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2025.06

 
大田眞祐(しんゆう)さんのこと
笠原 泰淳 記(令和7年6月)

 先月、令和7年5月13日、林海庵の信徒のお一人、大田眞祐さんが亡くなられました。行年95歳。
 林海庵のためにとても貢献して下さった方なので、今回は大田さんのことを書かせて頂きます。

 大田さんの御尊父は、かつて韓国釜山にあったお寺の主任(住職)として活動された方です。戦前は多くの日本人が海外に移住したので、それに伴い(宗派を問わず)たくさんの寺院が特にアジアに多く造られました。記録によると朝鮮半島48ヵ寺、台湾32、満州27、樺太27などです。これらはすべて、終戦とともに閉鎖されます。
 御尊父は当時の新しい仏教運動に参加され、寺院の主任を勤める傍ら、学校や診療所を設立するなど大いに活躍されました。
 大田眞祐さんは五男として生まれましたが、僧侶になる道は歩まず、一般企業(水産加工業だったと思います)に入られます。念仏信仰に篤く、これはやはりお育ちの環境によるものでしょう。
 一般人として人生を歩まれ、のちに林海庵のそばに居を構えられました。初めてお寺に見えた時は奥様を亡くされていて、お一人住まいでした。たまたまご自宅のそばを散歩していたところ、こんなに近くに新しい浄土宗のお寺ができたのか、ということで林海庵の小さな門をくぐられました。林海庵は浄土宗寺院の少ない場所に新たに開かれた寺(開教寺院)であり、大田さんがおられた釜山のお寺と重なるせいか、とても熱心に寺の行事に参加して下さいました。

 手仕事の上手な方で、あるときは法然上人の一代記の紙芝居を作り(箱もお手製)、檀信徒の前で演じて下さいました。
 またある年の花まつりのときには、「『花まつりのうた』を皆さんで歌いましょう、私が歌詞を墨書します。」ということで模造紙に歌詞を書いてきて下さいました。おそらく釜山のお寺では、大勢の子どもたちが集まってこの歌を唱和していたのでしょう。
 あるときは法然上人のご法語集(総本山知恩院から出版されている)のポケット版を作成し、檀信徒に配って下さいました。皆さんがいつでも読むことができるように、法然上人の教えに馴染んでもらえるように、という大田さんの願いからでした。
 毎月の写経会にも必ず参加して下さいました。お写経の一番最後のところに「願い」を書く箇所があります。「病気平癒」「無病息災」「世界平和」、またご先祖の戒名を書いて「追善供養」と書く方が多いのですが、大田さんはたいてい「林海庵寺門ご発展」と書いて下さり、ご自身のことよりも、私どもの小さな寺の発展を願って下さったのです。
 いつも温和な笑顔で、物静かにお話をされる方でした。お寺のことだけでなく、お寺の檀信徒のことも心配して下さっていました。もちろん、多くの檀信徒に好かれておられました。

   常照院安譽温實眞法居士

 御恩は忘れません。どうぞこれからも、常にその温顔をもって私たちを照らして下さいますように。
 南無阿弥陀仏 🙏

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