2005.01
昨年は年末にスマトラ沖の大地震があり、被害地の惨状を伝える映像がたくさん流れました。心痛むと同時に、これほど「生」が大自然の前で無力ではかないものであるのに、どうして片方では人間どうしがわざわざ命を奪い合わなければならないのか、と考えてしまいました。わたしたちの生命はいとも簡単に失われてしまう。幸いに天災地変、戦争、事故や病に遭遇しなかったとしても、せいぜい長くて80年か90年が良いところです。必ずこの身体の命は失われてゆきます。否、すでに少しずつ失われつつある、というのが正確でしょう。生きるということは、一歩一歩死に近づいてゆくことでもあるわけですから。共に生きるとは、共に死につつある、ということです。それなのに、どうしてお互いの命をこれ以上縮め合う必要がありましょう。
生者必滅、会者定離―命とはかくもはかないもの、だからこそ、お互いに同胞としていたわり合い、支え合いながら少欲知足の生活を送ろうではないか―お釈迦さまは、現実的でごくごく当たり前のことを説いています。生のはかなさに直面するとき、誰しもが謙虚になり、この教えの精神を理解するのではないでしょうか。
さて、話を津波被害に戻しましょう。スリランカで活動中の知人から、同国支援のための案内メールが届きました。一部をご紹介させて頂くと共に、私からもご協力をお願いします。
(一部引用) …ワンワールド・ワンピープル協会(OWOP)は、スリランカ津波被害救済の義捐金を募集しています。 皆様のご支援をお願い致します。
スリランカに滞在中の鈴木会長、会員の佐々木姉妹は、直ちに現地NGO、サルボダヤと連携し、飲料水とミルクを確保、被災者に搬送を始めました。時間経過とともに被害は深刻さを増しており、緊急支援が必要です。 ※送金先等についてはOWOPの最新情報をご確認下さい。 (2023.7付記) https://owop.gr.jp/ |
平和で安らかな年になりますよう、共に祈りましょう。
◆このコラムの文章は、1月8日付けでドイツの新聞「フランクフルト・アルゲマイネ」に独訳されて掲載されました