《浄土宗と六道輪廻》
笠原 泰淳 記(令和6年12月)
「浄土宗では(六道)輪廻を否定するのですか?」
このようなご質問を頂くことがあります。
今回は浄土宗の教えと輪廻転生の教えがどのように関係するのか、整理してみたいと思います。
(先月(R6. 11月)のお念仏の会とLive OTSUTOMEでお話しした内容をまとめたものです。当日お配りした資料を元に再構成しました。)
輪廻転生は映画やアニメの題材になることもあって、若い方でもご存知でしょう。しかし、それを自分のこととして考えている人は少ないと思います。
わたし自身はどうかというと、具体的な過去生の記憶があるわけではありませんが、おぼろげながら輪廻転生説を信じています。たとえば仏教や浄土宗との出会いについても、今生の縁のみでこの教えに導かれたとは思えないのです。おそらく過去生のどこかで、今生で浄土宗に導かれることになった原因(縁)があったのではないか—。
あるパーリ語の初期経典にはこのように説かれています。
釈尊は悟りを開かれる前、食事制限を中心としたいく通りもの苦行を行ないます。そしてその結果、苦行を続けることの無益さを理解します。彼はちゃんとした食事をとった後、回復した集中力を自身の過去生の想起に向けました。
その経典の中では、釈尊は幾多の過去生を思い起こし、それぞれの人生の時に何という名前であったか、どのような民族に属していたか、どのようなものを食べてどのようなことを楽しみとし、どういうつらい経験をしたか、またどのようにその生を終え、次にどの生に現れたかというようなことをつぶさに思い出したと述べられています。
さらに彼は、他の生きものたちの輪廻転生を観察し、それらの生きものが各自の行為によって高次の世界に生まれ変わったり低次の世界に生まれ変わったりすることを知ります。そしてそれを理解した自分自身の心が、低次の世界に向かう傾向から解き放たれたことを知り、このように言います。
「自分は解き放たれた。わたしは確かにこれを実感した。これが最後の生である。わたしは聖なる道を歩み切った。なすべきことをすべて成し終えた。再び生まれてくることはないであろう。」
こうしてみると、(諸説あるものの)輪廻転生説はブッダの悟りと、そして仏教の教えの根幹とに深く関わるものであるといえましょう。
さて、伝統的にはこの輪廻転生は、六つの世界で起こる生まれ変わり死に変わりの連鎖であると考えられています。
仏教に説かれる六道輪廻
この六つの世界とは、
- 絶えざる身体的苦痛と、監禁の苦しみに苛まれる世界(地獄)
- 飽くなき渇望と、それが満たされない苦しみに圧倒される世界(餓鬼)
- ものごとを洞察できず、ただ自分の目の前のものだけを追い求める者たちの世界(動物)
※これら三つが、六道の中のより低次の世界です。(三悪道)
- 苦楽の体験とその原因について考え、より深くものごとを見通すことができる世界(人間)
- 各自の理想を求めて、お互いに競い戦い続ける世界(修羅)
- 自分の世界を広げ、一時的に理想と平和を達成したように見えるがいまだ「生まれ変わり死に変わり」の枠を超えられない世界(天)
※これら三つが、六道の中ではより高次の世界といわれます。(三善道)
私たちは現在、4.の人界におりますが、未だ六道輪廻の内側にいるわけです。私たちは輪廻転生を繰り返した結果、この世に人間として誕生しました。
ある説によれば、人間としての一生の中にも六道があって、人はその中を行ったり来たりしているといわれています。より良い人生を生きるために、この教えは大いに参考になります。たとえば、人生の葛藤の時期を超えて天界のような安らかな時間を過ごすときもあれば、やがて再び激しい競争が始まり(修羅)、自分の考え方しか見えないようになり(動物)、それが激しい苦しみ(餓鬼、地獄)になってゆくということもあるでしょう。天界は決してゴールではないのです。
六道を超えた仏(悟り)の世界を目指すのが仏教である
さて、こうして私たちは輪廻転生の中で苦や楽に満ちた人生を歩みます。人生の最終段階が身体の死でありますが、浄土宗では死後のルートがふた通りに分かれます。上のルートは生前の念仏行を通して浄土に往生する道、下のルートはふたたび六道輪廻を続けるルートです。
悟りに至ることは誰にとっても容易なことではありませんが、念仏の実践によって浄土に生まれることは誰にでもできます。なぜならば、浄土往生は私たち自身の能力や努力によってなされるのではなく、阿弥陀仏の力によってなされるからです。阿弥陀仏は念仏行者を一人として見捨てることなく、浄土に救い取って下さいます。
ひとたび浄土に至れば、六道に転落することはもうありません。浄土において成仏するまでどのくらい時間がかかるかは分かりませんが、六道輪廻を繰り返しながら修行を続けて自力で悟りを目指すことを考えれば、遥かにすみやかに目的に到達できるのです。
その先はどうなるのか—この質問もたびたび受けます。阿弥陀仏の浄土で成仏したあとは、みずからの仏国土を建設して、衆生済度へと向かいます。これは浄土宗のみならず、大乗仏教一般の精神です。
まとめますと、浄土の教えでは、まず第一に、私たちは現在までずっと輪廻転生を続けてきた、ということを前提とします。そして第二に、そのような六道輪廻から念仏往生を通じて速やかに解脱することを教えます。
もし仮に、皆さんが六道輪廻の教えを信じがたいとして受け入れなかったとしても、大丈夫です。阿弥陀仏の本願力を信頼して日々お念仏を実践していれば浄土往生はかないます。
ですから仏教の教えの一部である輪廻転生説は、「浄土に生まれることができれば六道輪廻の苦しみから解放される」という意味において、私たちの浄土往生の願望を強固にしてくれる教えの一つであるといえましょう。☸