2003.10
(6) 開経偈(かいきょうげ)
今月は「開経偈」を読みましょう。
無 上 甚 深 微 妙 法 む じょうじんじん み みょう ほう 百 千 万 劫 難 遭 遇 ひゃくせんまんごうなんそうぐう 我 今 見 聞 得 受 持 がーこんけんもんとくじゅーじー 願 解 如 来 真 実 義 がん げ にょらいしんじつぎー |
無上甚深微妙の法は、 百千万劫にも遭い遇うこと難し。 われ今、見聞し受持することを得たり。 ねがわくは如来の真実義を解したてまつらん。 |
「開経」の名のとおり、「経」(これはいわば狭義のお経、つまりおつとめの中で『浄土三部経』から抜粋して読むお経のことです)の直前に読む偈文です。仏教と出会うことができた歓びと、仏のさとられた真理をわれも理解できますように、という願いを綴った偈文です。
私がはじめて仏教と出会ったのは、学生時代です。当時はマスコミを将来の進路と決めて、読書やアルバイトに励んでおりました。知識や経験を蓄積することイコール人間の成長だと信じて疑いませんでした。
たまたま手にした仏教書には、衝撃を受けました。「過去を手放せ」と書いてあったからです。
知識や経験をたくさん積み重ね、その中から必要なものを取りだして自在に使えるようになりたい、とこう思い込んでいたわけですから、「過去を手放せ」「今、ここに生きよ」「判断、評価するな」というような教えは、自分の価値観を根底からひっくり返すものでありました。が同時に、ある種のすがすがしさ、身軽さも感じさせてくれたのです。
これが私と仏教との出会いでした。
尊い教えというものは、一度聞いて理解した、ということではなく、幾度となく新しい出会いを頂けるものだと思います。浄土の教えも同じ。なむあみだぶつ――難解な教えではありませんが、深さと新鮮さを感じます。
ねがわくは皆さまとともに、仏のさとられた真理を理解できますように。