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コラム倉庫 2023〜24年分(令和5〜6年)


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浄土宗と六道輪廻 (2024.12) 「浄土宗では(六道)輪廻を否定するのですか?」
このようなご質問を頂くことがあります。
亡き方と共に (2024.10) 私が仏門に入ってからかれこれ30年以上経ちます。これまで多くの縁ある方々をお見送りし、それぞれの...
「自信がもてない」 (2024.09) 「自分に自信がもてない」、「何をしたらよいか分からない」、「将来が不安だ」このような悩みをよく耳...
ふだん考えていること (2024.06) 伝統仏教の寺院や僧侶は、地域コミュニティーの信仰の中心にある(いる)と同時に、コミュニティーの中...
「私は知っている」? (2024.04) 宗教者や学者の方が一般の人々に語りかけるときは、たいてい次のような構図になります。「私は...
新刊『OTSUTOME』のこと (2024.02) このウェブサイト上でもお知らせしましたように、このたび『OTSUTOME』という本を出版しました...
年頭にあたって (2024.01) 明けましておめでとうございます。本年が皆さまとご家族にとって、お健やかで実り多き年でありますよう...
日蓮上人 (2023.12) 海外の方からご質問を頂きました。私の回答も併せて掲載します。質問:法然上人や念仏などについての日蓮上人の...
パレスチナ (2023.11) 連日パレスチナの痛ましい様子が報道されています。もちろんハマスによる攻撃は許されるものではありま...
十  念 (2023.10) 私ごとですが、浄土宗の「十念」に初めて触れたのは私が11歳のときでした。同居していた祖父が亡くな...
ハワイ・マウイ島の大火災 (2023.09) このたびのマウイ島の大火災により亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。またお怪我をさ...
宇宙を反対側から眺める? (2023.08) 7月8月はお盆の時期です。また多くの寺院では、この時期に「お施餓鬼(おせがき)」、「施食会(せじきえ)」と...
(えにし)の手帖 (2023.07) エンディングノートのことは多くの方がご存知でしょう。エンディング、つまり自分の人生の終わりに...
「前世の因縁」? (2023.05) 先日、あるグループで出た話です。「障がいのある方々と関わる仕事をしています。仏教には『前世に...
自作“戒名”? (2023.03) 以前、お戒名の大切さについて書きました(2022年9月コラム)。最近、一般の方から「戒名を自作した...
臨死体験 (2023.02) 海外の方からご質問を頂きました。「臨死体験についての文献を見ますと、社会的文化的な条件付けに関係...
節分の鬼 (2023.01後) ■山 田■ 2月3日は節分です。豆を撒いて鬼を退治する行事は昔から行われてきました。こどもの頃は鬼の顔を描い...
平  和 (2023.01前) 謹んで新春をお祝い申し上げます。本年が皆さまとご家族にとって、お健やかで幸多き年でありますよう心より祈念...



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2024.12.05浄土宗と六道輪廻
笠原 泰淳 記(令和6年12月)

「浄土宗では(六道)輪廻を否定するのですか?」
 このようなご質問を頂くことがあります。
 今回は浄土宗の教えと輪廻転生の教えがどのように関係するのか、整理してみたいと思います。
(先月(R6. 11月)のお念仏の会とLive OTSUTOMEでお話しした内容をまとめたものです。当日お配りした資料を元に再構成しました。)

 輪廻転生は映画やアニメの題材になることもあって、若い方でもご存知でしょう。しかし、それを自分のこととして考えている人は少ないと思います。
 わたし自身はどうかというと、具体的な過去生の記憶があるわけではありませんが、おぼろげながら輪廻転生説を信じています。たとえば仏教や浄土宗との出会いについても、今生の縁のみでこの教えに導かれたとは思えないのです。おそらく過去生のどこかで、今生で浄土宗に導かれることになった原因(縁)があったのではないか—。
 あるパーリ語の初期経典にはこのように説かれています。

 釈尊は悟りを開かれる前、食事制限を中心としたいく通りもの苦行を行ないます。そしてその結果、苦行を続けることの無益さを理解します。彼はちゃんとした食事をとった後、回復した集中力を自身の過去生の想起に向けました。
 その経典の中では、釈尊は幾多の過去生を思い起こし、それぞれの人生の時に何という名前であったか、どのような民族に属していたか、どのようなものを食べてどのようなことを楽しみとし、どういうつらい経験をしたか、またどのようにその生を終え、次にどの生に現れたかというようなことをつぶさに思い出したと述べられています。
 さらに彼は、他の生きものたちの輪廻転生を観察し、それらの生きものが各自の行為によって高次の世界に生まれ変わったり低次の世界に生まれ変わったりすることを知ります。そしてそれを理解した自分自身の心が、低次の世界に向かう傾向から解き放たれたことを知り、このように言います。
「自分は解き放たれた。わたしは確かにこれを実感した。これが最後の生である。わたしは聖なる道を歩み切った。なすべきことをすべて成し終えた。再び生まれてくることはないであろう。」

 こうしてみると、(諸説あるものの)輪廻転生説はブッダの悟りと、そして仏教の教えの根幹とに深く関わるものであるといえましょう。

 さて、伝統的にはこの輪廻転生は、六つの世界で起こる生まれ変わり死に変わりの連鎖であると考えられています。

仏教に説かれる六道輪廻

 この六つの世界とは、
  1. 絶えざる身体的苦痛と、監禁の苦しみに苛まれる世界(地獄)
  2. 飽くなき渇望と、それが満たされない苦しみに圧倒される世界(餓鬼)
  3. ものごとを洞察できず、ただ自分の目の前のものだけを追い求める者たちの世界(動物)
    ※これら三つが、六道の中のより低次の世界です。(三悪道)
  1. 苦楽の体験とその原因について考え、より深くものごとを見通すことができる世界(人間)
  2. 各自の理想を求めて、お互いに競い戦い続ける世界(修羅)
  3. 自分の世界を広げ、一時的に理想と平和を達成したように見えるがいまだ「生まれ変わり死に変わり」の枠を超えられない世界(天)
    ※これら三つが、六道の中ではより高次の世界といわれます。(三善道)

 私たちは現在、4.の人界におりますが、未だ六道輪廻の内側にいるわけです。私たちは輪廻転生を繰り返した結果、この世に人間として誕生しました。
 ある説によれば、人間としての一生の中にも六道があって、人はその中を行ったり来たりしているといわれています。より良い人生を生きるために、この教えは大いに参考になります。たとえば、人生の葛藤の時期を超えて天界のような安らかな時間を過ごすときもあれば、やがて再び激しい競争が始まり(修羅)、自分の考え方しか見えないようになり(動物)、それが激しい苦しみ(餓鬼、地獄)になってゆくということもあるでしょう。天界は決してゴールではないのです。

六道を超えた仏(悟り)の世界を目指すのが仏教である

 さて、こうして私たちは輪廻転生の中で苦や楽に満ちた人生を歩みます。人生の最終段階が身体の死でありますが、浄土宗では死後のルートがふた通りに分かれます。上のルートは生前の念仏行を通して浄土に往生する道、下のルートはふたたび六道輪廻を続けるルートです。

 悟りに至ることは誰にとっても容易なことではありませんが、念仏の実践によって浄土に生まれることは誰にでもできます。なぜならば、浄土往生は私たち自身の能力や努力によってなされるのではなく、阿弥陀仏の力によってなされるからです。阿弥陀仏は念仏行者を一人として見捨てることなく、浄土に救い取って下さいます。
 ひとたび浄土に至れば、六道に転落することはもうありません。浄土において成仏するまでどのくらい時間がかかるかは分かりませんが、六道輪廻を繰り返しながら修行を続けて自力で悟りを目指すことを考えれば、遥かにすみやかに目的に到達できるのです。
 その先はどうなるのか—この質問もたびたび受けます。阿弥陀仏の浄土で成仏したあとは、みずからの仏国土を建設して、衆生済度へと向かいます。これは浄土宗のみならず、大乗仏教一般の精神です。

 まとめますと、浄土の教えでは、まず第一に、私たちは現在までずっと輪廻転生を続けてきた、ということを前提とします。そして第二に、そのような六道輪廻から念仏往生を通じて速やかに解脱することを教えます。
 もし仮に、皆さんが六道輪廻の教えを信じがたいとして受け入れなかったとしても、大丈夫です。阿弥陀仏の本願力を信頼して日々お念仏を実践していれば浄土往生はかないます。
 ですから仏教の教えの一部である輪廻転生説は、「浄土に生まれることができれば六道輪廻の苦しみから解放される」という意味において、私たちの浄土往生の願望を強固にしてくれる教えの一つであるといえましょう。☸


2024.10.01亡き方と共に
笠原 泰淳 記(令和6年10月)

 私が仏門に入ってからかれこれ30年以上経ちます。これまで多くの縁ある方々をお見送りし、それぞれのご家族と共に追善のご供養をつとめて参りました。またこの間、私自身も師僧や親をはじめ、多くの近しい人、お世話になった方々を見送る経験を重ねました。

 最近気づいたことですが、若い時分はともかくとして、年を取るにつれて私たちは亡くなられた方々と共に過ごす時間が増えてくるのではないでしょうか。

 自分のことを愛称で呼んでくれていた人
 自分のことを本気で心配してくれた人
 自分の将来のことを期待の目で見てくれていた人
 厳しい顔で自分を叱ってくれた人…
 こうした方々の多くは、すでにあちら側の世界に旅立ってゆきました。また、少し上の兄姉世代の人たちや同世代の遊び仲間も少しずつ減ってゆきます。
 子供時代の夢を見て今は亡き方に会うこともあれば、起きているときに今現在の悩み事を亡き方に相談することもあります。そこで明快な答えが返ってくるわけではありませんが、それでも一人だけで悩みごとを抱え込まなくて済むのです。

 また私はお寺の過去帳や実家の過去帳とは別に、私個人の「マイ過去帳」を作っておりまして、そこにお世話になった方々や亡くなった友人の戒名や命日、年齢を記録しています。過去帳をお持ちの方はお分かりでしょうが、1ページ目は「一日」次は「二日」、「三日」…とつづいておりまして、一ヶ月で一巡するようにできています。
 たとえば今日が10月1日だとします。「一日」のページを開きますと、1月1日や2月1日など、◯月1日に亡くなった方の戒名などが書いてある。それを読み上げてお念仏します。こうして一ヶ月経つと、記載してあるすべての方々を自然に想い出して手を合わせることができるわけです。
 深い縁を頂いた方を思い浮かべながら手を合わせる、ということは、自分の人生の大切な部分を振り返るということでもあります。それがまた、今日一日を豊かに生きるよすがになると思っています。

「マイ過去帳」はともかくとして、亡き方と共に生きる、この時間を是非とも大切にして頂きたいと思います。☸


2024.09.03「自信がもてない」
笠原 泰淳 記(令和6年9月)

「自分に自信がもてない」、「何をしたらよいか分からない」、「将来が不安だ」このような悩みをよく耳にします。
 若い方からこのようなご相談があると、どことなく八方塞がりになったような、まるで高い壁に囲まれたような感じを覚えます。これに対して相談者がある程度年配の方になると、同じような悩み相談を受けても、そこまでの閉塞感は感じません(一般的に言えば、ですが)。つまり、年を重ねてくるとある程度の経験を積んでおられるので、ご自分にできること苦手なこと、得意なこと不得意なことが多少なりとも分かってくるからでしょう。話の内容が具体的になってくるので、こちらも「漠然とした閉塞感」という感じは受けないのです。
 若い頃の「自分に自信がもてない」という感覚は私自身にもありましたが、近来はこの感じを持つ人がとても増えているように思います。そして、その原因は結局のところ自分自身にある、と思い悩んでいる方も多いのではないでしょうか。選択肢はたくさんあるにも関わらず、自信をもって歩んでゆける道をまだ見つけていない—その原因は自分にある…。
 確かにそういう面もあるかもしれませんが、私はここでその「原因」や「責任」を、情報過多の社会や時代に求めたいと思います。

 今の時代に生きてあふれかえる情報に接していると、その情報の、いわば裏の声が聞こえてきます。

「こんなに便利がものがあるのに、あなたはなぜそれを使わないの?そんな調子だと時代に置いてゆかれるよ。」
「あなたはこうあるべきなんだ。今のままじゃだめだよ。」
「こんなに素晴らしい活躍をしている人がいるのに、その一方で君はどうなんだい?」
「一度しかない人生なのに、どうしてもっと楽しもうとしないんだい?でもお金のことも考えなきゃだめだよ」

 豊かな情報の中で、私たちは知らず知らずのうちにこのような沢山の隠れたメッセージを受け取っています。それらは初めのうちは単なる「外からやってきたメッセージ」でしたが、次第に自分の中に取り込まれ、「自分はこうあるべきだ」という信念をもって自分を縛りつけるようになってしまいます。しかも、「一度しかない人生なのに、どうしてもっと楽しもうとしないんだい?でもお金のことも考えなきゃだめだよ」というような矛盾したメッセージも沢山受け取っているのです。これでは八方塞がりになってもしょうがないですね。

 ですから私が悩める若い方にお伝えしたいのは次のようなことです。

  • 自分をあまり責めないこと。情報過多の社会の中で生きていればこうなるのが自然だ、と考えてみて下さい。
  • 自信がなくても、まず一歩を踏み出してみること。そこから多くの発見があるでしょう。あなただけの小さな発見、小さな学びを大切にして下さい。
  • 受け取る情報の裏に隠れたメッセージに気づく、あるいは自分の癖で特定のメッセージを受け取ってしまいがち、という自分の傾向に気づいて下さい。

 私たちは土砂降りのような情報の中で生きてゆかざるを得ない—そうなのかもしれません。しかし仮にそうだとしても、傘をさして自分を守ることはできます。そして、足元を見ながら一歩一歩進んで参りましょう。🙏


2024.06.13ふだん考えていること
笠原 泰淳 記(令和6年6月)

 伝統仏教の寺院や僧侶は、地域コミュニティーの信仰の中心にある(いる)と同時に、コミュニティーの中の葬送を担ってきました。
 死は誰にとっても避け難いものです。そうと分かってはいるものの、ふだんの日常生活からはなるべく遠ざけておきたい…それは一般の人々にとってごくあたりまえの感覚でありましょう。その多くの人々のアンビバレントな(いわば宙ぶらりんの、また矛盾する)感覚の受け皿の役割を、地域の寺院や僧侶が担ってきたといえます。
 つまり寺院や僧侶の存在が、人々の死に対する矛盾する感覚を、「仏教」という大きな世界を通して受け止める、また家族と死別する悲嘆や人生の有限性に直面する苦しみをやわらげる、という意味をもってきたのです。実際のところ日本人の宗教性は、すでにこの世から旅立った人々に供養を捧げること通じて、「大いなる世界」とつながってきました。(その「大いなる世界」は、必ずしも明確なものではないかもしれませんが。)その宗教感覚を支える、また儀礼を通じてオーソライズして差し上げるのが寺院や僧侶の大切な役割だといえましょう。
 ですから、寺院が存在することには大きな意味があるのです。その住職が学問や修行に優れていようとそうでなかろうと、あるいは世襲であろうとなかろうと、また宗派さえも問わず、寺院の存在とそれを維持してゆくこと自体に大きな意義と(寺院の側の)責任があるといえましょう。

 かつては、このことが寺院と檀信徒の双方の立場から暗黙のうちに共有されてきました。しかし、社会の急激な変化とともに人々の信仰心にも変化が生じ、また海外の仏教事情が日本にも伝えられるようになり、(主として)私たち僧侶の側が自問するようになります。

  • 葬送を専門とすることは、釈尊の説かれた本来の仏教ではないのではなかろうか?
  • 僧侶はコミュニティーの葬送儀礼や先祖供養だけではなく、社会貢献活動を行うべきなのではないか?
  • 自分たちは時代の流れから取り残されているのではないだろうか。
 こうした中で、かつてはなかったような様々な思索や活動が僧侶の側から少しずつ生まれてきているのが今日の状況だと思われます。

 私自身は、特別な地域社会への奉仕活動は行なっておりませんが、それでもこのようなネット上の発信を含め、少しでも今日の皆さまのお役に立てるように努めております。
 ふだん、とりわけ重視しているのがお経の解説です。ご葬儀や法事をおつとめする際に、読経の合間にお経の解説をはさみ、参列している方々と理解や気持ちを共有しながら儀式を進めてゆく方法をとっております。僧侶が前の方で読経していて、ご参列の皆さんは後ろの方でただそれを30分間聞いているだけ、という形を脱したかったのです。

「浄土宗のおつとめは、はじめに『香偈(こうげ)』という、お香を焚きながら読むお経から始まります。お香のかおりで私たちの身体と心を清らかに鎮め、これから仏さまのご供養をおつとめいたします、というような意味のお経です。」
  (—読経—)
「続いて『三宝礼(さんぼうらい)』です。仏教で大切にしている三つの宝物がございまして…」
  (—読経—)

 といった具合です。
 別に講義の場ではありませんので、詳しい説明をすることはありませんしその時間もありません。読経全体のムードをこわさないように気をつけながら、少ない言葉で説明を入れています。おつとめには仏教の大切なエッセンスがちりばめられていますので、その中の幾分でも皆さんにお伝えできれば、と思っています。

 ご参列の皆さんに、先に述べた「大いなる世界」とのつながりを感じて頂けたら、そして亡き方のために「良いご供養をすることができた」と思って頂ければ、これほどありがたいことはありません。🙏


2024.04.03「私は知っている」?
笠原 泰淳 記(令和6年4月)

 宗教者や学者の方が一般の人々に語りかけるときは、たいてい次のような構図になります。
「私は知っている。あなた方は知らない。だから私がお教えしましょう。」
 仏教の場合でもほとんど例外はありません。私自身もこのようなウェブサイトを通じて浄土宗について発信する以上、この構図の中に含まれていることでしょう。「それは当たり前のことではないか」と思われるかもしれませんが、私はそうは思わないのです。
 ——なぜなら仏教は「無我」を説くからです。
「私は知っている。あなた方は知らない。」
 という態度で話される方の話を聞いてみると、そこに強い自我を感じることが多いのです。ことに仏教の理想は「覚り」ですから、「私は知っている。あなた方は知らない」ということは、「私は覚っている。最高の理想を達成している。だがあなたは覚っていない。私があなたを導いて、覚りに至る道筋を教えてあげよう」と言っていることを意味します。
 しかし本当に覚っているのであれば、それはその方の外見にも現れていることでしょう。ここで思い出されるのが、仏陀の最初期のお弟子の話です。

「ある朝、仏陀の若い弟子、アッサジというものが、ラージャガハの街に入って、托鉢をしていた。その態度がたいへん立派だったので、ひとりの修行者が、つよく心を動かされた。
『もし、この世の中に、ほんとうの聖者というものがあるのならば、この人はその弟子のひとりにちがいないだろう。ひとつ、師匠は誰だか、聞いてみよう。』
 だが、托鉢の作法というものがあって、托鉢しているあいだは、話をしてはならないことになっている。そこで、かの修行者は、彼が托鉢をおわるまで、静かにそのあとについて行った。
 やがて、彼が托鉢を終って、帰途につこうとすると、かの修行者は、彼を呼びとめて、会釈して、問うて言った。
『あなたは、たいへん態度がご立派で、顔色もかがやいている。あなたは、いったい、誰を師とする方か。何ぴとの教えをいただいているのか』…」
(『仏教百話』増谷文雄より)

 托鉢するお弟子でさえも、一見して分かるような輝きを放っておられた。この修行者はそこに強く惹きつけられました。「この人の師は、さらに素晴らしい聖者であられることだろう。」
 こうしてこの修行者は仏陀のもとに至り、その弟子となります。この修行者こそ、のちに仏陀第一の弟子といわれたサーリプッタ(舎利弗)でした。

 ここで申し述べたいことは、「私は知っている」という態度で話される方が、たとえ皆さんよりも仏教についての知識が多少あったとしても、慎重になって頂きたい、ということです。「一切は空である」「自他不二、煩悩即菩提、生死即涅槃こそ尊い境地である」…このように説かれたとしても、それが「私は知っている」vs「あなたは知らない」という構図の中で説かれるのであれば、そこで伝わるのは単なる辞書的な知識に過ぎません。感じられるのは語り手の尊大なエゴだけでしょう。
 本当に覚りを開かれた方であれば、「私は知っている。あなた方は知らない。だから私がお教えしましょう」という構図にはならないと思うのです。

 浄土宗を開かれた法然上人は、
「私のような無智の身は、ひとえにこの(お念仏によって必ず浄土往生がかなうという)教えを頼りとして常に念仏を称え続け、間違いない往生のために備えるのです」
 と言われます。いわばご自身を最低の場所に置き、「このような私でも浄土往生が叶うのであるから、あなたたちもこのお念仏で救って頂きなさい」というふうに教えられたのです。お分かりでしょうか。「私は知っている−あなた方は知らない」という前提に立った説き方とは正反対です。

 現代に生きる私たちは、法然上人が苦労の末に辿り着かれた「お念仏で救われる」という結論をある意味ですでに知ってしまっています。ですからそれを私がここで繰り返したところで、皆さんはあまり驚かれないかもしれません。しかしこの法然上人の説き方は、宗教としては誠に驚くべきことであって、大乗仏教の至高の開花であると申しても過言ではありません。
 ぜひともこの教えを、生き生きとした形で後の世に伝えてゆきたいものです。
 南無阿弥陀仏。🙏


2024.02.01新刊『OTSUTOME』のこと
笠原 泰淳 記(令和6年2月)

 このウェブサイト上でもお知らせしましたように、このたび『OTSUTOME』という本を出版しました。
 内容は浄土宗のふだんのおつとめ、「日常勤行式(にちじょうごんぎょうしき)」とも申しますが、その内容と読み方を英語で解説したものです。
 林海庵で毎月行なっている「楽しいお念仏の会」では、お経本(またはプリント、もちろん日本語です)を皆さんにお持ち頂き、それを見ながら一緒に声を出しておつとめを行なっています。
 浄土宗のおつとめは実によく構成されていています。偈文をここで個々に説明するのは難しい(*)のですが、全体的にいわば「起承転結」のような物語性があって、「転」の部分がお念仏の唱和、ここが最高の山場となります。お念仏を最高と位置づける浄土宗の教義と一致しているわけです。手前味噌ですがこのように優れた構成のものは他宗には見られません。

*) 過去にコラムで一部解説を試みたことがあります。2002年〜06年頃のコラムから探してみて下さい
 またほとんどの内容が漢文ですが、さほど難解ではないので、簡単な説明を補えば、文字を見て何となく意味が分かってきます。
 私が浄土宗のおつとめを学び始めたのは僧侶の修行を始めてからですから、かれこれ35年近く前になります。その内容は難しくはないと申しましたがたいへん奥深いところもあって、今だに新鮮な気持ちで音読することができるのです。

 さて、これと同じ内容のおつとめを、インターネットの会議システムを使ってオンラインでも行なってみよう、と始めたのが「Live OTSUTOME」です。当時は聞き慣れなかったZoomというアプリケーションを使ったスタートでしたが、コロナ禍が始まってからこのアプリを使う人が飛躍的に増えました。
 当初のスタイルを変えずに続けており、今月でもう56回を数えます。このごろは少し厚かましくなって短時間の英語法話を入れていますが、基本は毎月お寺で行なう「楽しいお念仏の会」と同じです。
 海外の方々には、こちらでダウンロード用の材料を用意し、それを各自プリントして使ってもらってきました。ローマ字読みのプリントだけを元に、50分近くの時間を付き合って頂いているわけで「とても有難い」と思う反面、こちら側でももうひと工夫努力する必要があるのではないか—これが今回の出版の動機でした。
 極力、日本語ができない方の立場になって作ったつもりです。またところどころに教義に関連する説明を入れており、浄土宗の入門書としても使えます。
 価格もお求めやすいものにしました。関心のある方、お知り合いに勧めてみたいと思われる方、ぜひご購入下さい。☸


2024.01.01年頭にあたって
笠原 泰淳 記(令和6年1月)

 明けましておめでとうございます。本年が皆さまとご家族にとって、お健やかで実り多き年でありますよう心より祈念いたします。

 本年は、浄土宗が開かれてから850年という記念の年にあたります。
 浄土宗を開かれた法然上人は、御年43歳のとき(1175年)に浄土宗の教えのもととなる阿弥陀仏の本願の真実を悟られました。そのときの感激たるや、
「感悦髄に徹(とお)り、落涙千行なりき」
 だったそうです。

 法然上人の仏道探求の目的は、ひとりご自身の解脱のためのみではなかったように思われます。
 上人の父君である漆間時国(うるまのときくに)という方は、美作(岡山県)地方の治安を保つ役を務めておられましたが、突然の夜襲によって命を落とされました。この父君の御霊にはたして救いはあるのか。そして母君—夫亡きあと頼りとすべき一人息子を手放し修行に出すことになった(一文不知の)母君は、仏教においてはたして救われるのか。
 法然上人の探求には、これらの問いも含まれていたのではないでしょうか。
 さらに、克服し難い憎しみの心。明石定明の卑怯な手段によって深傷を負った父君は、その死の床で、息子に対して敵討を禁じる遺言を残しました。がしかし法然上人の心の葛藤、もう少し言えば、仇敵明石定明に対する尽きることのない憎しみの感情は、二十年三十年経っても癒えることはなかったでありましょう。それが阿弥陀仏による救済を探求する大きな動機だったとも考えられます。
 こうした心の葛藤をまるごと受け入れてくれる教えがここにあった—伝えられる事柄からの想像に過ぎませんが、「落涙千行なりき」の背景にはおそらくこのような個人的事情があったように思われるのです。

 いずれにしましても法然上人は阿弥陀仏の救済原理をわがものとされ、それがそのまま万人を救う普遍的な道につながると気づかれました。
 苦悩に沈む人々、葛藤に苦しむ人々はいつの時代も尽きることがありません。今日の世界を見ても苦に喘いでいる人がいかに多いことでしょうか。
 まさしく「今日における救い」としてお念仏の教えをお伝えして参りたいと思っております。

 本年も宜しくお願いいたします。🙏


2023.12.05日蓮上人
笠原 泰淳 記(令和5年12月)

 海外の方からご質問を頂きました。私の回答も併せて掲載します。
質問:法然上人や念仏などについての日蓮上人の非常に攻撃的な言葉について、どう思いますか?

回答:あなたが仰っているのは、「念仏無間」に代表される日蓮上人の法然上人や浄土宗に対する批判と攻撃的な言葉のことだと思います。
 日蓮上人が活躍されていた時代は、上人は念仏信者たちから激しく弾圧を受け、また当時の政権からも危険視されていたと聞いています。他宗批判は、そのような当時の時代背景とそれを踏まえた上人の文脈から出た言葉だと理解していますので、現代に通じるような普遍性を私は感じません。
 私自身は、日蓮上人は法然上人の教えを批判的に研究した結果、心ならずもその影響を受けられたのではないかと想像しています。日蓮上人は庶民のために、「たとえ法華経の教えをよく理解できなくても、南無妙法蓮華経と称えればよろしい」という教えを説かれました。これはお念仏の教えととてもよく似ています。庶民の立場に立った、弱者を救済する教えを説かれた尊敬すべき宗教家だと思います。
 法然上人ご存命の当時には、念仏の信者たちが法華経の信者を弾圧するようなことまでは起こらなかったでしょう。また仮に日蓮上人が同時代におられたとしたら、念仏批判の立場は変わらなかったとしても、別の方法を取られたかもしれません。またもし法然上人が日蓮上人の批判を聞いておられたならば、そこから刺激を受けて日蓮上人の批判を踏まえたことを何か言われたかもしれませんね。

 ですからいずれにしても、時代の離れた現代において両者の教えを同時並列的にならべ、優劣を論ずることに意味はありません。それは現代における一つのパワーゲームにすぎず、法然上人の教えや日蓮上人の教えの真髄に触れるものではないと思います。したがって、私は日蓮上人のお言葉が浄土宗批判のために引用されるのを聞いても「ああ、また現代のパワーゲームか」と思うだけであって、特に関心や反論の気持ちは起こりません。また、今日の日本で日蓮宗の僧侶の方たちと話していても、このことについて特に議論は起こりません。
 私はむしろ法華経と浄土経典に共通する、大乗仏教の本質に関心があります。法華経と日蓮上人の教えを学ぶことの中で、それを理解することの重要性を知ったのです。

 法然上人と日蓮上人が私の考え方に同意して下さることを願います。
 南無阿弥陀仏🙏


2023.11.05パレスチナ
笠原 泰淳 記(令和5年11月)

 連日パレスチナの痛ましい様子が報道されています。もちろんハマスによる攻撃は許されるものではありませんが、ただただ一刻も早い停戦を祈るばかりです。パレスチナの人々の痛みが増せば増すほど、新たなテロの萌芽を育ててゆくことになるでしょう。またパレスチナの外側の世界にも、こうした萌芽が広がってゆくのではないかと懸念します。
 ダライラマはかつて、「最大の敵は中国ではなく、私たちの中にある憎しみの心である」と言われたそうです。この言葉は中国とチベットの間のみならず、すべての敵対関係、対立関係にあてはまります。まさに今こそ、この言葉を深く味わうべき時ではないでしょうか。
 外側にいるいわゆる「敵」ではなく、おのれの心を見つめよ—。
 そして憎しみは痛みから生まれます。新たな痛みを生まないようにすること、またすでにある痛みを癒してゆくこと、これを考えたいのです。
 現代は情報が急速かつ広範囲に伝わる時代です。痛みや憎しみも情報に乗って即座に世界中に広がります。対立関係を煽るような発信や、または自己の主張のためにそれを利用したりするプロパガンダには十分注意しなければなりません。
 平和というのは、天気の良い日のように単に雨風のない状態ではありません。人間同士が揉め事を作るわけですから、平和を保つためには自然に任せるのではなく、人間同士の不断の努力が必要です。考え方や利害が異なる人間同士が暮らしてゆく世界ですので、何も起こらない方がおかしいのです。大きな問題に発展しないように、小さな努力を積み重ねてゆく必要がある。そのためには自分の心を見つめることが大事である—わが心の底に暴力の萌芽がないだろうか、と常に観察を怠らないことです。
 戦乱を地球の裏側の遠い場所での話だと眺めているのではなく、私たちの身近なところ、わが心を見つめることから取り組みを始めてゆくことができます。
 子供たちの泣き叫ぶ顔や、状況に圧倒されて放心したような顔ではなく、愛らしい笑顔や夢に輝く瞳を見たい—世界中の人がそう思っているのではないでしょうか。🙏


2023.10.06十  念
笠原 泰淳 記(令和5年10月)

 私ごとですが、浄土宗の「十念」に初めて触れたのは私が11歳のときでした。同居していた祖父が亡くなり、浄土宗の葬儀を出すことになったのです。
 当時は自宅葬が一般的でした。読経に見えたのは、のちにわが家の菩提寺になるお寺のご住職です。当時わが家はお寺とのつきあいがなかったので(父はサラリーマンで、私たち家族も社宅住まいを転々としていました)、近所にある浄土宗のお寺を探し、何とかお願いして来て頂きました。今の住職から数えて3代前の方です。のちに私は仏門に入り、このご住職から親しくお話を伺うようになりましたが、当時私は小学六年生。遠くから、その物静かながら威厳あるご様子を眺めるのみでした。
 葬儀から四十九日と仏事が続きます。そのときに父から教わったのがこの「十念」です。
「いいかい。うちは浄土宗だから、この『十念』を覚えていればいいんだ。なむあみだぶ、なむあみだぶ…と称えていって9遍めだけはなむあみだぶつ、10遍めはまたなむあみだぶ、とこう称える。」
 父は決して信心深い方ではありませんでしたが物知りなところがあって、どこからかこの十念を覚えてきたようです。
 私が僧侶を志すのはそれから20年ほどあとのことです。この十念だけはよく覚えていました。浄土宗の勉強をするうちに、「なーるほど」と納得したものです。

 釈尊は『無量寿経』の中で、法蔵菩薩という方がたてた誓いについて阿難に説き示しておられます。その誓いとは、

私(法蔵菩薩)が仏となる以上、誰であれあらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって私の誓いを信じ、私の国土(西方極楽浄土)に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、万が一にも往生しないというようなことがあるならば、その間私は仏となるわけにはいかない。
 というものです。この誓いをたてられたあと、「私=法蔵菩薩」は長い修行ののちに仏になられ、阿弥陀仏と号されます。その時点で、つまり仏となられた時点でそれまで誓いであったものが既定の真実となります。つまり少なくとも十遍、信願をもって念仏を称える者の浄土往生が約束されることになった、というわけです。このロジック、お分かりいただけますでしょうか。

 釈尊はまた『観無量寿経』というお経の中で、

(いかなる罪を犯した悪人であっても、臨終の時に善き人に出会い、その人の言葉に従って)心の底から救いを求めて、声を絶やすことなくまた十念欠けることなく『南無阿弥陀仏』と称えれば…一瞬の間に極楽世界に往生することができる。
 と説いておられます。
 つまりこの「十念」の教えは、釈尊が覚りを求める人々に直接説かれたものだったのです。お念仏を称えれば何か良いことがある、あるいは魔除けになる、というようなあいまいなものではありません。「なむあみだぶつ」と声に出すことによって浄土往生が約束され、やがては彼の地で覚りに至ることができる、と釈尊が明言されているわけです。

 私ははじめ禅に興味を覚え、仏教を学ぶようになったので「空性を覚る」とか「見性」ということが何よりも大切のように思ってきました。死後の救い、他力本願の南無阿弥陀仏の教えとはまさに対極です。十数年のあいだ「空性」「見性」に関心をもってきましたが、何千人何万人に一人体験者が出るかどうか分からないような特別な覚り体験よりも、誰もに開かれた救いの道の方がはるかに魅力的に感じられるようになりました。坐禅を組まずとも、難解な経典を学ばずとも、浄土往生を通じて真っ直ぐに覚りの境地に進むことができる。難しい真言を覚えずとも、厳しい戒律をたもたずとも、誰でも簡単に仏さまの世界としっかりと結んで頂ける。僧侶を志したときに浄土宗を選ぶのは自然なことでした。

 というわけで、私はわが家の宗派でもあった浄土宗に入門し、今では幸いなことにこの十念を皆さまにお伝えしています。亡くなった父もさぞ喜んで見守ってくれていることでしょう。
 南無阿弥陀仏 🙏


2023.09.03ハワイ・マウイ島の大火災
笠原 泰淳 記(令和5年9月)
ラハイナ浄土院三重塔(下は遺構)

 このたびのマウイ島の大火災により亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。またお怪我をされた方、避難所でご苦労されている方々に謹んでお見舞いを申し上げます。
 今回初めて知ったという方もおられると思いますが、マウイ島には浄土宗の寺院が3カ寺あります。このうちラハイナにある寺(ラハイナ浄土院)が被災しました。写真で見ますと青銅製の大仏と釣鐘以外はほぼ全焼という状態です。幸いにご住職とそのご家族は避難されていて無事だとのことですが、歴史ある美しい寺、現地日系人の皆さんの心の拠りどころになってきた寺院が焼失したということで、町全体が焼失したことへのショックに加え、私どもも大いに心を痛めているところです。

浄土真宗ラハイナ本願寺(上)
真言宗法光寺(下)
 また浄土宗寺院のみならず、ラハイナにある浄土真宗本願寺派のラハイナ本願寺、高野山真言宗の法光寺も同様な被害を受けられた模様です。ご関係の皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。

 ハワイの日本仏教寺院の歴史を紐解きますと、明治時代の移民政策に端を発します。
 江戸時代の日本の全人口は約3千万人と言われていますが、明治以降これが増え始め、明治45年には5千万人を超えました。当時はわが国の工業化もまだ充分ではなく、人口は過剰気味。政府は移民を奨励しました。今は移民政策というと外国からの移民を受け入れる政策のことですが、当時は逆です。日本から海外への移民を奨励しました。(ここにはまた、当時の帝国主義政策も関わってきます。)
 こうしてハワイのみならず、南北アメリカ、中国、フィリピンなどに多数の移民が(はじめは)国策として送り出されました。
『浄土教報』という浄土宗僧侶に向けて発行されていた雑誌の明治26年8月号に次のような記事があります。(一部編集)

「ハワイは、太平洋上における島に過ぎないというが、今や世界交通上、あるいは商業交易の上からも非常に重要な位置にあり、イギリスやアメリカをはじめ各国が注目している場所である。(注:のち明治33年にアメリカ領となる。)この島に住む日本人移住者の数は、総人口の約四分の一を占めるほどであり、日本の海外移住民の多さは第一である。ところがこのように多くの移住民がいるにもかかわらず、日本の仏教家のハワイに対する関心は薄く、熱心に布教活動をする僧侶がいない。このままではハワイにいる2万人近い移住出稼ぎ者(注:サトウキビ農園等の労働者が多かった。戦前には22万人まで増加)は、仏陀の法雨に潤うことを得ず、宗教上の浮浪の民になってしまうであろう。
 日本人の同胞がこのような悲境に陥っているこの現状を黙視する事は、誠に無慈悲な事である。もし慈悲心ある仏教家がこの事実を知ったならば、進んでハワイに赴き、現地の労働者を慰問し、仏陀の慈音を伝え、大いにその渇望を満足させることができるであろう。
 これとは反対に、この事態を誰も顧みる者がいないなら、移住民は異教徒になってしまい、大和民族の特色を失ってしまうであろう。そして、道徳の素養を持たない人間に成り下がり、酒に溺れ、賭博を好むようになり、彼らは折角働いて得た金銭もまるで一夜の夢と化すように浪費し、やがて放蕩者や無頼の徒も増えるであろう。このことは、彼らが自分の身を害するばかりでなく、ひいては世界に対して日本の国辱を招く事になる。
 このような現状を見つめるとき、今、世界に移住した出稼ぎ者の為に、熱心な慈悲心をもった仏教家が進んで海外布教に出ることが求められている。その手始めとして、ハワイの移住民の教化を志す人材を求める。」

 こうして有志によりハワイに各宗派の新しい寺院が建立されるようになり、今日に至っているわけです。(浄土宗では現在、北米、南米、オーストラリア、フランスにも寺院があります。戦前は台湾、朝鮮、樺太、満州にも寺院がありましたが戦後廃止されました。)
 日米が敵国同士となって争った時代からかなりの年月が経ちました。戦前、戦中、さらに戦後の長い年月の中でご苦労されることの多かったハワイの日系人の方々が心のよりどころとして集われたのがこうした各宗派の仏教寺院だったのです。

 幸いにラハイナ浄土院のご本尊の仏像は無事でした。これから長い再建への道のりを歩むことになると思います。皆さまどうぞ長い目をもってお力添え、お見守りをお願いいたします。(ラハイナ浄土院への支援のご案内の項もご覧下さい)🙏


2023.08.01宇宙を反対側から眺める?
笠原 泰淳 記(令和5年8月)

 7月8月はお盆の時期です。また多くの寺院では、この時期に「お施餓鬼(おせがき)」、「施食会(せじきえ)」という行事が営まれます。
 お盆とお施餓鬼は、もともと別々の経典に基づいた別々の法要なのですが、餓鬼の世界からの救いと先祖供養という共通点があることから同じように捉えられることが多いのです。ちなみにお盆の供養を説くお経には、それを行なう日を7月15日に定めています。(実際には盆行事は7月13日から16日、また地方によってはひと月遅れの8月中旬に行なわれます。旧暦の7月15日やそれら以外の農閑期の時期に行われるところもあります。)それに対して、お施餓鬼の供養を説くお経では供養を行なう時期は特に定められておりません。一年中いつ行なっても構わないのです。

 今回は、このお施餓鬼で読むお経についてお話しします。施餓鬼供養の冒頭に読む「破地獄偈(はじごくげ)」という偈文(げもん)についてです。
 本文は次の通りです。

若 人 欲 了 知(にゃくにん よくりょうち)
三 世 一 切 仏(さんぜ いっさいぶ)
応 観 法 界 性(おうかん ほうかいしょう)
一 切 唯 心 造(いっさい ゆいしんぞう)

 では、初めのところから見て参りましょう。「若い人」ではありませんよ。
「もし人が、三世の一切の仏を了知せんと欲すれば、まさに法界の性を観ずべし。一切はただ心の造れるところなり、と。」
 このようになります。もう少しくだいて説明しますと、
「もしあなたが、過去から未来にいたるすべての仏(の境地、仏の世界を)明らかに知りたいと思うならば、まさにこの宇宙の本性を観察しなさい。
—すべては、ただあなたの心が造り出したものである、というふうに。」

 ここでは、私たちが周囲の世界をどのように認識するかということがテーマになっています。
 私たちの日常感覚としては、まず客観的な世界、客観的な宇宙というものが存在していて、それを私たちが眺めている。もし私たちの観察の精度が上がれば、私たちはより正しく宇宙を眺めることができる。より正しい宇宙像を心に描くことができる。これが普通の感覚ではないでしょうか。
 ところが釈尊の洞察によれば、その正反対なのです(出典の『華厳経』では覚林菩薩の言葉として説かれます)。
「私たちの心が全宇宙を造り出している」というのです。

「…ええと、ちょっと待って下さい。例えばですが、NASAの最新型の望遠鏡によって、宇宙が形成された最初期の銀河がたくさん発見された、というニュースが最近ありました。それらの天体も私たちの心が造り出したものだというのですか? それらは、生命が宇宙に現われる前のものだと思うのですが。」

 確かにそのような疑問が起こりますよね。
 釈尊の洞察は、心が出発点です。たとえばショックなことが起こって私たちの心が落ち込んでしまったとき、周りの世界がとても無味乾燥に見えることがあります。世界は色彩や香りを失い、道端に咲く花々も目に入らず、鳥たちの囀りも耳に聞こえません。幸せそうな人を見ると怒りが沸いてくることさえあるかもしれません。
 また心が欲にとらわれている時は、世界がすべて損得勘定で成り立っているように見えるかもしれませんね。先の宇宙の新発見の話でも、それぞれの学者がそれぞれの学説に準拠して天体を眺めるならば、学者によって異なる宇宙像が見えているかもしれません。
 ですから、周囲の環境から発せられるさまざまな情報が私たちの心に写るのではなく、私たちの心から投影されたものが私たちを取り巻く環境をつくり、それをまた私たちの心が眺めている。これが釈尊の洞察だと思われます。(私たちの心が物理的に天体を創造するということではありません。)
 この、「私の心が私の世界を造り出している」という見方が重要です。冒頭の偈文のタイトルに『破地獄偈(はじごくげ)』とあるのは、たとえ自分が地獄にいると思っていてもそれは実は自分の心が造り出したものに過ぎない、ひとたびこのことに気づけば地獄の苦しみは破られ(消滅し)、仏の世界が理解できる。このようなことなのでしょう。

 そして実を言いますと、どうしてお施餓鬼=餓鬼供養の冒頭にこの偈文を読むのか、私もいろいろと調べてみたのですが、はっきりとした説明が見つからないのです。六道輪廻説では地獄界と餓鬼界は別の世界です。餓鬼界の霊を供養するのにどうして地獄の話が出てくるのか。
 これは私見になりますが、まず「地獄に堕ちるかもしれない」という恐れを餓鬼たちの心から除いておいて、安心して施餓鬼の供養を受けてもらおう—このような趣旨かもしれません。ただ私が今回この偈文を取り上げたのは、餓鬼供養の詳細に立ち入るためではなく、「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」という句が私たちの日常生活にも適用できる重要な教えだからです。
 私たちは周囲の世界をすべて、自分の色眼鏡を通じて自分の心を投映しながら眺めている。心が世界をいわば造っているのだから、そこを洞察できれば世界はいくらでも変わる。覚りの世界さえ理解できるようになる—このように釈尊が説かれているわけです。コラムのタイトルを〈宇宙を反対側から眺める?〉としたのはこの洞察を意味します。

 この破地獄偈は先に述べたように『華厳経』からの引用ですが、初期の経典である『ダンマパダ』においても釈尊は説かれます。

 ものごとは心にもとづき、心を主人とし、心によって作り出される
 もしも汚れた心で話したり、行なったりするならば、苦しみがその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついてゆくように。
 ものごとは心にもとづき、心を主人とし、心によって作り出される
 もしも清らかな心で話したり、行なったりするならば、福楽がその人につき従う。影がその身体から離れないように。

 ご覧のように、「破地獄偈」に通ずる教えが説かれているのがお分かりでしょう。
 この「心」をいかに制御するか。誤解や執着、欲や怒りといった煩悩に満ちたこの心から、いかにして覚りの花を咲かせることができるか。これが仏教の一大テーマなのです。
 そしてここから「聖道門(しょうどうもん)」と呼ばれる自力修行の道、またそれに対して「浄土門」というお念仏の教えが生まれてゆくことになります。☸


2023.07.02「縁(えにし)の手帖」
笠原 泰淳 記(令和5年7月)

 エンディングノートのことは多くの方がご存知でしょう。
 エンディング、つまり自分の人生の終わりに向けて家族や周囲の人に伝えておきたいことや、医療、介護、葬儀などの希望について書き記すノートです。
 聞くところでは「エンディングノート」というのは和製英語だそうで、20年ほど前からよく知られるようになりました。一時は書店に行くとさまざまなエンディングノートが並んだコーナーがありまして、その種類の多さに驚いたものです。
 手に取ってみますと、それぞれ一工夫があるもののおおむね似通った内容です。わざわざ買うほどのことでもない—当時はそう思いました。既製のものを参考にしながら初めて自分で書いてみたのが今から12年ほど前でした。
 両親のプロフィールから始めて自分の生い立ち、事務的なこと(自分の運転免許証や健康保険証の番号など)、僧侶としての経歴、医療・葬儀・墓所についての希望、また現在住職を務めておりますので寺の将来についての希望などを記してみました。
 エンディングノートは遺言書のような法的は力は持ちません。ですから書いた通りに必ず周囲の人が進めてくれるという保証はありません。ですが、遺された方のためには大変役立つものと思います。たとえば、いざ自分の葬儀となったときに誰に知らせればよいのか。本人が連絡先一覧を書いておけば、遺族としてはとても助かるに違いありません。

 浄土宗が『縁(えにし)の手帖』を発行したのは平成26年です。エンディングノートの浄土宗版というわけです。(色が緑色なので間違いやすいですが、「縁=えにし」です)
 私は当時、「これを檀信徒の皆さんに書いて頂くのは難しいかもしれない」と思ったものです。内容にはそれなりの工夫が凝らされているものの、寺院の側からエンディングノートへの記入を勧めるのは少し押し付けがましいように思われました。
 しばらくこの『縁の手帖』のことは忘れておりましたが、先日あるご葬儀の折に、ご遺族からこの『縁の手帖』を見せて頂きました。故人さまが数年前にこれを手にされ、少しずつ書き進められたとのことでした。ご家族への感謝の言葉が繰り返し記されており、とても感動的でした。
 それ以来、私の考えも変わりました。『縁の手帖』を檀信徒の皆さんに勧めてみるつもりになったのです。
 中には「最後のときはいつか必ず訪れるだろう。でも今はあまり考えたくない」という方もおられるでしょう。否、そういう方が大半かもしれません。しかしいざ体の具合が悪くなると、検査や治療、療養生活のことなど次々と予定が埋まったり決断をしなければならないことがたくさん出てくるなど、気持ちが落ち着かない日々が続くものです。元気な時に、落ち着いた気持ちで少しずつ書き進めておくほうが書きたいことが書けるというところがあります。
 ふと書いてみたくなる時が来る—そういうこともあります。まずはご両親のことなどを思い起こしながら、わが人生を振り返ってみてはいかがでしょうか。また家族や周囲の方に対する感謝の気持ちやお詫びの気持ちなど、もしかしたら面と向かっては言いにくい言葉もあるかもしれません。でもノートにでしたら書き記すことができるでしょう。趣味のことや生きていく上で大切にしてきたこと、もし座右の銘などがありましたらそれも書いてみると、自分の人生を「エンディング」の視点から改めて振り返ることができるのではないでしょうか。人生に残された貴重な時間を、何を大切にしてどういうふうに生きていこうかなどということも、新たな視点から見直すことができるかもしれません。

 いつか思い立ったときに少しずつ書いてみよう、ということでまったく良いのです—「そういえばどこかにエンディングノートがあったはず。書いてみようかな…」
 とりあえず手元に一冊置いておく、というのは如何でしょうか。☸

※どなたでも下記URLから購入することができます。林海庵檀信徒の方は当庵にお問い合わせ下さい。
https://press.jodo.or.jp/products/detail.php?product_id=295 (浄土宗出版のサイトに飛びます)


2023.05.03「前世の因縁」?
笠原 泰淳 記(令和5年5月)

 先日、あるグループで出た話です。
「障がいのある方々と関わる仕事をしています。仏教には『前世に悪いことをしたので、その報いで今生で障がいをもって生まれたのだ』という考え方があると聞きました。私は信じておりませんが、どうなのでしょうか。」
 以前からこういう話を時々耳にします。そのたびになんとも言えない残念な気持ちになります。
 グループではこう申しました。
「仏教には『因・縁』という教えがあります。何事も原因があって結果が生ずる、というのが仏教の考え方で、『因・縁』という場合は『因』が直接の原因、『縁』が間接的な原因や条件です。例えば病気一つとっても、遺伝的な要因もあれば環境的な要因、また生活習慣などいろいろな条件が複雑に絡み合って今の症状が出ている、ということです。また今日のこのグループも、主催者やテーマ、パネラーの方々、いろいろな方がそれぞれの理由や都合で集まってみえて、かけがえのないこの場が成り立っている。このように考えますし、またそれが事実でしょう。従って、前世の何らかの悪しき行いが今生で障がいになって現れている、というのはあまりにもものごとを単純化しすぎた乱暴な説明であって、仏の教えにはかなっていないと思います。」

 またこのご質問には、「そもそも輪廻転生という考え方はどうなのか」という疑問も含まれていると思われます。
 私自身、前世の記憶がはっきりあるわけではありませんが、自分の人生を振り返ってみますとどうもすべてが今生だけのこととして起こっているようには思えないのです。同じ親のもとで生まれ育っても兄弟姉妹で大きく性格が違ったり、さまざまな人との出会いの不思議、仏教とのご縁など、それらは今生だけのできごとではなく、過去生から夢のようなものを引きずりながら今現在を生きているような気がしています。ですから「輪廻転生」という考え方には頷くところがあるのです。
 しかしこれは、各人が自分を省みてそれぞれに「そんなこともあるのかな」と思う程度にとどめておくべきであって、人さまの人生における切実な問題について「仏教では自業自得といいます。あなたの前世はこうだったから今こうなのですよ」と説明することには大いに抵抗を感じます。
 生きるということは単純なプロセスではありません。心と身体は、時々刻々と流れる複雑かつ重層的、相互関連的なプロセスです。それをたった一言で乱暴に決めつけてしまう。しかも単純な説明であるが故に、逆に説得力や影響力ををもつ—これは結果的に、大いに人を傷つけることになるのではないでしょうか。

 どうして私たちは、このような単純な説明を受け入れてしまうのでしょうか。

 私たちは誰しも、不思議に思う状況やまた受け入れ難い状況と出会うと、まずは「これはどういうことなんだ」と目を見張ります。しばらく時間が経つと私たちは、自分が納得する理由、スッキリする説明を求めはじめます。「〇〇先生はこう言っていた」「仏教ではこう考えるらしい」「科学的にはこうらしいよ」…。そして自分が納得できる説明を見つけると、今度は機会を見つけて他人にそれを話します—というより押しつけます。それを聞いた方がもし「なるほどそうか」とスッキリ納得すればそれはそれで良いのかも知れませんが、逆にモヤモヤしてしまうこともあるわけです。

 仏教はおよそ2500年前から大乗仏教が起こった2000年前(及びその少し後の時代まで)に説かれた教えがもとになっています。お釈迦さまのお言葉とされる教え自体は残っているものの、それがどういう状況の中にいる誰々に対して、どういう設定の中で説かれたのかということは十分に記録されていません。ですから、それらを引用して教えを伝える後代の仏教者(私どもを含めて)の責任がきわめて重大になります。その伝え方には聞き手を思いやる慈悲の心が感じられるか、また聞き手に洞察をもたらすような智慧が感じられるか。あるいはそれとは逆に、教えの伝え方に自己満足や聞き手に対する優越感、あるいは支配欲が反映されていないか。そこのところは十分に注意する必要があります。

 宗教に対して不信感を抱く人が増えているという話も耳にします。もしかすると宗教や教え自体に問題があるというよりも、その伝え方に問題があるのではないだろうか—冒頭の例のようなお話を聞くと、そのように思われるのです。☸


2023.03.09自作“戒名”?
笠原 泰淳 記(令和5年3月)

 以前、お戒名の大切さについて書きました(2022年9月コラム「戒名について」)。
 最近、一般の方から「戒名を自作したい」「自作しました」、あるいは「家族に自作の戒名をつけてやりたい」というようなお話を頂くことが続きました。これついて少し考えてみたいと思います。

 私ども僧侶にとっては、僧名が戒名にあたります。
 私自身の場合を申しますと、僧名「泰淳(たいじゅん)」は、今は亡き師僧がつけて下さったものです。後に浄土宗の大本山増上寺で得度式を受けて、この二字を正式に授かりました。
 浄土宗の場合はこれがスタートになります(宗派によってプロセスが異なります)。その後、修学期間、修行道場を経て、これを無事に修了できれば宗脈(教えの根本)と戒脈の相伝を受けたということで、晴れて「浄土宗教師」になることができます。(宗脈戒脈の相伝を受けることから、僧侶資格を頂くための修行道場を「伝宗伝戒道場」と呼びます。)
 その伝宗伝戒道場を無事に終えて、私は「泰淳」という僧名に加えて蓮社号「宣蓮社(せんれんじゃ)」、譽号「濶譽(かつよ)」という号を頂き、「泰淳」と合わせて一般の方々の「戒名」に相当するような長い名前を頂きました。師僧から新たに「宣」「濶」の二字をつけて頂いたわけで、広く教えを伝えるという僧侶としての私の活動を応援してくれるような、素晴らしい字を頂いたと感謝しています。
 こうして浄土宗の教師資格を頂けば、自分でお弟子さんを取ることもできますし、授戒して人さまに戒名をお授けすることもできるようになります。

《宗戒両脈の血脈譜》

 さて、さかのぼって法然上人は、修行時代に天台宗の戒脈を受け継いでおられ、また浄土の教えを開かれてからご自身でお弟子さんに戒を授けておられます。こうした戒脈の伝統が、今日に至るまでしっかりと伝えられています。
 法然上人がお受けになった天台宗系の戒—「円頓戒(えんどんかい)」は、法華経、梵網経、本業瓔珞経といった経典を拠りどころとしているといわれ、六世紀中国の南岳慧思(なんがくえし)以下、次のように脈々と伝えられています。

円頓戒血脈(増上寺)

釈尊…南岳慧思(515-577)〜天台智顗(538-598)〜章安〜智威〜慧威〜玄朗〜湛然〜道邃〜最澄(日本)

日本:最澄(766-822)円仁(794-864)〜長意〜慈念〜慈忍〜源心〜禅仁〜良忍(1073-1132)〜叡空〜源空(法然上人1133-1212)〜聖光〜良忠〜良暁〜定慧〜了譽〜酉譽〜聰譽〜音譽〜隆譽〜天譽〜僧譽〜親譽〜杲譽〜道譽〜感譽〜雲譽〜源譽存応(1544~1620)〜正譽〜桒譽〜圓譽〜深譽〜照譽〜定譽〜登譽〜南譽〜業譽〜暁譽〜遵譽〜本譽〜頓譽〜森譽〜乗譽〜廣譽〜信譽〜生譽〜流譽〜貞譽〜詮譽〜証譽〜湛譽〜顕譽〜松譽〜演譽〜學譽〜衍譽〜通譽〜尊譽〜走譽〜門譽〜成譽〜妙譽〜歓譽〜典譽〜豊譽〜便譽〜現譽〜統譽〜嶺譽〜倫譽〜熏譽〜教譽〜騰譽〜空譽〜宝譽〜宝譽〜功譽〜明譽〜瑞譽〜梵譽〜章譽〜冠譽〜闡譽〜等譽〜温譽〜立譽〜鳳譽〜馨譽〜鳳譽〜交譽〜竟譽〜孝譽〜安譽〜孝譽〜澄譽〜願譽〜清譽徹水〜性譽弁匡〜徹譽法道〜明譽實應〜心譽康隆(1906-2008)…濶譽泰淳(不肖)

 中国8代を経て、日本で伝教大師最澄以下ちょうど100代目の心譽康隆大僧正から直接伝戒を受けたのが私どもということになります。至らぬ僧侶ではありますが、私がこうした109代という途切れぬ伝灯の末席に連なることができたのも、阿弥陀如来、釈迦如来、法然上人のお導きのもと、師僧から学び、大学の諸先生方や道場の指導者の方々から学び、自分でもささやかな努力を重ねてきた結果であります。

 さて、ここで冒頭の話題、「自分で“戒名”を作る」ということを考えてみましょう。上に書いた戒名の意味を踏まえれば、そもそも「自分で作る」という時点で、これら一切の戒脈の伝灯とは無縁であり、「名」とは言えないことはお分かりいただけるのではないでしょうか。たとえマニュアルを見て戒名らしき漢字を書き連ねたとしても、それは浄土宗の戒脈による戒名とは似て非なるもの、ということになります。なお、一部の学者の方が、表面的な知識だけを頼りに戒名自作を奨励するような著作を出されているのも大きな問題です。

 人生の完成期にあたり戒名に関心を寄せられ、生前に戒名を受けたい、と希望されるのは大変結構なことです。また菩提寺住職に「戒名にこの字を入れてほしい」という希望を伝えるのも宜しいでしょう。
 が、戒名は、自己表現や(ご家族などへの)愛情表現の場ではありません。戒を授かった証としていただく、仏弟子として大切な名前です。良かれと思って自作した“戒名”のせいで、ご先祖から続いてきた道から逸れてしまい、実際問題としては菩提寺との信頼関係にもひびが入り、思わぬ結果を招くこともあります。

 仏様の前でよき供養を捧げるためにも、「戒名」の本来の意義を十分にご理解いただき、ご一緒に仏弟子としての道を歩んでいただきたいと思います。🙏


2023.02.17臨死体験
笠原 泰淳 記(令和5年2月後半)

 海外の方からご質問を頂きました。

「臨死体験についての文献を見ますと、社会的文化的な条件付けに関係なく、死に近づいた人々の体験に驚くべき類似性があることに気づくでしょう。これらの経験は、バルド・トゥ・ドル(『チベットの死者の書』)の教えなどに見られるような、中有 (バルド) に関する仏教の教えとほとんど共通するところがありません。臨死体験者の大部分は、例えば亡くなった親戚や家族との再会を報告しています。

 これはお念仏の教えとどのように両立するのでしょうか? 先に亡くなった彼らが阿弥陀仏の名前を一度も口にしたことがなかったとして、(念仏者である)私が死んだ後、彼らと再会することができるのでしょうか。

 一方で、臨死体験の記録の中には阿弥陀仏の存在を説明するのに最適な、愛や智慧、そして慈悲に満ちた『意識をもつ光明』についての記述を見いだすことができます。

 これは本当に私を困惑させます。」

 以下が私の答えです。


 良いご質問です。私も臨死体験についての文献を読んだときに、あなたと同じことを考えました。これらの驚くべき体験記録は、肉体の死後も私たちの意識が続き、死者との再会や、智慧と慈悲に満ちた光明を見たり、平和な心を経験する場合があることを予感させます。

 しかしよく考えてみると、いくつかの点に注意する必要があることに気づきます。

  1. 臨死体験は、死後の体験とイコールではない。しかも、報告されているのは一部であって、すべての臨死体験者が死者との再会や光明を経験できるとは限らない
  2. 臨死体験の中にも、光明ではなく恐ろしい体験をした報告例がある
  3. 臨死体験で光明や平和を体験したからといって、そのまま輪廻からの解脱ができるとは限らない。臨死体験で垣間見るのは六道説でいえば天界にあたる世界であって、輪廻転生の円環の内側の体験に過ぎないかもしれない

 臨死体験は、死後の意識の継続を予感させる貴重な報告であり、たいへん興味深いものです。そこには浄土教の真実性を示す側面があります。しかしながら以上のように、臨死体験をただちに浄土往生の経験と結びつけて考えるべきでもないと思います。

 したがって、たとえ生前にお念仏を称えなくても臨死体験のような経験ができるかもしれないという推測はできるものの、それはあくまで推測に過ぎません。一時的な経験に過ぎないかもしれないし、それがそのまま覚りにつながるという保証もありません。

 死に臨んで確実に阿弥陀仏の浄土に生まれ彼の地で覚りを得るためには、本願に基づくお念仏の実践が欠かせない—わたしはそう思います。

 古来の念仏者や浄土往生された方々も、これに同意して下さることでしょう。

 南無阿弥陀仏🙏


2023.01.20節分の鬼
山田 隆治 記(令和4年11月)

 2月3日は節分です。豆を撒いて鬼を退治する行事は昔から行われてきました。こどもの頃は鬼の顔を描いたお面を被り、豆をぶつけ合って面白がったものです。

 節分とは、季節の分かれ目、節目である「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことで、年に4回あります。旧暦では春から新年が始まったために、立春の前日の節分は大晦日にあたる大事な日でした。そのために節分と言えば、正月である立春の前日のことを指すようになりました。
 昔は、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられていましたので、様々な邪気祓いの行事が行われてきました。豆まきも新年を迎えるための大切な行事の一つです。浄土宗の大本山である増上寺でも節分の日には大々的に豆まきが行われます。
 豆まきの起源は古代中国にさかのぼります。古代中国では、大晦日に「追儺(ついな)」という邪気払いの行事がありました。これが日本に伝わり、宮中行事として取り入れられるようになりました。その中の一つである「豆打ち」が庶民の間に広がっていき「豆まき」という形になったそうです。
 一方、鬼は邪気や厄の象徴。災害、病、飢饉など、人間の想像力を越えた出来事は鬼の仕業と考えられてきたのです。そのような鬼を退治するのに豆を使うのは、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という言い伝えによります。豆(魔目=まめ)を鬼の目に投げつけることで鬼を滅する「魔滅」に通じています。豆を煎るのは「魔の目を射る=邪気を払う」という意味で、煎った豆を使うようになりました。鬼に豆を投げつけることで邪気を払い、無病息災を願う意味合いがあります。

 仏教では、邪悪な心で人々を悩ませる者、人間に危害を加える凶暴な精霊、餓鬼の世界に落ちた者、地獄の獄卒などを広く鬼と呼んでいます。
 しかしながら顧みれば、実際の鬼は外にいるのではなく、私たち一人ひとりの中にいるのではないでしょうか。限りない欲望があり、激しい怒りや妬みの心を持ち、真理を知ろうとしない愚かさが私たちにはあります。この煩悩こそが私たちの「鬼」の正体なのです。
 煩悩を抑え、悟りを目指すことが仏教の教えであり目標です。とはいえ、これがなかなか難しい。難しいというよりもできないと言った方がいいかもしれません。

 法然上人も、
「自分は戒行(修行する時に守らなければいけない戒め)において、一つの戒も保てず、禅定(心静かに安定させること)において一つもこれを得ず、智慧において煩悩を断ち切って悟りを開く正しい智慧を得ることができない。私のような愚かな者の心は物に従って移りやすく、例えば猿が木の枝から枝へ飛び移るようなものだ。心は散り乱れて動きやすく、集中して平静を保つことは難しい」
と言っておられます。
 法然上人は愚かな自分やすべての人々が救われる教えはないかと、長い年月をかけて修行をお続けになりました。そして、中国の善導大師が書かれた『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物の中の一文を見つけました。

「一心に南無阿弥陀仏と称えることを続けていれば、これこそ極楽浄土に往生することが決定している実践の行である。それは阿弥陀仏が迷いの世界にいるすべての人を救おうと誓われた本願の心を実践する行だからである」

 その文章を見て、法然上人はこれで自分のような者でも救われるという思いを持たれたのです。

 私たちのように、煩悩を無くすこともできずさまよっている者は、自分の力で極楽往生をすることはできません。そうではなく、阿弥陀様のお力に縋って極楽へ導いていただくのです。
 阿弥陀様はあらゆる世界の人々をお救いになることを誓われました。その誓いを信じてお念仏を称えることで必ず救われます。
 阿弥陀様の本願の実践であるお念仏を、これからもご一緒に続けてまいりましょう。☸


2023.01.01平  和
笠原 泰淳 記(令和5年1月)

 謹んで新春をお祝い申し上げます。本年が皆さまとご家族にとって、お健やかで幸多き年でありますよう心より祈念いたします。

 昨年は戦争と平和について考えさせられる年でした。申すまでもなくロシアのウクライナ侵攻に端を発する国家間の相互不信の広がり、そして恐ろしい軍拡競争の兆しが見られたことです。戦争の終結を祈るのはもちろんのことですが、何とかこの相互不信と軍拡の傾向に歯止めがかかるように心から願っております。

すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。(法句経129偈)

 釈尊の説かれたもっとも大切な教えは不殺生、非暴力です。もし世の中の流れに流されて、「そうはいうものの理想と現実は異なる」というふうに考えるならば、その人は釈尊の教えに反していることになります。少なくとも仏教徒を自認される方であるならば、どうぞこの原則に立ち返って頂きたいと思います。

 本年が、私たちが平和へのきっかけを見出せる年でありますように祈ります。☸