大変結構だと思います。また絵像を壁にかけても構いません。
「日々のお勤めとして」とのお話です。せっかくでしたら、坐って手を合わせ、お参りできる空間をお作りになってはいかがでしょうか。
 例えば、小机や花置き台のようなものに、小さな仏像とお父上のお写真、お花などを飾り、お線香をあげられるようにする。仏像・絵像などは慎重にお選び下さい。値段に関係なく、心にぴったりくる、ということのほうが大切です。
 また「お厨子」というコンパクトなものもあります。これはいろいろな種類のものが出ているようです。小さな厨子の中に小さな仏像をお祀りするわけです。
 花立てや香炉にしても、必ずしも仏具屋さんで求める必要はありません。今はいろいろなお店で探すことができるでしょう。
 たとえ30センチ四方であっても、「お仏壇」とはまた違った、あるいはお寺の本堂にも負けない、あなただけの「聖なる空間」を作ることもできるはずです。自由な発想で取り組んでみてはいかがでしょうか。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 71
夫を亡くしました。葬儀は何とか終えましたが、四十九日の法事の準備をしなければなりません。何から手をつけたら良いのでしょうか。さっぱり頭が回りません。
〈回答 71〉 ごもっともです。精神的に強いショックを受けた中で、不慣れな仏事を準備しなければならないわけですから、「さっぱり頭が回らない」のも当然だと思います。
 こういうときは、「ひとつずつ」というふうに考えましょう。そして、先に延ばせることは先に延ばして、どうしても必要なことにだけ取り組む。人さまに多少の失礼があったとしても、許されることです。また人の助けを借りる、好意に甘える、ということも大切です。ご自分独りですべてを抱え込まないようにしましょう。
 さて、四十九日の法事です。まず決めなければならないのが、日時と場所、そしてどの範囲の方々をお呼びするか、ということです。
  • 日時について…亡くなられた日を1日目と数え、49日目に法要をするのが本来です。「土曜・日曜でなければ親戚が来られない」というのであれば、その(49日目の)直前の土曜日曜か、そのまた前の土曜日曜を候補にします。ご住職のご都合を聞きながら決めましょう。
  • 場所について…(1)お寺(2)ご自宅(3)墓前(4)どこか場所を借りて、などが考えられます。四十九日法要の当日にご納骨も併せて行なうのであれば、法事を行なう場所からお墓までの移動のことも考えましょう(マイクロバスを借りる、とか)。また法事のあと会食するのかどうか。これらも含めて法要の場所を決めます。
  • どの範囲の方々をお呼びするか…ご親戚が中心になろうと思います。ご友人や仕事関係の方をお呼びしても構いません。このあたりはご随意です。日時と場所が決まったら、お呼びする方々に早めにお知らせしましょう。
 そして、お位牌(本位牌)を作る手配をします。今は白木のお位牌をお祀りされていると思いますが、この白木位牌は四十九日までの仮のものです。四十九日以降、ご自宅では本位牌をお祀りします。
 このお位牌については、ご住職に相談なさってみて下さい。ご自分で仏具屋さんに手配されても結構ですが、ご住職が仏具屋さんを紹介して下さるかもしれません。
 お位牌についての注意点です。まず、作るのに日数がかかりますので、早めにご手配頂いたほうが宜しいです。次に、お仏壇に合った大きさのお位牌をお選び下さい。これについては仏具屋さんが相談にのってくれるでしょう。
 お位牌ができたら、四十九日法要のときにご住職に開眼(かいげん)をして頂きます。(万一間に合わなければ、別の日に開眼だけお願いしてもいいのです)

 当日必要なものについては、前もってご住職に尋ねておきましょう。お寺の方は慣れていることですから、何なりと相談にのってくれるはずです。
 また、法要とは別のことですが、いわゆる「ご香典返し」を送られるのであれば、その手配も考えておきましょう。(品物・あいさつ状・送付先など)
 一日にできることは限りがあります。心のバランスに気をつけながら、ひとつずつ進めてゆきましょう。はじめにも書きましたが、人にお願いできる部分はお願いして下さい。
 こちらでもご相談をお受けします。小さなことでも構いませんので、メールをお送り下さい。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 70
お経に興味があります。浄土宗でも「お経を読む」ことは重要なのでしょうか?
〈回答 70〉 浄土宗の教えでは、お経を読むことはお念仏を助ける行である(助業)、という位置づけです。あくまでもお念仏をとなえることが第一。助業はその次、ということですね。
 ちなみに助業は、お経を読むことの他に、阿弥陀仏や極楽浄土のありさまを観想(イメージ)する、五体投地などの礼拝をする、阿弥陀仏を供養したたえる、の三つがあります。
 これらの助業に対し、お念仏をとなえることを「正定業(しょうじょうごう)」といいます。

 お寺の本堂やお仏壇の前で浄土宗のおつとめをするときは、この五つの行をすべて行なうことになります。浄土宗のおつとめの中には、読経、お念仏、礼拝、仏を供養したたえる、が含まれています。またお寺の本堂やお仏壇の様子は、極楽浄土をこの世にかたどったものですので、そこに観想も含まれます。

 このサイトでも「浄土宗のおつとめ」の解説をコラム欄で続けています。また一般向けのお経の本、カセットやCDも手に入ります。興味をお持ちでしたら、ぜひ実践なさって下さい。体験し、感じてみる、ということが大切です。
  *コラム欄はトップページにあります。また、過去のコラムでお経を扱ったものは、コラム倉庫にしまってあります。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 69
近々、母の四十九日法要を行ないます。まだお墓を購入しておりません。お墓を建てるまでお寺にお骨を預かっていただくことになっているのですが、お布施と一緒にお骨の保管料をお渡しするとき、封筒の表書きはどう書けばよろしいのでしょうか?
〈回答 69〉 ご遺骨の保管料ですね。
 特に決まってはおりません。お包みの内容がお寺さんに伝わればよいでしょう。
「遺骨保管料」「遺骨保管御礼」「御布施(保管料)」「御礼(保管料)」などでよいと思います。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 68
最近「密葬」ということをよく耳にします。密葬とはどういう葬儀なのでしょうか?
〈回答 68〉 密葬といいますと、本来は、いろいろな事情ですぐに葬儀告別式ができない場合に行なう内々の葬儀のことをいいます。たとえば、
  • 社会的に活躍された方の場合。いったん内々で火葬してから、日を改めて、大規模な葬儀式・告別式(本葬)を行なう。
  • 年末に亡くなられた場合。内々で火葬して、年明け、松が取れてから葬儀告別式を行なう。
  • 外国や旅先で亡くなられた場合。
などが考えられます。この場合「内々で」といっても、ご家族だけで、という決まりがあるわけではありません。ご親戚やご親友がいらしても構わないのです。

 一方、最近では、内々で葬儀を済ませることを「密葬」と呼ぶ場合が増えています。本来は上に書きましたように何らかの理由があるときの「本葬」に先立つ「密葬」であったわけですが、こちらは「本葬」のない密葬、ということになります。「家族葬」というのも同じ意味です。少人数でゆっくりと故人を偲びながらお送りできる反面、後日縁ある方々にどうお伝えするか悩んだり、葬儀のあと自宅に個別にお参りにみえる方々への対応など、たいへんな面もあるようです。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 67
親戚の四十九日の法事に出席します。お包みの上書きは「ご霊前」でしょうか、「ご仏前」でしょうか?
〈回答 67〉 四十九日の法要からは「ご仏前」で結構です。結構なのですが、よくいただくご質問ですので、少し補足でご説明します。
 四十九日から上書きを「ご仏前」とする理由は、「故人は四十九日に仏になるから」というものです。  が、仏教の立場から申しますと、「四十九日目に仏になる」というよりも、「四十九日の間に、次の世界に生まれ変わる」という方が正しいでしょう。生命は生まれ変わりを重ねながら、いろいろな世界を輪廻してゆく…その中でひとつの生命が終わり、四十九日の間に次の世界に生まれ変わることになる。(ですから、枕経や通夜に始まるこの四十九日間のご供養は、特に大切にされてきました。心をこめてご供養することで、故人がよりよい世界に生まれ変わると信じられてきたからです。)
 さらに、浄土宗の教えによれば、「次の世界に生まれ変わる」、その「次の世界」について次のように言われています。
 「是人終時 心不顛倒 即得往生 阿弥陀仏 極楽国土(『阿弥陀経』)」
 つまり、「お念仏をとなえる人の命が終わるとき、心が迷うことはない。命終わってすぐに、阿弥陀仏の極楽浄土に往生することができる」という。「命終わってすぐに、」ですから、四十九日を待たずして極楽に往くことができるわけです。そして、仏になるのは極楽へ往ってからあとのこと。極楽は苦しみのない世界なので、そこでは修行がはかどり、迷いの世界に戻ることなくスムーズに悟りを開く(仏になる)ことができる、と説かれています。
 さて、では最初の話に戻りましょう。「四十九日目に仏になる」? つまり極楽で仏になるのがこの世の四十九日目にあたるのかどうか、ということについては…私にもはっきりとはわかりません。
 いささかややこしい話になりましたが、要するに、四十九日法要のお包みの上書きを「ご仏前」にするのは、「仏に成ってほしい」という願いのあらわれだと思います。その上書きでなくてはいけない、というほどのことではなく、ひとつの習慣だとご理解下さい。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 66
葬儀のときに戒名を受ける意味を教えて下さい。
〈回答 66〉 戒名は「仏弟子」としての名前です。
 浄土宗の葬儀では、枕経かもしくはお通夜の読経の中で、故人に仏弟子になっていただく儀式(10分程度)を行ないます。
 まず仏の前で懺悔をし、髪を剃ります(剃度作法—ていどさほう)。次に「戒」を受け、まことの仏弟子になります。「戒」とは、仏弟子として守るべき誓い、と考えてよいでしょう。この誓いをたてるわけです。
 そして、仏弟子となった証し、仏教の「戒」を受けられた証しとして「戒名」を受けます。
 名は体を表わす、といいますね。私たちにとってとても重要なものです。周りの方々も、私たち自身も、「名前」でもって自分を「自分」と定めています。試しに、自分から名前が失われたところを想像してみて下さい…。自分が「無」になったような感じがしませんか。それほど私たちは名前=自分、と思い込んでいます。
 仏弟子になる、とはこれまでの俗世、つまり名前=自分をあとにして、仏の世界に入ってゆくということ——。仏の世界から見れば「新たな弟子の誕生」です。それで新たな名前を受けるわけです。私も僧侶になるにあたって、俗名は「泰」と言いましたが、師僧から「泰淳」という戒名を授かりました。
 私ども僧侶も、そのような大切なお名前をお授けするのですから、故人様を偲びながら最もふさわしいと思われるお名前を考えています。すでに受けられた戒名の字の意味をお知りになりたい場合には、授けて下さった僧侶の方にお尋ね下さい。由来、意味など説明して下さると思います。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 65
父が7月の末に亡くなりました。四十九日はカレンダーで見ると9月になります。四十九日の法事が命日から数えて3ヶ月にまたがる(7、8、9月)のは良くないと聞きましたが、なぜでしょうか?
〈回答 65〉 まずはお悔やみ申し上げます。
 四十九日のご法事がご命日から数えて3つの月にまたがると、「始終、苦が身につく(しじゅうく—四十九—がみつき—三月—)」また「身(三)に及ぶ」というところから来ているようです。だから「縁起が悪い」、つまり、語呂合わせの一種ということです。
 元来四十九日という期間は「人は生まれ変わりを重ねて輪廻の世界をめぐっている。死を迎えると、四十九日経ってから次の世界に生まれる」というインドに発する考え方によるものです。しかし、この「3つの月にまたがるのは良くない」という言い伝えには仏教的な根拠は何もありません。ですからまったく気になさる必要はありません。
 もしあなたが9月に法事をなさるおつもりで、ご親戚でこだわる方がおられるなら、以上のことをお話しになってみて下さい。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 64
法然上人を開祖とする浄土宗では仏壇にお位牌がありますが、弟子の親鸞上人を開祖とする浄土真宗ではお位牌は禁止、過去帳のみです。一方的に各派のしきたりを述べるだけでなく、同じ系統の宗旨を持っていながら何故基本的なことが違うのか教えていただきたい。
〈回答 64〉 浄土宗も浄土真宗も、他力(阿弥陀仏の救いの力)を信仰する宗派です。ですから、修行を積んで、自分自身の境地を高めていく(自力)、という教えではありません。阿弥陀仏を信仰し、その救いを信じてお念仏をおとなえするという最も重要なところは、両宗派に共通しています。
 しかし、浄土真宗では「他力」の解釈がより徹底しています。例えば、浄土真宗以外の宗派(浄土宗も含む)では、先祖供養、すなわち功徳を積んでそれを先祖のために回向する(まわしむける)ということを行ないます。ところが浄土真宗の他力信仰の立場に立てば、「ご先祖は阿弥陀仏にすでに救われている。そのうえ回向が必要だというのは、阿弥陀仏の救いを信じていないことになる」のです。法事を行なうのも「功徳を積んで先祖に回向するため」ではなく、「聞法(もんぽう)—阿弥陀仏の教えに接する場を頂く」ため、ということになります。総ては「仏の側から」私たちの側へ頂く、という考え方なのです。「信心」でさえも、自分の中に育てるものではなく、阿弥陀さまから頂くもの、という解釈です。ですから浄土真宗では「卒塔婆回向」もしませんし、「施餓鬼供養」もしません。これらは浄土真宗からみれば自力の供養であって、阿弥陀仏の信仰と相いれないものなのです。
 前置きが長くなって恐縮ですが、お位牌についても同様。位牌に戒名(法名)を書いてそれに礼拝するのは、自力の供養(私たちの側から、気持ちをご先祖の方へ向けること)になる、という解釈です。総ては阿弥陀仏の方から私どもの方へ頂く、という他力の教えに反することになってしまいます。
 これに対し、浄土宗は緩やかというか、浄土真宗ほど徹底していません。お位牌もありますし、卒塔婆も建てますし、施餓鬼も行ないます。こちらからご先祖に回向する、ということを認めているのです。その点では他の宗派、すなわち禅宗や、日蓮宗、天台真言などと同じです。
 ですから先祖供養、という観点からしますと、浄土真宗だけが特別、といえるかもしれません。浄土真宗が位牌を作らない理由としては、他に「位牌のルーツはもともと儒教にあり、仏教とは無関係」「仏教では霊魂の存在を認めない(無我説)。位牌を祖霊の依り代(よりしろ)のようにして拝むのは、仏教に反する」ということもあるようです。
 仏教の「教義」と「先祖供養」…これは時に緊密に結びつくものであったり、また時に矛盾するものであったりするわけです。それが、浄土宗と浄土真宗の考え方の違いによく現われていると思います。

(追記:関連の記載がQ&A 12004年3月コラムにもあります。どうぞご覧ください)

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 63
遺影を仏壇の上に飾ってもよいものでしょうか? 仏壇の上には何も置いてはいけないというようなことを聞いたのですが。遺影は仏壇正面でなく、長押のある壁につり下げたりするのがよいのでしょうか? また、飾るのは遺影に使った写真でないといけないでしょうか? 少し、微笑んでいるような写真ではいけませんか?
〈回答 63〉 お仏壇の中心はご本尊さまです。従って、お仏壇の上にご遺影を飾りますと、ご本尊さまの上(かみ)座にご遺影を置くことになってしまいます。
 大きなお写真でしたら、仏壇の真上を避けて飾られたらいかがでしょうか。適当な場所がありますか? 小さなお写真でしたら、仏壇の脇もしくは中(手前の方)にお飾りしても構わないでしょう。
 要点は、「お参りの中心は仏壇中のご本尊さまであり、ご本尊さまを一番上座(奥、上、中心)に安置しなければならない」、ということです。ご先祖さまは、ご本尊さまに導かれる存在ですから、お位牌などもご本尊さまの一段下に飾ります。ご遺影は、ご先祖さまを表すものとしてはお位牌や過去帳に比べて下位のものですので、仏壇の世界では、上座には置きません。
「仏壇の世界」の外では、どこにご遺影をお飾りになってもご自由です。
 実を申しますと、私自身、ご質問を受けないかぎり、ふだんあまり細かい指導はしていません。せっかくご質問いただいたので、以上のような原則的な考え方をご紹介しました。ご参考になさって下さい。

 それから、「飾るのは遺影に使った写真でないといけないでしょうか? 少し、微笑んでいるような写真ではいけませんか?」とのご質問について。
 結構です。ご葬儀のときに、一番ぴったりくる写真を選べるとは限りません。手を合わせてみて、しっくりくる写真を選ばれたらよろしいと思います。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 62
昨年父が亡くなり、菩提寺に少なからぬ額のお布施を包みました。こんなことを言うのも何ですが、菩提寺の次男坊が、最近、高級外車を乗り回しています。お布施が外車に化けたかと思うと、虚しい気持ちになってしまいます。どう受け取ればよいのでしょうか?
〈回答 62〉 う〜む、何かがっくりと力が抜けてしまうようなお話ですね。「虚しい気持ちになる」というのもそれはそれとして理解できます。
 あなたがふだん、菩提寺さまをどう見ておられるのか、文面だけでは詳しく分かりませんが、もしかしたら肝心なのは「高級外車」よりも「菩提寺と信頼関係ができているのか」ということかもしれませんね。

 ただ、「布施行」の本来の目的から言うと、虚しい気持ちになる必要はないのです。それはなぜか? お布施は「布施すること」で完結する修行です。大切なもの(お金など)を、見返りを求めずにただ差し出す。受け取って頂ければ、それで布施行が成満し、功徳を積むことになります。金品と一緒にあなたの「執着心」の一部を差し出すところが、布施の「行」たる所以です。お布施を差し出した時点ですでにあなたは功徳を積み、行は完結したのです。
 ですから、布施したお金のその後の使い道をあなたが気にかける、というのは本来は筋が違う話なのです。それに、もしかしたら、その車は別の檀家さんが寄贈されたものかもしれないし、「次男坊」さんがバイトをして手に入れたものかもしれませんよね。いずれにしても、あなたの「布施行」はすでに完結しているわけですから、大丈夫。「布施の功徳は必ず仏さまに届いている」と信じ、こだわりを捨てましょう。

 もしも檀家さんから頂いたお布施の収入が適正に使われていないとすれば、それはお寺の問題、または「次男坊」さんの問題です。あなたの問題ではありません。その結果は、やがてお寺や次男坊さんに返ることになるでしょう。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)  




質問 61
東京で生活しています。母が亡くなり故郷の佐渡の浄土宗のお寺より信女の戒名をいただきました。お布施の金額をお寺さんに聞きましたが、「お気持ちで」と言われました。インターネットで調べると「5万位」とありました。浄土宗は金額が低いようですが、相場はおいくら位でしょうか?
〈回答 61〉 布施というのは、一つの「行」です。お金をお包みすることが多いのですが、これは商品やサービスの対価ではありません。「対価」であるならば、相場というものもでてきましょうし、同じ商品を入手したり、同じサービスを受けたりするのであれば、「安いほうがいい」という考えも出てきます。しかし、「布施行」はこれとは違います。
 布施行の意義——それは、お金や安定への執着、自己の所有欲に対する執着を手放し、寛大さを培うことにあります。何かを手に入れるためにお金を差し出すのではなく、ただ、差し出す。「ただ、差し出すだけ」——これが布施行の意義であり、功徳でもあります。日常のお金のやり取りとは全く異なります。

 実際には、家族を亡くし、葬儀を出したり法事を営む場合にお布施をお包みすることが多いですね。しかし、この布施行の意義や精神を欠いたお布施は、虚しいものです。寛大さを培う、というのは個人の意識の成長の問題ですから、いくらの金額が適当か、というのは他人が示せることではありません。たとえ資産家であっても吝嗇な資産家であれば、小さい金額でも「ただ差し出す」ことに苦痛を感じるでしょう。であれば、その資産家にとってはわずかな金額でも「有意義な」布施行になるでしょう。また逆に、すでに寛大なところがある人は、例え豊かでなくても大きな金額を布施することになるかもしれません。

 「インターネットで相場を調べる」のも結構ですが、あなたご自身の「お気持ち」を十分お考えになったうえで、もしもっと大きな金額を布施できるのであれば、そうして下さい。それによってあなたは何の「得」もしないかもしれません。が、得ようと思っても容易には得られないもの——つまり寛大な心、豊かな心に一歩近づけるかもしれません。

林海庵トップページへ Q&Aのトップへ このページの目次へ 全文検索:

     このQ & Aは参考になりましたか? はい いいえ
     ひとことどうぞ (省略可)