仏教・仏事 Q & A [No. 101 〜 No. 120]

(2004年10月24日までの分)

目 次 (新着順)

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番 号 質 問 内 容 分 類
質問 120
先月母が亡くなりました。病院から知らせが来て、飛んでいったのですが、間に合いませんでした。「死に目にあえない」とよく言いますが、死に目にあえないと、何か問題があるのでしょうか?
一般の相談
質問 119
これはよく見る夢の話です。
——平安時代のようです。京都御所のような造りの屋内に私がいます。障子を開けると、裏手に小高くゆるやかなジグザグに歩く道があり、そばには小さな供養塔か墓石のようなものが沢山あります。そこを、十二単衣を着た優雅な女性達が歩きながら、一つ一つお供えをしているのです。それも、そのお供えというのは、『炭』なのです。普通は、お神酒とかお水、果物・お菓子などですよね。とても不思議でなりません。それに、同じ夢を何度となく見るので、とても気になっっています。
 先祖にまつわる事なのか、それとも、何か他のメッセージなのか、どう解釈すれば良いのか戸惑っています。それから、炭をお供えする信仰等、ご存知であればお教え頂けないでしょうか?
一般の相談
質問 118
親戚の法事に出席しました。ご住職が法話の中で、「仏教の宗派はいろいろありますが、目指すところは同じ『悟り』です。あまり宗派にこだわる必要はありません」とおっしゃいました。
 浄土宗の家に生まれ、両親がお念仏をとなえているのを見ながら育った私としましては、どうも納得できません。「お念仏だけで良いのだから、浄土宗はありがたい」と日頃言っていた亡き父の面影が浮かびます。私自身、阿弥陀様には、他の仏様にない特別のものを感じます。
 これも宗派へのこだわりでしょうか?
仏教 (宗教)
質問 117
幼なじみの親友が亡くなりました。葬儀はもちろん、四十九日の法事にも出席させて頂きました。家でも供養したいと思うのですが、わが家の過去帳に記載しても良いでしょうか?
仏事一般
質問 116
娘が流産をしまして、しばらく実家である私どもの家に帰ることになりました。母としてどう迎えたらよいのか、分かりません。どうすればよいでしょうか?
一般の相談
質問 115
本を見ながら浄土宗のお経を音読しています。おりんを打つタイミングや木魚の叩き方など、とても難しく感じます。全部指定通りにやらなければならないのでしょうか?
浄土宗
質問 114
半年前に主人を亡くしました。本人の希望通り無宗教葬にしましたが、何となく私の気持ちがおさまりません。子供たちは「お父さんの思うようにして上げたんだから、もういいじゃない」と言います。このままだと一周忌もお墓参りだけになってしまいます。独りで鬱々として考え込んでいる毎日です。
仏教 (宗教)
質問 113
子供に宗教心を学ばせたいと思うのですが、どうすれば良いでしょうか?
仏教 (宗教)
質問 112
私は浄土宗の檀家です。私には資格も学も無く、食うのが精一杯でここまで来ました。ところがこの度「次期契約はしない」と会社に言われ、職安に通う毎日です。面接に行っても、届くのは不採用通知ばかり・・・ 失業保険も切れるし、少しの蓄えも切れる所です。このままだと餓死せざるを得ない状態、切羽詰まってしまいました。両親は早くに亡くなり、妹も去年他界してしまいました。天涯孤独の身なもので、どうしようもなくてメールを差し上げた次第です。この時代、なかなか仕事もあるわけが無く、抜け殻状態で毎日を過ごしてます。どうか良きアドバイスをお願いします。
一般の相談
質問 111
どこへ相談したらよいか困っていたところ、このHPに出会いました。私はある会社の事務員をしております。リストラ後失踪してしまった前従業員のご家族の位牌を、彼が見つかるまで会社で預かることになりました。どんなふうに保管、ご供養してあげればよいでしょうか。また、彼が見つからない場合はどうすればよいでしょうか。お寺さんのほうで燃やしてもらって大丈夫なのでしょうか。たたりとか心配です。
仏事一般
質問 110
  1. 初盆について、お教えいただけませんでしょうか。 去年の夏に実父が亡くなりました。今年が初盆となるかと思うのですが、作法等、何を準備すれば良いのかわかりません。白磁の陶器のものを用いるとか、塗りのもので良いとか、葬儀屋さんとお寺さんからお聞きしたことが違っていて困っています。お寺さんのおっしゃるとおりにするのが良いとは思うのですが、ご相談させていただきました。よろしくお願いいたします。

  2. お棚経、お施餓鬼時にお寺にお出しする費用の袋には何と書いたら良いのでしょうか。やはり“お布施”でいいのでしょうか?

  3. 両親が亡くなって三回忌を済ませたところです。今月お盆のお施餓鬼があり、塔婆を上げます。両親が健在の時には「先祖代々」で塔婆を上げていましたが、亡き両親はいつの時期から「先祖」の扱いになるのですか?
仏事一般
質問 109
父が亡くなって、初めてわが家の宗派が浄土宗である、と知りました。お寺さんにいろいろ質問しても、「こうでなければいけない、ということはありません」と答えが返ってきます。浄土宗とは…と興味を持ち、本も借りてきて読みました。寓話集の中に、知恩院の本殿のふき残しの話を見つけました。完璧を求めず、適当にずぼらである、という話でした。
 でも家族としては、愛する父に何かしてあげたいし、後で「知らなかった」と後悔したくない—そんな思いでおります。
 お寺さんを身近に感じていきたいと、いろいろ教えて頂きたくて質問をするのですが、決まってこう答えられてしまうと、質問すること自体が恥ずかしい事のように思えてきます。
 質問の仕方がいけないのでしょうか?どこでもそのようなお答えから始まるのでしょうか?教えてください。
浄土宗
質問 108
先日、京都に行って感じた疑問です。
いろいろなお寺を巡り、知恩院や金戒光明寺といった浄土宗のお寺にもお参りをさせていただきましたが、いずれもそのお寺の中心に位置し、一番大きなお堂は法然上人をおまつりしたお堂でした(東西本願寺も阿弥陀堂よりも親鸞聖人のお堂の方がはるかに巨大でした)。
浄土宗や浄土真宗の経典を直接読んだ経験はほとんどありませんが、法然上人や親鸞聖人が「私に手を合わせなさい」と説いたとは到底思えません。お二人の教えは阿弥陀さまへの集中した信頼と感謝だと私は理解しています。阿弥陀さまのお堂より、上人様方のお堂が信仰の中心になってしまっていることに非常に疑問を覚えました。
なぜ、このような状態になっているのでしょうか?
浄土宗
質問 107
浄土宗の信徒には、誰でもなれるのでしょうか? 出家する必要はありますか。私はまだ高校生ですが、年齢制限とか、家の宗派(浄土宗ではない)とかはやはり関係してくるのでしょうか?
浄土宗
質問 106
浄土宗について知りたいと思い、いろいろと調べてみました。調べた結果、浄土宗とは「ただひたすらに念仏をとなえれば必ず極楽浄土へ行ける」ということが分かったのですが、阿弥陀さまは極楽浄土へ導いて下さるだけで、今我々が生きている世界を救っては下さらないのでしょうか?
浄土宗
質問 105
仏滅にお墓を建ててはいけないのですか? 仏滅は宗教となにか関係があるのでしょうか。個人的にはただの占いみたいなものととらえていますが、やはりお寺の行事や法事とか棟上げとかは仏滅は避けるのですか?
仏教
質問 104
お念仏の唱え方についてお教え下さい。「ナムアミダブ」と「ナムアミダブツ」の二種類の唱え方があるようですが、繰り返し唱える時には「ナムアミダブ」のほうが言いやすいように思います。中国からお念仏が伝わって来た時に「ナムアミダブ」という言い方であったのか、あるいは日本に来てから、念仏修行者が唱えやすいように「ナムアミダブ」と変化したのでしょうか?
浄土宗
質問 103
浄土宗のお墓を建てる場合、「墓石の上部に梵字を刻むといい」とききましたが、あまり 見たことがありません。本当に梵字を刻んだ方がいいのでしょうか?
浄土宗
質問 102
戒名を自分でつけても良いのでしょうか?
仏教
質問 101
お経のことです。浄土宗では三つの代表的なお経があると聞きましたが、どういう風に使い分けるのでしょうか? お墓を新規に建てたときとか、逆に古いお墓を処分するとき、又はお葬式とか年忌法要とか、そのときに応じて使い分けるのですか? 『般若心経』というのをよく聞きますが、浄土宗では読むことはないのですか?
浄土宗



 一気読みコーナー 
※番号の逆順になっています(若いものほど下)



質問 120
先月母が亡くなりました。病院から知らせが来て、飛んでいったのですが、間に合いませんでした。 「死に目にあえない」とよく言いますが、死に目にあえないと、何か問題があるのでしょうか?
〈回答 120〉 死は個人的な現象です。その瞬間を一人で迎えることになったとしても、何も問題はありません。ご遺族の気持ちからすれば、「死に目にあえず心残りだ」と思われるのも無理ありませんが、それはご遺族の側のこと。家族がそばについていたり、いなかったりすることで、死のプロセスに影響を与えるわけではありません。
 それよりももっと大切なことは、その瞬間に仏のお導きを頂けるかどうか、ということです。この教え(浄土宗)によれば、「ふだんよくお念仏を申すことによって、臨終のときに必ず阿弥陀仏のお導きを頂ける。仏のお姿を拝すれば心落ちついていられるので、念仏者はたいてい安らかな臨終を迎えることができる。」とあります。

——「まめやかに往生のこころざしありて、弥陀の本願疑わずして念仏申さん人は、臨終悪きことは、大方候まじきなり。そのゆえは、仏の来迎したもう事は、もとより行者の臨終正念のためにて候なり。…ただの時に、よくよく申しおきたる念仏によりて、臨終にかならず仏来迎したもう。仏の来たり現じたまえるを見たてまつりて、正念には住すと申し伝えて候なり。」(法然上人)

 万一母上が浄土に往かれていない場合でも、ご遺族の皆さんがお念仏をとなえてご回向をされれば、母上は阿弥陀仏の光明に照らされて解脱することができます。『無量寿経』というお経に書かれている通りです。
 ですから、どうぞお気になさらぬように。そして、母上が速やかに仏の道を歩まれるよう、よくお念仏のご回向をして差し上げて下さい。

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質問 119
これはよく見る夢の話です。
——平安時代のようです。京都御所のような造りの屋内に私がいます。障子を開けると、裏手に小高くゆるやかなジグザグに歩く道があり、そばには小さな供養塔か墓石のようなものが沢山あります。そこを、十二単衣を着た優雅な女性達が歩きながら、一つ一つお供えをしているのです。それも、そのお供えというのは、『炭』なのです。普通は、お神酒とかお水、果物・お菓子などですよね。とても不思議でなりません。それに、同じ夢を何度となく見るので、とても気になっっています。
 先祖にまつわる事なのか、それとも、何か他のメッセージなのか、どう解釈すれば良いのか戸惑っています。それから、炭をお供えする信仰等、ご存知であればお教え頂けないでしょうか?
〈回答 119〉 鮮やかなイメージの夢ですね。
 私が今言えることを書いてみます。
 夢が伝えてくれるメッセージを探るには、相応の手法が必要です。私の経験では、臨床心理学関係の手法—「プロセス指向心理学(POP)」や「フォーカシング」の手法が役に立ちます。これらを使えば、きっと重要なメッセージを受け取ることができるでしょう。お近くに経験者や専門家がいれば、きっと助けになってくれると思います。
「炭のお供え」については、何かあなたご自身にとって意味のあるものだと思います。「炭」ということでピンと来なければ、それがきっと何か別のものを象徴しているのでしょう。
 有償になりましょうが、個人セッションを受けられたらどうかと思います。これほどの夢であれば、その価値があるのでは…。

 いささか不完全な返答ですみません。ただ、メールのやりとりを通して夢のメッセージを探ってゆくのは難しいと思います。

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質問 118
親戚の法事に出席しました。ご住職が法話の中で、「仏教の宗派はいろいろありますが、目指すところは同じ『悟り』です。あまり宗派にこだわる必要はありません」とおっしゃいました。
 浄土宗の家に生まれ、両親がお念仏をとなえているのを見ながら育った私としましては、どうも納得できません。「お念仏だけで良いのだから、浄土宗はありがたい」と日頃言っていた亡き父の面影が浮かびます。私自身、阿弥陀様には、他の仏様にない特別のものを感じます。
 これも宗派へのこだわりでしょうか?
〈回答 118〉 こだわりと言っても、それは良い意味でのこだわりです。こだわりの気持ちを完全に取り去ってしまうのはほとんど不可能です。自分の身体や心を守ったり、家族の幸せを願ったり、仕事に打ち込む…それらも「こだわり」と言えばそう言えるでしょう。私たちはそれらをすべて否定するのではなく、そのエネルギーを少しずつ信仰の対象に向けてゆきます。それによって心安らかになり、結果的に余計なもの—地位や財産などへの強い執着—が落ちてゆきます。捨てきれない「こだわり」の心に、良いはたらきをしてもらう、といえましょう。
 ご住職が「宗派にこだわる必要はない」というのは(前後の関連が分かりませんので何とも言えませんが)一つの考え方です。宗派を超えた境地に辿り着いた方でしたら、そうおっしゃれるかも知れません。が、私ども凡夫はなかなかそうはいきません。一つの宗派の教えを究めてゆくことでさえ、たいへんなことです。
 どうぞあまり気になさらず、いま目の前にある道=お念仏に励んで下さい。

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質問 117
幼なじみの親友が亡くなりました。葬儀はもちろん、四十九日の法事にも出席させて頂きました。家でも供養したいと思うのですが、わが家の過去帳に記載しても良いでしょうか?
〈回答 117〉 お気持ちはお察ししますが、お宅の過去帳に記載することはあまりお奨めしません。その理由は、子孫の方が混乱するもとになるからです。過去帳は先祖代々の記録ですから、もし外の方の名前が入ってくると、ご子孫が「この人はどういう方だろう。供養しなくてはならないのだろうか」と困られるかもしれません。またあなた以外のご家族が「私も亡くなった友人の名を載せよう。前例があるのだから構わないだろう」と思ってそうされたら、ますます混乱してきます。
 ご供養したいのでしたら、ご友人のお戒名をご遺族から教えて頂き、それを朝晩のお勤めのときに読み上げて差し上げて下さい。
「○○○○(戒名)、追善菩提(ついぜんぼだい)」
 という具合です。
 それで充分なご供養になります。

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質問 116
娘が流産をしまして、しばらく実家である私どもの家に帰ることになりました。母としてどう迎えたらよいのか、分かりません。どうすればよいでしょうか?
〈回答 116〉 「どう迎えたらよいのか、分からない」—そうかもしれません。
 まず、ご自分のお気持ちに焦点を合わせましょう。おそらく、かなり混乱されていることと思います。
 「早く元気になって」「もしこのまま別居、離婚ということになったらどうしよう」「もっと強い子に育てた積もりなのに」…これらの言葉が浮かんでくるかも知れません。が、もしそうだとしても、それらを口にすべきではありません。
 そうではなく、「自分も母として深く傷ついている」ということ、その事実に留まりましょう。そこから抜け出そうとすると、上記のような色々な言葉が出てきます。あなたの心の傷が娘さんに由来する以上、あなたのどこかに「娘が流産さえしなければ、私がこんなに苦しむことはないのに…」という気持ちがあるかもしれません。その気持ちを充分に自覚せずに言葉を出すと、どんな慰めの言葉であってもそこに娘さんを否定する響きがこもります。

 余計なことは言わず、そっとしておいてあげること。娘さんが話したいときには充分に耳を傾けてあげること。娘さんと、そしてあなたご自身を温かく見守ることです。ただ、それだけ—難しく考えることはありません。

 但し、娘さんが鬱状態になるなど、困難を感じるときは、早めに専門家の助けを仰ぐようにして下さい。

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質問 115
本を見ながら浄土宗のお経を音読しています。おりんを打つタイミングや木魚の叩き方など、とても難しく感じます。全部指定通りにやらなければならないのでしょうか?
〈回答 115〉 おりんや木魚を打つ意味は何でしょうか。その主な目的は、大勢の僧侶が一緒に読経する際に、声をそろえたり、礼拝のタイミングなど身体の動作をそろえたり、次のところへうつるきっかけの合図にしたりする、ということなのです。
 おりんの音を聴くと心が静まる、ということも大切ですが、お経の途中で鳴らす場合は上記のような意味があります。ですからお一人で読経するときには、すべて鳴らさなくても構わないのです。

 私ども僧侶は細かい指導を受けます。それは必ず、先生について学びます。本を読んで独学、ということはありません。それをやろうと思えばとても大変です。
 もし「せっかく読むのだからちゃんとやってみたい」というのでしたら、本山などでお経の勉強会を主催していますので、そういった場に参加することをお勧めします。やはり先生について学ぶのが一番です。お近くのお寺に尋ねてみて下さい。

 お近くにお寺がないときは、お経のテープやCDが助けになるでしょう。それに合わせてできる範囲でお稽古なさって下さい。お念仏のときも、木魚の合間打ちが難しければ、頭打ち(*注)で結構です。頭打ちでもリズミカルに叩けるようになれば、気持ち良くお念仏できると思います。

(*注)頭打ちは、「なむあみだぶ」の「な」「あ」「だ」の発声の時に木魚を叩くこと。正式には合間打ち—「なーむ」「あーみ」「だーぶ」の長音部分で叩く

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質問 114
半年前に主人を亡くしました。本人の希望通り無宗教葬にしましたが、何となく私の気持ちがおさまりません。子供たちは「お父さんの思うようにして上げたんだから、もういいじゃない」と言います。このままだと一周忌もお墓参りだけになってしまいます。独りで鬱々として考え込んでいる毎日です。
〈回答 114〉 本当にお気の毒なことです。
 私どもがご葬儀をお勤めする意味は、いろいろあります。故人を仏弟子として阿弥陀さまのお導きに委ねる、ということが最大の意味合いです(この意味合いは宗派によって違います)。一方、宗教儀式の中で故人をお送りすることによって、ご遺族の心が慰められる、という意義も大きいと思っています。また仏事は四十九日、百カ日、初盆、一周忌…と続きます。法事を営むことは大変といえば大変ですが、それらに一つ一つ取り組んでゆくことによって、「故人に対して誠意を尽くしている」という実感も得られます。
 「無宗教」ですと、これらすべてが欠落することになってしまいます。「何となく気持ちがおさまらない」「鬱々と考え込む」のも無理もありません。
 こうされたらどうでしょうか。ご葬儀に関してはご主人の思い通りにして差し上げたわけですから、その後のことについては奥さまの思うように進める、というふうに—。お寺さんに相談して、ご供養していただくのも良いでしょう。それは決して、ご主人を裏切ることにはなりません。なぜなら、もし無宗教葬でご主人がすでに「安楽の境地」に往かれたのであれば、仮にこちら側の世界で仏事を営んだとしても、(執着から離れた)ご主人の心を乱すことにはなりません。そしてもし、ご主人がまだ迷いの中におられるのであれば、仏事を営むことによって、ご主人を大いに助けることになります。
 いずれにしても、ご主人を大切に思うお気持ちあってのことですから、ご主人はきっと感謝されることと思います。
 よくお考えになって、また何かございましたらご相談下さい。

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質問 113
子供に宗教心を学ばせたいと思うのですが、どうすれば良いでしょうか?
〈回答 113〉 真の宗教心は、親から教わるものではありません。自分自身の力で人生を切り開いてゆくときに、苦しみや惨めさのどん底で出会うものです。ですから、宗教心を学ばせようと思うなら、否、学んでもらいたいと思うならば、まず自分自身の力で人生を歩めるように助けるべきだと思います。「宗教心」も含め、親の生き方をお子さんに押し付けるべきではありません。
 あなた自身が宗教的な生き方をされているなら、それで充分です。子供は親のことを実に良く見ていますから、そこから何かを学ぶはずです。
 あなたが自分自身に対して真実であること、嘘をつかないこと—それが子どもに与えられる一番の恩恵ではないでしょうか。

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質問 112
私は浄土宗の檀家です。私には資格も学も無く、食うのが精一杯でここまで来ました。ところがこの度「次期契約はしない」と会社に言われ、職安に通う毎日です。面接に行っても、届くのは不採用通知ばかり・・・ 失業保険も切れるし、少しの蓄えも切れる所です。このままだと餓死せざるを得ない状態、切羽詰まってしまいました。両親は早くに亡くなり、妹も去年他界してしまいました。天涯孤独の身なもので、どうしようもなくてメールを差し上げた次第です。この時代、なかなか仕事もあるわけが無く、抜け殻状態で毎日を過ごしてます。どうか良きアドバイスをお願いします。
〈回答 112〉 今のあなたにどのような言葉が届くか分かりませんが、やってみようと思います。
 まずひとつ。ご自身の心理的な状態はいかがでしょうか。
 ある程度(といっても難しいかもしれませんが)健全な心理状態で求職活動ができているのか。
 鏡をのぞいて見ましょう。どのような顔が写っていますか。あなたが採用する側だとしましょう。「この人と一緒に仕事をしたい」という顔がそこにありますか。
 もしもそうでないならば—そしてあなたの心理状態が健全とは言えないならば、医療や福祉関係に助けを求める方法があります。

 それともうひとつ。
 37歳とおっしゃいますと、仮に60歳まで働くとしても、あと23年あります。それだけあれば、ひと仕事もふた仕事もできます。その期間を「23年どうやってやり過ごしていこうか」とみるか、「この23年をどういうふうに使おうか」とみるか…。
 辛い時期にこそ、新たな変革の可能性が潜んでいる、というのが私の持論です。
 ご両親、妹さんも亡くなられたとのこと。今回の失業は、あなたにとっては大変お辛いことだと思います。悪条件を数え上げてご自分を追いつめてしまうこともできますが、
「さあて、こいつは新しい状況だ。自分がどういうふうに取り組んでいくのか、じっくり見てやろうじゃないか。」
と言うことも出来るかもしれません。
 良きアドバイスになったかどうか分かりませんが、ご健闘を切に祈ります—どうか道が開けますように。

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質問 111
どこへ相談したらよいか困っていたところ、このHPに出会いました。私はある会社の事務員をしております。リストラ後失踪してしまった前従業員のご家族の位牌を、彼が見つかるまで会社で預かることになりました。どんなふうに保管、ご供養してあげればよいでしょうか。また、彼が見つからない場合はどうすればよいでしょうか。お寺さんのほうで燃やしてもらって大丈夫なのでしょうか。たたりとか心配です。
〈回答 111〉 花・灯・香でご供養できれば理想ですね。が、常時そうすることが難しければ、お線香を焚いて手を合わせたあと、白いきれいな布に包んで、箱に入れてしまっておけば良いでしょう。
 前従業員の方が見つからない場合等のご質問については、お寺さんにお持ちになるときに、「こういう事情だけど、お焚きあげして頂けますか」というふうにご相談なさって下さい。あとはお寺さんが判断なさるでしょう。ご心配には及びません。

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質問 110
初盆について、お教えいただけませんでしょうか。 去年の夏に実父が亡くなりました。今年が初盆となるかと思うのですが、作法等、何を準備すれば良いのかわかりません。白磁の陶器のものを用いるとか、塗りのもので良いとか、葬儀屋さんとお寺さんからお聞きしたことが違っていて困っています。お寺さんのおっしゃるとおりにするのが良いとは思うのですが、ご相談させていただきました。よろしくお願いいたします。
〈回答 110〉 お盆の準備ですね。
 お盆は、亡きご先祖にお家にお帰りいただきご供養をする、という行事(コラム倉庫もご参照下さい。お盆について幾つか過去にコラムを書いています)。初盆(新盆)では、そのご先祖さまに初めてお盆のご供養を受けて頂きます。
  1. 期間:迎え火・送り火をいつ焚くか。
     これは地方によって異なります。8月13〜15または16日、つまり13日に迎え火を焚き、15日または16日に送り火を焚く、というところが多いようです。私の住む東京(7月盆が主)でも場所によって違います。
     お墓参りに行った時にお墓で迎え火を焚き、それを提灯に移して持ち帰ったり、お寺のご本尊さまの灯明を移して持ち帰ったりするところもある、と聞きました。
     火を焚くのは、ご先祖様の霊をご案内するという意味で、ふつうは玄関先で、おがらを燃やします。
  2. 飾り:お盆のお飾りをどうするか。
     仏壇からお位牌を出し、小机にならべる。小机には真菰(まこも—おがらと一緒にスーパーや花屋さんに売っています)を敷き、その上にお位牌のほか、ロウソク立て(右側)や香炉(中央)、おりん(右側)も置いておき、いつでもお参りができるようにしておく。
     お花(左側)・お供物を飾る。お供物は季節の野菜・果物・お水・お膳など(ご無理のないところで…) お供物には地域差があります。東京の場合でも、お宅によってまちまちです。(キュウリの馬、ナスの牛など。また特別な飾りをしないお宅もあります)
     あと盆提灯ですね。ご親戚から贈られる、というケースが多いです。新盆(初盆)の時には白い提灯を飾る、という習慣もあります。(必須のこととは思いませんが、お気持ちで飾られるなら、それも良いでしょう)
  3. 菩提寺さまに来ていただき、お盆のお経を上げてもらう。
     ご親戚にもお寺さんの予定を伝えておけば、一緒にご供養できますね。
 以上が主なところでしょうか。
 お盆は、宗派による違いというよりも、それぞれの地域の習慣として伝わっている部分が大きいので、近隣のお年寄りに教えて頂くのが一番かもしれません。
 「白磁の陶器のものを用いるか、塗りのもので良いか」とのご質問について…これは、お供物をお飾りするお皿のことでしょうか?
 もしそうでしたらどちらでも良いように思いますが、菩提寺さまが読経にみえるのであれば、お寺さんのおっしゃったことに従って下さい。

 いずれにしても、あまりむずかしく考えず、ご自分なりになさってみることが大切です。お寺さんがみえたら、「これで良いでしょうか」と尋ねてごらんなさい。それは決して恥ずかしいことではありません。何かあれば、そのときにお寺さんにお教え頂けることでしょう。

お盆について(2)
お棚経、お施餓鬼時にお寺にお出しする費用の袋には何と書いたら良いのでしょうか。やはり“お布施”でいいのでしょうか?
 表書きについてのご質問ですね。「お布施」で結構です。(費用というよりも、布施行の一つとしてとらえて頂いた方が、私ども僧侶としてはありがたくお受けできます)

お施餓鬼について
両親が亡くなって三回忌を済ませたところです。今月お盆のお施餓鬼があり、塔婆を上げます。両親が健在の時には「先祖代々」で塔婆を上げていましたが、亡き両親はいつの時期から「先祖」の扱いになるのですか?
 施餓鬼会塔婆の件ですね。(お寺によって若干違うかもしれませんが)私が思うに、
  1. 先祖代々で一本お上げする
  2. ご両親それぞれのお戒名で一本ずつお上げする
  3. 1. と 2. 合わせて計三本お上げする
のいずれでも良いと思います。
「いつの時期から先祖の扱いになるか」—古来の考え方に従えば三十三回忌ないし五十回忌ということになりましょうが、これにこだわらなくても良いでしょう。
 以上は私の意見です。菩提寺さまのお考えもあるかと思いますので、どうぞお尋ねになってみて下さい。

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質問 109
父が亡くなって、初めてわが家の宗派が浄土宗である、と知りました。お寺さんにいろいろ質問しても、「こうでなければいけない、ということはありません」と答えが返ってきます。浄土宗とは…と興味を持ち、本も借りてきて読みました。寓話集の中に、知恩院の本殿のふき残しの話を見つけました。完璧を求めず、適当にずぼらである、という話でした。
 でも家族としては、愛する父に何かしてあげたいし、後で「知らなかった」と後悔したくない—そんな思いでおります。
 お寺さんを身近に感じていきたいと、いろいろ教えて頂きたくて質問をするのですが、決まってこう答えられてしまうと、質問すること自体が恥ずかしい事のように思えてきます。
 質問の仕方がいけないのでしょうか?どこでもそのようなお答えから始まるのでしょうか?教えてください。
〈回答 109〉 初めに、お悔やみを申し上げます。
 お寺さんが「こうでなければいけない、ということはありません」とおっしゃるのですね。それは多分、「こうでなければいけない」と言うことで、仏事を難しいものだと思ってほしくない、という配慮だと思います。(私自身も同じように対応する場合があります。) 実際、仏事を構成する要素の多くの部分は、「仏教によればこうだ」「お釈迦さまはこのように教えられた」というよりも、習慣として伝えられたものが多いのです。ですから地域差があったり、時代によっても変わってくる。そうすると、「こうでなければならない」とも言えなくなってきます。
 しかし、あなたのように「質問すること自体が恥ずかしい事のように思えてきます」ということであれば、たとえお寺さんが「仏事は決して難しくないのですよ。ご安心下さい。供養する心さえあれば、それで充分なのですよ」という気持ちで「こうでなければいけない、ということはないのですよ」と言って下さったとしても、あなたのお気持ちとはずれてきますね。

 「具体的にどうしたらよいのか」を尋ねたいときには、思いきってこうおっしゃってみては如何ですか。
 「そうおっしゃって下さるのはありがたいのですが、『それについては、こうしたらよいでしょう』と具体的に教えて下さいませんでしょうか。そのほうがかえって安心です。父に対しては、後悔の残らないように、きちっと仏事を勤めたいものですから。」
 そうすれば、あなたのお気持ちがお寺さんに伝わるのではないでしょうか。

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質問 108
先日、京都に行って感じた疑問です。
いろいろなお寺を巡り、知恩院や金戒光明寺といった浄土宗のお寺にもお参りをさせていただきましたが、いずれもそのお寺の中心に位置し、一番大きなお堂は法然上人をおまつりしたお堂でした(東西本願寺も阿弥陀堂よりも親鸞聖人のお堂の方がはるかに巨大でした)。
浄土宗や浄土真宗の経典を直接読んだ経験はほとんどありませんが、法然上人や親鸞聖人が「私に手を合わせなさい」と説いたとは到底思えません。お二人の教えは阿弥陀さまへの集中した信頼と感謝だと私は理解しています。阿弥陀さまのお堂より、上人様方のお堂が信仰の中心になってしまっていることに非常に疑問を覚えました。
なぜ、このような状態になっているのでしょうか?
〈回答 108〉 ご質問を読んで、私も初めて京都にお参りしたときに、ちょうど同じような疑問を感じたことを思い出しました。教えの上からは、おっしゃるとおり、やはり阿弥陀さまを中心にお祀りすべきではないか、と思いました。

 しかしながら、現在の姿もまた、現実です。今は私自身、このような姿を歴史的事実、信仰の現実だと思っており、「こうあるべきではない」というふうには考えなくなりました。ここは阿弥陀さまに手を合わせる場、そしてここは法然上人に手を合わせる場、とそれぞれに捉えて、比較もしません。
 そんなわけで、「なぜこのような状態になっているのか?」というご質問に対し、理由を明確に説明することができません。ご質問の回答としてはまことに不充分で、申し訳ありません。

 機会がありましたらあなたのお考えをお聞かせ下さい。

ひとこと(1)
ご質問を下さったハンドルネーム「苦沙弥」さんから、この後以下のようなメールを頂きました。感謝とともに掲載させていただきます。
 質問にお応えいただきありがとうございます。
 私も質問をお送りした後、自分なりに調べてみましたが、ひとつ気付いたことがあります。それは、いわゆる鎌倉仏教は「宗祖重視主義」だということです。
 今回の質問で、私は浄土系宗派のみを取り上げましたが、宗祖が信仰の中心であるような扱いをしているお寺は他宗派にもありました。例えば、日蓮宗大本山の池上本門寺の本尊は日蓮聖人ですし、曹洞宗大本山の中心に位置する太祖殿の本尊は瑩山禅師・道元禅師です。平安仏教の弘法大師は日本で最も崇拝されている宗教の開祖ですが、宗派を超えた信仰をあつめており、これは別格と考えた方が考えた方が良いでしょう。
 では、なぜ鎌倉仏教が「宗祖重視主義」なのかということについて、私の考えは次のとおりです。
 奈良仏教・平安仏教までは、仏教は程度の差はあっても「総合的」でした。日本天台宗を筆頭に、成仏の「方法」についてある程度の幅がありました。ですから、宗祖後も教義理論的に新たな考えを提示する自由があったため、天台宗には円仁や円珍、真言宗には覚鑁といった優れた理論家を産み出す素地があったのではないかと思います。
 一方、鎌倉仏教は、その総合性を備えた仏教から、宗祖が選択した方法に信頼を寄せることが信仰の第一歩であり、宗祖の判断に異議を唱えることはその宗派の大前提を覆すことになります。浄土系宗派であれば、法然・親鸞のお二人の解釈を経た阿弥陀信仰であり、日蓮の解釈を経由した法華経信仰なのです。そのため、必然的に平安仏教以前の仏教よりも宗祖の存在感が大きくなります。そして、その結果として現在のような伽藍の形式に至ったのではないかと思います。考えてみれば、本願寺は元々親鸞聖人の廟所が起源ですので御影堂の方が大きいのも当然と考えることもできますが、基本的に鎌倉仏教にはこのような特徴があるのではないかというのが私の結論です。

ひとこと(2)
続いて、ある浄土宗僧侶の方から以下のようなコメントを頂きました。
 浄土宗の僧侶として、このご質問に一言添えさせていただきます。確かに阿弥陀仏を信仰する浄土宗の総・大本山の本尊が法然上人であるということに違和感を感じられたということは素直なご感想でしょう。
 しかし、我々信仰を持つ者にとって、宗祖の教えは絶対であります。ましてや、わが法然上人におかれましては、それまでの仏教の教えには無かった(埋もれていた)、「どんな人でもお念仏をお称えすれば、阿弥陀様はお称えした全ての人をお救い下さる」という万人が救われる御教えを広められました。法然上人の御教えの原点は、「私達は、この世において、仏になることは難しい。私達は罪深く愚かな存在であるから」というところです。ご自身の命をかけてまで、全ての人が救われる御教えを広められた宗祖を仰ぐことは、ごくごく自然な事なのですが…。

庵主より
ご感想、ありがとうございます。私自身にとっても、宗祖は最も身近な師であり、宗祖を仰ぐことはごくごく自然なことです。
 一方、苦沙弥さんのご質問も、「法然上人をお祀りするべきではない」「宗祖を仰ぐことは自然ではない」という意図ではないと思うのですが…。
 表現のニュアンスもありますし、お互い顔を見ながらのお話でもありませんので、この場では二つのお立場から頂戴したご意見を掲載するところまでとし、これ以上の議論は避けたいと思います。
 悪しからず、ご了承下さいませ。

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質問 107
浄土宗の信徒には、誰でもなれるのでしょうか? 出家する必要はありますか。私はまだ高校生ですが、年齢制限とか、家の宗派(浄土宗ではない)とかはやはり関係してくるのでしょうか?
〈回答 107〉 在家信徒ということで、どなたでも大丈夫です。あなた個人の信仰として浄土宗を選びたいというのであれば、家が他の宗派であっても問題ありません。(当庵の「お念仏の会」にも、家の宗派が浄土宗でない方もみえています。)年齢制限もありません。
 また「信徒になる」ということに関して申しますと、浄土宗の本を読んでただお念仏をとなえる、ということでも構わないのですが、もしお近くに浄土宗のお寺がございましたら、ぜひご縁を結び、ご住職からあなたに合ったご指導を頂くのが宜しいでしょう。

 人が自分の人生の柱になる信仰と出会うというのは、並大抵のことではありません。年若くしてそういう信仰と出会う、ということもあるでしょう。あなたの場合どうなのか、メールだけでは分かりません。が、若いうちは色々なことを吸収するべきです。浄土宗だけでなく色々なことを学び、他者に耳を傾け、あなたの実生活上の経験と照らし合わせ、あるときには謙虚に頭を垂れ、またあるときには批判精神をもって他者や自己の矛盾に気づいてゆく—そしてあなたなりの答えを探し続けて下さい。
 例えば、「善とは何か、悪とは何か」「心が澄んでいる、とはどんな状態か」「どうしたら他人さまの役に立てるか」「自分が心底から歓びを感じるのはどういうときか」…これらのことには繰り返し立ち戻り、思索を深めて頂きたいですね。

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質問 106
浄土宗について知りたいと思い、いろいろと調べてみました。調べた結果、浄土宗とは「ただひたすらに念仏をとなえれば必ず極楽浄土へ行ける」ということが分かったのですが、阿弥陀さまは極楽浄土へ導いて下さるだけで、今我々が生きている世界を救っては下さらないのでしょうか?
〈回答 106〉 宗祖法然上人は、あるときこういう質問を受けます。
「摂取の益をこうぶる事は、平生(へいぜい)か、臨終か、いかん」
つまり、阿弥陀仏のみ光をいただき、お救いを頂くのは、普段日常においてなのか、それとも臨終のときなのか。
 それに対して、法然上人は
「平生の時なり」
普段日常の時である、とはっきり答えておられます。そして、「お念仏の信者を阿弥陀仏は光明でお照らしになる」、それは、
「平生の時、照らしはじめて、最後まで捨てたまわぬなり。」
平生の時から光明のお導き、お守りを頂くことができる、それが臨終まで続くのだ——
 これが法然上人の教えです。

 また浄土宗の利益を「不求自得(ふぐじとく)」と言います。これは、お念仏を信じる者は、この現実世界での救いを直接求めなくても、自ずと得られる、という意味です。

 浄土宗の教えは、現世利益を旗印にする宗教・宗派とは明らかに一線を画しますが、かといって死後の救いだけを説く教えでもありません。そこに宗教としての深みがあります。
 またそこには、「生老病死」を避けられない苦しみと認識し、その苦からの解脱をめざす仏教の原点があります。

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質問 105
仏滅にお墓を建ててはいけないのですか? 仏滅は宗教となにか関係があるのでしょうか。個人的にはただの占いみたいなものととらえていますが、やはりお寺の行事や法事とか棟上げとかは仏滅は避けるのですか?
〈回答 105〉「仏滅」等をさだめている六曜は、もともと中国が発祥です。日本で日の吉凶を見るものとして良く使われるようになったのは、わりに最近のことです。
 六曜によれば、仏滅は「仏も滅亡するほどの最悪の日」の意味で、大凶とされています。「仏事以外はすべて凶」または「祝い事にも仏事にも凶」などと言われております。しかし、これにはもちろん、仏教的な根拠はまったくありません。
 また「仏滅」といいますと、「仏滅後○○年に…」というような言い方でお釈迦さまが亡くなられた時を示すことがありますが、六曜の仏滅はこれとも無関係です。

 というわけで、お寺では仏滅をまったく気にしませんが、友引の影響は受けます。友引の日を休みにしている火葬場が多いからです。火葬場が休みですと、葬儀式ができないことになります。(通夜式や、年回の法事などは友引の日であっても問題ありません) つまり、仏滅や友引を気にしてその日を避けるのは、お寺の側ではなく、一般社会の側、というわけです。
 地球は一年365日かかって太陽の周りを一周巡ります。その365回転のひとつひとつを「仏滅だ」「大安だ」「友引だ」とか言っているわけです。おかしなものですね。きっと、幸せや無事を願う人の心(「欲望」といってもよいですね)が、「日の吉凶」を求める、ということなのでしょう。そういった点では、おっしゃるようにまさに占いのようなものです。

 「わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと観相と星占いを行なってはならない。」(『スッタニパータ』927)
 お釈迦さまは、このように占いを禁じておられます。
 占いは、心を静める役には立ちません。それがこのように禁じられる理由です。

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質問 104
お念仏の唱え方についてお教え下さい。「ナムアミダブ」と「ナムアミダブツ」の二種類の唱え方があるようですが、繰り返し唱える時には「ナムアミダブ」のほうが言いやすいように思います。中国からお念仏が伝わって来た時に「ナムアミダブ」という言い方であったのか、あるいは日本に来てから、念仏修行者が唱えやすいように「ナムアミダブ」と変化したのでしょうか?
〈回答 104〉 浄土宗のお念仏の唱え方は、大きく分けて二種類あります。(Q&A 11もごらん下さい)
 まず「十念」といいまして、十回のお念仏を唱える方法です。初めに、「ナムアミダブ」と八回唱えます。
    ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ
    ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ」
ここで息継ぎをして、一回だけ「ナムアミダブツ」と、「ツ」を加えます。十回目は「ナームアミダブー」と、ゆっくりめに唱えて終ります。(このとき礼をします。)初めの八回で息が続かないときは、四回、四回と区切って息継ぎをします。
 これが十念です。

 次に念仏一会(ねんぶついちえ)といって、数をたくさん重ねて唱える方法です。
    ナームアーミダーブナームアーミダーブナームアーミダーブナームアーミダーブ……
と、木魚に合わせて(木魚があれば、ですが)リズミカルに唱えます。
 このように、繰り返し唱えるときは「ナムアミダブ」になります。
(これ以外にも、節をつける特殊な唱え方があります。また浄土真宗ですと、少し違う唱え方になります。)

 「ナムアミダブ」と「ナムアミダブツ」の発音の仕方が歴史上いつどこで分かれてきたのかは私もよく知りませんが、「念仏」と一口にいいましても、それをどういうふうに発音するかは確かに大きな問題ですね。
 以前に香港のお寺の勤行テープを聴いたときは、節をつけて「ナムアミターバ」と唱えていました。これは、サンスクリットの「アミターバ(無量光仏)」から来ているのでしょう。
 「阿弥陀仏」という仏名自体は、経典が漢訳されるときに作られた言葉だと考えられています。もとの言葉は「アミターバ(無量光仏)」、「アミターユス(無量寿仏)」。中国に浄土経典が入る前は、「ナムアミダブツ」という言葉はなかったのではないでしょうか。
 また、「アミトート」という風な発音もあるようにききました(ベトナム、でしたか…)。
 おそらく「南無阿弥陀仏」の発音をテーマにした研究もあると思います。

 私自身は、「法然上人は、どのようなお念仏を唱えられたのだろう」とよく思います。「どのように発音されたのか」ということもそうですが、そのお声には深い信頼、固い決意がこめられていたに違いありません。人の心を動かさずにはいられないお力があったはず…。
 そのお力を少しでも頂きたい、と思います。

追 記■ 知人の浄土宗僧侶の方から、次のようなご教示を頂きました。感謝とともに載せさせて頂きます。
もともとサンスクリットでは、お念仏は「ナム」ではなく、「ナモ」であったそうです。どこで「ナム」に変わったかは分からないのですが、原語から考えれば、「ナモ」が正しいそうです。
 また、黄檗宗などでは、「ナムオミトーフ」と唱えます。また山口県の一部では、十念の全てに「ツ」が入るそうです。

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質問 103
浄土宗のお墓を建てる場合、「墓石の上部に梵字を刻むといい」とききましたが、あまり 見たことがありません。本当に梵字を刻んだ方がいいのでしょうか?
〈回答 103〉 五輪塔様式以外の墓石で、棹石に梵字を刻んであるものは、私も見たことがありません。もし棹石に入れるとすれば、浄土宗でしたらキリーク(阿弥陀仏を表わす梵字)でしょうが…。

 墓石を「礼拝の対象」として見るならば、梵字が入っていても良いはずですね。お位牌ではそういう形式のものをよく見ます。
 地方や、お寺によっては梵字を入れた墓石があるかもしれません。もしそうした情報がありましたら、追加してお知らせします。

(東京のさる石材店の方に尋ねてみたところ、「浄土宗では見かけませんね。日蓮宗では墓石上部に『妙法』と小さく入れる場合がありますが…。」というお話でした)

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質問 102
戒名を自分でつけても良いのでしょうか?
〈回答 102〉 あなたは僧侶(教師)資格をお持ちでない、一般の方だと思いますので、その前提でお答えします。
 戒名は、仏弟子となった証しとして師から授かるものです。各宗派には、開宗以来連綿と続く師弟関係がありまして、今日正式の僧侶資格を持つ方たちは、皆その流れを受け継いでいます。戒名は、その流れの延長として授かるものだ、とご承知下さい。
 「戒名らしい」漢字を並べてお名前を作っても、それは戒名とはいえません。

 このご質問の背景には、おそらく「葬儀のとき、戒名を頂くのにお金がかかる」あるいは「僧侶は信頼に足らない」というようなご心配やご不満があるのではないでしょうか。それはそれで、私たち僧侶の側がきちんと受け止め、説明をしてゆかねばならぬことであり、また信頼感を得るように努力すべきことであります。
 しかし、「戒名を自分で考える」ということになりますと、それはもはや仏教の流れ(=師から弟子への相承の流れ)から外れてしまいます。

 もしあなたに、「自分の戒名にはこういう字を入れて欲しい」というようなご希望があるならば、あらかじめ菩提寺のご住職に相談なさって下さい。また、これを機に「生前戒名(これが本来なのですが)」を受けることもよいでしょう。
 いずれにしましても、戒名は僧侶(教師)から受ける、これが大原則です。

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質問 101
お経のことです。浄土宗では三つの代表的なお経があると聞きましたが、どういう風に使い分けるのでしょうか? お墓を新規に建てたときとか、逆に古いお墓を処分するとき、又はお葬式とか年忌法要とか、そのときに応じて使い分けるのですか? 『般若心経』というのをよく聞きますが、浄土宗では読むことはないのですか?
〈回答 101〉「三つの代表的なお経」というのは、『浄土三部経』のことです。これは、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』『阿弥陀経(あみだきょう)』という三部のお経です。これらのお経に説かれているのは、「阿弥陀仏」という仏のことや、阿弥陀仏が構えられた「極楽」という名の仏国土のこと、極楽に生まれる方法などです。一番長いのが『無量寿経』、その次が『観無量寿経』。一番短い『阿弥陀経』は、10分〜20分くらいで音読できるお経です。この『浄土三部経』は、岩波文庫に収められていますので、ご興味がおありでしたらどうぞお読み下さい。
 実際の法要では、『無量寿経』のなかの一部分である『四誓偈(しせいげ)』や『歎仏頌(たんぶつじゅ)』、それから『観無量寿経』のなかの『真身観文(しんじんかんもん)』、また『阿弥陀経』(全巻もしくは半巻)をお上げします。
 浄土宗の読経は3つの部分から構成されています。「序分(お経の導入部といえます)」、「正宗分(中心部)」、「流通分(結び)」の3つです。このうち、「正宗分」のところで、上に挙げたお経の何れかをお読みするわけです。年忌法要やご葬儀のときにどのお経をお上げするかは、地方によって異なったり、また法要の導師が判断したりします。(地方によっては、法事のときに『三部経』を全巻上げる、と聞きます。かなり長時間になるでしょう。)浄土宗の決まりでも、たとえば潅仏会(花まつり)のときは『歎仏頌』、十夜会のときは『阿弥陀経』というふうな定めが一応ありますが、実際は必ずしも一定しておりません。
 また、『三部経』以外のお経では、
  • 涅槃会(お釈迦さまのご命日の法会)では、『遺教経』を上げる。一般の通夜で『遺教経』を上げることもある
  • 盂蘭盆会では、やはり三部経以外の『盂蘭盆経』を上げる
  • 火葬の収骨のときや、墓前の読経では『舎利礼文(しゃりらいもん)』という短いお経を上げる
という場合もあります。
 『般若心経』も、『三部経』とは別のお経です。法要でお上げすることはあまりありませんが、食作法(食前の読経)ではお上げしますし、まったく読まない、ということではありません。(浄土真宗や日蓮宗では、まったく読まないと思います)
 いささかややこしい話になりましたが、ご説明すると以上のようになります。

 当サイトのコラム(毎月初更新)で浄土宗のお経の解説を続けています。今までのコラムを収めた「コラム倉庫」もご参照下さい。

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