2019.09
むちゃぶり法話バトル
笠原 泰淳 記(令和元年9月)
久しぶりの今回は、いつもよりも少し軽やかな話題でまいりましょう。
『フリースタイルな僧侶たち』という雑誌があります。若手の僧侶が中心となって創られたフリーマガジンでして、Web版も公開されています 。そこの企画で「むちゃぶり法話バトル」という催しがこの夏に行われました。サイトから引用しますと、
- お題を「仏教とは接点のなさそうなもの」から選び、そのお題にちなんだ法話の原稿を募集します
- 僧侶の皆さまから寄せられた法話原稿を、3名の審査員が読み、1人1つ唸った法話をセレクト。
- 3名が選んだ法話をSNS上に無記名でアップし、読者投票。見事、一番票が集まった法話がベスト法話となります!
…こういった企画なのです。これは面白い、と思いまして早速作成に取りかかりました。複数点応募可、ということでしたので、創作法話を3つ作って応募してみました。お暇な方、どうぞおつき合い下さい。
♦ その1 ♦
ご承知のように仏教にはさまざまな宗派がございまして、それぞれに、仏さまの世界と私たちの世界を結んで下さるさまざまな教えがございます。また修行がございます。私どもの宗派では、「なむあみだぶつ」とお称えすることによって仏さまの世界、極楽浄土にお救い頂きましょう、というのがその教えです。ご葬儀を行なうときも、阿弥陀さまの御手のうちにしっかりと故人さまをお預けし、お浄土にお送りする、それが私どものつとめであります。先日、あるご葬儀をおつとめした後で、故人さまの娘さんがこう言われました。
「おかげさまで、母は無事にお浄土に旅立つことができたと思います。ただ、一つだけ心残りがございまして…母は甘いもの、とくにタピオカ抹茶ラテを思いっきり甘くしたのが大好きでした。ところがお医者さまからはずっと止められておりまして…『もう、お好きなものはなんでも食べさせて上げて下さい』と言われたときには、ほとんど何も喉を通らない状態で。そうなんです。うんと甘いタピオカ抹茶ラテを一口で良いから食べさせて上げたかったなって。それだけが心残りなんです。」
私はこう申しました。
「…そうでしたか。それはちょっと残念でしたね。実は、お経にはこんなことが説かれているんですよ。
『極楽浄土では、食事をとりたいと思えば美しい宝石で出来た食器が忽然と目の前にあらわれ、そこに欲しい食べものが山盛りになって出てくるであろう。しかし、それを口にする者はいない。なぜならその色形を見たり、香りを楽しむだけで(それらを食べずとも)、自然に満腹になり、身も心も満ち足りるからだ。』
お母さまはもうすでにお浄土におられるのですから、もし『タピオカ抹茶ラテ、タピオカな(たべよかな)』と思われたら、それだけで目の前にいくらでも出てきます。お好きなだけ楽しむことができますよ。大丈夫です。どうぞご安心下さい。」
♦ その2 ♦
仏教の基本的な教えは、執着してはならない、ということです。いろいろと手を変え品を変えて、「執着の心を減らせば、苦しみも減ってゆく」ということを教えます。たとえば「色即是空」といいますと、「すべてのもの(色)は、様々な条件が集まって、たまたま今そこに、そのように成り立っているのである。それ自体が独立して存在し、執着の対象となるような実体は存在しない。」という教えであります。仏教にはまた、「色」とセットで「名(みょう)」という言葉があります。何かに名前をつけると、そこに愛着の心が生まれますよね。どんな名前にするかということでまた愛着の気持ちも深まってまいります。
たとえば、今ブームになっている「タピオカ」。なんでも原料はお芋の一種だとか。タピオカ、というとなんだか可愛らしい響きですが、これが例えば「芋つぶつぶ」だとか「数珠こんにゃく」とかいう名前だとどうでしょう。果たして売れるかどうか。
「タピオカ」の「ピ」が何となく可愛い響きですね。パピプペポ、パ行の音がポイントかもしれません。「パンナ・コッタ」「プリン」「ポテトチップ」「ポップコーン」。パ行の音が入っています。動物でもパンダ、カピバラ、ポメラニアン、パピヨン…こうした動物たちが名前とともに愛される。そしてパパ。動物、というと怒られますが、どうでしょうかパパ、愛されていますか?
私たち自身の名前はどうでしょう。名前は、私たちがオギャアと生まれたときに親から頂き、一生大切にお付き合いするものであります。そして一生が終わったあとは(また生前にも)戒名を頂きます。俗名は身体に頂く名前、戒名はいわば魂に頂く名前です。身体の命が尽きたその後は、お役の終わった俗名から離れて、御霊(みたま)に戒名を頂いてご供養を受ける、というわけです。
戒名にはパ行の音はあまりおつけしませんが、ご先祖の御霊の大切なお名前であります。是非、覚えて下さいね。
♦ その3 ♦
今日は、私ごとながら、娘のまりかの話をさせて頂きます。今、娘がはまっているのがタピオカドリンク。あれを食べるというのか飲むというのか、「『タピる』って言うんだよ」と娘は申しておりますが、つまりほとんど毎日タピっているわけなんです。
ただタピれば良い、という訳ではないようです。一人でやればひとりタピ、ってことになるんでしょうが、そういうことはあまりないらしいです。誰と一緒にタピるのか、どこのお店でタピるのか、というのが重要らしいですね。まあ私なんぞから見たら、煩悩のかたまりみたいなものであります。
あるときは、「〇〇(お店の名前)でバッタリ△△(人の名前)に会っちゃってさ。苦手なんだな、あの人。参っちゃった。」と言いながら帰って来ました。私は「そうか」と言い、その日の日記に「まりか、タピで苦手な人と会う」と書きました。またその翌々日には、お店が臨時休業だったと言って嘆いて帰ってきます。私の日記には、「まりか、タピれずに残念。」
なるほど、これはもしかしたらお釈迦さまの教えに通ずるかもしれません。仏教には「苦の真理」という教えがありまして、要するに人生なかなか思い通りにはゆかない、ということです。求めてもそれが得られないときに苦しいと感じる。会いたくない人に会えば苦しいと感じる。あるいは、今日は前々から行きたいと思っていたお店に行く約束をしていたのに、朝から熱が出てダウンしてしまった。みんな楽しくやっているだろうなあ。それから、こういうのもあります。タピり続けていたら、正直、ちょっとだけ飽きてきちゃった。初めのころの感激はもうなくなっちゃったなあ。あるいはこの先、高校を卒業すれば、もうこの楽しみはなくなっちゃうだろうなあ。
というようなことを並べながら、まりかに仏の教えを説いてみたところ、口をきいてくれなくなりました。
まさに人生、思い通りには参りません。
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