2022.05
浄土宗から毎月発行されている広報紙に「浄土宗新聞」というものがあります。
その「浄土宗新聞」の3月号に六代目三遊亭円楽師匠のインタビュー記事が載っておりました。
円楽師匠は青山学院大学在学中に五代目三遊亭圓楽師匠の付き人を経て入門。三遊亭楽太郎という名前でお茶の間の人気者になりました。テレビ番組の『笑点』にもレギュラーとして出演し笑いを届けました。
その後、五代目三遊亭圓楽の跡を継いで六代目三遊亭円楽を襲名しました。
落語家として大変な活躍を見せている円楽師匠ですが、浄土宗のお寺で出家しておられます。
五代目圓楽師匠は、元々浄土宗のお寺の生まれでした。六代目円楽師匠が出家したきっかけは、五代目圓楽師匠と親交があり、六代目円楽師匠とも親しかったお寺の住職から得度を勧められたことからでした。
今でも五代目の祥月命日には毎年欠かさず墓前にお参りに行っておられます。
朝のおつとめも毎日続けられているそうです。おつとめを行うことは『日常茶飯事』のことだと言っておられます。
私たちは『日常茶飯事』という言葉をよく使います。毎日、お茶を飲んだり、ご飯を食べたりするように日常ありふれたこと、いつものことで特に取り上げるまでもないことという意味です。でも、お茶を飲んだり、食事をしたりすることが当たり前のこととは限りません。何かの事情で食べ物や飲み物を手に入れることが難しくなることもあります。災害に見舞われたり、戦争に巻き込まれたりすると食べることも飲むこともできなくなってしまいます。
ですから『日常茶飯』とは単に当たり前のことという意味ではなく、安穏として平和な状態をいうのです。『日常茶飯』が当たり前のことになるためには、それを続けていく努力が必要です。いつもと変わらない生活を送るということは、私たちが生かされている、守られていることを自覚し、感謝の気持ちを持つところから始まります。
私たちが毎日お念仏をお称えすることも、お茶を飲んだり、ご飯を食べたりすることと同じように、感謝の心を持ち毎日変わらずに続けることが大切です。当たり前のこととして自然と手を合わせてお念仏が口から出てくるようになることが『日常茶飯事』であるのです。
法然上人がお書きになった「一枚起請文」には次のように説かれています。仏教の難しい学問を勉強して、わかったような顔をして称える念仏は必要ありません。また厳しい修行を修めて称える念仏も必要ありません。ただ、阿弥陀様の本願を信じて「阿弥陀様、お救い下さい。」と思いながらお念仏をお称えすることが大切です。それ以外のことは重要ではなく、ただひたすらにお念仏を称えることだけが重要です。
阿弥陀様は念仏を称える者はあらゆる世界の誰をも、一人も漏らさずお救い下さるとお誓いになられました。その誓いを信じてお念仏をお称えすることが大切です。
毎日、お念仏をお称えしていると、そうすることが当たり前のことになり、何をしていても自然と口からお念仏が出てくるようになります。そうすればお念仏をお称えすることが『日常茶飯事』のことになってくるのです。☸
・六代目三遊亭円楽師匠のインタビューは、浄土宗発行、季刊広報誌の近刊『かるな』6月号にも新たに掲載されます。どうぞ併せてご覧下さい