仏教・仏事 Q & A [No. 121 〜 No. 140]

(2005年3月20日までの分)

目 次 (新着順)

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番 号 質 問 内 容 分 類
質問 140
得度式とは、具体的にはどのようなことをするのですか? 浄土宗では、髪の毛を剃らないでいいと聞いたことがありますが、それは本当ですか?
修行
質問 139
私の父は「自分が死ぬときは、戒名はいらない」と言っています。戒名がなくても構わないのでしょうか?
仏教
質問 138
健康に強い関心をもっています。「玄米が良い」というので玄米食を続けていますが、最近「玄米は身体に良くない」とも聞きました。どちらが本当なのか、とても悩んでいます。ご住職はどう思われますか?
一般の相談
質問 137
先日、祖母の四十九日に出席しました。本堂の敷居をまたぐ際、お寺の方から「男性の方は右足から踏み出さないように。女性の方は左足から踏み出さないように」というような説明を受けました。これにはどのような意味があるのでしょうか。このお寺は浄土宗です。些細なことで申し訳ありませんが、教えてください
仏教
質問 136
最近、良くないことが立て続けに起こります。先祖のたたりか、あるいは成仏していない先祖がいるのでしょうか?
一般の相談
質問 135
先日、悲しく、また腹の立つ話を聞きました。祖母の友人である老婦人の話です。
 このご婦人は舅と姑、そしてご主人に先立たれ、お子さんもいないため、現在独り暮らしをされています。そこでご自分が亡くなられた後のことを考え、菩提寺に永代供養をお願いされたところ、一霊につき100万円支払うことを求められたそうです。このご婦人は現在、年金だけでつつましやかに生活を送られています。当然ながら、ご自分も含めて400万円を支払う余裕などありません。
 世間の人が考えているほど、寺院経営も楽ではないということは私も聞いていますが、年金暮らしの老人に400万円支払いなさいというのはあまりにも酷な話ではないでしょうか。これは戒名料の話にも通じますが、お寺に関することは全般的にお金がかかりすぎているように思います。そして、そのことが一般の人々のお坊様に対する尊敬の念を低下させている大きな要素になっていると思います。
 どのようにお考えになりますか?
仏事一般
質問 134
わが家は浄土宗だと思っておりましたところ、良く聞きましたら、西山浄土宗だとわかりました。素朴な質問ですが、浄土宗、浄土真宗、西山浄土宗は何が違うのですか?
浄土宗
質問 133
念仏をとなえれば極楽浄土に往生できる根拠となる経典と、その文言を教えて下さい
浄土宗
質問 132
お坊さんになるには、専門の大学に通うだけではだめですか?
修行
質問 131
お墓の建替えの際、おしょうぬきしていただくのは、どの宗派のお坊さんでも構いませんか?
仏事一般
質問 130
知人に誘われ、ある集まりに連れて行かれました。そこでお経本やお札などを買いました。
 先祖供養や、訳あって生まれてくることの出来なかった子の供養などは大切だと思っています。が、その知人と言葉を交わすたびに『○○に○千円』、『お経は毎日上げているか』などと言われ、次第に会うことが苦になりました。今は縁を切っている状態です。
 そのとき買ったもの一式を返したいのですが、正直もう会いたくありません。処分という言い方は失礼かもしれませんが、どうして良いものか分からずにいます。神社やお寺などに持って行けば良いのでしょうか? またその場合どのように持っていけば良いのでしょうか?
仏事一般
質問 129
将来は私たちが跡継ぎになるのですが、今、先祖代々のお仏壇が置いてある家から、私たちが住んでいるマンションにお仏壇を移動する場合、どのように進めたらよいのでしょうか?また現在、法要などをお願いしている浄土宗のお寺から、私たちの住む近くの浄土宗のお寺に替わりたいと思うのですが、お世話いただいているお寺を、替わるのはよくないのでしょうか?
仏事一般
質問 128
先日、母親がわりでもあった、最愛の祖母を亡くしました。祖母の家には息子が住んでいますが、お経はわからなくて(気持ちはあるのですが)となえる事ができません。他の親族(私たちを含む)も供養したい気持ちはとてもあるのですが、毎日行く事ができません。お経のテープを流すだけでも違いますか?
仏教 (宗教)
質問 127
カウンセリングを勉強しています。仏教の立場からは、カウンセリングをどう考えますか。 カウンセリングは、自我を支えることが目的のような気がします。仏教が説く「無我」と対立しませんか?
仏教 (宗教)
質問 126
仏さまのお像に手を合わせるとき、どういう気持ちでお参りすれば良いのですか。澄んだ心でないとお参りしてはいけませんか?
仏教 (宗教)
質問 125
現在、浄土宗の僧階を取得中です。Q&Aの6にあるように、正座は確かに厳しいです。加行(註:けぎょう。僧階を受けるために入らなければならない伝宗伝戒道場)についてゆけるかどうか心配です。どうしたらいいのでしょうか?
修行
質問 124
私は現在、僧偕を取得すべく仏教系の大学に通っています。一般の学生は「坊主丸儲け」「葬式仏教」などと批判的な意見の学生が多いです。たしかにそのような部分もあると思います。しかし、これから資格をとっていくのに、そのようなことを言われると残念な気持ちになります。自分はそう言われたくないのですが、本当の僧侶はどうあるべきでしょうか? またどういった返答をすればいいでしょうか?
修行
質問 123
知り合いに「霊が見える」という人がいて、先祖供養の仕方など、あれこれ言われます。こういうことは本当にあるのでしょうか。仏教ではどう考えますか?
一般の相談
質問 122
自分が死んだあとは、冷たく狭い石の部屋(お墓)には入りたくありません。広々とした海に骨を撒いてもらい、自然の中に還っていきたいと思います。どうしてお骨をお墓に納めてしまって、自然に還さないのでしょうか?
一般の相談
質問 121
お葬式をなるべく手作りで、自分たちが主体となってできないものでしょうか?
一般の相談



 一気読みコーナー 
※番号の逆順になっています(若いものほど下)



質問 140
得度式とは、具体的にはどのようなことをするのですか? 浄土宗では、髪の毛を剃らないでいいと聞いたことがありますが、それは本当ですか?
〈回答 140〉 「得度式」は、出家剃髪しお袈裟を頂く儀式でして、正式には髪を剃ります。浄土宗教師を目指す方は、まず師僧について得度を受けることからスタートします。
 私の場合は、師僧のもとで帰敬式を受けた後、本山(増上寺)で得度式を受けました。そのときは剃髪しませんでした。(「正式」ではなかったことになりますね。ちなみに、加行を受けるときは全員剃髪です。)
 しかし、「浄土宗の得度式では髪を剃らないでいい」ということではありません。ご師僧のお考え次第かと思います。どうぞご師僧にご相談下さい。

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質問 139
私の父は「自分が死ぬときは、戒名はいらない」と言っています。戒名がなくても構わないのでしょうか?
〈回答 139〉 仏教のご葬儀であれば、基本的に戒名が必要です。
 場合によっては、ご俗名でご葬儀をすることもあります。「菩提寺が遠いため、葬儀には来ていただけない。後日、菩提寺から戒名を頂く」または「まだ納骨するお墓が決まっていない、決まってから戒名を受ける」という場合には、ご俗名でご葬儀をあげることもあります。が、いずれにしましても後で戒名を受けます。

 戒名は仏弟子としての名前です。俗界から離れて仏の道を歩むということは、いわば新たな生を受ける、ということ。そこで身体を清め髪を剃り、仏弟子たる誓いをたてて、新たな名前を頂きます。これを「没後作僧(もつごさそう)」といいます。亡くなられた後ではありますが、僧侶になる作法を受けるわけです。
 ですから、戒名を受けて仏弟子になるということが、仏教の葬儀の大きな眼目なのです。

 私たちが人生で負わなければならない重荷は、実にたくさんあります。  自分自身の身体、家族、責任、仕事、おつきあい…これらは愛着の対象であると同時に、重荷でもあります。また自分の名前も、大きな重荷のひとつです。他の荷物と一緒にこの「名前」という重荷を下ろし、仏弟子としての新たな名前を受けて仏の世界に足を踏みだす…これが戒名を受けるということです。

 戒名の意味(即ち仏式の葬儀の意味)をよくご存知ないまま、「戒名不要」とおっしゃる方がおられるのは、実に残念なことです。

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質問 138
健康に強い関心をもっています。「玄米が良い」というので玄米食を続けていますが、最近「玄米は身体に良くない」とも聞きました。どちらが本当なのか、とても悩んでいます。ご住職はどう思われますか?
〈回答 138〉 すすんで身体に悪いものを摂取するのはどうかと思いますが、かといって「あれは身体にいい」「今度はこれだ」といって右往左往するのも愚かなことです。
 人生長くても80年か90年。玄米を食べたり食べなかったりして寿命が5年延びたとします。あなたはその5年間をどう生きますか。きっと右往左往しているうちに過ぎてしまうことでしょう。そうではありませんか?

 健康も大切ですが、「どう生きるか」ということの方がはるかに重要です。それは、将来の話ではなく、たった今、現在のことです。
 身体の栄養だけでなく、心の栄養、魂の栄養を充分に摂るように心がけて下さい。

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質問 137
先日、祖母の四十九日に出席しました。本堂の敷居をまたぐ際、お寺の方から「男性の方は右足から踏み出さないように。女性の方は左足から踏み出さないように」というような説明を受けました。これにはどのような意味があるのでしょうか。このお寺は浄土宗です。些細なことで申し訳ありませんが、教えてください。
〈回答 137〉 これは男左女右(なん・さ・にょ・う)といいます。男性は左足から本堂に入り、女性は右足からになります。
 象の形をした香炉が敷居の手前に置いてあることもあります。その場合は香炉を、男性は左足で、女性は右足でまたいで身体を浄め、本堂に入ります。
 この由来は、中国の陰陽道です。男—陽—左を対応づけ、女—陰—右を対応づける考え方です。インド仏教のものではなく(インドでは左を低く見ます)、中国仏教の習慣が伝わったのでしょう。

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質問 136
最近、良くないことが立て続けに起こります。先祖のたたりか、あるいは成仏していない先祖がいるのでしょうか?
〈回答 136〉 ご先祖はすべて、あなたの成長を願っておられます。どうして「良くないことが先祖のせいで起こる」ということがありましょうか。
 人生、晴れの日があれば、雨が続くこともあります。
 どうか「これは先祖のせいか」とご先祖に結び付けないで下さい。それよりも、あなたご自身のありようを虚心に振り返りましょう。
  • 自分だけの考えにとらわれ、せまい世界に閉じこもっていないか。
  • 考えても仕方がないことで頭を一杯にしていないか。
  • 深くゆったりとした呼吸をしているか。
  • 自分や他人を責める気持ちで、身動きがとれなくなっていないか。
  • 今現在していること(自分の動作や言葉、目・耳に入ってくること)をしっかりと自覚しているか。
  • 周囲の人に、その人に対するあなたの好意や配慮を伝えているか。
 先祖供養についてひとこと——心をこめて先祖供養をすれば、それはあなたにゆとりと豊かさをもたらしてくれます。ご先祖のせいで良くないことが起こることはありませんが、ご先祖を供養したおかげでものごとが好転する、ということはあります。
 そこをしっかりと区別して頂きたいと思います。

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質問 135
先日、悲しく、また腹の立つ話を聞きました。祖母の友人である老婦人の話です。
 このご婦人は舅と姑、そしてご主人に先立たれ、お子さんもいないため、現在独り暮らしをされています。そこでご自分が亡くなられた後のことを考え、菩提寺に永代供養をお願いされたところ、一霊につき100万円支払うことを求められたそうです。このご婦人は現在、年金だけでつつましやかに生活を送られています。当然ながら、ご自分も含めて400万円を支払う余裕などありません。
 世間の人が考えているほど、寺院経営も楽ではないということは私も聞いていますが、年金暮らしの老人に400万円支払いなさいというのはあまりにも酷な話ではないでしょうか。これは戒名料の話にも通じますが、お寺に関することは全般的にお金がかかりすぎているように思います。そして、そのことが一般の人々のお坊様に対する尊敬の念を低下させている大きな要素になっていると思います。
 どのようにお考えになりますか?
〈回答 135〉「お寺に関することは全般的にお金がかかりすぎているように思います。そして、そのことが一般の人々のお坊様に対する尊敬の念を低下させている大きな要素になっていると思います。」
 そういう部分は確かにあります。
 と同時に、それは一面的な見方に過ぎません。

 お寺側にも運営上の事情はあります。が、檀信徒の側にも(皆さんではありませんが)それぞれ、いろいろな期待や思惑があるわけです。
 たとえば、
  • うちのお寺は格式が高い、と思いたい。
  • お寺やお墓は、いつもきれいで設備が調っているほうが良い。
  • 住職には、立派な法要を勤めて欲しい。
  • お寺の維持のために相応の負担はするつもりだが、かといって払いすぎるのはいやだ。
  • お布施などの負担額は「お気持ちで」ではなく、金額を明示して欲しい。
  • 安定した経営をして、檀信徒に不安を与えないで欲しい。…などなど。
 このように檀信徒側の思いもあるわけで、お寺側の一方的な都合によって問題が生じているわけではありません。
 私が見るに、多くの寺院は良心的な運営をしています。マスコミなどでしばしば極端なケースが取り上げられるため、それをそのまま受け取る方には、「お寺はどこもそうだ」というかたよった印象を与えている…そう思っております。

 そのご婦人が本当に困られているのであれば、ご住職にご事情をよく話し、どういう方法が可能なのか、ご相談されることをお奨めします。話がうまく進まないのであれば、総代さんや世話人さんに中に入ってもらったらいかがでしょうか。

 ていねいなコミュニケーションを重ねてゆくことが、遠回りに見えても一番の近道です。私がここでそのお寺を非難したり、逆にそのお寺を擁護したりしても、何の解決にもなりません。
 もし可能でしたら、そのご婦人と菩提寺のあいだのコミュニケーションが円滑に進むように、あなたも助けてあげて頂きたいと思います。

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質問 134
わが家は浄土宗だと思っておりましたところ、良く聞きましたら、西山浄土宗だとわかりました。素朴な質問ですが、浄土宗、浄土真宗、西山浄土宗は何が違うのですか?
〈回答 134〉 浄土宗・浄土真宗・西山(せいざん)浄土宗は、いずれも法然上人の流れをくむ教団です。
 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍された法然上人は、唐の善導大師の教えに強い影響を受け、「極楽浄土に救われることを心から願い、信をもって口に『なむあみだぶつ』ととなえれば、必ず極楽に往くことができる」というお念仏の教えを広められました。無学な者であっても、また罪深い者であっても必ず救われるというので、この教えは様々な階層の人々から強い支持を受けました。
 門弟の数も多かったわけですが、これらの門弟のうち、聖光(しょうこう)上人の流れをくむのが現在の浄土宗です。(この流れを、「鎮西(ちんぜい)派」といいます。「鎮西」は、聖光上人のご出身が九州であり、法然上人の教えを受けられたあと故郷九州に帰って布教されたことに由来します)
 また、門弟親鸞聖人の流れが今日の浄土真宗です。
 そして、門弟証空(しょうくう)上人(西山上人)の流れが西山浄土宗です。
 このほかにも隆寛・幸西・長西・源智等といった門弟がおられました。

 これらのお弟子さん方は基本的に法然上人の教えを継がれたのですが、やはりそれぞれのお考えを加えながら後代に教えを伝えられました。交通・通信も現代とは比較にならない時代のことですので、これらは歴史的に別々の教団として展開してゆきます。
 鎮西派は聖光上人のあと、良忠上人を経て六派が残りました。その六派のなかの「白幡(しらはた)派」が今日の浄土宗(総本山は京都・知恩院)に続いています。
 浄土真宗は親鸞聖人のあと、関東地方の門徒の流れと、親鸞聖人の廟所を守るご血縁の流れが発展しました。現在は後者の本願寺派(京都・西本願寺)と大谷派(京都・東本願寺)が大きな派であり、他に高田派・興正派・仏光寺派・木辺派など多くの派があります。
 西山派は証空上人のあと四流が残りますが、現在続いているのは西山浄土宗(京都長岡京市・光明寺)、浄土宗西山禅林寺派(京都・禅林寺)、浄土宗西山深草派(京都・誓願寺)の二流三派です。

 「それにしても、同じお念仏の教えなのに、どうしてこんなに多くの派に分かれているのだろう」という疑問が起こると思います。
 法然上人の時代は、「お念仏だけで良い」という新しい教えと、既存の仏教各宗との違いが問題になりました。その後、さまざまな議論が起こってきます。
「ただ1回だけのお念仏でも往生できるのか」
「信心と念仏行と、どちらが大切か」
「信心はどうあるべきか」
「自力と他力をどう考えるか」
「『浄土三部経』をどう解釈するか」
「救いは今あるのか、それとも臨終の時か」などなど。
 これらの解釈の違いや、師から弟子へとつながる系譜の特殊性(それぞれが正統性を主張します)によって、宗派が分かれている。そうお考え頂ければよいかと思います。

 …「素朴な質問」へのお答えが、まったく素朴でなくなってしまいましたね。
 一番大切なのは、宗派の相違点を知的に理解することよりも、各宗派に共通する「信と行」を体験することです。
 阿弥陀さまに心を開き、お念仏をとなえる——この素晴らしさを、どうぞご体験下さいますよう。

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質問 133
念仏をとなえれば極楽浄土に往生できる根拠となる経典と、その文言を教えて下さい
〈回答 133〉 『無量寿経』の第十八願、「設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚」です。
「わたし(法蔵菩薩)がさとりを得たあかつきには、このような仏国土を建設しよう。すなわち、十方の人々がわたしの仏国土に生まれたいと、真実心から、また深く信ずる心をもって願い、百千万回から下は十回であってもお念仏をとなえる者は、一人残らず生まれることができるような国、そのような仏国土を—。もしも生まれることができない者があるならば、わたしは正覚を取らない」
 法蔵菩薩は後にこの誓いを成就して「阿弥陀仏」となられました。したがって、お念仏をとなえれば必ず阿弥陀仏の仏国土—極楽浄土へ往生できる、というわけです。
 経文中の「十念」を「『南無阿弥陀仏』を十回となえる」と解釈したのは中国の善導大師です。この解釈は『観無量寿経』下品下生の「令声不絶具足十念称南無阿弥陀仏」という経文に基づきます。
 コラム倉庫の『四誓偈』の解説もご参照下さい。(その1その2その3その4と分かれています)
 また、原典にあたるのが何よりですので、詳しくは本でお調べ下さい。(岩波文庫『浄土三部経』、浄土宗『浄土三部経講座』坪井俊映師など)

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質問 132
お坊さんになるには、専門の大学に通うだけではだめですか?
〈回答 132〉 Q&Aの5に「どうすればお坊さんになれますか?」という質問があります。(回答の要点を以下に転記します。)

「浄土宗の場合でお答えします。浄土宗では、僧侶には三者(宗徒・助教師・教師)があります。ふつう、『お坊さん』と呼ばれている人はこの中の『教師』です。  ではどうすれば『教師』になれるのか。決められた段階があります。
  1. 師僧(しそう)を決める。(浄土宗教師の資格があれば誰でも師僧になれます。)
  2. 得度(とくど)する。
  3. 度牒(どちょう——得度した証明書)を受け、僧籍登録する。
  4. 教師養成機関で所定の科目を修得し、教師検定に合格する。
  5.   ※教師養成機関にはいくつかの種類があります。
  6. 伝宗伝戒道場(毎年十二月、三週間行われる)に入る。
  7. 宗務庁に僧階叙任の申請を行ない、僧階を受ける。」
 この中の4. ※の「教師養成機関」のひとつが「専門の大学」です。その大学に入学すればよい、というわけではなく、入学して「5. 伝宗伝戒道場」に入行するのに必要な科目をすべて履修しなければなりません。
(また、大学に通わずに入行の資格を取る方法もあります。)

 ご質問の背景が今一つよく分かりませんが、もしあなたが「お坊さんになりたい」のであれば、ご自分の宗派に問い合わせるなどして、事前に充分に調べて下さい。

H19.8.1 追記:この質問に関連して、「僧侶になりたい、あるいは僧侶になるにはどうすればよいか、とお考えの方へ」というページを新設しました。こちらもご覧下さい)

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質問 131
お墓の建替えの際、おしょうぬきしていただくのは、どの宗派のお坊さんでも構いませんか?
〈回答 131〉 (おしょうぬきとは「お性抜き」と書き、魂抜き(たましいぬき)・発遣(はっけん)などとも言います。)
 菩提寺にお願いするのが原則です。菩提寺が遠方の場合であれば、電話や手紙でご相談なさって下さい。もし菩提寺が「ご近所のお寺に頼んで下さい」とおっしゃるのであれば、同じ宗派のお寺を探します。(菩提寺にご紹介いただくのがベストです)
 万一同じ宗派のお寺がご近所になければ、他の宗派のお寺にお願いすることもあり得ますが、それも菩提寺にご相談しながら決めて下さい。
 もしも菩提寺がない場合は、家の宗派のお寺を探します。霊園墓地でしたら霊園の事務所に相談してみて下さい。
(ご質問の背景のご事情がわかりませんので、一般的なところでお答えしました。)

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質問 130
知人に誘われ、ある集まりに連れて行かれました。そこでお経本やお札などを買いました。
 先祖供養や、訳あって生まれてくることの出来なかった子の供養などは大切だと思っています。が、その知人と言葉を交わすたびに『○○に○千円』、『お経は毎日上げているか』などと言われ、次第に会うことが苦になりました。今は縁を切っている状態です。
 そのとき買ったもの一式を返したいのですが、正直もう会いたくありません。処分という言い方は失礼かもしれませんが、どうして良いものか分からずにいます。神社やお寺などに持って行けば良いのでしょうか?またその場合どのように持っていけば良いのでしょうか?
〈回答 130〉 気になるお気持ち、お察しします。
 お近くの寺院や神社に依頼すれば、「お焚き上げ」をして下さるはずです。「古いお札や経本のお焚き上げをお願いしたいのですが」という風にご相談なさってみて下さい。(お気持で、若干のお礼をお包み下さい)
 このようなお話はよくあることですので、快く引き受けて下さると思います。ご心配無用です。

 万一引き受けて下さるお寺等が見つからないときは、またご相談下さい。(最近は、町中のお寺ですと「ものを燃やせない」という場合もありますので)

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質問 129
将来は私たちが跡継ぎになるのですが、今、先祖代々のお仏壇が置いてある家から、私たちが住んでいるマンションにお仏壇を移動する場合、どのように進めたらよいのでしょうか?また現在、法要などをお願いしている浄土宗のお寺から、私たちの住む近くの浄土宗のお寺に替わりたいと思うのですが、お世話いただいているお寺を、替わるのはよくないのでしょうか?
〈回答 129〉 お仏壇の移動については、必ずしもお寺さんに読経してもらう必要はないでしょう。もちろん読経を頂くのが丁寧ですが、今は幾度もお引っ越しをされるお宅もあり、その度に読経するのは大変です。私は「必ずしも必要ではない。気になるのでしたら、読経して頂きなさい」とお答えしています。菩提寺がおありになるようですから、どうぞご住職にご相談なさって下さい。
 (>Q&A 23に、引っ越しも含めて仏壇に関する全般的なお話を掲載しておりますので、そちらもご覧下さい)

 また、お寺を替わることについてですが、お墓はどのようになっているのでしょうか。
 寺院墓地にあるお墓を移すということであれば、離檀・改葬ということになります。移すこと自体は可能ですが、今の菩提寺さまとのご関係は慎重に考えられた方が良いでしょう。お宅のご事情を説明して、菩提寺さまによくご理解頂くことです。(菩提寺さまからすれば、檀家さんが離れていくことは決して悦ばしい状況ではありません。中にはトラブルに発展する場合もあります)
 お墓が寺院墓地でない場合は、比較的簡単にお寺を替わることができます。しかしその場合も、長いおつき合いのお寺であれば、丁寧にご事情を説明された方が良いでしょう。
 (>Q&A 77、及び>Q&A 96にも、お寺を替わることに関連したご質問を掲載してあります。ご事情はそれぞれ異なりますが、参考になさって下さい)

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質問 128
先日、母親がわりでもあった、最愛の祖母を亡くしました。祖母の家には息子が住んでいますが、お経はわからなくて(気持ちはあるのですが)となえる事ができません。他の親族(私たちを含む)も供養したい気持ちはとてもあるのですが、毎日行く事ができません。お経のテープを流すだけでも違いますか?
〈回答 128〉 それは大変なことでした。お悔やみ申し上げます。
 お経のテープですね。流して頂いて結構です。そのときは、どうぞご一緒にとなえるようにして下さい。
 テープのお経は録音するためにとなえられたものであって、お祖母さまのご供養のため読経されたものではありません。仏の教えですからご供養にならないということはありませんが、ご身内の方が心をこめてご一緒にとなえれば、なお宜しいでしょう。
 上手にとなえる必要はないのです。しかし、繰り返してゆくうちに自然に慣れてきます。またお経全部をとなえるのが大変でしたら、一部だけでも結構です。どの部分を読めば良いか、その辺りは菩提寺のご住職(あるいはご葬儀をお勤めくださった僧侶の方など)にご指導いただいたら良いでしょう。

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質問 127
カウンセリングを勉強しています。仏教の立場からは、カウンセリングをどう考えますか。 カウンセリングは、自我を支えることが目的のような気がします。仏教が説く「無我」と対立しませんか?
〈回答 127〉 私はカウンセリングの専門家ではありませんが、仏教者の立場から答えさせて頂きます。
 助けを求める方々の相談相手になることは、とても大事なことです。そこでは自分自身が厳しく試されます。「今、自分はどういう気持ちでこの方に対しているだろうか。」「どういう対応が、この方の助けになるだろうか。」「今、どういう可能性があるだろうか。限界についてはどうだろうか。」…といったようなことを常に自問しなければなりません。頭で相手の状況を考えるだけでなく、相談を受けている自分自身の感情や身体の感じに注意を向けたり、相手の今現在の様子を観察することも大切です。仏教で大切にしている「慈悲」と「智慧」が正に求められるところです。

 ご質問は、「自我を支える」ことと「無我」が対立しないか、ということですね。
 私自身は「対立しない」と考えています。実際のカウンセリングの場面では、単純には言えないいろいろなことが起こるでしょう。中には「無我を体験した」といえるような場合もあるかもしれません。また、「熟した果実は落ちる」の譬えのように、充分に強い自我を育てることがやがては「無我」を体験することにつながる、ということもあります。
 ですから、カウンセリング=仏教実践の場である、とは単純に言えないにしても、仏教的な観点をもってカウンセリングに取り組むことは充分に可能です。というよりも、とても重要なことです。
 私自身はそのように考えています。

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質問 126
仏さまのお像に手を合わせるとき、どういう気持ちでお参りすれば良いのですか。澄んだ心でないとお参りしてはいけませんか?
〈回答 126〉 いえいえ、私自身も常に澄んだ心で手を合わせられるわけではありません。そういうときは「いつかは澄んだ心がもてるようにお導き下さい」と念じて手を合わせています。
 私たちの心は常に動いています。澄んだり汚れたり…それが現実ですね。また、その心を眺めている視点—たとえば「今の心の状態は、濁っている」と気づく心もあるわけです。同時に「こんな気持ちでいるのは嫌だなあ」と思う心もあるでしょう。このように幾層にもわたっているのが私たちの内面です。それが現実。仏さまはすべてご存知ですので、自分の良いところだけを見せようと思ってもそうはいきません。

 崇敬の気持ちをもって合掌していただければ、それで結構です。たとえ心がきれいに澄んでいなくとも、仏さまはあたたかい慈悲の心で包んで下さるでしょう。

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質問 125
現在、浄土宗の僧階を取得中です。Q&Aの6にあるように、正座は確かに厳しいです。加行(註:けぎょう。僧階を受けるために入らなければならない伝宗伝戒道場)についてゆけるかどうか心配です。どうしたらいいのでしょうか?
〈回答 125〉 「正座が苦手」という方は今や多数派。テーブルに椅子、という洋式の生活をしておりますと、そうなるのもごもっともです。
 「どういうふうに苦手か」ということになると、人によってさまざまです。「5、6分でもしびれてしまう」「しびれはしないが、膝が痛くなる」「足首が痛くなる」「足の甲が痛くなる」…

 これは、冷たい言い方ですが、慣れて頂くしかありません。僧侶を志す以上、正座は必須です。
 毎日畳にじかに正座し、勤行をします。読むお経を少しずつ増やしてゆきます。初めは「10分がやっと」だった方が、「1時間くらいは大丈夫」というようになるものです。

 正座は優れた坐法のひとつです。小さいスペースで済み、しかも身体がしっかりと安定します。正座をするときは、背筋を伸ばしてあごを少し引き、胸を開きます。胸とお腹にたっぷりと新鮮な空気を満たせるようにして、声を出すときには下腹を締めて声を支える感じにします。足のしびれ(痛み)だけでなく、全身に気を配ります。のどを充分開き、圧迫したり絞ったりしないようにします。
 背中が丸まっていますと、内臓を下方に圧迫するので血行不良になり、下半身がうっ血してきます。背筋を伸ばしますと、呼吸が自然に深くなります。
 「外から見て美しい」ことと、「身体が楽である」ことが両立するように工夫します。これは坐法だけに限らず、着付けや立ったり坐ったりなど、すべてに通ずることです。

 とにかく、ご自分で慣れるように努力する、ということが第一。そして、「正座が苦手」という方はあなたの他にもたくさんおられます。「何とかなる!」と思って下さい。

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質問 124
私は現在、僧偕を取得すべく仏教系の大学に通っています。一般の学生は「坊主丸儲け」「葬式仏教」などと批判的な意見の学生が多いです。たしかにそのような部分もあると思います。しかし、これから資格をとっていくのに、そのようなことを言われると残念な気持ちになります。自分はそう言われたくないのですが、本当の僧侶はどうあるべきでしょうか? またどういった返答をすればいいでしょうか?
〈回答 124〉 「一般の学生は『坊主丸もうけ』『葬式仏教』などと批判的な意見の学生が多いです」ということですが、これは学生に限らず、大人たちにもある(否、もともと大人たちの)意見ですね。私も、よく言われるのは「お寺さんは税金がかからなくていいですね。」という言葉です。私が、
「私たちは、宗教法人(団体)の職員として、給与を受けています。給与にかかる所得税はちゃんと納めていますよ。法人の方には法人税がかからなかったり、固定資産税等がかからなかったりはしますが。」
と言いますと、びっくりされます。
 つまり、布施などの収入を、「無税で個人に入るお金」だと思っている方々がいるのです。

 宗教法人は、学校法人や社会福祉法人と同じく、公益法人のひとつです。「公益」を目的としており、「収益をあげる」ことが目的ではありません。ということは、公益のために必要なことであれば、その事業を行なっても100%持ち出しで、まったく収入もなかったとしても、お金を集めてその事業を行なう場合もあるわけです。
 収益事業ですと、この逆になりますね。収益が上がる(儲かる)からその事業を行なうわけです。収益を上げて、出資者に分配します。
 堅い話になりましたが、ここが大事なところ。つまり私たちは、仏教を広め、お念仏の教えを伝えてゆくことで人々の心に安らぎを与えるという、公益のための活動を行なっているわけです。その活動のためにはお金がかかります。宗教施設の維持管理、人件費…。それらを(主として)お布施の収入でまかなっているわけです。
 そして、「公益事業を保護する」という政策的な観点から、法人税等について税法上の優遇を受けているのです。ですから「坊主丸もうけ」という非難(?)は、ちょっとピントがずれています。

 では、私たち僧侶はどうあるべきか? 上に書きました「公益事業」という点も含めて考えてみますと、
  • 私たちは「広く社会に奉仕する」という立場を基本にする。
  • 社会が寺院・僧侶に何を期待しているか、を常に考える。
  • あたたかい心をもって人々に接する。私たちは「死別」に関わることが多いので、傷ついた方や、弱い立場の方への思いやりの心が特に大切です。
  • この仕事に誇りと自信をもち、また同時に高慢にならぬように気をつける。
 というようなことではないでしょうか。
 昔から「僧侶は一に掃除、二に勤行、三に学問」といわれますね。大事にすべき戒めです。この戒めに加えて、上に書いたことも考えて下さい。

 では、一般の学生の批判にどう答えるか…。
 ——実は、私が仏門に入るずっと前、お寺の息子さんの友人がいました。彼は上京し、「ミュージシャンになる!」と頑張っていたのですが、住職であるお父様が病気になられたのをきっかけに、田舎に帰り寺を継ぐことになりました。そのとき私は「坊主丸もうけでいいなあ」とは決して思いませんでした。むしろ、「希望する職業が選べなくて気の毒だなあ」と思いました。
 「一般学生の批判」は、もしかしたら「安定した将来の展望があって羨ましい」気持ちの裏返しではないでしょうか。自分の将来をしっかり見据えている人であれば、寺を継ぐ立場の友人を批判している暇はないと思います。
 「自分は自分。君は君。道は違うがお互いに頑張ろう。」というのが健全な友情ではないでしょうか。
 またこの時代、お寺を継ぐ側にも苦悩はあるはずです。そうしたことも共に語り合える友だちがいると良いですね。

H19.8.1 追記:この質問に関連して、「僧侶になりたい、あるいは僧侶になるにはどうすればよいか、とお考えの方へ」というページを新設しました。こちらもご覧下さい)

ひとこと
現役のご住職からだと思いますが、ご質問者に宛てて以下のような励ましの「ひとこと」を戴きました。掲載いたします
 残念ながら、上記のように見られてもしょうがない状況もあるでしょう。しかし、あなた自身がこれから宗教者としていかに生きていくか、また檀信徒をはじめ、一般の方々にどう寄り添っていくかということの方が大事なのではないでしょうか? 批判されることはつらいですが、あなたのご宗旨のお祖師様のご苦労と比較したらどうでしょう? お祖師様がたは、まさに命がけであったはずです。あなたは、そのお祖師様の教えに基づいて宗教活動をしていくわけですから、逆に「一般の人々はこういう風に私たちを見ているんだ」と勉強できただけでもありがたいといえるかもしれません。
 いかに、あなた自身が胸を張れるか。僧籍をいただいてからが本当のスタートです。お互いに頑張りましょう!

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質問 123
知り合いに「霊が見える」という人がいて、先祖供養の仕方など、あれこれ言われます。こういうことは本当にあるのでしょうか。仏教ではどう考えますか?
〈回答 123〉 この頃、「誰々さんには霊が見える」「先祖の霊が…だと言っている」という話をよく聞きます。
 よく話を聞いてゆきますと、このような構図が見えてきます。
 ——Aさんは「霊が見える」とか「霊障を取り除く」という特殊な能力を持っている。その能力を使うことによって、他人の病気を治したり、不幸を取り払ったりすることができる。
 Bさんはこういう能力を持っていない。今、悩みを持っているので、それを解決するためにAさんの忠告に従うようになった。Aさんは自信をもって指導してくれるので、すべてAさんに任せることにした。——

 人さまの悩みを解決する最良の方法は、その方が自分で問題を解決できるように援助することです。私はそう思っておりますので、AさんとBさんのような支配−依存の関係は健全ではないと考えます。
 「霊が見える」という現象が本当にあるかないかについては、何とも言えません。「見える」というのであれば、少なくともその人にとっては見えるのでしょう。しかし、霊が本当に私たちの生活の幸不幸の鍵を握っているのなら、何年も学校へ行って勉強したり、仕事に力を注いだりする必要などないでしょう。霊と対話して、「どうすれば幸せになれるか」を指導してもらうことだけ考えていれば良いことになります。
 仮に「霊」が見えたとしても、それは儚(はかな)い存在です。私たちの身体ですら、かりそめのもの。「霊」が、私たちの身体や精神がなす以上のことをする力をもっているはずがありません。「霊の指導によって幸せになれる」という考えは、煩悩以外の何ものでもありません。
 「霊」「悪霊」…これらはいわば「影」のようなもの。仏教では「影」に取り組むのではなく、「光」の方に眼を向けます。
「光」とは、仏の智慧であり、慈悲です。私たちは心を仏に向け、口に仏の名を呼ぶことによって、「光」を頂くことを願います。光に照らされれば、影は自ずと消えてゆきます。
 ですから、あなたに「霊が見えない」のであれば、「霊」についての話には耳を貸さないことです。それよりも、仏の智慧、仏の慈悲の方向に心を向けて下さい。

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質問 122
自分が死んだあとは、冷たく狭い石の部屋(お墓)には入りたくありません。広々とした海に骨を撒いてもらい、自然の中に還っていきたいと思います。どうしてお骨をお墓に納めてしまって、自然に還さないのでしょうか?
〈回答 122〉 お釈迦さまが亡くなられたのち、そのご遺骨(舎利)は仏塔に納められ、崇拝されました。日本のお墓は、この仏舎利をお祀りする伝統を直接受け継いでいるわけではありません。が、やはり仏教の影響もあって、いつの頃からかお墓を造り、ご先祖の遺骨をお祀りするようになりました。
 今日では、ご承知のようにほとんど火葬して、お骨をお墓や納骨堂に納めます。最近、散骨や自然葬ということがいわれますが、私の周囲では実例をあまり聞きません。件数はまだ少ないと思われます。

 ところで、このごろ体脂肪率や骨量を計れる体重計がありますね。先日、私自身の「骨量」を測ってみました。2.8kg、と出ました。あまりに軽いのでびっくり(体重は64kgです)。火葬した場合、残るのは、この2.8kgのさらに一部分です。
 身体中に水分が占める割合は、50〜60%くらいあるそうです。水分はじめ、身体を構成する物質の大部分は、火葬により蒸発?して大気中に拡散してゆくことになるでしょう。水分はやがて雨となって海や大地に降り注ぎます。つまり、わずかな遺骨以外は、すべて自然に還ることになります。また、残った遺骨もいつかは骨壷から空けられて、土に還されます。
 目に見える形としては遺骨しか残りませんので、私たちは遺骨を大切にしてお祀りします。が、身体の大部分はすでに自然に還っているわけです。地球の引力圏の中を、さまざまな形をとって循環してゆくことになります。
 ですから、あなたの目的が「自然に還ること」でしたら、何も「お骨を海に撒く」ことにこだわらなくても良いのではありませんか。

 大切なことは、身体の構成要素がどこへゆくか、ではなく、意識や心がどうなってゆくか、ではないでしょうか。そのためには、この限られた人生をどういう心で生きてゆくか—そちらの方がはるかに重要です。

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質問 121
お葬式をなるべく手作りで、自分たちが主体となってできないものでしょうか?
〈回答 121〉 それは可能だと思います。そのためにはまず、現行のご葬儀がどのように行われているのかを知ることが大切です。
 ご葬儀と一口に言いましても、それはいろいろな内容を含んでいます。
 第一に、それは宗教儀礼です。僧侶や神主などの宗教者が関わることになり、高価であるか簡素であるかは別として、祭壇や仏具などの設備が使われ、花や供物を供えます。
 第二に、葬儀は故人との別れの場です。その際、焼香や玉串奉奠・献花・弔辞などの形式を取りますので、その準備が必要です。
 第三に、葬儀は故人のご遺体を荼毘に付す儀式です。棺・骨壷・火葬許可の手続き・火葬の手配・霊柩車の手配が必要です。
 このほか、遺影(写真)の準備、場所—葬儀をどこで行なうのか、火葬場への移動をどうするか、通夜振る舞いや精進落とし(会食)をどうするか、などを考えなければなりません。
 地域によっては町会が葬儀を仕切ることもありますが、大都市圏ではほとんどの場合、葬儀社がこれらの手配を行ないます。ご遺族はある意味でたいへん楽ですが、一方で「葬儀屋さんのペースで全てが進んでしまう」という印象も生じることになります。何せ限られた時間の中で多くのことを決め、行なっていかなければならないわけですから、葬儀屋さんの考える枠内でことが進むのも無理からぬことです。
 また、同じような流れで行われた葬儀でも、葬儀社の担当者がどれほど親身に相談に乗ってくれたかによって大きく印象が変わってきます。つまり、特別なことをしないごく普通のご葬儀であっても、「主体的に関わることができた」と思えることもあります。
 冒頭に書きましたように、「自分たちが主体となって葬儀を出す」ことは可能ですが、そのためには前もって心構えをして、これらのこまごまとしたことを各々どうしてゆくのかを考えておく必要があるのではないでしょうか。
 葬儀のどの部分で主体性を発揮したいのか。どの部分を葬儀社に任せるのか—。
 また、事前相談に応じてくれる葬儀社も多いので、親身になってくれるところを探されたら良いでしょう。

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