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2019.06

 
信仰心について
笠原 泰淳 記(令和元年6月)

 このサイトの英語ページやSNSで英語の小文を発信するようになって、海外の方から様々な反応を頂戴するようになりました。
 中には驚くような情報やご質問を頂くこともあります。今回は、2回目になりますが、海外の方からのご質問とそれに対して私がお答えしたものを掲載いたしましょう。

♦ ご質問 ♦

 私はここ数年仏教を学んでいます。さまざまな宗派の教えを学びましたが、私に一番合うのは浄土の教えです。しかし、お念仏を数ヶ月間続けているものの、どうも信仰心が不足しているようです。ときに、本願力によって必ず往生できるということを自分自身に言い聞かせなければなりません。
 善導大師は、信仰心に欠けると浄土往生は保証されないと言っておられます。
 人間として生まれることは難しく、仏教と出会うことはさらに難しいと言われています。この貴重な機会を逃してしまうのではないかと心配しています。
 どのようにすれば『観無量寿経』に説かれるような真の信仰心を得ることができるのでしょうか。

♦ お答え ♦

 体験的に申しますと、信仰心を深めるためには次の3つの要因があります。
  1. お念仏の実践
  2. 関係性の発見
  3. 仏教理解

 まず第一はお念仏の実践です。たとえ極楽浄土や阿弥陀仏について確固たる信仰心をもっておられなかったとしても、とにかくお念仏をお続け下さい。「なむあみだぶ(つ)」と声に出して称えること、そしてその声を聞くことが重要です。
 あなたは、阿弥陀仏(法蔵菩薩)の第18願に基づいてお念仏を称えておられます。「なむあみだぶ(つ)」と言うとき、あなたは意識的にせよ無意識的にせよ、信仰心をもって浄土の道に従っているのです。お念仏の実践とともにあなたの中で信仰が育ち、ある日、ご自身が阿弥陀仏のみ光の中におられることに気づくでしょう。
 たとえ半信半疑でも構いません。お念仏をお続け下さい。それで良いのです。

 第二に、ある種の関係性が念仏信仰を深めます。
 例えばあなたが、直接阿弥陀仏にお目にかかることができたといたしましょう。その直接的な関係性の中では、信仰心という問題は消えてしまいます。なぜならそのとき阿弥陀仏は信仰の対象ではなく、現実の存在であられるわけですから。またそこまではいかなくとも、あなたは経典の中で阿弥陀仏や釈尊と出会い、関係性を持てるかもしれません。
 次に、師弟の関係性があります。法然上人は善導大師のお導きによって阿弥陀仏の本願の意味を覚られました。親鸞聖人は、法然上人との関係性において金剛の信心を得られました。師と弟子の関係性は、教えそのものよりも重要になることがあります。教えは、それが伝えられる関係性によって、深くもなり、浅くもなるのです。わたしたちも法然上人や親鸞聖人と個人的な絆を結ぶことができれば、浄土信仰を確固たるものにすることができるでしょう。
 そして、現に浄土におられる方との関係性です。お念仏を称えていれば、自分の死後、阿弥陀仏や菩薩さま方だけでなく法然上人や親鸞聖人にお目にかかることができる。また多くの日本人は、極楽浄土で先に亡くなった家族や友人と再会することができると考えています。こういった個人的なつながりが浄土信仰を深めてくれるのです。
 これらの関係性に思いをいたしながら、お念仏を称えてみて下さい。

 信仰を深めるための三番目の要素は、理解です。自分の現在の位置、そして進めべき方向をしっかりと理解することが、私たちの信仰心を確固たるものにしてくれるのです。
 仏教の教え(四諦、我執、六道輪廻など)を学ぶことによって、私たちは自分が今どこにいるのか、そして精神的な目覚めからいかに遠いところにいるのかを理解することができます。目覚めたる方—釈尊は、覚りのための多くの道を示して下さっています。さて私たちはどの道を往くべきなのでしょうか。
 これらの教えを自分自身の実人生と関連づけて学ぶとき、浄土教こそ私たちにも歩むことができる唯一の道だということを理解します。煩瑣な教義に関心をもつ必要はありませんが、どうして自分がこの道を歩んでいるのかを理解することによって、私たちはこれが唯一の道であるという気持ちを固めることができるのです。

 お念仏の実践、関係性、そして教えの体験的理解—これらの要素によって、私たちの信仰心は確かなものになってゆくことでしょう。

南無阿弥陀仏

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