2018.05
あるときお釈迦さまは、ご自分の過去のことやご自身が覚りをひらかれるにいたった経緯についてお話になられました。
しばしの沈黙のあと、お釈迦さまは静かにお話を始められました。
「出家する前のわたしは、たいへんに恵まれた豊かな生活を送っていた。
わたしの生まれた城には大きな蓮池があり、池の中のあるところには青い蓮、あるところには赤い蓮、またあるところには白い蓮が咲いていた。これらの蓮はいずれも、わたしのために植えられたものであった。
また、わたしのために上等のお香が焚かれ、着るものと言えば上着から下着に至るまで高価な絹で織られていた。外に出かける時には、暑さや寒さを防ぎ、ほこりや蔓草が身体に触れぬように、いつも白い大きな傘がさしかけられていた。
わたしのために三つの宮殿があった。普段暮らす建物の他に、一つは夏の暑い時期を過ごす為に、もう一つは雨期をしのぐために造られていた。雨期に当る四ヶ月の間は、この宮殿の中で女たちの歌や踊りに囲まれて暮らし、決して表に出かける事はなかった。
また、よその家では召使いには糠(ぬか)に塩粥(しおがゆ)を混ぜて出していたが、わたしのところでは召使いにも米と肉が出されていた。
わたしはこのように、とても豊かで恵まれた生活を送っていたのだ。
あるときわたしは、出かけるつもりで御者を呼んだ。
馬車に乗り、宮殿の東の門を出てしばらく行くと、独りの老人に出会った。あなたがたは驚くだろうが、わたしは老人を見るのは初めてだった。わたしの父は、わたしの周りに若い男女、せいぜい中年の人間だけを置いていたのだ。
その老人は老い朽ちて歯が抜け、髪は真っ白であった。肌には皺がより、身体は前屈みで、手に杖を持ち、わななきふるえていた。
わたしは御者に尋ねた。
「この人はどういう人だ。なぜ腰が曲がっている。なぜ髪が真っ白なのだ。」
御者は答えた。
「若き王子よ。この人は老人です。人は年を取ると、誰でもあのようになるのです。」
「わたしもやがて年を取ると、あのようになるのだろうか。」
「そうです。私は実は、このようなことを王子に言ってはならぬ、と命じられています。しかし、王子に嘘をつくことはできません。あなたもやがて、あの老人のようになるのです。」
宮殿の南の門を出たときには、病人に出会った。その人は独りで起き上がる事ができず、周りの人たちの助けを借りて、やっと生きているようすであった。わたしは御者に尋ねた。
「この人はどうしたのだ。眠っているわけでもないのに、なぜ立って歩こうとしないのだ。」
「王子よ、この人は病にかかっているのです。人の身体は、ずっと健やかでいるわけではないのです。」
「わたしもいつか、あのようになるのだろうか。」
「その通りです。王子よ。いつかはあのように、ご自分独りの力では起き上がれなくなるときが来るのです。」
そして西の門を出たときには、死んだ人が運ばれてゆくのに出会った。
「あの人はどうして動かないのだ。身体が固まっているように見える。あの人には何が起こったのだ。これからどこへ運ばれて行くのか。」
「王子よ、あの人は死んでいます。もう目を開く事はありません。話すこともなく、身体を動かす事もありません。これから川岸に運ばれ、そこで焼かれて灰になるのです。」
「わたしもやがて、あのように死を迎え、灰になるというのか。」
「そうです。死をまぬがれることができる人は、一人としておりません。王子も例外ではないのです。」
城に戻ったわたしは、すっかり考え込んでしまった。わたしにもやがて老いが訪れる。病にかかり、いつかは死を迎える。もしそうであるならば、この裕福で恵まれた生活が何だというのか。今は豊かな黒い髪をもち、活力にあふれているが、それが一体何だというのか。人々はわたしの周りに集まり、微笑みを投げかけてくれる。だが、それが一体何だというのか。
ある日わたしたちは、北の門を出た。そこで、一人の修行者が歩いているのに出会った。
「あの人はどういう人だ。なぜ黄土色の衣を着ているのだ。なぜ髪や髭を剃っている。あの人には他の人々とは違う何かがある。それをわたしは感じる。あの人はどういう素性の人だろうか。」
「王子よ。あの人もまた、病や死が避けがたいことである、と気づいたのです。そして、死を超えたものを求めて、出家したのです。あの人は、人生が虚しい死で終わるものではない、という確信を得る為に、修行を続けているのです。」
「修行とやらを続けると、死を超えるものに出会えるのか。」
「それは分かりませぬ。しかし王子よ、あの修行者の中には、他の人々とは違う何かがある。ということは、少なくとも道の半ばにまでは、進んでいるのかもしれません。」
「なぜ、他の人々はそうしないのか。あの人のように、早く修行の道に入るべきではないのか。」
「若き王子よ。多くの人々は目の前のことで精一杯なのです。日々の糧を得て、家族の世話をする事に追われているのです。どうして彼らを責めることなどできましょう。」
この日を境に、世界がすっかり変わってしまった。もはや、それまでのわたしではいられなくなってしまった。それまでの豊かで恵まれた人生は全く意味を失ってしまった。わたしもあの修行者のように出家して、老いや、病や、死を超える境地に入りたい-このように強く憧れるようになったのだ。
だが、わたしには王子としての務めがあった。月日が流れ、妃を娶りひとり息子を設けると、ようやくその時期がやってきた。密かに城を出て、高価な着物や耳飾りなどを外し、修行の道へと入って行った。当時名高い指導者であった先生方について学び、修行を積んだ。だが結局のところ、目的は果たせなかった。数年ののちに、こう考えざるを得なかった。
「もう、ここから先は一人で進まなければならない。先生方に頼ることはできない。自分自身でそれを体験しなければならない。」
そして、独り森の中へ入って行った。
激しい断食をして、身体を衰えさせた。それによって純粋な澄み切った心を得ようとしたのだ。手足はやせ細り、尻からは肉が落ち、お腹の皮が背骨に触れるほどになった。だがそのような苦行を続けても、頭がもうろうとしてくるばかりで、純粋な心は現れてこなかった。わたしは終にあきらめ、苦行を捨てることにした。栄養のある食べものを求めて、托鉢に出かけた。
そのときスジャーターという名の娘が、乳粥を供養してくれた。それを食べたわたしは、体力を回復した。
「今こそ正しく瞑想できる。」
わたしは静かに坐り、これまでのことを振り返った。
「わたしは一体、何を求めていたのであろう。必死の思いで道を求め、求めに求めて努力を積み重ねて来た。だが結局のところ、どこにも行き着かなかった。
力ずくで何かを成し遂げようとしても、決して解決には至らない。そのことがよく分かった。
今わたしは、一本の樹の下に草を敷き詰めて坐っている。わたしは敗北を認めよう。自分にできる精一杯の努力をしたが、完全に失敗した。すべては終わったのだ。
王子としての生活を捨てたことが間違っていたのだろうか。いや、そうではない。この道に進むほかはなかった。この選択は誤ってはいなかった。だが、出家しても結局、望むものは得られなかった。失敗に終わった。すべては終わったのだ。もうどこにも行くところはない。」
わたしはこのように思った。そして、「すべては終わった」-このことをいったん受け入れると、次第に心の雑音が消えて行った。時の流れとともに、心は静かに、さらに静かになっていった。そしてまさにその夜、それは起こった。
東の空に明けの明星を仰いだ刹那のことだ。わたしの心の底に突然、大音響とともにまばゆい光が大きく広がった。その光はすべての疑問や不安、恐れを飲み込んで行った。幸せも不幸も、希望も絶望もあらゆるものをすべて飲み込んでいったのだ。
わたしはまったく言葉を失い、ただただそのまばゆい光に圧倒されていた。
しばらく経つとこのように思った。ここが頂上だ。これ以上なされるべきことは何もなく、どこか行くべきところもなかった。眼を閉じて心の内を観ると、そこには巨大な宇宙があり、あらゆるものが-大きな星から小さな塵に至るまで、お互いに関わり合いながらゆっくりと動き、流れていた。眼を開いて外の世界を観ると、そこにもまた、巨大な宇宙があった。大きな星から小さな塵に至るまで、あらゆるものがゆっくりと動き、お互いに関わり合いながら流れていた。
自分、という概念、「わたし」という言葉が意味をなさなくなった。確かにこの肉体はここにあるが、あたかも他人の肉体のようであった。
わたしは独りで途方も無い場所に来てしまったことに気づいていた。このまま、どこかへ消えてしまうのであろうか。ふとそんな思いもよぎった。
数日の間、この言葉を超えた圧倒的で、しかも静けさと悦びに満ちた世界を味わった。そののち、わたしはこのように考えた。
「わたしはもはや、以前のわたしではない。かつて関わりをもった人たちと、再び関わり合うことができるだろうか。話をして意志を通じ合うことができるだろうか。」
わたしは逡巡の末、かつて修行を共にした仲間のところに行き、この体験を語ってみようと決心したのだ。
それからのわたしは、「人々とともに生きる」ということを自分の務めとした。人々の悩みや苦しみに、この光を当てる。すると、進むべき道が見えてくる。それをただ、分かち合う。それがわたしにとっても無上の悦びとなっていった。
このように話されると、お釈迦さまは再び沈黙の中に還ってゆかれました。
修行者たちは各々、心の奥深くにこのお話を受け取ったようでした。
お釈迦さまは、かすかに微笑みを湛えながら目を閉じ、深い瞑想に入っておられます。弟子たちも同じように瞑想に入ります。時間が止まり、針が落ちてもその音が響き渡るほどの沈黙が流れました。
やがてお釈迦さまはゆっくりと眼を開いて座を立たれました。弟子たちも気配を感じ、眼を開いて深々と礼拝をいたします。一部の弟子は、深い瞑想に入ったままでした。◆