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2021.11

 
山頭火をめぐって
今月のコラムは、山田隆治上人の文章です。これから住職の笠原のほか当庵各上人が執筆を担当します。どうぞご期待下さい
山田 隆治 記(令和3年11月)

 「漂泊の俳人」と呼ばれている種田山頭火(たねだ さんとうか)の句に、
捨てきれない荷物の重さ前後ろ
というものがあります。
 種田山頭火は明治15年に山口県で大地主の家に5人兄弟の長男として生まれました。父は放蕩者で、何人もの愛人を持ち、お金も湯水のように使っていました。
 それを苦にして母は、彼が10歳の時に自宅の井戸に身を投げて亡くなりました。
 そのことが、彼の生涯を通しての大きな衝撃になりました。
 彼は早稲田大学へ入学しましたが、神経衰弱の為に退学。実家に帰りましたが、父が事業に失敗して種田家は破産してしまいました。父は行方不明となり、彼自身も酒に逃げるようになりました。
 34歳になった時に、弟二郎が借金を苦に自殺し、一層酒に溺れるようになりました。
 その後、知人を頼って熊本に行きましたが、仕事が思うようにうまくいきません。ある時、泥酔して市電に飛び込もうとしたところを助けられ、禅寺の寺男となり、そこで得度しました。
 それから寺を出て、全国各地を無一文で放浪しながら句作を続けました。

 山頭火は、子供の頃の母の自殺という衝撃的な出来事を生涯抱え、心に欠落したものを感じていたのでしょう。父の出奔や弟の死によって人生の虚しさや厭世感を覚え、酒に逃げ、句を作ることでしか居場所を見つけることができなかったのかもしれません。
 今まで歩んできた道での苦悩や、これからの人生に対する絶望感がこのような句を作らせたのかもしれません。
 山頭火は次のような句も作っています。
なむあみだぶつなむあみだぶつみあかしまたたく
 山頭火が亡くなる前の年、昭和14年に作られました。酒や煩悩から逃げることができず、阿弥陀様にすがって念仏を称えていると、仏様のろうそくの炎が瞬き、救ってやるぞと手を差し伸べて下さっているように思えることを読んだのかもしれません。

 私たちは、毎日煩悩を抱え、欲望と共に暮らしています。生まれてから今日までの日々を思い返してみて下さい。
 あれが欲しい、これが欲しいと思ったり、美味しいものを食べたり飲んだりしたいと思うことは毎日のようにあったでしょう。辛いことや苦しいこともたくさんありました。
 嬉しかったこと、楽しかったこともありましたがそれはほんの一瞬の出来事です。
 思い悩み、苦しんできたことはずっと心に残ります。多くの悩みや苦痛を誰もがずっと抱えて生きているのです。
 私たちが生きているこの世界は、苦しみの世界です。貪りの心、他人に対しての怒りや妬みの心、愚かな心といった煩悩を、無くすことができないでいることが苦しみの根本の原因です。

 しかしながら、煩悩を無くそうとしても、全てを無くすことはできません。私たちは生きていくために、動物や植物の命をいただかなければ生きていけません。他人と関わり合いを持たないで過ごすことはできません。
 では、どうすれば苦しみの世界を離れることができるのでしょうか。
 それはお念仏をお称えすることです。お念仏をお称えすれば阿弥陀様が苦しみの世界から必ずお救い下さいます。

 阿弥陀様は念仏を称える者は、あらゆる世界の誰をも一人残らずお救いくださると誓われました。その誓いを信じてお念仏をお称えすれば、苦しみの世界から離れることができます。そして、阿弥陀様がお造りになった素晴らしい世界である極楽浄土へ行くことができるのです。
 極楽浄土は美しい草花が咲き誇り、妙なる調べが流れ、芳しい香りに満ち、輝くような光に満ち溢れた世界です。悩みや苦しみは無く極めて心地よく過ごすことができます。そこでは阿弥陀様が説法をされています。
 厳しい修行や難しい学問を修めることができなくても、お念仏を称えるだけで阿弥陀様は救ってやるぞと誓われました。その誓いを信じてお念仏をお称えいたしましょう。☸

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