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2019.12

 
自作のお経本
笠原 泰淳 記(令和元年12月)

 林海庵を開く以前に奉職していた寺院は、いってみれば中規模のお寺で、僧侶は私の上司である住職と、職員である私の二名だけでした。(他にも、住職のご家族やお手伝い下さる方がおられました。)住職はとにかく忙しい方で、研究・調査・翻訳・講演・会議などで、お寺の外や海外まで飛び回っておられました。おかげで、日常のお寺の実務のかなりの部分を私に任せて下さったので、とても勉強になりました。また私が「こういうことをやったらどうでしょう」と提案すると、住職はほぼすべて、賛同してくれました。その後は、手伝ってはもらえませんが、完全に任せてくれたものです。

 特に覚えているのはお経本です。そのお寺の本堂には檀信徒向けのお経本が積み重ねてあり、「読誦正行、ご一緒にお経を読みましょう」と書いた紙が貼られていました。お経本を檀信徒の方々に手に取っていただき、皆さんとご一緒に声を揃えてお勤めをする。良いことだなあと感心しました。ただ、ご法事や行事ではそのお経本を一巻すべて読むわけではありません。そこで導師(住職)が、「はい、次に読むのは〇〇ページです」というガイドをところどころにはさみながら読経を進めていました。これですとお経の流れがあちこちで途絶えてしまいます。実際に読む部分だけで構成された、そして折本(おりほん)ではなく取り扱いの簡単な、新しいお経本を作りたい。そのように思いました。


折本
(折本というのはお経本に独特の装丁で、扱いに慣れた方でないとバラバラに開いて途中のページが床に落ちてしまうのです。)

 このように提案すると、住職は「では、そうしましょう」とあっさり言って下さいました。今考えますと、勤め始めてからまだ1年くらいしか経っていませんでしたので、よくあっさりと提案が通ったものだと思います。

 当時のキャノワードというワープロ専用機で原稿を作り、プリントアウトしたものをホッチキスで綴じるという手作りのものが出来上がりました。手前味噌ですが、素朴ながらたいへん使い勝手もよく満足しておりました。ところがしばらく経つと、表紙が擦り切れてきました。ご法事のたびに大勢で使い回すものですからやむを得ません。見かねた檀家総代の方が提案をして下さいました。
「いいお経本だと思いますが、どうしても背表紙が痛みますね。一つ提案ですが、銀行の通帳のような装丁にしたらいかがでしょうか。通帳は開いたままにしておくこともできるし、丈夫な作りになっていますから。」


 なるほど!というわけで、早速専門の業者さんに相談しました。少しでも支出を節約するために、版下までは自分で作りました。ルビを読みやすい位置に配置する細かい作業と、経典に特有の外字の作成に結構な時間がかかったように記憶しています。

 数ヶ月後に立派なお経本が出来上がりました。数百冊印刷しましたので、お寺の支出としてはかなりコストがかかったように思います。(住職は何も言わず出して下さいました。)

 というわけで出来上がったオリジナルのお経本。今でもその寺院で使って下さっています。林海庵でも奥付だけを変えて、同じものを使い続けています。

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