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2023.10

 
十念
笠原 泰淳 記(令和5年10月)

 私ごとですが、浄土宗の「十念」に初めて触れたのは私が11歳のときでした。同居していた祖父が亡くなり、浄土宗の葬儀を出すことになったのです。
 当時は自宅葬が一般的でした。読経に見えたのは、のちにわが家の菩提寺になるお寺のご住職です。当時わが家はお寺とのつきあいがなかったので(父はサラリーマンで、私たち家族も社宅住まいを転々としていました)、近所にある浄土宗のお寺を探し、何とかお願いして来て頂きました。今の住職から数えて3代前の方です。のちに私は仏門に入り、このご住職から親しくお話を伺うようになりましたが、当時私は小学六年生。遠くから、その物静かながら威厳あるご様子を眺めるのみでした。
 葬儀から四十九日と仏事が続きます。そのときに父から教わったのがこの「十念」です。
「いいかい。うちは浄土宗だから、この『十念』を覚えていればいいんだ。なむあみだぶ、なむあみだぶ…と称えていって9遍めだけはなむあみだぶつ、10遍めはまたなむあみだぶ、とこう称える。」
 父は決して信心深い方ではありませんでしたが物知りなところがあって、どこからかこの十念を覚えてきたようです。
 私が僧侶を志すのはそれから20年ほどあとのことです。この十念だけはよく覚えていました。浄土宗の勉強をするうちに、「なーるほど」と納得したものです。

 釈尊は『無量寿経』の中で、法蔵菩薩という方がたてた誓いについて阿難に説き示しておられます。その誓いとは、

私(法蔵菩薩)が仏となる以上、誰であれあらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって私の誓いを信じ、私の国土(西方極楽浄土)に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、万が一にも往生しないというようなことがあるならば、その間私は仏となるわけにはいかない。
 というものです。この誓いをたてられたあと、「私=法蔵菩薩」は長い修行ののちに仏になられ、阿弥陀仏と号されます。その時点で、つまり仏となられた時点でそれまで誓いであったものが既定の真実となります。つまり少なくとも十遍、信願をもって念仏を称える者の浄土往生が約束されることになった、というわけです。このロジック、お分かりいただけますでしょうか。

 釈尊はまた『観無量寿経』というお経の中で、

(いかなる罪を犯した悪人であっても、臨終の時に善き人に出会い、その人の言葉に従って)心の底から救いを求めて、声を絶やすことなくまた十念欠けることなく『南無阿弥陀仏』と称えれば…一瞬の間に極楽世界に往生することができる。
 と説いておられます。
 つまりこの「十念」の教えは、釈尊が覚りを求める人々に直接説かれたものだったのです。お念仏を称えれば何か良いことがある、あるいは魔除けになる、というようなあいまいなものではありません。「なむあみだぶつ」と声に出すことによって浄土往生が約束され、やがては彼の地で覚りに至ることができる、と釈尊が明言されているわけです。

 私ははじめ禅に興味を覚え、仏教を学ぶようになったので「空性を覚る」とか「見性」ということが何よりも大切のように思ってきました。死後の救い、他力本願の南無阿弥陀仏の教えとはまさに対極です。十数年のあいだ「空性」「見性」に関心をもってきましたが、何千人何万人に一人体験者が出るかどうか分からないような特別な覚り体験よりも、誰もに開かれた救いの道の方がはるかに魅力的に感じられるようになりました。坐禅を組まずとも、難解な経典を学ばずとも、浄土往生を通じて真っ直ぐに覚りの境地に進むことができる。難しい真言を覚えずとも、厳しい戒律をたもたずとも、誰でも簡単に仏さまの世界としっかりと結んで頂ける。僧侶を志したときに浄土宗を選ぶのは自然なことでした。

 というわけで、私はわが家の宗派でもあった浄土宗に入門し、今では幸いなことにこの十念を皆さまにお伝えしています。亡くなった父もさぞ喜んで見守ってくれていることでしょう。
 南無阿弥陀仏 🙏

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