2019.04
25年ほど前のことになります。晴れて宗門より僧階をいただき、都内の某ご寺院に職員として採用して頂きました。そして奉職したその月に、初めて一人でご葬儀をお勤めすることになりました。まだ僧侶になりたての頃です。
誰でも初めはそうだと思いますが、一人の時に読経の稽古をするのと、人前でお経をお読みするのとではまったく勝手が違います。とにかくお経を間違えないようにと、ただそれだけに集中してご葬儀を勤めたのを覚えています。実はこのときはたまたま体調が悪く、ほとんど声が出なかったのです。ご遺族に深くお詫び申し上げましたら、「いえいえ、心をこめて丁寧にお経を上げて下さったのはよくわかりました。亡き父もきっと喜んでいることでしょう」と仰って下さり、たいへん恐縮したことを、昨日のことのように覚えています。
その後、いろいろと経験を重ねてゆくにつれて、どのようなご葬儀(あるいはご法事)が「良いご葬儀」、「良いお勤め」なのか、自分なりの考えが出来て参りました。それは、(特にご葬儀は)「チームワーク」によって良いお勤めができるのだということです。葬儀社さん、花屋さん、仕出し屋さんなどの業者の方々、ご遺族、ご親戚、そして私どもが心を一つに合わせてお送りすることができたとき、それが良いご葬儀だといえるのではないか——。
「葬儀は残された遺族親族のために行うものです。ですから、ご遺族への法話が何よりも大切なのです。」
そのようにおっしゃる先輩僧侶もおられました。しかし私はそうではなく、やはりご葬儀は故人のために行なうものだと思っております。ですから良いご葬儀だったかどうかは、本当は故人さまにお聞きしないことには分かりません。がしかしそれは叶いませんので、次善の基準として「チームワーク」ということを考えるわけです。
式場、祭壇のしつらえから始まって、葬儀社の担当者のお人柄、ご遺族ご親族の故人さまに対する追悼の心、そうした諸々のことに私ども僧侶が関わって参ります。ご遺族に、葬儀式ではどのようなことを行なうのかをご説明したり、お戒名についてご説明したり、あるいは故人さまのご闘病の様子をうかがったり、もちろん丁寧にお経を上げること、そして漠然とした表現になりますが、その場の皆さまの「送る心」を一つにまとめる力が求められて参ります。「ああ、ちゃんと送って差し上げられた」とご遺族が思って下さるならば、そして私どももそのように感じ、また業者さんもそう思うことができたならば「良いご葬儀だった」といえるのではないでしょうか。さきほどチームワークと申しましたのはそういう意味なのです。
ここで、浄土宗のご葬儀について少しお話ししましょう。
葬儀という儀式には、様々な要素が盛り込まれております。皆さまからすると、「(まるでお経を聞いているように!)さっぱり意味が分からない」「読経の声は、焼香のためのBGMだろうか」「早く終わらないだろうか」ということになるかもしれません。しかし葬儀の読経には、故人さまをしっかりとお送りするためのプロセスがちゃんと組み込まれているのです。
- 故人さまをお導き下さる仏さま方(阿弥陀さまや菩薩さま方)を、謹んで式場にお迎えいたします。
- 故人さまが生前に造られた悪しき業(ごう)、あるいはずっと前世にさかのぼって造られた罪について、お迎えした仏さま方の前で懺悔をして頂きます。身も心も清らかになっていただくわけです。
- お剃刀の作法(剃髪の儀式)を受けていただきます。
- 故人さまに仏弟子としての誓いを立てていただき、真の仏弟子とおなりいただきます。
- まことの仏弟子となられた証(あかし)として、仏弟子としてのお名前、すなわちお戒名をお受けいただきます。
- 仏さま、菩薩さまや極楽浄土をお讃えするお経をお上げします。
- お導き下さる仏さまのお姿を、故人さまがしっかりご覧になれますように、阿弥陀さまの真のお姿を見る方法を説いたお経をお上げします。これでほぼ、お旅立ちの準備が整ったことになります。
- 故人さまを、真の仏弟子として、お導き下さる仏さまのみ手にしっかりとお預けいたします。これがいわゆる引導作法で、葬儀式のクライマックスであります。
- 故人さまのお旅立ち先である「極楽浄土」の様子を説いたお経をお上げします。これからこういう世界に行かれるのですよ、とお伝えするわけです。
浄土宗はお念仏の宗派でありまして、ご葬儀も、お念仏をもって故人さまをお送りするということが中心になります。読経の中でも都度お念仏をおとなえして参りますが、「なむあみだぶつ」の声以外は、皆さまには一見(一聴?)単調な意味不明のお経のように聞こえることでしょう。しかし実のところは、上に書きましたようなもろもろの要素がしっかりと盛り込まれているわけです。その場でこれらすべてをご説明することはできませんが、要点だけはご遺族にお伝えするように心がけております。
以前は、枕経・お通夜・葬儀告別式、というふうに分けてこれらのお経を上げておりましたが、「一日葬」(お通夜をせずに一日だけで行なう)、「炉前葬」(式場の祭壇の前で通夜・葬儀を勤めるのではなく、直接火葬場に集合して火葬炉の前で立ったまま10分から15分程度のお経を上げる)などという形が出てまいりました。読経時間が限られているものですから、「さて、どのようにお経を構成したらよいだろうか」とまことに悩ましく思うところです。そのような場合は、可能であればご遺族の了解を頂いて枕経に伺い、ある程度のお勤めを済ませておきます。
ごく最近の傾向では、ちゃんと「通夜式」「葬儀・告別式」を分けて行なう形のご葬儀が増えているように思います。いっとき「葬儀不要」「戒名不要」ということが言われましたが、その流れにたいする揺り戻しが起きているのかもしれません。私どもとしては、故人さまをちゃんと送って差し上げる、ということが最も大切なところですので、これは歓迎すべき傾向かと思っております。
今回は、ご葬儀の現場の話を書かせて頂きました。☸