仏教・仏事 Q & A [No. 141 〜 No. 160]

(2005年8月21日までの分)

目 次 (新着順)

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番 号 質 問 内 容 分 類
質問 160
将来、実家の寺を継ぐつもりです。周囲の友人はほとんど「無宗教」だといいます。このままでは、寺院・仏教の将来が心配になってきます。私はどういう心構えをもってゆけばよいでしょうか?
修行
質問 159
友だちと呼べる人がいません。どうすれば友だちができるでしょうか?
一般の相談
質問 158
職業について悩んでいます。親は「やりたいことをしなさい」と言ってくれるのですが、やりたいことがなかなか見つかりません。テレビを見ていると、自分以外の誰もが楽しそうに生きているように思えてきてしまいます。でも自分は今は無職です
一般の相談
質問 157
うちのお墓のすぐ近くに親戚のお墓があります。(それぞれ違う霊園なのですが、車で5分くらい。)一緒にお参りしてはいけませんか。「ついで参り」は良くない、といいますが...
仏事一般
質問 156
教えてください。お寺の名前で“〜寺”“〜院”“〜庵”などありますが、何か違いはあるのでしょうか?
仏事一般
質問 155
義父の祖母の代から浄土真宗です。ご先祖をおまつりしたいのですが、改宗できるでしょうか? お墓は一般の墓地にあります
一般の相談
質問 154
友だちが、奇妙な写真を見せてくれました。5人くらいの人が写っている中に、ぼんやりと人の顔のようなものが見えています。光の加減のようにも見えます。
 「心霊写真」というのは本当にあるのでしょうか?
一般の相談
質問 153
一身上の都合で養子に入ります。現在手を合わせている仏壇は、どの様にすればよろしいですか? 私以外にその仏壇に手を合わせる者は居りません
仏事一般
質問 152
浄土宗の場合、お仏壇にお参りするときに、お線香を何本立てればよいのですか。調べてみますと、「浄土宗は三本立てる」「二本と決まっています」「一本をふたつに折って立てる」など色々あって、どれが本当なのかよく分かりません
浄土宗
質問 151
浄土宗では、死後の世界、霊魂の存在を認めていますか?
浄土宗
質問 150
お坊さんはどういう暮らしをしているのですか? 一日の時間の使い方は?
庵主のこと
質問 149
仏教関係の本が次から次へと出版され、また実際に売れています。かたや「仏教離れ」ということが言われ、(一部の観光寺院を除けば)お寺に足を運ぶ人は少なくなっています。どうしてでしょうか?
仏教 (宗教)
質問 148
昨年身内を亡くしました。菩提寺(浄土宗)のご住職が、「とにかくお念仏をとなえなさい。それが一番のご供養だから」と教えて下さいました。それでその通りにしてみるのですが、なかなか気持ちが安まりません。どうすればよいでしょうか?
浄土宗
質問 147
はじめまして。お墓参りのことで質問があります。
 私は結婚以前からお墓が近かったので、月に1度は家族でお墓参りをしていました。よくテレビなどで、「女の人は結婚後、自分の実家のお墓参りよりも、旦那の家のお墓参りをしなくてはいけない」と聞きます。その理由もよくわかるのですが、主人のお墓が遠方にあり、なかなか行けません。
 それと、環境の違いか主人の方はお墓参りなどはあまり気にかけていないようです。代行サービスなどもあるようですが、少し違和感を感じます。主人のほうに行けないのだから私の実家のお墓参りも控えなければいけないのでしょうか?
 又、主人はうちの実家のお墓参りをあまりしないほうがよいのでしょうか?
仏事一般
質問 146
今年の初めに、彼氏が交通事故で亡くなりました。
それまで彼の家族とは面識がなかったのですが、葬儀の時に最後のお別れをさせてくれたり、四十九日まで毎週お参りさせてくれました。今は彼のお母さんと時々連絡をとったり、彼の家に行ったりしています。
今年彼の初盆なのですが、どのようにしようか迷っています。提灯などを送ってもよいのか、それとも飲食物を送った方がよいのか…。
個人的にはずっと使える物をお供えしたいと思いますが、私は彼の親族ではないのでそういう物を送っていいものなのか…と考えてしまいます。
葬儀の時、友人と連名でお花をしたので連名でするか一人でするか…色々考えたりしてキリがありません。
こんな質問ですみませんが、何かアドバイスを宜しくお願いします。
仏事一般
質問 145
母が亡くなって丸7年。毎月月命日にはお寺さんに来ていただいておりましたが、私も仕事をはじめたため毎月家にきてもらうのは大変なので、そろそろ祥月命日だけにしたいのですが、そんなことを言うのははお寺さんに失礼でしょうか? ふつうは何年くらい続けるものなのでしょう?
仏事一般
質問 144
先日お彼岸のお墓参りのとき、亡き母が私にくれたクリスマスローズの花がとても綺麗に咲いたので、どうしても供えてあげたくて他のお花に混ぜてお参りしました。が、一週間ほどしてから、お墓にはよくなかったのでは?と心配しています。
ちなみにこの花には、いやな香りもなくトゲもありません。
仏事一般
質問 143
仏さまが実際にいるということがなかなか信じられないときは、どうすればいいでしょうか? 「沢山の仏さまがいる」とお経には書いてありますが、実際会ったことがないので、なかなか信じることが難しいです
仏教 (宗教)
質問 142
僧侶になりたいと思い、師僧になって下さる方を探しているところです。  お寺の出身でない者が僧侶になるためには、何か条件がありますか?
修行
質問 141
浄土宗においては、商売繁盛や合格祈願、病気平癒といったいわゆる現世利益をあまり重視していないようにみえます。宗門としては、そして笠原師としては現世利益をどのようにお考えでしょうか?
一般の浄土宗寺院では見られないご祈祷が、大本山の増上寺では行われているようですね。これもおもしろい(と言っては不謹慎ですが)ことだと思います。
浄土宗



 一気読みコーナー 
※番号の逆順になっています(若いものほど下)



質問 160
将来、実家の寺を継ぐつもりです。周囲の友人はほとんど「無宗教」だといいます。このままでは、寺院・仏教の将来が心配になってきます。私はどういう心構えをもってゆけばよいでしょうか?
〈回答 160〉 「無宗教」ということばには、いくつかのニュアンスを感じます。どういう方が、どういうふうにこの言葉を使っているのでしょうか。
  • お墓やお仏壇にはお参りするが、仏教のことはよく分からない。「私は仏教徒です」というにはおこがましい。
  • 旅行先で、神社仏閣にはよくお参りする。が、特定の宗派に属しているわけではない。
  • 先祖のことは大切に思っている。だが、古くさい形式で先祖供養するのは嫌だ。
  • 特定の宗教や宗派にしばられるのは嫌だ。
  • 宗教に熱心な人は、自分たちの考えを押し付けてくるので、関わりたくない。
 よくよく話を聞いてみますと、案外宗教心を大切にしている方が多い—私はそういう印象をもっています。
「自分の中の純粋で微妙な部分は、そっとしておいて欲しい。宗教団体に関わると、その微妙なところが冒されるような気がする」
 私から見ますと、まことに宗教的にみえる(ことがあります)。
 あなたの周囲のご友人は、おそらく大人たちが「無宗教」という言葉を使うのを聞いて、どこかしらに魅力を感じたのでしょう。その言葉に、「自由」で、「開かれた」「新鮮な」、それでいて「守られている」感じがあるのかもしれません。宗教について充分に理解したうえで、「これは自分の取るところではない」と判断しているわけではないと思います。

 では、そういう方々に、どういう心構えで関わってゆけばよいのでしょう。
 以下は私の考えです。もし上に書きました通りであるならば、私たちの寺院・仏教に、「無宗教」という言葉を超える魅力を創ってゆかなければなりません。「無宗教」といっても宗教心そのものを否定したり、宗教自体が無意味であると言っているわけではない。ですから、檀信徒の方々の心の「純粋で微妙な部分」に、何かを押し付けるのでもそれを無視するのでもなく、ソフトに関わってゆく、また仏教やお寺と関わる中で「自由で、開かれた、新鮮な、それでいて守られている」ように感じて貰えるように工夫してゆく…そこに活路があるように思います。

「私たちの寺院・仏教に『無宗教』という言葉を超える魅力を創ってゆく」と書きましたが、これは何も「とにかく新しいこと始めなさい」と言っているわけではありません。そうではなく、今の時代に生きるあなたご自身が、仏教・お寺にどういう魅力を見いだすか、それがきっと架け橋になるだろう、と申しているわけです。

 人が生きているかぎり、そこには苦悩があり、救いを求める心があります。その心を土台から支えてくれるのは、やはり仏教です。
 自信をもって、時代に立ち向かって下さい。

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質問 159
友だちと呼べる人がいません。どうすれば友だちができるでしょうか?
〈回答 159〉 あなたがここにいて、誰かがそこにいて、2人が突然友だちになる…そういうものではありません。友人関係が生まれるのは、まず2人に「共通の場」があることが前提です。
 それは、学校などの「学びの場」であったり、「仕事の場」「趣味の場」であるかもしれません。共通の場をともにする仲間としての意識、あるいは同じ目的に向けて努力する同朋としての意識—ここから友情が生まれます。
 私はあるボランティア団体で長く活動をしていました。そこでは、男女・年齢や、職業・家族の有無を問わず、さまざまな方々が善き仲間として友情をはぐくんでいました。
 純粋な友情は素晴らしいものです。友情は性愛と違い、嫉妬心や独占欲に冒される危険が少ないのです。お互いに支えとなり、人間としての成長を促しあうことができます。

 あるとき仏弟子アーナンダが、師であるお釈迦さまに尋ねました。
「お釈迦さま。よくよく考えてみますと、私どもが善き友をもち、善き仲間と共にあるということは、すでにこの聖なる道のなかばを成就したに等しい、といえるのではないでしょうか。どのように思われますか。」
 お釈迦さまの答えは、このようなものでした。
「アーナンダよ、それは違う。その考えは正しくない。われらが善き友をもち、善き仲間と共にあるということは、この聖なる道のなかばにあたるのではなく、この道のすべてなのである。」

 そのゆえに、私たち仏教徒は共に歩む仲間(仏教徒の集い)を大切にします。善き仲間に出会えるのも、私たちが道を同じくするからです。

 これは仏道の話でした。
 他の道も同じだと思います。まず2人(3人、4人…)に共通の場があり、そこから自然に友情が育ちます。
 あなたにとって、それはどういう場でしょうか。

 もう一つ。人為的にそういう場をつくり、人間関係のトレーニングを体験できるようなワークショップがあります(エンカウンターグループなど)。そういうグループに参加してみるのも一つの方法です。

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質問 158
職業について悩んでいます。親は「やりたいことをしなさい」と言ってくれるのですが、やりたいことがなかなか見つかりません。テレビを見ていると、自分以外の誰もが楽しそうに生きているように思えてきてしまいます。でも自分は今は無職です
〈回答 158〉 「やりたいこと」が見つからないのなら、「できること」「できそうなこと」から始めることです。最初に高い目標、理想を設定する、という方法もありますが、日常生活の中で実感をもって取り組める目標でなければ、たいていの場合うまくいきません。「できること」「できそうなこと」というふうに考えれば、その対象はたくさんあるはずです。
 お給料を頂く仕事ではありませんが、今のあなたであれば、例えば部屋を掃除する、整理する、身の回りのことを自分でやってみる、というのもひとつです。料理・洗濯…今まであまりやってこなかったことに取り組んでみる。恐らく、多くの発見があることでしょう。とりわけ掃除や整理に取り組んでいると、自分の内面も整理されてゆくのが分かります。

 家事は一つの例です。もしやったことがなければ、ぜひやってみて下さい。一見したところでは「何気ないもの」「つまらないように見えるもの」によって私たちの生活は成り立っています。しかし、その中に発見や歓び、やりがいや幸せが隠れています。職業もまたしかり、だと思います。
 テレビなどを見ていると、あたかも面白おかしい世界の中で生きていく道があるように思えますが、それは見かけだけです。そのような世界を演出して、視聴者に見てもらうのがテレビの仕事なのですから。

 「できること」「できそうなこと」に取り組んでゆくうちに、「やりたいこと」に出会うことは大いにあり得ます。少なくとも、「できること」に取り組むことで、得るものはあっても失うものはほとんどないでしょう。「やりたいことを見つけよ」というのがかえってプレッシャーになってしまい、身動きが取れなくなるという場合もあるのではないでしょうか。「できること」「できそうなこと」—というふうに発想を変えることをお勧めします。

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質問 157
うちのお墓のすぐ近くに親戚のお墓があります。(それぞれ違う霊園なのですが、車で5分くらい。)一緒にお参りしてはいけませんか。「ついで参り」は良くない、といいますが...
〈回答 157〉 構いません。どうぞお参りなさって下さい。
 確かに「ついで参り」は良くない、といいますが、この場合は別に構わないと思います。そのときは、ご親戚のお墓の方にもどうぞお花・お線香を上げて下さい。
「ついで参り」はいけない、といいましても、それは「ついで」の中身にもよります。
 ご先祖や、そのお墓を守っておられる方などに対して失礼になるような「ついで」は確かに良くないでしょうね。
(例1)大切なご縁のある方のお墓に、「近所に来たついでに、ふと思い出して」お花もお線香も持たずに立ち寄る。
(例2)法事の施主をつとめ、出席者全員でお墓参りをしている最中に、施主だけがフラッとよそのお墓に「ついで参り」する。
(例3)府中競馬場に遊びに行ったついでに、近くの多磨霊園に寄ってお墓参りをする。

…というわけで、どうぞ常識でご判断なさって下さい。

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質問 156
教えてください。お寺の名前で“〜寺”“〜院”“〜庵”などありますが、何か違いはあるのでしょうか?
〈回答 156〉 それぞれに由来があります。
「寺」は、中国でむかし官庁をあらわす言葉でした。西域から来た仏教僧を庁舎に滞在させた関係から、僧のいるところを「寺」と呼ぶようになりました。
「院」は、垣をめぐらした建物、の意味。お寺のほかにも「病院」「医院」「学院」「議院」などがありますね。
「庵」は、草葺きの小さな家。僧侶や尼僧が仏さまをお祀りして住む小さな建物、の意味にも使います。

 また多くのお寺は、「○○山△△寺□□院」のように、山号・寺号・院号をもっています。
 浄土宗総本山は京都の知恩院として知られていますが、「華頂山大谷寺知恩院」といいます。東京芝の増上寺は、「三縁山廣度院増上寺」です。
 寺号・院号については上の通りです。山号は、中国で寺院が山中に建てられたことに由来します。

 浄土宗の寺院名鑑を開いてみますと、「〜寺」「〜院」「〜庵」の他にもいろいろな名称のお寺があります。
 「○○堂」「○○軒」「○蓮社(れんじゃ)」「○○窟」「○○教会」「○○坊」…
 それぞれのお寺の歴史の中で、これらの名前がついています。現在、宗教法人としてはどれも同じ一寺院であって、特に区別はありません。

 ちなみに、当林海庵は、新しいお寺—開教寺院—ですので、私(住職)が命名いたしました。マンションの中の小さなお寺としてスタートしたところから、「庵」といたしました。

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質問 155
義父の祖母の代から浄土真宗です。ご先祖をおまつりしたいのですが、改宗できるでしょうか? お墓は一般の墓地にあります
〈回答 155〉 メールアドレスがありませんでした。サイト上でお答えするしかないのですが、これだけですと状況がよく分かりません。
 改宗はできないことはありませんが、それしか方法がないのか、またそれをどういうふうに進めるかなど、お話をもう少し伺う必要があります。
 ご家族ご兄弟の状況はどうなのか、お仏壇はどこにあるのか、菩提寺とのおつき合いはどうされてきたのか、改宗についての周囲の方のご意見はどうなのか。
 また「一般の墓地」とは、霊園墓地のことでしょうか。
 もう少し詳しくお願いします。
 (Q & A 153Q & A 96も関連のご質問です。ご参考になるかもしれません)

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質問 154
友だちが、奇妙な写真を見せてくれました。5人くらいの人が写っている中に、ぼんやりと人の顔のようなものが見えています。光の加減のようにも見えます。
 「心霊写真」というのは本当にあるのでしょうか?
〈回答 154〉 不思議なことに対して開かれた感性をもつことは大切です。しかし、「霊」に関係することは、心を不健全にする場合が多いものです。
 「霊的な現象」に接して、そこから何か善き連想が起こり、あなたの心を温め開かせてくれるならまだ良いでしょう。しかし、そうでないならば——不安やコワイ気持ちが起こったり、単なる興味本位のお話ならば、一切気にしないことです。
 でないと、あなたは自分自身の心を弱くすることになります。

 心は清らかに、そして強く保つように心がけましょう。

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質問 153
一身上の都合で養子に入ります。現在手を合わせている仏壇は、どの様にすればよろしいですか? 私以外にその仏壇に手を合わせる者は居りません
〈回答 153〉 何らかの形でご先祖のご供養を継続する、という立場に立って考えましょう。可能性としては、
  1. 養子に入られる家の了解を頂いて、お仏壇を移動する(持ち込む)。
  2. お位牌だけを、今度の家のお仏壇に入れさせて頂き、もとのお仏壇は処分する。
  3. お仏壇ではなく、小さなお厨子を求めてそこに祀る。
  4. 菩提寺に位牌を預け、菩提寺にご供養をお願いする。
 のいずれかになるのではないでしょうか。

 かつては「違う宗派や別の家の仏壇を一緒に祀るのはよくない」とされていましたが、少子化時代の今日、もっと柔軟に対応しても構わない、というのが私の意見です。(そこにこだわっておりますと、結局のところ「ご供養できない」ということになってしまいます。)

 菩提寺と先方の家の双方とご相談なさって、最良の道を見つけて下さい。その際、あなたご自身のご希望をしっかりとお伝え下さい。

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質問 152
浄土宗の場合、お仏壇にお参りするときに、お線香を何本立てればよいのですか。調べてみますと、「浄土宗は三本立てる」「二本と決まっています」「一本をふたつに折って立てる」など色々あって、どれが本当なのかよく分かりません
〈回答 152〉 浄土宗では、「お線香を立てるときの本数は、ご焼香をするときの回数に準ずる」とされています。
 そして、ご焼香の回数は次の通りです。——「一回、二回、三回、いずれでもよい」
 さらに、これらのそれぞれに意味づけがあります。
  • 一回:一心不乱の心をもって(お念仏する)の意。
  • 二回:戒香と定香を焚く。(お念仏による滅罪と、念仏三昧の心を、香に託して焚く)
  • 三回:戒香と定香に解脱香(阿弥陀さまの光明を頂く)を加える。
    または、三毒の煩悩(貪欲、怒り、愚かさ)を焼き尽くす。
    あるいは、三宝(仏・法・僧)に供養する。
    または、三世(過去・現在・未来)の諸仏に捧げる。
 少々難しい説明になりましたが、要するに、一回、二回、三回いずれでも構わない、ということです。
 したがって、お線香を立てる場合も、一本でも二本でも、三本でもよいのです。

 以上が原則です。
 ご法事などで複数の方がお参りする場合は、心をこめて一回(一本)で宜しいでしょう。

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質問 151
浄土宗では、死後の世界、霊魂の存在を認めていますか?
〈回答 151〉 「死後の世界がある」「霊魂は存在する」という宗の公式見解はありません。(同様に、「存在を認めない」ということも聞いたことはないですが)
 そこで、一僧侶としての見解を書きます。

 浄土宗は「命が終わるとき、六道輪廻を超えて極楽浄土へ往生しましょう。そのために本願のお念仏をとなえましょう」という教えです。従って、ある意味で「死後の世界はある」といえます。死後おもむく先として、さまざまな迷いの世界があり、またさまざまな仏の世界があります。その仏の世界の中のひとつである極楽浄土を選び、そこに往生することを願います。
 極楽浄土は仏道を修行・完成するための場所です。我欲を満たしたり、感覚的な悦びにひたるための場所ではありません。「我執にまみれたこの世の延長にある世界」ということでその世界をとらえるならば、随分と見当違いなことになります。
 また、臨終時には来迎(らいこう=仏さまのお迎え)がある、という教えですので、来迎の対象となる何かがあるはずです。私たちの意識か、あるいは何らかの心理状態が、お迎えをいただいて死の境を超えて続いていく、ということも認められると思います。
 あえて言えば、「菩提心」「極楽往生を願う心」が来迎を頂いて極楽浄土に生まれる、ということになりましょうか。この「願往生心(がんおうじょうしん)」は、アートマンの思想とは無関係です。また、霊能力や心霊現象、霊障とも関係ありません。ですからそれを「霊魂」と呼ぶのはふさわしくないように思います。

 まとめますと、
  • 死後の世界はある。ただし、そこにはさまざまな可能性がある中、浄土宗では「極楽浄土」を選び、そこに生まれる(往生する)ことを目的とする。
  • 死の境を超えて継続する意識(心理状態)を認めるが、それを「霊魂」とは呼べない。
 一般的に「私たちの中に『霊魂』があって、その霊魂は死後別の世界におもむく」と言うだけですと、そこには浄土宗が説くところの信仰心も、念仏行も見当たりません。そこで、私の中には次のような疑問が生じます。
「その『霊魂』とは何ですか? 今、あなたの中にそれがあるのですか?」

 そして実を言いますと、この問いこそが最も重要なものです。
 今現在の自分の中に、肉体の死を超えて存続するような何ものかが存在するのだろうか?
「明晰な意識」?「静寂心」?「悟りを求める不動の決意」?「絶対の信心」?「永遠の愛」?…はたして今の自分の中にそれがあるのか…私たちはそれをこそ自問すべきではないでしょうか。
 この問いに確たる答えが得られないとき…(ほとんどの方が明解に答えられないと思いますが)そのときに私たちは再び、「『自分は愚者である』と自覚せよ」「他力を頼むべし」という浄土宗の教えのスタート地点に還ってくることになります。

「聖道門の修行は智恵をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まると知るべし」
「われらは信心おろかなるがゆえに、今に生死(迷いの世界)に留まれるなるべし」
「智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」
                                 (法然上人)

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質問 150
お坊さんはどういう暮らしをしているのですか? 一日の時間の使い方は?
〈回答 150〉 本山で集団生活をおくって修行しているときは、早朝から夜までびっしりスケジュールが詰まっています。勤行・掃除・食事・講義・実習・勤行…といった具合です。
 自坊(所属の寺。住職であれば、ほとんど自宅を兼ねているか、近接している)に戻りますと、各寺院また各自のやり方で時間を使うことになります。

 私の場合はどうかと言いますと、勤行・掃除のほかは、メールを書いたり、手紙を書いたり、電話を受けたり、来客に対応したり…人さまに対応する時間がかなりの割合を占めています。また、法話やサイトに載せる原稿をつくったり、信徒さんに郵送する印刷物の準備をしたり…。宛名書き・封筒詰めなどの雑務もあります。
 お花やお香、炭やロウソクなどの消耗品(?)をチェックしたり、ご法事の準備(卒塔婆を書いたり)もあります。また総務や経理などの管理業務も、わずかながらあります。
 週末はご法事を勤めます。外に出る日は、移動時間もかなりの割合を占めます。

 小さな寺ですので、それぞれの仕事量は大したことはありません。ただ、ほとんど一人でやります。大変といえば大変、また仕事に変化がありますので、内容豊かといえば豊か、というところでしょうか。
 このようにせわしくしておりますが、中心はやはりご本尊さまを前にした勤行—読経、念仏、礼拝です。勤行といういわば「重心」の周辺に、ほかのさまざまな仕事が漂っている、という暮らしです。これは、私にとってはたいへんありがたい、何ものにも代えがたい環境です。

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質問 149
仏教関係の本が次から次へと出版され、また実際に売れています。かたや「仏教離れ」ということが言われ、(一部の観光寺院を除けば)お寺に足を運ぶ人は少なくなっています。どうしてでしょうか?
〈回答 149〉 いくつかのことが言えます。
 まず、仏教に関心をもつ人は多いですが、それは「お寺」に結びついた関心ではない、ということ。
 ある人々は、日常生活を生きる上でのヒントや、ものごとの考え方の基準を仏教書の中に求めます。しかし「お寺」はそういったこととは別の場—先祖供養の場であり、それ以上の役割をお寺には期待していない。だから、お寺に足を運ぶ人はなかなか増えません。
 これについては、われわれお寺の側にも問題があります。一般の方々が仏教や寺院に何を期待しているか、ということをもっと知ろうとする努力が必要でしょう。(もちろん、先祖供養が大切だということも強調しておきたいのですが…どうぞ誤解なきようにお願いします)

 また一方、いくらたくさん仏教書を読んでも、それだけでは「仏教徒である」ことになりません。本から学び、「これまでの私+α(=仏教の知識)」というスタンスで仏教に接して「それについては人より多少詳しいんです」と頭で思うだけであれば、かえって良くありません。
 仏教が求めるのは、「これまでの私−(マイナス)α」です。仏に礼拝し、余計なものを手放していくことが仏教の修行。教えを学ぶことが修行や生き方にまで発展せず、読書体験が通勤電車の中やリビングルームのソファーの上だけの出来事で終わってしまうのであれば、推理小説を読むのとあまり変わりません。
 せっかく仏教に触れるのであれば、寺院の本堂の荘厳に身を置き、良質のお香に身心を薫じ、実際に声を出して読経・念仏などをとなえ、仏さまを感じて下さい。その光明、聖なる沈黙の中に身を浸して下さい。やがて仏の光明があなたにも映り、あなたの「在りよう」や人間関係まで変化してくるでしょう。

 仏教は「読むもの」「考えるもの」ではなく、「感じる」ものであり、「それ(仏教)を生きる」もの、「そのように在る」ものです。
 私はそう思います。

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質問 148
昨年身内を亡くしました。菩提寺(浄土宗)のご住職が、「とにかくお念仏をとなえなさい。それが一番のご供養だから」と教えて下さいました。それでその通りにしてみるのですが、なかなか気持ちが安まりません。どうすればよいでしょうか?
〈回答 148〉 「お念仏が一番のご供養」というのは本当です。しかし、お念仏をとなえたら直ぐに救われた気持ちになる、とも限りません。
 浄土宗では「他力の念仏」と申しまして、「なむあみだぶ、なむあみだぶ…」とおとなえするのは、仏さまが「わが名をとなえよ。そうすれば必ず極楽浄土に救い導こう」とお約束をされているからです。このお約束(「本願」といいます)を信頼して、そのお言葉に応えてお念仏をとなえるわけです。ですから、心を静めるため、気持ちを安らかにするためにとなえるわけではありません。(もしそれらが第一の目的ならば、お念仏で心が静まらない場合「お念仏では目的がかなわない」「お念仏の効果がない」ことになってしまいます)

 では、お念仏では心安らかになれないのかと言いますと、決してそうではありません。私は多くのご遺族とお付き合いをして参りましたが、お念仏の力には絶大なるものがあります。

 今はまだ「気持ちが安まらない」かも知れません。それだけお悲しみが深いのでしょう。
 が、どうぞお念仏をお続け下さい。胸の辺りで合掌し、お仏壇の阿弥陀如来に向かって、全てをお任せをする心でとなえます。(お念仏のとなえ方については、>Q&A11をご覧下さい)
 そうすればいつか必ずお導きと救いがあるでしょう…それがお釈迦さま、阿弥陀さまのお約束です。 

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質問 147
はじめまして。お墓参りのことで質問があります。
 私は結婚以前からお墓が近かったので、月に1度は家族でお墓参りをしていました。よくテレビなどで、「女の人は結婚後、自分の実家のお墓参りよりも、旦那の家のお墓参りをしなくてはいけない」と聞きます。その理由もよくわかるのですが、主人のお墓が遠方にあり、なかなか行けません。
 それと、環境の違いか主人の方はお墓参りなどはあまり気にかけていないようです。代行サービスなどもあるようですが、少し違和感を感じます。主人のほうに行けないのだから私の実家のお墓参りも控えなければいけないのでしょうか?
 又、主人はうちの実家のお墓参りをあまりしないほうがよいのでしょうか?
〈回答 147〉 「主人のほうに行けないのだから私の実家のお墓参りも控えなければいけないのでしょうか?」ということについてですが、それは気になさらなくて結構です。同じような距離に両家のお墓があって、ご実家の方だけお参りするというのならともかく、ご主人の方のお墓はご遠方なわけですから、やむを得ないでしょう。そちらは行けるときにお参りなさって下さい。

 それと、ご主人の方のお墓は、他にどなたか守る方がおられるのでしょうか。お仏壇はどちらにあるのしょう。そのあたりがちょっと気になりました。
 もしお墓やお仏壇をちゃんと守る方が他におられるのなら、あなた方は出来る範囲のことをなさればそれで充分です。

 そして、「主人はうちの実家のお墓参りをあまりしないほうがよいのでしょうか?」とのご質問については、もしご主人がお参りして下さるのでしたら、まったく構いません。別に、それを見てご主人方のご先祖がやきもちを焼くわけではありません。むしろ、仲良くされているのを見て安心なさるでしょう。どうぞお気になさらぬように。

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質問 146
今年の初めに、彼氏が交通事故で亡くなりました。
それまで彼の家族とは面識がなかったのですが、葬儀の時に最後のお別れをさせてくれたり、四十九日まで毎週お参りさせてくれました。今は彼のお母さんと時々連絡をとったり、彼の家に行ったりしています。
今年彼の初盆なのですが、どのようにしようか迷っています。提灯などを送ってもよいのか、それとも飲食物を送った方がよいのか…。
個人的にはずっと使える物をお供えしたいと思いますが、私は彼の親族ではないのでそういう物を送っていいものなのか…と考えてしまいます。
葬儀の時、友人と連名でお花をしたので連名でするか一人でするか…色々考えたりしてキリがありません。
こんな質問ですみませんが、何かアドバイスを宜しくお願いします。
〈回答 146〉 交通事故だったのですね。それは大変でした。お悔やみ申し上げます。
 初盆もお参りされたら、ご家族も喜ばれることと思います。
「個人的にはずっと使える物をお供えしたいと思いますが、私は彼の親族ではないのでそういう物を送っていいものなのか…と考えてしまいます。」
 そうですね。提灯でないほうが良いような気がいたします。10年、20年と残るものよりは、お花や菓子、果物が良いでしょう。
 また、彼の写真はありますか。もしあなたのお手元にあって、ご家族がお持ちでない写真があれば、(焼き増しできるのであれば)お持ちになっては如何でしょうか。ご仏前に飾って頂けるかも知れません。
 また連名にするかどうかですが、おつき合いのことをご家族がご存知ならば、もう連名にする必要はないでしょう。

 良きご供養になることを祈念しております。

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質問 145
母が亡くなって丸7年。毎月月命日にはお寺さんに来ていただいておりましたが、私も仕事をはじめたため毎月家にきてもらうのは大変なので、そろそろ祥月命日だけにしたいのですが、そんなことを言うのははお寺さんに失礼でしょうか? ふつうは何年くらい続けるものなのでしょう?
〈回答 145〉 月命日のお参りは、地方によってずいぶん差があります。その習慣がない地方もあります。
 いずれにしましても、「お寺さんに失礼」ということはないでしょう。正直にご相談なさってみてはいかがですか。
 もし「失礼では」とご心配ならば、「大変失礼かと思うのですが…」と前置きなさればよいでしょう。言いにくければ、「大変申し上げにくいのですが…」と切り出せば、いくらか話しやすくなるはず。

 あまりご心配なさらず、菩提寺さまに、正直に、丁寧にご相談なさってみて下さい。

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質問 144
先日お彼岸のお墓参りのとき、亡き母が私にくれたクリスマスローズの花がとても綺麗に咲いたので、どうしても供えてあげたくて他のお花に混ぜてお参りしました。が、一週間ほどしてから、お墓にはよくなかったのでは?と心配しています。
ちなみにこの花には、いやな香りもなくトゲもありません。
〈回答 144〉 クリスマスローズをお供えされたとのこと、たいへん結構だと思います。
「クリスマス」とついていますが、別にキリスト教のお花というわけではありませんし…。
 どうぞご安心を。お母さまもきっと悦ばれたことと思います。
質問4に関連のご質問があります)

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質問 143
仏さまが実際にいるということがなかなか信じられないときは、どうすればいいでしょうか? 「沢山の仏さまがいる」とお経には書いてありますが、実際会ったことがないので、なかなか信じることが難しいです
〈回答 143〉 思うに、仏の存在を信じるには、いくつかの道筋があります。
 まず、何かしらの宗教的な体験をして、「仏の世界は真実であり、それが実際に存在している」と実感した場合です。
 また、そのようなはっきりとした体験はなくとも、「仏さま」に子供の頃から慣れ親しんでいて、自然にそれを自分のよりどころにして成長した場合。
 あるいは、家族との死別の経験をへて、追善供養をしながら仏の世界になじみを深めていく場合…などです。

「仏さまが実際にいるということがなかなか信じられないときは、どうすればいいでしょうか?」
 私がまだ学生のときのこと。ある仏教系の新興宗教団体に勧誘されたことがあります。
 そのとき、メンバーの人が言うには、
「これだけ長い間、多くの人によって信じられてきた教えなのだから、(この教えは)真実である。」
 私は、
「そんなことは私には関係ない。私にとってそれが真実だと思えるのでなければ、たとえ何百万人の人が信じていようと、私は信じない。」
と言って断わりました。
 当時私は「仏さまとその世界がある」ことを確信していましたが、その宗教団体が説く「仏の存在」には何のリアリティーも感じませんでした。

 ですから、「なかなか信じられない」のであれば、仕方ありません。それで構わないでしょう。それが今のあなたなのですから。
 でも、「いつかは信じられるかもしれない」ということを頭の隅に置いておいて下さい。
 そして、ご自分を閉ざすことなく、日々の体験に心を開いておいて下さい。

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質問 142
僧侶になりたいと思い、師僧になって下さる方を探しているところです。お寺の出身でない者が僧侶になるためには、何か条件がありますか?
〈回答 142〉 熱意!—それが第一の条件です。
 他にも、「こうだといいなあ」と思うことは沢山あります。たとえば「人を惹きつける話ができる」とか、「声が良い」だとか、「毛筆が達者」、「優しくて人間的な魅力がある」、「地道な努力を嫌がらないでコツコツ続ける」、「頭が良く、すぐに故事などから引用してその場に合ったことが言える」、「一緒にいるだけで心が安らかになる」、「肝が据わっている」、「その姿を見るだに有難い」(初めからそんなわけありませんね)とか…。
 それはあくまでも理想。私自身もまだまだ修行中です。
 反対に、初めは何の素養もなくても、燃えるような熱意さえあれば、それぞれの分野でそこそこの能力が育ってゆくことでしょう。

 一般の方が伝統仏教の教師資格を取得して、教師として宗教活動をするようになるには、いくつものハードルがあります。それらを越えさせてくれるのは、一にも二にも熱意、それも自分だけの思い込みではなく、「仏の声に従おう」「社会に奉仕しよう」という熱意です。

H19.8.1 追記:この質問に関連して、「僧侶になりたい、あるいは僧侶になるにはどうすればよいか、とお考えの方へ」というページを新設しました。こちらもご覧下さい)

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質問 141
浄土宗においては、商売繁盛や合格祈願、病気平癒といったいわゆる現世利益をあまり重視していないようにみえます。宗門としては、そして笠原師としては現世利益をどのようにお考えでしょうか?
一般の浄土宗寺院では見られないご祈祷が、大本山の増上寺では行われているようですね。これもおもしろい(と言っては不謹慎ですが)ことだと思います。
〈回答 141〉 これまでに何度か取り上げましたが、浄土宗の教えの基本は、
  • 「浄土」と呼ばれる仏の国へ往き、そこに新たな命を得ることを願う。
  • そのために、その国を構えられた仏である「阿弥陀如来」に帰依をする。
  • そして、阿弥陀如来の示された行=お念仏=「なむあみだぶつ」を専らとなえる。
というものです。
 かの国が「浄土」であるのに対して、こちら側の世界は「穢土(えど)」すなわち、けがれた世界です。ですから、功徳を積んで(穢土における)現世利益を得る、ということは重視しません。あなたのおっしゃる通りです。
 それでは「現世利益」を否定するのか、というと、そういうことでもありません。

「ただ念仏ばかりこそ、現当の祈祷とはなり候え」
(ただお念仏の行だけが、現世を幸せに過ごし、来世にも浄土往生を遂げる祈りになるのです)

「弥陀の本願を深く信じて、念仏して往生を願う人をば、弥陀仏よりはじめたてまつりて、十方の諸仏菩薩、観音勢至、無数の菩薩、この人を囲繞して、行住坐臥、夜昼をも嫌わず、影のごとくにそいて、もろもろの横悩をなす悪鬼悪神の便りをはらいのぞき給いて、現世にはよこさまなる煩いなく安穏にして、命終の時は極楽世界へ迎え給うなり」
(阿弥陀さまの本願を深く信じて、念仏して往生を願う人を、阿弥陀さまをはじめ十方の仏さま、観音菩薩・勢至菩薩ほか無数の菩薩さまがたが取り囲んで下さいます。そして、いかなるときにも影のように付き添い、さまざまな悩みをもたらそうと忍び寄る悪鬼悪神の手を払いのけて下さいます。おかげで現世は不当な悩みに煩わされることなく安穏に過ごし、命終わるときは極楽世界へ迎え取っていただけるのです)

 いずれも法然上人のお言葉です。お念仏のご功徳により、現世の悩みを除き安心して過ごすことができる、と説かれています。
 こうしたことから、浄土宗のご利益を「不求自得(ふぐじとく)」、すなわち、求めずして自ずから得られる利益、といいます。私自身もその通りだと思います。お念仏をおとなえしていますと、驚くような不思議なことが起こります。が、決してそれを目的としてお念仏をとなえるのではない、目指すところははあくまでも浄土=仏の世界である、ということです。

 また、こういうふうにも言えます。
「もし、一瞬でも仏の世界に触れる経験をしたならば、現世的な利益を仏教(宗教)に求めることはなくなるだろう。」
 なぜなら、それ—「現世利益を求める心」が、崇高な仏の世界にあまりにそぐわないものだと実感できるからです。一瞬でも仏の世界に触れることができ、その上でなお仏に願うことがあるとすれば、「いつまでも仏と接していたい」ということだけです。それ以外の願いはすべて、卑小なものに感じられるでしょう。

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